©️ Transtructure Co.,Ltd.All Rights Reserved.

MENU

©️ Transtructure Co.,Ltd.All Rights Reserved.

コラム

column
Web会議は疲れる⁉ | モチベーションサーベイ

Web会議は疲れる⁉

 最近のコロナ禍で、オンライン会議といわれるWeb会議が非常に増えました。このWeb会議だと、会社に行かなくても自宅からだし、移動時間がなくなって良かった、出席する負担も軽いはずだし、時間を効率的に管理できると考えていたが、1日に2回、3回実施するとリアルで会議や商談をするより、はるかに疲れるなぁと思うようになったのです。連続でこなそうものなら、疲労がピークに達する場合もあるほどです。  なぜWeb会議は、リアルの会議に比べてこれほど体力や精神力を必要とするのでしょうか。web会議の場合は、参加者全員とコミュニケーションをとる必要があり、相手の言っていることや考えていること、表情をすべて理解しなければいけないという意識が働くわけです。そのため、いつも能動的なスタンスで、画面に向かいます。さらに映る背景を気にしながらカメラにいいポジションでという意識から、同じ姿勢で固まったままになりがちです。  通常の会議であれば、何人か出席していたとしても、自分が発言している時は他の参加者は、その他大勢となるので、参加者の顔は見えるが、個々の表情にまでそんなに意識を向けなくても良いのです。つまり会議全体の「雰囲気」さえ把握していれば問題ないのです。  ところがweb会議では、遮断された「雰囲気」をできる限り摂取しようと画面を通して伝わってくる情報に目や耳を集中させることが必要になります。「全参加者分の個別ワイプ画面」と対峙することになる状況が続き、たくさんの顔と向き合うと、一人ひとりの表情や動作が非常に気になるという事態が発生します。いろんな顔に目を向けることになるし、さらに、共有された資料も見ながら常に集中し続けているし、情報が多すぎて整理できない。この高度な集中力を要求されることが、web会議後のなんとも言えない「疲労感」につながっているのではないかと考えるのです。  今後、Web会議に疲れていると自覚しているのであれば、ツールの使い方の工夫が必要です。たとえば、出席者の確認をしたら、あとはカメラ映像をOFFにしてしまうとか、時間を思い切って短く設定するとか。テレカン(teleconference)のように複数人で電話会議をすることは前から実施しており、映像を使わないことがあります。音声だけでも十分にコミュニケーションはできるはずです。映像というツールが使えるからついつい表情も見たくなり、映像は常にONにという暗黙のルールや圧力を感じるときもありますが、実務的な打ち合わせなどでは、顔よりも資料に目線を集中させた方がはるかに効率的なこともあるのです。  今後もweb会議はますます発展していくことが予想されます。すでに会議だけでなく、集合型の研修をWeb型研修に切り替えるケースも増えてきているし、web会議にしかない良さ、冒頭にあげたような「効率」の面では圧倒的に便利です。その一方で、対面での会議でも、これからweb会議がどんどん合理的なツールになれば、「非合理的な」コミュニケーションの手段として残って欲しいなと思います。  リモートワークに体が慣れてないうちは、いろいろ大変なことも多いです。会社でなく家にいるからといって、決して楽ではないわけです。充実したリモートライフを送るためにも、気づいたことがあればいろいろと工夫していきたい。それぞれの良さを踏まえたうえで、場面に応じた使い分けが大事ですから。

企業にも多様性を! | その他

企業にも多様性を!

近年、働き方のダイバーシティ(多様性)についての議論が活発になっています。生産年齢人口の減少に起因する労働力不足を解消するために、かつてはあまり主力としてみなされてこなかった高齢者、女性、外国人等を活用する必要性が高まり、地域限定社員や短時間勤務などの多様な働き方が整備されつつあります。最近は、副業・兼業、リモートワーク、定年廃止など、さらに広がりをみせています。労働者がそれぞれ自分に合った働き方を選択し、プライベートと両立しつつ、高い生産性を発揮できるとなれば、一連の風潮には全面的に賛成です。 さて、労働者の選択肢は、広がる一方、企業に目を向けるとどうでしょうか。 定年再雇用の義務化に始まり、残業時間の上限規制、同一労働同一賃金、と法改正が行われていますが、その対応に目を向けると、先進的な取り組みを行って失敗することを恐れ、他社の出足を伺いながら、結果的にどの企業も似たり寄ったりの人事管理になってきているように感じます。皮肉なことですが、労働者の多様性を実現するために、企業の個性は失われているのです。 過激な意見であることは承知で言いますが、 「残業はたっぷりあるけど、短期間で豊富な経験が積めるので、どこでも通用する人材になれます!」 「うちの会社の定年は40歳です。40歳以降は給与が下がり続けるので、それまでに社外で通用するスキルを身につけて次のキャリアを見つけてください。もちろん、それに必要な教育と支援は惜しみません!」 「我が社は、和を重視!評価で差をつけたくないので、評価制度はありません。」 などの少々尖った人事管理ポリシーを前面に押し出した個性的な企業が、もっとあっても良いのではないでしょうか。 (もちろん、法令は守った上が前提ですが…) 生物学の話ですが、多様な遺伝子を持つ集団は、環境変化に強く、絶滅するリスクが低いそうです。日本企業を一つの集団としてみれば、多様な企業が存在している方が、環境変化にも耐え、新たな進化を遂げることができるはずです。これまでの常識にとらわれない個性的な企業が、将来生き残るのかもしれません。多様性に富んだ企業と労働者が互いにベストマッチの相手を見つけ、双方がベストパフォーマンスを発揮することが、日本企業の活路を切り開くのではないでしょうか。 我々、人事コンサルタントも常識や過去の事例に頼らずに、「クライアント企業の発展にベストな人事制度とは何か?」を常に追い求める姿勢が不可欠です。 自戒の念も込めて。

なぜ緊急車両の通行妨害が起こるのか?  | その他

なぜ緊急車両の通行妨害が起こるのか? 

遠くからサイレンの音が近づいてくる。消防車だ。音が近くに来てなかなか遠ざからないと思ったら、細い道が太い道に合流するT字路の交差点で、交差点内の右折車が緊急車両の行く手を阻んでいた。消防車は何度もアナウンスで指示を出し、乗用車が少しずつ位置を変えてようやくできた隙間を縫って走り去った。長い信号一回分の時間が経過していた。 ドライバーであれば緊急車両を優先させるのは常識中の常識である。いったいなぜこのような誤った行動が引き起こされてしまうのだろうか。それを防ぐ手立てはあるのだろうか。 通行妨害が発生する理由については、調査を見つけることができなかったが、災害時の行動研究などを踏まえて3つの仮説を考えてみた。 ・視野狭窄の罠 周りが見えていない状態で、緊急車両が近づいているという聴覚による事実と、自分の進路に影響があるかもしれないという可能性が結びつかず、ぼーっとして何も考えずに交差点に進入してしまったのではないか。 ・正常化バイアスの罠  自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう心理的特性が正常化バイアスである。「まさか緊急車両がこの道にはこないだろう」「緊急車両が近づいているが、自分がわたるくらいの時間はあるだろう」などと甘く考えていたのではないか。 ・被害者心理の罠 右折したい自分が、法規通りに道路の左側によると、次の信号で右折できなくなり自分だけ遅れてしまうかもしれない。自分だけ損をするのは馬鹿らしいという一心で、前の車と同じ行動をとることだけに囚われて交差点に進入してしまったのではないか。 実はこの3つの仮説は、人・組織の課題の原因仮説として語られることも多い。 たとえば、社員が「組織間の壁がある」「閉塞感がある」という企業は、固定的な環境で社員が視野狭窄に陥っているかもしれない。 年々市場が縮小し、利益率が低下しているのに手が打てていない企業は、意思決定者が「自分が在籍している間は会社はつぶれない」という正常化バイアスに蝕まれているかもしれない。 社員のコミュニケーションが良くない企業は、組織全体に「自分ばかり頑張っているのに報われていない」という被害者意識が蔓延しているのかもしれない。 では、どうすればこれらの課題が解決するのだろうか。望ましくない行動そのものに対する罰則の厳格化は1つの方向だろう。多くの職場でも、「べからず集」は活用されている。しかし、緊急車両優先は「道路交通法」に定められているにも関わらず、妨害行動は発生してしまっている。禁止は根本的な解決に至るとは限らないのだ。 重要なのは、罰則などによる禁止よりもむしろ、望ましくない行動をとってしまう認知的・心理的な原因に対して手を打つことではないだろうか。加えて、望ましい行動をシンプルに、具体的に伝えることだ。いわば災害における避難訓練のように、何をすべきかを頭と体に叩き込んでおくのだ。 一律にルール化するのではなく、人の行動のプロセス、メカニズムを紐解き、そこに働きかけること。それこそが、複雑な人間の行動を望ましい方向に導く上での近道なのではないだろうか。 参考文献: ●“安全・危機管理に関する考察(その2 ) 一緊急時の人間行動特性-” 古 田 富 彦 「国際地域学研究 第6 号2003 年3 月 」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005274751 ●“大災害時の避難行動“東京女子大学名誉教授 広瀬 弘忠 消防防災博物館 https://www.bousaihaku.com/dptopics/113/

小田原評定(ひょうじょう) | その他

小田原評定(ひょうじょう)

かつて小田原城主を務めていた北条氏直は、城外で敵であった豊臣秀吉軍が城を囲い、まさに小田原城を攻め落とそうとしていたのにもかかわらず、延々と城内の評定で対策の評議を行っていたと伝えられています。結局、城内での長引く評議の中、北条氏直は豊臣軍によって滅ぼされてしまったことから、小田原評定は「会議が長引いて、結論が出ず埒が明かないこと」を指す比喩として使われるようになりました。 現代の会社の会議や日常に関する相談ごとで、時間的に長引きながらも一向に埒が明かず、結論が出ないことがありますが、このような状況は小田原評定の典型的な例といえます。 会議が小田原評定になった場合、出席メンバーの心中はイライラやガッカリ、あるいは、またかといったものになってしまいます。会社の会議では、問題の解決や今後の計画など、結果や結論を急ぐ内容がほとんどです。そのような状態で会議が小田原評定であるのは、とてもストレスのかかることです。小田原評定で残るものは時間のロスとストレスだけかもしれません。 会議をするのに大事なのは事前準備とファシリテーションです。効率的な会議を実現するためには、まずその会議での目的を達成できるよう入念な事前準備が必要です。事前準備とは、会議の目的、情報の共有、参加者への宿題のお願いをしておくことです。 集まってから内容の説明するのではなく、すぐに議論が始められるような環境を整えておくのです。 参加者に目的を共有しておくことによって、会議終了時に「このゴールを目指す」という目的を共有したチームワークを発揮しやすくなります。さらに有意義な議論をするためには、必要な情報と会議の議題となる問題提起をしておくことが肝心です。 そうすれば単なる一般論ではなく、会議で決定したことを参加者が実施するにあたって解決すべき問題など、具体的な状況を踏まえて意見を出してくれるようになるはずです。 また、事前に「資料に目を通して議題に対する意見を持って会議に参加いただく」というような宿題を設けておけば、議論できずに会議が終わるという事態を避けることもできます。 このような事前準備を行っておけば、ファシリテーションもスムーズに行えます。 難しいのが、意見が出ない時に意見を出してもらうこと、また脱線した場合に本筋に議論を戻す会議進行です。目的や情報、そして問題提起の内容を共有しておけば話も脱線しづらくなり、宿題として意見を準備しているため、会議を停滞させず発散させ収束ができるのです。 小田原評定は、過去の歴史から生まれた言葉であるため、日本人には響くものがあります。 加えて、長く話し合っても結論が出るどころか、敵に打ちのめされてしまうという、やや皮肉めいたニュアンスがあるのも特徴です。 戦国時代と違い、現代社会はますます変化を遂げ、そのスピードを速めている中、こういった状況に陥らないよう会議の時間を最小限にして、有意義な会議のみを開けるようになれば、やるべきタスクにより多くの時間を割くことができるでしょう。 自社の会議が小田原評定になっていないか自問自答しながら、会議の在り方を再考してはどうでしょうか。

読書の弊害 | 人材開発

読書の弊害

とにかく本を読もう――ビジネスパーソンにとっての読書の効用を何度も書いてきた。 「管理職にとって大事なことは、みな本に書いてある」と強調し、ドラッカーやコッター等の古典的名著を次々読ませる経営幹部育成研修の成功例を紹介した。読書とは結局「自分を読むこと」であって、自己流のやり方を体系づけ整理するのが大人の読書だとも書いた。組織で成果を上げていくには、本を読まなくては始まらない。かつての広告コピーにあったように、そもそも「人は、本を読まねば、サルである」なのだ。 そのうえで、本を読むことには弊害もあることに注意しなければならない。たくさんの本を読むことが、「考える力」の劣化をもたらすことがあるのだ。なぜか。ともすると、情報や知識を求めて本を読む。方法を求めて本を読む。つまり、「答え」を求めて本を読むから、その繰り返しは、自分で考えるという行為をよこにおいてしまいがちだからだ。 結果、有用な知識を獲得できるけれども、自分なりにそれを実践に結び付けることにはならない。自身の固有の状況下で、自分はどうするか、どうすればよいかは、本には書かれていない。そここそを考えるのが、本の情報を消化する――つまりは、本を「使う」ことだが、知識や理屈や一般的答えを知る行為に注力するあまり、そこに至らなかったりする。 何らかの知見や答えを求めて本を読むことは、自分のアタマで考えることとイコールではないから、熱心で集中度の高い読書であるほど、知識は増えるけれども考える力は鍛えられないという悪しき側面を持つのだ。 何らかの企画をするときに、すぐに自分の経験や知識であてはめようとする――つまり、手持ちの処方箋でこなそうとして、その目的や課題の本質を深く考えない結果、的外れなアウトプットを出す輩が、えてしてこの手の「読書家」だったりする。当たり前だが、情報知識をどんなに集めても、思考力そのものは身につかない。知識獲得や整理の効率化や視野が広がるという意味で思考の役には立つけれども、地アタマは鍛えられない。 ではどうするか。受け身ではなく、攻撃的に本を読めばよいのである。知らないことを本から学ぶ、ではなく、自分の都合で本と議論し、本に突っ込みを入れ、分解したり統合したり横へ跳んだりして、本を蕩尽するのだ。本をしゃぶりつくすということもあれば、ほんの少しつまみ食いして読み捨てたっていい。むしろ行儀のわるい食い散らかしこそが、考える読書の醍醐味かもしれない。 たとえば、まず前書き後書きを一読し、目次を眺めて、仮説をたてる。著者の主張や結論の仮説ではない。自分の仕事や生活の問題課題への活用の仮説、どう使えるかの仮説である。あるいは世界認識の仮説、大げさに言えば世界と自己との関係課題を腑に落とす材料たりうるか、の希望的観測である。 その仮説を軸に、本のコンテンツに臨む。読みながら、仮説が修正されたり、仮説が木端みじんにされたりする。うまくいけば、仮説が検証されたり、新しい仮説が見えたりする。つまり、自分なりの仮説検証をもって読むことで、その本を、自分なりに意味づけることができる。  などというといかにも難しそうだが、簡単にコツをいえば、要は本に「答え」を求めるのではなく「問い」を求めればいい。仮説をもって本を読めば、読後には、いくつかの問いが心に浮かぶはずだ。だからむしろ、読み終わったあとに、必ず新たな問いを持つことを自身に強制して読む。つまり、問いを見つけるために読むということである。 本を読んで生まれた「問い(=問題意識)」は、本と読み手の相互作用の結果であり、なにより、自分で考えるからこそ問うことができるのだ。

生涯現役というソリューション | 関連制度設計

生涯現役というソリューション

生涯現役というソリューション 栄養、医療等のイノベーションで、我々は、今よりも健康で長寿になると言われている。現在の日本の中学生は、2人に1人が107歳まで生きると言う予測もある。長寿自体は喜ばしい事だが、我々が長寿化することで、従来の社会システムのバランスが崩れ、今までは気にせずに済んだ悩ましい問題に向き合わざるを得なくなる。端的に言えば、我々が、今まで80歳まで生きることを前提に人生設計を組んでいたとして、実際は100歳まで生きる状況になった時、追加された20年間の経済的基盤をどう確保するかと言う事だ。 我々の一生を教育ステージ、就業ステージ、引退ステージの3ステージに区分すると、現在のそれぞれの期間は、おおよそ20年、40年、20年と考えられる。引退ステージの後にさらに20年追加されると、当然、この人生の3ステージ全体のバランスを改めて取っていかねばならない。人生80年と想定し、リタイア後の20年を年金とそれまで蓄えていた貯金を使ってやり繰りしながら80歳まで生きてきた時、「おめでとうございます。追加であと20年生きられます!」と言われたら、我々は一体、どうすればよいのだろうか?少子化の中で、政府に何かを期待できる時代ではない。もし、残り20年分の経済的準備ができていなければ、その後の人生は、かなり憂鬱なものとなってしまうかも知れない。もっとも、実際は、ある日突然、一気に平均寿命が延びるわけではなく、年齢が若くなるにしたがって、徐々に平均寿命も延びていくので、現実は、これほど極端ではないが、いずれにせよ、我々ほぼ全員が、いままで以上に長生きする前提で、これからの人生設計をしていかねばならない。 私が20代の頃、若いうちから、かなりハードに働いて、そこそこの額の貯金をため、定年を待たずに4~ 50代までにリタイアして、あとは時折、旅行でもしながら、悠々自適に暮らしたいと話す友人達が、周囲に少なからずいた。「君は一体いくつまで働くの?」飲み会の席などで、友人達からそんな質問を時折受けたことを覚えている。当時は、短期間に強烈に働いて、早々にリタイアする人生を目指す事は、将来の人生を考えるスタンスとして、それほど不適切なものではなく、実際に実現できるかどうかは別として、概ねポジティブに受け入れられていたように思う。 ただ、そうした計画を立て、中には実際に実現できた人々もいるだろうが、今になって、さらに20年分の生活が追加されるとなれば、どうだろう? 再度、収入を得るための活動を再開する必要が出てくるかも知れないし、何より100歳まで生きるのに、4~50歳で、リタイアしたら、引退後の人生の期間は、あまりに長く、時間を持て余してしまうに違いない。当時は、早期リタイアを目指す人生は肯定的であったかも知れないが、やがて来る長寿化時代を見据えると、今や、そうした人生設計はリスクが高く、あまり魅力的とも賢明な選択とも言えなくなってくる。 今後、医療の進歩等で、さらなる長寿化やアンチエイジングが進む事も考えられ、将来の自分の身体能力がどこでどのように変化していくのかも、過去の人々のケースを参考には出来なくなくなって来る。また、どの仕事がAIにとって代わっていくか、明確には予測ができない事などを考えると、これからの人生で、いつまで働こうか、どんな仕事をしていこうか、と算段することが極めて難しい現実に直面する。先を見越して計画を立てるには、自分自身も含めて、将来の環境や前提を安易に見定められない状況がそこにはある。 それならば、いっそ、潔く、生涯現役宣言をして、死ぬまで働く覚悟を持って、健康に留意しつつ生きていく方がよっぽど、気分がよいと思うのだがどうだろうか。 また、どの仕事が今後生き残るか、高い収入が得られるかと検討する事も大切だが、それも不確実性が高く、当てが外れる事も大いにあるだろう。であれば、何より、自分がやっていて楽しく感じられ、自分の特性が最大限、発揮できることで他者に貢献ができると思える仕事が何なのかを今からでも、真剣に自問し、見つけていく事が、何よりも重要なのかもしれない。そんな仕事を見つけられれば、仮に収入は多くなくとも、やりがいを感じ、大きなストレスなく、働いていけるし、より幸せを感じて過ごしていけるだろう。 この問題に対する答えは、どこかで誰かが用意してくれることはない。自分自身をよく理解し、自らその答えを見つけるしかない。今までは、そこまで深刻に考えなくても、ほど良いタイミングで寿命がやって来たが、これからは、社会を大きく変化していく環境の中で、老後を生きていかなければならないのだ。そんな未来を見据えて、我々は、早期リタイアを目指すマインドから、生涯を通じて、考え、学び、働き、そして、それを楽しむ・・そんなマインドセットに切り替えていく事になるのだろう。

変わる評価 | その他

変わる評価

 社員の評価に問題のない企業はない。問題がないどころか、評価が全く機能していないなど極めて深刻な状態にある企業も少なくない。  近年日本企業の人事制度は、緩やかではあるが大きく方向を転換してきた。年功的処遇、終身雇用の制度から、実力、成果を重視する制度へと確実に変化している。今やどの企業でも、実力、成果で社員の処遇を決定することを、基本的な思想として普通に表明している。実力、成果を軸とすると、今までより理論的、体系的な仕組みが要求される。等級制度は、社員のレベルをより詳細に定義しなければならない。また労働市場に合わせて職種別に再編したり、等級の定義をより詳細化する傾向にある。また昇格だけでなく降格も普通の機能となってきた。実力で処遇するためには、実力に応じた等級にすることであるため、等級が上がる一方ではなく、エレベーター式の仕組みが求められるからである。給与制度では、等級が違えば月給に差をつけるような、階段状の月給が多くなった。賞与に関しては、成果を挙げたものに、さらにより多くの配分をする傾向にある。  実力、成果重視の制度を実際に機能させるためには、等級制度、給与制度が理論的、構造的に設計されている上で、評価制度が機能しなければならない。評価が甘い、実際の差を反映しないものであれば、制度の威力は発揮されないからである。この評価が機能している企業が実に数ないのだ。  適正な評価を行うために、今まで経営や人事は様々な手法でこの問題を解決しようとしてきた。代表的なものは、評価者研修である。評価を行う上司に評価に関する教育を行うものである。また二次評価などのように、上司が行った評価をそのまた上の上司が再チェックすることも多くの企業で実施されている。さらに評価表一枚一枚を会議体で検証するような取り組みも多い。絶対評価をやめ、相対順位で評価を決定する企業も一定数ある。結果としてみると、これらの手法は適正な評価を行うための決定打ではなかったということだ。上記の手法は、一部は一時的な効果にとどまり、一部は効果があるが実施の負荷が高すぎるなど課題が残り本質的な解決にならない。  長期雇用で職場内のチームワークを重視する組織体で、上司は部下にストレートな評価が困難である。どうしても甘い評価になったり、差をつけない評価になってしまう。利害関係のある、上司から部下への評価を適正にする努力は実を結ばないということだ。最近はこの問題を解決するために、多面評価と外部評価を用いる企業が現れ始めた。上司だけでなく、多くの関係者の評価のほうが組織内では正しい評価ではないかということである。外部評価は主に管理職などの管理能力を外部の専門家が判定するというものである。社内の衆目の評価と外部視点での実力評価で判定するというものである。たしかにこの手法は解決しなければならない課題はあるが、今までの手法と比較にならない決定的な解決策になる可能性を持っている。評価が機能しない限り人事制度が当初の目的を達しない。評価を機能させるためには、何度も失敗してきた手法を捨て、新たな解決策を模索する必要があるのではないか。 以上

間違いだらけの女性活躍推進 | その他

間違いだらけの女性活躍推進

小学生の子を持つ筆者の周りのワーキングマザーたちに異変が起きている。赤ちゃんの頃から保育園に預けて働き、寝る間を削って雇用やキャリアを維持してきたワーキングマザーが、一人また一人と転職や非正規への転身を果たしているのだ。個人としてはハッピーでも、勤めていた会社としては、ようやく本格的に活躍してもらえると思った矢先に退職されてしまった格好である。なぜこのようなことが起こっているのか、そして避ける手立てはどこにあるのだろうか。 全体を俯瞰してみれば、平成28年4月の女性活躍推進法の施行以来、日本の女性活躍推進は順調に進んでいるように見える。『男女共同参画白書(概要版) 平成30年版』※によれば、生産年齢人口の就業率は女性25~44歳で74.3%、前年比1.6ポイント上昇。出産を契機に女性が退職するいわゆる「M字カーブ」の底も浅くなっており、産んでも辞めない傾向が強まっている。一方で、管理的職業従事者に占める女性の割合は,平成29年においては13.2%であり,諸外国と比べて低い水準となっている。 「就業」という観点からみれば好調だが、「活躍」にはまだまだ課題があるという状態である。冒頭のワーキングマザーたちがその例だ。一体「活躍」の何が課題なのか。彼女たちのコメントから見えるのは、1つには昇格プレッシャーだ。 「管理職になるようしつこく言われて会社を辞めた。ここで会社の言う通り昇格したとしても私にはとても無理だと思ったら、居づらくなってしまった」(金融業・正社員) 管理職になりたくないという声は、女性に限らず、中堅社員でも、専門性の高い職種でもよくある話だ。管理職昇格はモチベーションにはならない。では何で動くのか。それは「やりたい」と気持ちが動くかどうかだ。 「ずっとやりたかった仕事のアルバイトからスタートすることにした。正社員は、残業20時間できますか?と言われてあきらめたけど、とにかく始めてみる」(代理店・正社員) 「やりたい」と思えば、すごいエネルギーが生まれるものだ。女性管理職を増やしたい、男性と同等にチャンスを与えるので応えてほしい、というオファーは、しょせん会社の論理である。会社の論理そのままで、ワーキングマザーだけに変われと言うのは大きな間違いだ。 多くのワーキングマザーは、子どものケアや家事など家庭のさまざまな役割を、「私しかできないこと」という諦めと責任感で引き受けている。会社が仕事に向けて彼女たちの“気持ちを動かす”には、彼女たちが抱えている「私しかできないこと」リストの上位に仕事を位置付けるしかない。が、組織とは本来、だれでも代替できるように仕事を管理するものだから、「私にしかできない仕事」は基本ない。だから「私がやりたい」という気持ちがものすごく強く持てないと、リストの上位には食い込めない。 とすれば女性活躍推進として会社が取り組むべきは、「やりたい」という気持ちを育てるよう、仕事と職場を変えることだ。スモールステップで自分のアイデアを実現する機会を増やす、そういった活動を評価するのは一案だろう。 ワーキングマザーの「やりたい」を引き出せたとき、あなたの会社はすべての社員にとって、「やりたい」を感じられる組織に近づいているに違いない。 ※『男女共同参画白書(概要版) 平成30年版』 https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/koyou/doukou/18-2/dl/gaikyou.pdf

50代半減 | 雇用施策・その他

50代半減

 長期雇用を前提とした日本の人事管理では、社員の年齢構成は非常に重要な論点となる。企業が持続的に成長するためには、その企業のコアノウハウ、文化を次世代に継承し、さらに発展させていくとう連続的な循環が必要となる。そのためには、年齢構成は緩やかな台形型が理想形である。台形型の年齢構成は、毎年ほぼ同数の定年及び自己都合退職者が出て、ほぼ同数の新卒社員が採用されるということだ。退職社員と採用社員がほぼ一定であることから、継続性のある安定したノウハウ、文化の継承がされるという考え方だ。  台形型の年齢構成でない企業では、年齢構成由来で重大な問題が発生する傾向にある。近年日本の大手企業の代表的な年齢構成は、バブル採用の50歳代の社員が非常に多く、逆に40歳、30歳代は極端に少ない。長い採用抑制の影響である。近年は積極的に新卒採用をする企業が増えたため、20代半ば以下は比較的多くの社員が在籍している。このため平均年齢は40歳を超えており、職場の雰囲気もマチュアだ。  50歳代のような年齢構成の突出層は、放置すると大きな問題を発生させる。まず突出層の社員はスキルが高くない傾向が強い。若いうちはこの問題は顕在化しないが、職場の中で中堅的仕事、係長や管理職候補の年代になってくると、実際に担当している業務と処遇の不整合が発生する。下の年代の人数が少ないため、ずっと実務を担当しなければならないからだ。年功的な企業であれば、等級は上昇するため、次第に仕事のレベルと等級のミスマッチが増大する。その結果年齢上昇→等級上昇→人件費上昇という人件費上の問題も発生する。さらに下の年代の社員が極端に少ないため、部下が少ない、ないしはいないこともある。そのためリーダーシップが鍛えられない。管理職として登用するに十分な経験が積めないのだ。管理職等級に昇格してもポストの空きがない、またはそもそも管理職一歩手前の等級に長期間滞留することもある。モチベーションが高まらない。  突出層の問題はこの年代だけに留まらない。突出層の下の年代も育たないのだ。突出層の下の年代は、多数の先輩がいる。若手が十分に補充されないので、長い期間がたっても組織内での相対的序列は高まらない。また突出層でさえ管理職ポスト待ち人材が多いので、自分たちがポストにつける可能性がさらに低い。  突出層は育たない。突出層の下も育たない。そして突出層は50歳代となっている。この問題はバブル採用時からずっと指摘されてきた問題である。中には年齢構成是正施策を実施してきた少数の企業はあるが、大多数は問題と分かっていても手を付けてこなかった。今後経営環境が変化していくなかで、人件費適正化、人材の質の向上、職場の活性化が重視される中で、遅ればせながらこの突出層に対する施策が重要となる。理論的に考えれば50歳代は数年間に半減以上する施策が必要となる。直ちに手を付けなければ、激変する環境下でさらに成長を継続する企業にならず、逆に成長力を失ってしまう。遅ればせながら50歳代の雇用施策がブームとなりつつあるが、この問題に本格的に向き合う最後のタイミングではないだろうか。 以上

インフルエンザとエレベーター | その他

インフルエンザとエレベーター

仮にあなたが病院を訪れ、「熱があって、のどが痛くて、鼻も詰まり気味で…」と話したところ、医師から「熱には解熱剤、のどには抗炎症剤、あと鼻づまり改善薬をそれぞれ処方しておきますね」と言われたら、どう感じるでしょうか? 私だったら不満ですし、不安を覚えます。 なぜなら「対症療法の羅列」で、「総合的な診断」がされていないからです。 いろいろな問題症状を伝えたけれど、総合的な診断の結果、風邪なのか、インフルエンザなのかなどについて伝えてもらえていません。そして、個別症状の解消を試みても、本質的な問題(真因)の解決には至らないことが想像できます。 それどころか、良かれと思って、「モグラたたき」のように対症療法を繰り返している間に、場合によっては、深刻な病気が進行してしまう可能性も否めません。 「そんな医師はいないよ」という声が聞こえてきそうですが…あなたの会社では、「問題症状をリスト化し、それらに対して1:1の解決策を検討する」という手法を用いていないでしょうか? 続けて、有名なエレベーターの話を見ていきましょう。 あなたが所有するオフィスビルで、「エレベーターの待ち時間が長い」という苦情が出ているとします。あなたは、この話をどう捉え、どんな解決策を打ち出すでしょうか? よく出てくる案としては、「エレベーターをスピードの速いものに替える」や「特定の部品やプログラムを高品質なものに替える」といったものがあります。 しかし、優れた成功例として紹介されるのは、「エレベーターの横に鏡を取り付けたら、苦情が格段に減った」という話です。 何が違うか、お気づきになったでしょうか。 「エレベーターの待ち時間が長い」という苦情(問題症状)を聞いて、問題は「エレベーターが来るまでの物理的時間が長い」ことだと捉えると、「エレベーターのスピードを速める」という解決策が出てきます。 一方、同じ苦情を聞いて、問題は「エレベーターが来るまでの心理的時間、手持ち無沙汰で気まずい時間が長い」ことだと捉えると、「エレベーターに乗るまでの時間を、身だしなみのチェックなどに使ってもらうために、鏡を用意してあげてはどうか」という解決策が出てくるというわけです。 あるいは、同じ苦情を聞いて、「エレベーターの需要ピークが集中すること」が問題だと捉えれば、「昼食休憩の時間帯をずらす」といった解決策も出てきます。 冒頭の話では、「システム思考*で真因を捉えて、その解決に取り組みましょう」とお伝えしていました。 他方、エレベーターの話は、「私たちが本当に解決すべき問題は何なのか?それより、もっと良い問題は無いのか?」(真因が1つとは限らない。その事象を、どんな視点から捉えることを選ぶのか?)と考えることも非常に有効であるという内容でした。 私たちは、「短い時間で成果を出す、すぐに行動する」ことを求められ、「解決すべきはその問題なのか?」について吟味する手間を省きがちになってきているのではないかと感じています。 「人手不足だから採用に力を入れよう」、「評価面談が下手だからフィードバック研修をやろう」など、いろいろな話を聞きますが…それが、貴社にとって本当に取り組むべき施策なのか、是非検討なさってみてください。 *システム思考 ここでは、「さまざまな要素の複雑なつながりをシステムとして捉え、構造の全体像を俯瞰し、その複雑な挙動を理解して、システムそのものの改善を図るものの見方」を指しています。

招聘 | その他

招聘

 「私は顔認証技術の研究において誰にも引けを取らない。私の能力を最大限に活かせるポジションを、貴社は提供できるのか。」  東京の理系大学院で研究活動を行う留学生たちが企業に投げかけるのは、こんな質問だ。昨年、年の瀬が押し迫るころに某大学が主催した、中国企業による中国人留学生向けの合同就職説明会での風景である。いま、中国企業は、外国に留学している学生の中から優秀人材を掘り起こそうと、非常にフットワークの良い採用活動を展開している。  学生からの質問に対する企業側の反応も、日本の合同説明会とはやや様子が異なる。 「当社のAI開発技術は世界でトップクラス、君の顔認証技術研究は必ず当社の戦略に役立つでしょう。CV(履歴書)は持ってきましたか。具体的な条件の話をしましょう。」 「当社が求める人材は、あなたのプロフィールとは異なります。あなたの時間を無駄にしてはいけません。他の会社のブースを訪ねてみてください。」  試みに、採用担当者のひとりに尋ねた。貴社はいったい何年間、この学生を雇用しようと思うのか。返ってきた答えは、「長く勤めてもらおうと思っている。長ければ長いほどよい。4年でも5年でも・・。」我が国の雇用慣習に比べると、ダイナミクスが違う。  日本企業の新卒採用では、周知のとおり、終身雇用を前提とする採用が主流である。終身雇用は、新卒学生の40年あまりのキャリアにコミットするということだ。定年退職者が会社を去り、新卒社員を迎える、それ以外の新陳代謝は限られる。晴天に霹靂を聞くような経済環境変化に見舞われようが、雪崩のような技術革新が起ころうが、同じメンバーで何とかやっていかなければならない。だから、日本の企業では入社後に仲間とうまくやっていける能力を重要視する。面接官が最も重要だと考えるチェックポイントは「コミュニケーション能力」だそうだ。  グローバルな競争に勝ち抜くためには、雇用に関するこうした考え方を変えて行かざるを得ないだろう。各企業の成長段階に合わせて、必要なタイプの人材を過不足無く雇用することが重要課題になってくる。人材が不足すれば競争力を作れない。必要でない人材を抱えれば次の成長への投資余力を稼げない。おまけに、肝心の人材要件が、技術の進歩や社会の変化によって目まぐるしく変わっていく。需要と供給の交点で雇用が決まる「市場型」の雇用システムが主流を占める時代は、私たちが想像するより早いスピードで訪れるのではないかと想像する。このような時代を見据えて、活発な新陳代謝を前提とした人事施策を取り入れていく覚悟が不可欠だ。  就中、新卒採用活動においては、大きな変化が求められる。有名大学の卒業生ならばおよそ質が確保されているからと、できるだけ偏差値の高い大学に広く募集をかけて、コミュニケーション能力で絞り込み、相対的に良さそうな学生をとりあえず採用する。あとは会社の教育システムとOJTに任せる。こんなやり方では、きっと立ち行かない。  まずは、「長期的な」という枕詞の後にあやふやな人材像をイメージすることを止め、短期・中期的視点での具体的な能力要件を定義する。そして、あらゆる手段を講じてピンポイントの人材を探しに行き、絶対的にマッチする人材を発掘する。そういった姿勢が必要な時代がやってくるだろう。  中国企業による留学生向け会社説明会は、盛況のうちに終わった。某先進IT企業の採用担当者は、「いつでも東京に足を運びます。次の機会にも必ず声をかけてください。」と、流ちょうな日本語で言い残した。中国語で「雇用」のことを「招聘」というのだそうだ。

チームとしての経営力 | その他

チームとしての経営力

 経営人材育成の取り組みが増えている。  ともすれば、役員=従業員のアガリ、であって、明確な役員登用基準や育成施策がない場合も少なくなかったが、それではVUCA時代の経営として心もとない。ときに痛い目にあった登用の失敗を避け、今後の経営をリードしうる経営人材を計画的に作り出していくには、役員要件をはっきりさせ、そのあるなしを客観的に見極めることが不可欠だと、多くの企業で痛感されている状況がその背景にある。  その方法としては、「今までではなく今後」の自社の役員に求められるスキルや経験が、何かを検討し要件として定義し、アセスメントセンター方式や360度診断、適性診断等複数の測定手法と経歴管理(≒タレントマネジメント)をもちいて、直近の役員登用だけでなく、中長期的な役員輩出の仕組み(=リーダーシップ・パイプライン)をつくるというのが常套的である。ここで大事なことは、定めた役員要件をすべて満たすことが登用の条件ではないということだ。異なる強みを持った人材が集まる経営チームであることこそが、強い経営力なのである。  経営情報の開示がすすむ海外では、経営陣のスキルマップが自社のウェブサイトで公開されている。つまり、役員ひとりひとりの強みの違いが一覧できるようになっているのだ。日本ではまだその例は少ないが、何社かは、それぞれに特徴のある役員スキルマップが掲載されている。共通するのは、ファイナンスやマーケティングといった経営リテラシー領域別の強みだけではなく、能力や資質の項目でもマーキングがされていることだ。  例えば、ある企業では、リテラシーとしての得意分野に加えて、マネジメントスキル、資質・姿勢、さらには行動特性といったカテゴリーでマッピングされている。資質面の項目は、「忍耐性・持久力」、「柔軟性・適応力」、「活動性・指導力」など5項目、興味深いのは行動特性の項目で、「インスピレーション」、「シンキング」、「フィーリング」、「プラティカル」の4項目。これら項目で、社長以下全経営陣のスキルマップがつくられているのだ。ここには、自社はどのような経営チームであるべきかという思想と実態が、要件項目とバランスの両面から示されている。  「チームとしての経営力」をゴールとするリーダーシップ・パイプラインでは、各階層の昇格に際して「総合点」以上に、個別の「強み」の把握がポイントになる。「弱み」の克服は重要ではあるが、強みをより強くする育成こそが求められる。弱みをなくし個人としてバランスの取れた経営人材候補よりも、むしろ突出した強みや明確な思考や行動の特性を有する人材をはっきりと把握し、どう育成するかが問われることになる。  最終的にチームとしてのバランスさえ取れていればよく、個々がとんがった強みをもつ異質人材の集まりは、イノベーションが生まれる創発の場たりうる条件でもあるからだ。VUCA環境下で求められる状況適応力の高い組織とは、多様性を内部に持たねばならないともいわれる。「チームとしての経営力」とは、防衛的ではないもっとも攻撃的なダイバーシティマネジメント施策として、最初に実践すべきことともいえるかもしれない。