2026.06.11
評価に必要なのは「ブレを制御する期待行動の構造設計」である
評価では「納得性が重要」と言われるが、多くは「本人が納得できるか」に偏っている。 しかし納得は主観であり、設計できない。これを軸にすれば、評価は構造ではなく関係性に依存する。 それは評価というより調整に近い。 一方で評価は本来、事実と基準に基づく測定であり、配置・処遇・育成の前提となるものである。 しかし現実には、能力や行動、姿勢といったものを正確に測定することには限界がある。 同じ行動でも「主体的」と見るか「独断的」と見るかで、解釈は分かれ、そもそも事実の収集自体にも制約や負荷が伴う。 評価は人が行う以上、解釈のズレは避けられず、完全な一致は成立しない。 多くの制度はそれでも一致を目指すが、現実には機能しない。 問題はズレることではなく、ズレた際に判断がブレることにある。 ここで重要なのは、どこまでならブレが許容できるのかという視点である。 刑法の相当因果関係説では、単に行為と結果がつながっているだけでは足りず、その結果が経験則上予見可能であることが責任帰属の基準とされる。 評価も同じではないだろうか。 何をすれば評価され、何を欠けば低く評価されるのかが予見できない評価項目定義や基準では、責任を帰属することができない。 そして、そのような状態で低い評価をつけてはならない。 被評価者にとっても、評価者にとっても、何を拠り所に判断すべきかが見えないなら、そこで行われているのは測定ではなく、事後的な意味づけにすぎない。 予見できない評価項目定義や基準による低評価、つまり許容できないブレは、評価ではなく、後出しの判定である。 そこで必要になるのが「期待行動の構造」である。 評価項目とは単なるラベルではなく、求める行動とその意味を具体的に示したものでなければならない。 解釈が分かれる時点で、それは基準ではなく単なる言葉にすぎない。 重要なのは、一致させることではなく、 ズレても判断が収束する状態を設計することである。 そのためには、 何を目的とするか どの行動が適切か なぜその行動なのか を明示し、解釈の「幅」を規定する必要がある。 例えば「主体性」を 「目的を踏まえ、自ら考え業務を進めること」と定義し、 その目的を「顧客満足(品質・スピード・誠実対応)」とすれば、 評価は行動の有無だけではなく、目的への適切性で判断され、判断の方向性が固定される。 つまり、解釈が完全に一致しなくても、判断軸が共有されていれば評価は収束する。 評価を収束する上で、実務上重要なのは設計である。 評価基準や評価項目定義は解釈の幅を前提に、そのばらつきをどこまで抑えるかを意識して定義する必要がある。 また、「なぜその基準なのか、その行動を求めるのか」まで説明できる状態にすることで、判断軸はより強固になる。 この前提が曖昧なまま評価会議に持ち込めば、判断ではなくすり合わせになる。 それは設計不備の後処理にすぎない。 問題の本質は運用ではなく設計にある。 解釈のズレを前提に、判断が収束する構造を設計しない限り、評価は機能しない。 そして、予見できない基準で人を低く評価してはならない。 評価とは、一致を作るものではなく、ブレを制御し、適正に判断できる構造を設計することである。




