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人事制度

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専門職の制度設計 | 人事制度

専門職の制度設計

 人事制度において、高度な専門性をもって、付加価値を創出し経営貢献をする、管理職と同程度、ないしはそれ以上で処遇できる「専門職」を設置する会社は多数ある。社員のキャリアゴールを複数提示し、本人の志向性によってキャリア選択できる複線型人事制度と呼ばれるものの一部で、オーソドックスな人事制度の形であり、比較的なじみのあるものだと思われる。昨今は、社内に知見やノウハウのない領域を強化するため中途採用しやすくするための設置や、専門職を成長の源泉と位置づけ、新たに増設を検討するケースも増えている。  これまで社内にいなかった人材を定義し位置付ける、ないしは、新たに専門性が高い、ということで高い処遇をしてスポットをあてていく制度であるため、「専門性が高い」イメージのすり合わせを慎重に行いながら設計を進められていることだろう。  特に、専門職として最上位等級を定義すると「こんな人材が本当に出てくるのか?」と思うようなレベルを設定することも多い。業界革新を起こす業界のリーダーであったり、会社業績に直接的に極めて大きなインパクトを与える人材であったり。  当然こういった人材が出てくるのは会社として望ましいし、そういった人材が本当に成長に資するならば難易度が高くても生みだしていくべきであろう。しかし、制度設計においては、実はこの輝けるキャリアゴールに向かってどう専門人材を生み出すか、ということよりもいかに生み出しすぎないようにするか、が設計時の主要な議論になることが多い。  昨今、管理職は役割等級制度や職務等級制度に代表されるように、組織の数分しか管理職に格付かない制度への見直しが進んでいる。年功的な昇格をなくし、人数管理を行うことで人件費が適正に維持される仕組みである。一方、専門職は人数をコントロールする拠り所がないことが多く、またそこに格づいている人がいないことから、確信をもった格付ができるか不安もある。よってこれまでの職能等級のように、人件費高騰リスクのある制度になるのではないかという危機感をもって設計が進む。  どんなに等級定義を難しく、手の届きづらいものにしたとしても、甘い評価や、長らく同じ等級に留まることへのモチベーションの低下を恐れ、昇格圧力に負けてしまうのではないか、と考えてしまう。特に、その会社において最高位クラスの専門家となってくるとその専門性を測定できる人がいないということから、評価が高ぶれし続ける、という状態に陥ってしまうことも予見して設計するのである。  これまでの年功的運用の失敗を繰り返さないため、専門職に対しては、そのあたりのリスクを回避するために、しっかりと制度で制御できる仕組みを採用している会社も多い。例えば、①専門職の評価はその専門性を以て出した「成果」を特定できるようにする②360度評価を行い、周囲からしっかり専門家として認定されているかを確認する。③専門職としての価値が自社、ないしは労働市場においてあるか、定期的に検証できるよう専門職認定の会議を行い、時価で評価できるようにする。④専門職をおいてよい職種ごとに人数制限を設ける、などである。  制度設計においては、人件費高騰リスクや等級にアンマッチな人材が格づくことを回避することを検討することはもちろん重要である。もちろん抑制だけでなく、キャリアを構築できるイメージがわくように腐心して設計する。設計はそれでよいだろう。しかし、じつは、こういった人材が活躍できる環境に身をおかせることができるか、といった観点での検証が専門職制度においては制度設計と同じくらい重要だと思う。具体的には、実際どのように組織に位置づけ、役割、権限を与えていくかという、配置する際のルールの議論や考え方の浸透である。  例えば、専門職の等級定義の中に、会社全体に大きなインパクトを与える成果が期待される。という一文があったとしよう。しかし、実際そのような成果を出すための位置づけに専門職一人一人を組織の中に位置づけられていないケースが圧倒的に多い。現実的には、一部員、課員であることが多く、なすべきことは部長ないしは課長から指示され、自由に自ら構想して専門性を活かして成果を出せる環境になかったりする。成果を出すためのリソース(人・金)や権限を与えていない、ないしは不明確なことも多いだろう。専門職=一人で成果を出してもらう人、というイメージがあるのかもしれず、組織長もその必要性を感じていないこともあるだろう。目標設定の際に初めて、この人は専門職だから難しい仕事をさせないといけないぞ、と考えて難易度の高い一人でやる仕事を無理やり生み出していたりする。また、専門的見地から部長や課長をサポートする位置づけ、かつての部長補佐、課長補佐のような立場にしてしまうこともある。その結果、専門職の人材イメージを劣化させてしまったりする。また、本来の期待役割をスムーズにこなせない。これではせっかくの専門職が台無しである。  専門職はその専門性の高さ、およびそれを培ってきたバックグラウンドを駆使して、マネジメントを担ってきた人では考えられない観点や、手法、人脈で成果を出していくのではないかと思う。昨今、専門性を以て成果を出す人材をいかに作っていくかが付加価値創出の鍵であるという人事制度の考え方も増えてきている。専門職に対してどのような権限、裁量を与え、専門職の成しえていきたいこと、やりたいことを組織の中に取り込みながら組織成果を作っていく、ということが今後更に重要になるだろう。これから更に、中途採用で専門職を増やしていく会社も増えていく。中途の専門性の高い方の力を使って、新しい価値を創出していく、ということであればなおさら、いかにうまく組織に位置づけ、成果をだしやすい権限付与していくかをしっかり考える必要があるということを忘れないで頂きたい。

職能型人事制度の逆襲 | 人事制度

職能型人事制度の逆襲

 職能型人事制度と聞いて真っ先に連想するのは、「年功序列」という言葉ではないでしょうか。また職能型は古い、今の時代にマッチしていない等も合わせてよく耳にします。本当にそうでしょうか?  近年、企業の経営環境は大きな変革を迎えています。従来の経営モデルに代わって、現在注目されているのは御承知の通り「人的資本経営」となります。 人的資本経営の定義は経済産業省ホームページ:人的資本経営~人の価値を最大限に引き出す~で下記の様に定義されています。 『人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方』 つまり、人材に投資をし、成長をさせることで企業価値を生み出していく経営のあり方となります。  人的資本経営を実現するための人事制度を考えるとするのであれば、仕事を基軸とした考えではなく、人を基軸とした考え方となります。 これは、昨今注目度の高かった職務型制度(ジョブ型制度)ではなく、1970年代に定着した職能型人事制度の思想に近しいことを意味します。 更に付け加えますと、欧米型の職務型制度が日本の慣習や風土、国のセーフティーネットとはマッチせず、コロナ禍で非常に多くのメディアに取り上げられていた職務型制度が、今は下火の傾向にあると言えます。 ※弊社への依頼の状況も、職務型人事制度を導入したいという声は減っている状況です。  ただし、従来の職能型制度では、冒頭申し上げた通り年功序列的な人事制度となること想像に難くありません。古き良き部分は残しつつ、問題・課題点は当然改善した人事制度を構築する必要があります。  古き良きという部分については、日本は能力やスキルをベースに人事制度を考えてきた点です。特に製造業においては技術伝承の観点から、非常にきめ細やかなスキルマップを作成している企業もございます。この伝統的な能力・スキルをベースにしたキャリアパスがこれからの人事制度の根幹となると予測をしています。 しかし、これだけでは能力・スキルが向上すれば処遇は高くなり、能力・スキルは年齢によって微減はしても、大きく下がることはないという制度では、結果として年功序列的な制度となってしまいます。  この様な悪しき職能型制度・運用を如何に解決するか。 それは職能型制度に、職務型制度の利点を組み込む人事制度を設計することです。 職務型制度の利点は、職務や役割やポジションに必要な業務・責任、経験が定義されているため、タスクの分担や役割の明確化が容易になります。生産性の向上という観点では職務型制度は有効な人事制度です。 失われた30年から脱却し、これからの日本に求められる人事制度は、職能型+職務型のハイブリッド型人事制度です。  ハイブリッド型人事制度のイメージは下記の通りです。 ①会社が求めるスキルがLv7→職務lv7の職務にアサインをする。 ②ポストに空きがなければ、スキルLv7であっても職務アサインはLv6以下となる。 ③スキルLv7の社員がライフイベントによって働き方を限定する場合は、職務Lv5にアサインをする。 ①を原理原則の人事制度運用とした制度となり、②③を厳格に運用することで人件費の高騰化を防ぎます。また③のように現在の45歳以上の中間管理職層はこれから介護を行う社員が増加することを考慮し、多様な働き方を許容可能な制度にもなります。  最後になりますが、ハイブリッド人事制度を機能させるためにもう1つ重要なピースがあります。それはテクノロジーの活用です。 スキルの可視化、スキルと職務のマッチングは人間の力では限界があります。  これから職能型制度への回帰が想定されますが、そこには職務型制度、テクノロジーの活用がプラスされた全く新しい職能型制度の姿です。 職務型制度ではなく、この新しい職務型制度が今後のトレンドになると推測をします。 今まさに、職能型人事制度の逆襲が始まろうとしています。

令和維新の年になれるか | 人事制度

令和維新の年になれるか

 現代の人事制度の基礎は明治維新と言われていますが、この明治維新は、西暦1868年(辰年)に始まり、明治天皇が即位して江戸幕府が倒れ、明治政府が発足した日本の歴史的な転換期であったわけです。  人事制度に関しては、この明治維新以降に大きな変化がありました。例えば、前近代的な身分制度からの解放や、新たな近代的な役職や制度の導入などが行われました。これらの変化は、日本の近代化とともに人事制度にも影響を与え、近代的な組織や制度の基礎を築くことになりました。  以降、辰年からどのような出来事があったか気になり整理すると、、、 1916年(辰年)  大正時代に入り、日本は急速な近代化を遂げました。官僚制度や公務員制度の改革が進められ、官僚の選任や昇進に関する基準が見直され、近代的な人事制度が整備されました。 1940年(辰年)  昭和時代に入り、日本は軍国主義の台頭や第二次世界大戦の勃発など、大きな社会変動を経験しました。この時期には、国家の体制や組織が変化し、人事制度もそれに応じて変化しました。 1964年(辰年)  戦後の高度成長期に入り、日本は経済成長を遂げました。この時期には、企業や官庁の組織が拡大し、人事制度も組織内の人材育成やキャリアパスの整備が重視されるようになりました。 1988年(辰年)  バブル経済の到来やグローバル化の進展など、様々な経済・社会の変化が起こりました。これに伴い、企業や官庁の組織が再編され、人事制度は働き方の改革や労働条件の見直しなどが進められました。 2000年(辰年)  バブル経済の崩壊後の経済不況期であり、企業のリストラクチャリングや人員削減が進行しました。多くの企業が人事制度の見直しや労働条件の改善を図り、労働市場の柔軟性の向上や非正規雇用の拡大が進んだ時期でもあります。 2012年(辰年)  リーマン・ショック(2008年)をきっかけとする世界的な金融危機以降、多くの企業が経営環境の厳しさに直面し、人員削減や組織再編が相次ぎました。この時期には、企業の経営戦略や人事制度が大きく変化し、労働市場の不安定化や労働条件の悪化が懸念されました。  これらの過去辰年における社会的・経済的な出来事は、人事制度に影響を与え、企業や組織がその時代の課題やニーズに対応するために制度の改革を行ってきた経緯があります。特に、リストラクチャリングや経営戦略の変化、働き方の見直しや労働市場の変動への対応などが重要なテーマとなってきたのです。  今年2024年は辰年ですが、新型コロナウイルスの世界的な流行によるパンデミック以降、多くの企業がリモートワークやテレワークなどの柔軟な働き方を導入し、働き方の在り方や人事制度が大きく変化してきています。また、経済の不確実性や雇用の不安定化も影響し、労働市場全体のダイナミクスも変わってきています。  社会全体でも多様性と包摂性の重要性が認識される中、企業も多様な人材の活用や包摂的な職場文化の構築に力を入れています。人事制度も、ウエルビーイングと多様性と包摂性を推進するための取り組みを進めていく必要があります。これらの要素が、2024年(辰年)における人事制度の基礎を形成していくでしょうし、企業は、これらの変化に迅速に対応し、より持続可能な人事戦略を構築することが求められています。  今年を明治維新のごとく令和維新の年にできるかどうかは、各企業の変革の本気度にかかっているのです。

グローバルキャッチャー | 人事制度

グローバルキャッチャー

 わが国の人口動態は極めて悲観的だ。生産年齢人口の比率は2020年の約60%から次第に縮小し、2050年には50%あまりに低下する。国力を維持するためには労働力の確保が喫緊の課題であるが、女性の働き手の増加は概ね天井を打った。あとは、高齢者により長く働いてもらうか、外国人の労働者の力を借りる以外に打ち手がない。  他方、わが国企業のイノベーションは他の先進国に比べて遅れていると言われる。新しい発想を生み出すには人材の多様性が欠かせないが、総合職中心の年功序列・長期雇用の雇用慣習はむしろ、組織の同質性を助長する。この同質性を壊す施策の旗手は女性の社会進出だが、外国人の雇用も人材多様化の強力な一手になる。  いずれの側面を見ても、わが国の健全な発展のためには、外国人雇用を格段に増やすことは避けて通れない課題だ。    この状況に直面し、行政は、特定技能制度を導入したり、高度人材(高度専門職)制度を整えたりして、外国人にとって働きやすい環境を整備しようとしている。これまで、「技能実習制度」という耳に聞こえの良い言葉で安い労働力を確保しようとしてきた歴史があったが、今後は、そうではなく、本質的に外国人の知恵と技能を借りる方向に舵をきったと思える。  長く外国人の受入に消極的だったため、こうした行政措置については運用に慣れておらず、ちょっと腰が引けているのではないかと訝りたくなる面もあるが、法律を変えてでも何とか外国人を誘致しようとする姿勢は評価できる。    さて、企業の側はどうか。医療・介護や建設の現場ではすでに数多くの外国人労働者を受け入れているが、深刻な人手不足は解消されていない。また、ICTにかかわる業界においても外国人を登用しようとする動きが活発になってきている。なにしろ、わが国の大学や大学院が輩出する人材だけでは、ICT技術者の需要を満たさないという事情があるのだ。  ところが、多くの企業において、外国人を雇用する土壌が整っていない。まずは何よりも言葉の問題である。英語で話すことを苦手とする社会的事情は、ここ数十年まったく変わっていないのではないか。世界に目を向けると、第二外国語であれ英語を使って生活する人の数が15億人、全人口の約2割である。母国を離れて仕事をしようとするような人は、ほとんど英語を話す。一部のサービス業を除いて、仕事をするのにまず日本語を覚えなさい、というのはグローバルスタンダードから見れば無体な話だ。  次に、人事管理の問題。わが国に少なからず残っているのが、年功序列の慣習である。この仕組みの下では外国人の安定雇用は無理だ。年功序列には、若年の時代に相対的に低い報酬を甘んじて受け、中高年になってからその分高い報酬を受けて、生涯収入でペイするという性質、つまり、「賃金の後払い」がある。もともと長期雇用を前提としてないであろう外国人の若年層が、これを受け入れるはずがない。  良い例は、ICTの領域でスポットライトが当たっているインド人だ。この国の人々は、仕事に対する姿勢が日本人と少し違うと言われる。報酬をはじめとする労働条件が有利である限りにおいて雇用されるが、相対的に良い条件の雇い主が現れれば、躊躇なくそちらに鞍替えする。日本人が考えるほど雇い主に対するロイヤリティは高くないと考えるべきだろう。だから、長期雇用と年功序列の制度・慣習をそのままに、インドの優秀なICTエンジニアを雇い入れ長く働いてもらおうというのには無理があるのだ。    出張先の関西のホテルで朝食をとったときのこと。欧州人や中国人の客と、英語や中国語を操って朗らかに談笑するサービススタッフがいた。尋ねてみるとベトナム人だ。業務指示は日本語で受けるのだそうだ。サービス品質も語学力もたいしたものだ。これを見て思った。私たちは、ビジネスマンとして内向きに過ぎないか。経済の先進国だと高を括っていると、もはや危険水域に立ち至ってしまうのではないか。  昔、果敢に対外進出を志し、見知らぬ土地に出て行って働くことにあこがれた高度経済成長時代があった。今は、多くの外国人を受け入れるために、やはり、グローバル化を図らなければならない時代だ。私たちは、世界の労働力を受け入れるキャッチャーとして雇用の在り方を根本から考え直し、私たち自身の内なるグローバル化を進めなければならない。

賃上げは企業の未来を変えられるか | 人事制度

賃上げは企業の未来を変えられるか

 「物価上昇以上の賃上げを!」をスローガンに賃上げ機運が高まっています。多くの大企業においては、かつてない強気な要求額があるにもかかわらず、満額で妥結が進んでいる企業も多い。円安による輸出企業の景気の良さなどが、その意思決定を後押ししていることもあろうかと思います。  大企業だけでなく、中小企業にもその効果を波及させるべく、賃上げによる税制優遇措置など、様々な政策が進んでいます。中小企業は大企業に比べて労働分配率が高く、生産性は低く、賃上げが利益への影響は大きい。よって様々な政策を駆使したとしても、その利益確保にかかる苦労は計り知れないものと思われます。日本の多くを占める中小企業にとって、容易で速攻性のある収益向上の施策は少なく、DXという「幻」に踊らされながらも、出来ることとして、恐る恐るそして必死に値上げ交渉を進めつつ、何とか賃上げの実現を目指している企業も多いと思います。社員の定着なき成長はあり得ない、人材確保という最大のミッションのもと、短期的な利益はいったん度外視し、株主への了承を取り付け、賃上げに踏み切る企業も多いと思います。  人的資源から人的資本への解釈が変わりつつあり、コストという短期的な視点から、投資という中長期的な視点が求められています。人材に対して労働力の対価は、賃金という意味合いだけでなく、将来に向けた投資という意味合いが強くなっていくことです。現在人的資本に関わる指標が多くありますが、人的資本ROIであろうと労働生産性や賃金生産性であろうとも、いずれにしても要素分解していくと、利益が最終的な指標の要素のひとつになってきます。当然ではありますが、人的資本経営において、利益を安定して確保、向上させていくことが条件ということです。  また今後「幻」では終わらせないようDXを推進する投資も積極的かつ継続的に挑戦し、飛躍的な成長や収益性の向上を実現させていかなければなりません。そういった挑戦の「果実」は短期的な指標だけではなく、3年や5年などの期間平均値やその期間の利益に影響を与える指標の決定係数など、中長期的な指標で見ることが有効になります。  非財務情報の開示が進んでいますが、指標をたくさん並べても、収益があがらなければ意味がありません。中長期的な指標の公開が進んでいくことが、イノベーションへの挑戦や人的投資に対する心理的なハードルを下げ、投資に対する積極性が高まっていく流れをつくっていくことはとても良いと思います。そして情報開示が進み、人的資本のPDCAサイクルをしっかり回すことで、収益向上と還元の好循環が多く生まれていかなければなりません。賃上げが企業の未来を変えるKPIとなるのかは分析や議論が必要なところですが、将来にわたり収益の安定した創出につながる企業独自の確からしい因子(KPI)が問われる時が、すぐ目の前に迫ってきています。あなたの会社の人的資本経営における最重要KPIは何ですか?

どんなパッケージがあるのですか? | 人事制度運用支援

どんなパッケージがあるのですか?

 採用担当をやっている友人が話してくれたエピソード。外資系の開発会社で経験あるシステムエンジニアが採用面接に訪れた時のことだそうだ。志望動機やプログラミングスキルなど、ひととおりの質問の後、そちらから何か質問は、と尋ねてみると、「御社にはどのようなパッケージがあるのですか。」という問いが返ってきた。  パッケージとは一体何のことか、と確認すると、当たり前のことだが、という前置き付で、退職を余儀なくされた際に受け取る、割増退職金、在籍猶予期間、再就職支援など一連のサービスセットのことをいうのだ、との返答だった。この人は、入社する前から退職のことを考えていた。いや、パッケージなるものが整っている会社でないと、怖くて働けない、と言うのだ。  若手社員の離職は、多くの会社に一様な問題になってきた。辞める理由にいろいろあるが、その多くは「うちの会社では将来のキャリア展望が持てない」ということだ。そう考えて、より良いキャリア展望が持てるように人事制度を改変したり、社員に改めて人事制度の内容を周知徹底したりするような企業が増えている。雇い主のほうは、キャリアの道筋が見えるようにさまざまな努力をし、社員の定着を図る。だが、雇われる側は、もはや社内でのキャリア展望を求めていないと見える時がある。かっこよく言えば、社内でのキャリアゴールなど眼中になく、労働市場全体を俯瞰した、転職前提のキャリアプランを考えているのかも知れない。  我が国より先を行っていると言われる米国と中国のIT業界、その労働市場について、それぞれの国のビジネスマンを捕まえて聞いてみた。おおざっぱなところでは、両国の慣習はよく似ていた。  システムエンジニアとしての収入のピークは30~35歳、それを過ぎると、技術知識と経験だけでは収入を伸ばすことができない。同じ会社でその先に進むとすれば、プロジェクトマネージャーの仕事に就き、さらにその先、管理職に進んでいくことが求められる。しかしながら、マネージャーポストには限りがある。そこで、エンジニア諸氏は、30歳を過ぎると、自分で会社を立てて人を雇い、大きな会社の下請けに入って中小企業経営者としての道を歩む。さもなければ、別の業界のシステム部員として再就職する。リスクを抱えるか収入の伸びをあきらめるかといった選択だ。 周りにたくさんのロールモデルがあるのだろう、彼らは、若い頃から労働市場全体の動きに注意を払いながら、現実的なキャリアプランを練っているのだ。  雇用に関するこうした動きは、早晩、我が国にも忍び込んでくるに違いない。たとえば、我が国の高等教育(大学の教育)では、2030年に必要なIT専門人材の4分の3足らずしか満たすことができないだろうという予測がある。不足分は当然、外国の労働力に頼らざるを得ないのだから、我が国の雇用慣習への影響も避けられない、ということだ。そして、このことは、ただIT業界に留まることではないだろう。  我が国の経営者の多くは、「人を大切にする」という表現で、雇用の安定・確保にこだわってきた。会社の中に、さまざまなキャリアの選択肢を準備して、心配しなくてもよい、長く働いてください、というメッセージを送ることができるよう、さまざまな努力をしてきた。ところが、社員のほうがそんなことは求めていませんよ、という社会になりつつある。言われなくてもずいぶん前からわかっていますよ、というコメントが聞こえてくるようだが、私たちが思うより、ずっと早いスピードで、強いマグニチュードで、雇用の地殻変動は進んでいるのではないかという気がする。これからの人事管理を、断層のこちら側で設計するか、あちら側で設計するか、腹の決め時が来ている。

「冷や飯人事」でも這い上がる人 | 人事制度運用支援

「冷や飯人事」でも這い上がる人

 ※今回のコラムは、フリーランスのジャーナリスト吉田典史氏の執筆です。内容は個人によるもので、当社を代表するものではありません。 ============================================   報道によると、自民党の役員人事や組閣人事で新しい首相が総裁選を競い合った議員に冷や飯を食わせる処遇を行ったという。真相は定かではないが、権力闘争の結末はこういうものなのかもしれない。  この意味での冷や飯人事は、企業社会でも時折見られる。一例を挙げよう。2年程前、社員500人の会社(出版業)で社長が交代した。新しい社長は、2000年前後から2010年までくらいは管理職の中で反主流の立場にいた。それ以前は、中核の部署で編集長(課長)として15人ほどの編集者を束ねていた。いわゆる、出世コースだ。だが、当時の編集担当役員と仕事の進め方をめぐりぶつかり、役職を外された。反主流の時は部下が2人で、さしたる仕事はなく、暗い雰囲気を漂わせていた。当時は、小学生の息子の成長くらいしか楽しみがないようだった。  私は、この会社から仕事を請け負っていた。この男性と何度か話をした。お酒を2人で飲んだこともある。シャイな一面があり、性格は誠実そのものだった。競争心が弱く、要領のいい同世代に利用されやすい雰囲気もあった。  ところが、10数年経つと、500人前後の社員のトップに立った。まさに「リベンジ」と言える。なぜ、こんな逆転劇が可能になったのか。それには、いくつかの理由がある。私の観察にもとづくものを以下に挙げよう。 1.社員の離職率が高い    30年以上にわたり、新卒、中途ともに辞める人が多い。ほぼ毎年、新卒採用試験を行い、1年で数人が入社。3年間で約10人になる。だが、30歳までにほぼ全員が辞める。35歳まで残るのは約10人のうち、1~2人。40代になると、全員が管理職になる。役員になるのも、倍率からすると難しくはない。冷や飯を食う立場になったとしても、主流に戻ることは可能なのだ。 2. リストラを繰り返す  20年間で数回、リストラを行い、40~50代の社員(管理職と一般職)15~20人を退職させた。この中には優秀な人もいたようだが、同世代の社員が大量にいなくなり、リベンジができる環境が一段と整っていたとも言える。 3. 頻繁な組織改革と人事異動  歴代の経営陣は、「新体制」と称して組織改革を繰り返してきた。約20年で5回ほどに及ぶ。その都度、500人のうち150~180人が対象になるほどの大規模な配置転換を行った。こういう経営刷新を行うと、状況に素早く適応し、高い業績を残す人材とそうでない人の差が明確になる。管理職の数はもともと少ないがゆえに、優れた人はどんどんと際立つ。  そして、男性には同世代の管理職を圧倒する力があった。それは、本流の仕事をしていた頃(1980年代~90年代)に、大きな実績があることだ。自らが20~30代の編集者として関わった資料集が大幅に売れたのだ。しかも、ヒット作が数年間で10冊前後になった。この会社では、たったひとりの快挙と言われる。だからこそ、少々、プライドが高く、40歳前後の編集長の時に20歳上の担当役員と激しくぶつかったのかもしれない。  男性は冷や飯を食わされていた頃も、本業に関する分野の知識を獲得する努力は怠らなかったようだ。本業に関する分野では、1000冊を超える本を読んだという。社内の一部では、「教授」とも言われていたほどだ。運がいいだけで、500人のトップになったわけではないのだろう。  これも付け加えておこう。この会社は創業60年を超えるが、市場や環境の変化に鈍く、1960~80年代型のビジネスモデルや仕事の仕方が業界全体に浸透している。それを変えようとする機運は業界や社内にあまりない。本来は好ましい姿ではないのだろうが、新しいスタイルのビジネスを始める必然性がほとんどないのも事実だ。この会社は、従来どおりの方法で業績はある程度、維持できている。  こういう状況であることも、リベンジを実現した要因の1つだろう。古い体質のままであるから、他の業界から優秀な人が次々と転職してくる可能性が低く、強力なライバルが現れにくい。数少ない中での競争に勝ち、社長の座をつかんだとも言える。私が知る限りでは、人事の処遇で冷や飯を食っていた人が復活するのはこんなケースが目立つ。読者諸氏の会社で「リベンジ」の人事は行われているだろうか。それができた背景には何があるのか。そんなことを考えるだけでも、人事マネジメントがより身近になるはずだ。

無事之名馬 | 関連制度設計

無事之名馬

 もはや耳にタコではあるが、日本は少子高齢化の進行により、労働力人口の急激な減少がしており、今後、国内のあらゆる企業において、労働力の不足が大きな人事課題になることは確実である。不足する労働力を確保していくためには、外国人労働力、女性、定年延長・再雇用などで労働力を維持していくことが必要となるが、この定年延長という取り組みに関して、新たな問題として考えられるのが、健康の問題である。  企業は、従業員の健康を維持することに投資し、従業員は、今まで以上に健康を維持するための運動習慣、食生活の改善に取り組むことが求められるようになる。60歳を過ぎても、できるだけ健康な状態で過ごすことによって、医療・介護にかかる費用を押さえていくことが、国民全体の負担の軽減につながり、社会保障の持続可能性を高めることにもなる。個人にとっても国家にとっても望ましいのである。   健康の維持推進というと、まず、”疾病”にならないための衛生水準を確保するということ、感染症対策や食品衛生などである。この点に関しては、清潔な住環境、徹底された食品の衛生管理など、日本は国際的にみて高いレベルを維持しているといえるだろう。  しかしながら、これから訪れる強烈な高年齢社会を実現していくためには、これに加えて、私たち自身も、運動習慣や食生活の改善に積極的に取り組み、生活習慣病の発症や重症化を予防していかなければならない。  近年、企業としても従業員の健康に関する取り組みを支援する動きが活発になってきた。健康経営の事例としてよく上げられる、ジョンソン・エンド・ジョンソンの取り組みであるが、グループ250社、約11万4000人に健康教育プログラムを提供し、その投資に対するリターンを試算ところ、投資1ドルに対して3ドル分のリターンがあったとされている。従業員の健康に対する取り組みを支援することが、企業としての価値を高め、業績の向上にもつながるということである。  現在の国内企業の主な取り組み内容としては、禁煙推進、成人病の高リスク者へのカウンセリング、ノー残業デー、健康教育などが多いが、今後はさらに強化されていかなければならない。業務に必要とされる知識やスキル、を習得し続けなければならないことはもとより、その技能を長期間にわたって、いかんなく発揮し続けるだけの肉体・精神の頑健さを維持していかなければならない。「無事之名馬」がこれからの日本人が目指すべき姿なのである。  ちなみに、「無事之名馬」という言葉は、競走馬の世界において、多少能力が見劣りしていようと、常に健康であってくれることが馬主にとって望ましい、ということを表す言葉であるが、大前提として、競走馬とすべく生産されたすべてが競走馬になれるわけではなく、選び抜かれた真に強い馬のみがレースに出走し続けることができる世界である、ということを理解しておかなければならない。

「指導と評価の一体化」 | 人事制度運用支援

「指導と評価の一体化」

 人事部門の方に、人事評価の運用についてどのような悩みがあるか聞いてみると多くの企業では、「部下を評価するのは難しい」という意見が多い。また、「評価によってどのように部下のモチベーションを上げればいいのか」と考える人も多いのではないだろうか。インターネットで“部下の評価の仕方”と検索すると、評価のポイントや評価文例なども出てくる。それほど評価に関するアドバイスへの需要は高い。  さて、今回伝えたいことは、評価と指導の一体化だ。評価だけにスポットを当てるのではなく、評価を今後の指導に生かすことについて述べたい。  なぜ評価と指導の一体化なのか。実は学校教育では、この言葉はよく使われる。文部科学省が作成している学習指導要領(いわゆる先生達の教科書)にも次のような記述がある。  “学校においては、計画、実践、評価という一連の活動が繰り返されながら、児童生徒のよりよい成長を目指した指導が展開されています。すなわち、指導と評価とは別物ではなく、評価の結果によって後の指導を改善し、さらに新しい指導の成果を再度評価するという、指導に生かす評価を充実させることが重要です。”  私の体験談を話したい。教師が定期テストを作成する際、いきなり100点満点のテストは作れない。10点の小テストを何度か繰り返し、生徒の解答を分析した上で、テストを作成する。だから、良いテストができるのである。  自分が学生でいる間は、このように先生達が考えているなどとは、恐らく微塵も思わない。重要なことは、誰しも学校という場でこの評価と指導を受けてきているということ。だからこそ、“指導と評価の一体化”の考え方は、企業でも通用するに違いないと考える。  評価で終わるのではなく、評価者は「なぜ目標達成できなかったのだろうか」「どんな指導が必要だったのだろうか」この問いに対する答えを考えた上で「次なる目標を設定する」ことにつなげた方が良い。なぜなら、このプロセスを繰り返すことで、評価だけでなく自分の指導の質も高まっていく。結果として、より良い人材育成につながるということである。  評価を受ける部下だけがそれを次に生かすのではなく、評価者たる自分もそれを生かす。“指導と評価の一体化”ができると、評価の在り方も変わってくるかもしれない。

鶏が先か、卵が先か ‐経営戦略と人材戦略の関連性‐ | 人事制度

鶏が先か、卵が先か ‐経営戦略と人材戦略の関連性‐

”組織は戦略に従う” ”戦略は組織に従う”  前者は1962年にアルフレッド・チャンドラーが提唱し、後者は1979年にH・イゴール・アンゾフ提唱した考え方である。 各企業が中長期計画を立て、その中長期計画の中には人件費、今後の採用計画等が当然の如く織り込まれている。 戦略を立てる順序としては、先に経営戦略、後に人事戦略を立てる企業が多い。”組織は戦略に従う”と言える。  VUCA時代と言われる今、予測困難な未来に対して経営戦略を立てることは困難を極め、 新型コロナウィルスによるパンデミックは、まさにその象徴と言えるのではないだろうか。  新型コロナウィルスが発生したここ1、2年で、クライアントからの相談は下記の様なものがあった。 ・リモートワーク下でのマネジメント ・設定した目標の下方修正 ・賞与原資の確保 ・雇用調整による人件費の削減 不測の事態への対応が後手に回った反省から、人事制度の設計だけではなく、人事戦略を考えたいという企業の相談が増えてきている。  多くの企業は経営計画を立てたものの、急激な環境の変化までは想定しておらず、経営計画の下方修正を余儀なくされ、それに伴い人事戦略の見直しを図る。中には複数のシナリオをプランニングし、この未曽有の事態に対処している企業もあるだろうが、その数は非常に少ない。“組織は戦略に従う”という考え方であれば経営戦略→人材戦略の構図に違和感はないのだが、VUCA時代において、この構図が正しいと言えるのか。  DX化、AI化が進み、ビジネスの潮流が非常に速く流れる中、競合他社との差別化に成功したとしても、その優位性は瞬く間に埋まってしまう。矢継ぎ早に新しい商品やサービスを企画しなければならないが、企画している間に競合他社が商品、サービスを提供し始めている。 ・MBO(Management by Objectives)では新たな商品やサービスは提供できない。我が社はOKR(Objectives and Key Results)を導入する! ・PDCAサイクルでは間に合わない。変化に対応するためにOODAループを活用する!  この様な声をよく耳にする。経営計画を実現するために、制度や仕組みを変更し、変化に対応していく体制を整えることは重要である。しかし、“経営戦略が下りてくるのを待ち、人事戦略を立てる”では間に合わない。先に記載した通り、長期的な経営戦略はこの様な時代では有り得ず、ビジネス変化に対応するために絶えず経営戦略を練り直さなければならない以上、人事戦略は経営戦略を先読みして作る必要がある。  人事部門に求められるものは、流動的な経営戦略にも対応できる人事戦略を立案することである。 つまり、“戦略は組織に従う”という考え方が非常に重要になってくる。 どちらが鶏でどちらが卵かではなく、人事戦略は経営戦略を実現するために立てられ、経営戦略は人事戦略に基づき立てる必要があると考える。  これからの人事部門の役割は、“経営のパートナー”としての役割が大きくなる。 しかし、企業が人を選ぶ時代は終わり、人が企業を選ぶ時代となった今、 “従業員のパートナー”であることも決して忘れてはならない。

「45歳定年」発言の何がいけないのか? | 人事制度

「45歳定年」発言の何がいけないのか?

 ※今回のコラムは、フリーランスのジャーナリスト吉田典史氏の執筆です。内容は個人によるもので、当社を代表するものではありません。 ============================================  この原稿を書く数日前、「45歳定年」発言がネット上で炎上していた。時事通信社によると、サントリーホールディングスの新浪 剛史社長が経済同友会の夏季セミナーにオンラインで出席し、ウィズコロナの時代に必要な経済社会変革について「45歳定年制を敷いて会社に頼らない姿勢が必要だ」と述べたという。  私の印象で言えば、「今さら感」がある。1980年後半には、著名な経営コンサルタントや経営学者が新聞やテレビで「40代の定年」を指摘していた。私は、そのころからこの指摘は正しいと思っている。各自が遅くとも40歳前後で会社員人生を振り返り、少なくとも次のことは会社側と話し合いをすべきだろう。   1,現在の会社に残るか否か   2,残るならば、どのようにして貢献するか   3,その具体的な仕事や実績  1から3についての合意形成を定年まで毎年1回はすべきだ。年に数回でもいい。合意ができないならば、つまり、会社の求める仕事や実績に応じられないと判断された場合は、次の対処が必要になる。   ・他部署への配置転換、職種転換   ・グループ会社などへの出向・転籍   ・賞与を中心に大幅な減額   40代になっても管理職になれない人や部下のいない管理職には、退職勧奨を盛り込むこともやむを得ない。活躍の機会はほとんどないだろうから、他社でチャンスを切り拓く道も考えたほうがいい。ただし、退職強要は不当な行為である以上、避けるべきだ。  「45歳定年」発言を批判する人は、会社を取り巻く状況にあまりにも鈍感ではないか。少子高齢化が加速する以上、日本経済や各市場の規模は確実に小さくなる。多くの企業の業績はダウンする。海外展開し、危機を乗り越えようとするが、難しい業種や職種はある。すでに海外市場で日本企業は苦戦を強いられている。管理職になれない人や部下のいない管理職を多数抱え、総額人件費が適性ラインを越えているのだから当然だろう。一方で、海外企業の日本への進出や競争は激しくなる。シェアを次々と奪われる。間違いなく、倒産や廃業、吸収合併などの再編は猛烈に増える。会社が真剣に生き残ろうとするならば、人事のあり方を大胆に変えざるを得ない。少なくとも、次の取り組みは必要になる。   1,総額人件費の厳密な管理、圧縮   2,役員報酬規定の明確化、役員数の削減   3,管理職への昇格の明確化、厳格化、管理職数の削減   4,年齢給や勤続給の廃止、役割給や業績給の基本給に占める比率を拡大   5,管理職定年(40代後半~50代半ば)の導入やリストラの実施、大胆な人事異動   6,一般職(非管理職)の削減、リストラの実施、大胆な人事異動   7,総合職を減らし、専門職を増やす  1~7までは、バブル経済が崩壊した1990年代前半には取り組むべきだった。私の取材の限りでは、2や3に今なお取り組んでいない会社のほうが多い。だからこそ、40代になっても管理職になれなかったり、部下のいない管理職にしかなれない人が多数いる。多くは60歳の定年、そして雇用延長が終わる65歳前後、もしかしたら70歳までいるだろう。その総数は、すさまじいものになる。それで経営が成り立つのか…。  想像の域を出ていないが、「45歳定年」発言の背景にはこのような危機感があったのではないか。本来は、新聞やテレビ、雑誌、ネットニュースは発言の真意や背景について冷静で、深い議論の場を提供すべきだった。それができないところにも、沈む国の深刻な現状が見える。

専門職とは何か | 人事制度

専門職とは何か

 専門職とは、どのような人材群だろうか。管理職にはならなかったが社内での経験がそれなりにある人材に対して、少し高めの処遇をするために設けている職群であったり、そうした人材と高度な専門性を有する人材が混在している場合であったり、会社により様々である。  人材を特徴ごとに区分する際につける名称は、会社の自由だが、「管理職にならなかった人材」と「その他の個別性が強く一把に括れない人材」をごちゃ混ぜにして専門職と呼ぶような会社も見受けられる。  このような「ごちゃ混ぜ専門職」の問題点は、各人の価値に応じた処遇やキャリアパスを実現しにくいことにある。価値に見合った処遇ができなければ、社員が有する価値に十分に報いることができず優秀な人材が流出しかねないし、価値よりも余分に処遇すれば総額人件費の膨張につながる。実態と合致したキャリアパスを用意できなければ、目的に合った計画的な育成ができなかったり、社員に対して「自分は将来どんな道を歩めばよいのか」という不安を抱かせたりしてしまう。  ここでいう本当の意味での専門職(以下プロフェッショナル人材、と呼ぶ)とは、特定の領域における専門的な知見や経験によって会社に貢献する人材のことである。一方、管理職にはならなかったけれど、それなりに高く処遇されているという人材は、社内で必要なスキルを十分に習得しており、業務に対する一定の熟練度を有する人材であることが多い(以下、熟練者と呼ぶ)。  プロフェッショナル人材と熟練者とでは、有する価値の種類が違うため、処遇の設計に対する思想も根本的に異なる。プロフェッショナル人材は、社内に限らず労働市場において活躍できる可能性が高いことから、外部労働市場における価値を鑑みた処遇をする必要がある。  一方の熟練者は、必要なスキルを習得しており、業務の熟練度も高く、安定的な業務遂行を期待できるという価値を持っている。必要以上の流出を防止するため外部労働市場を鑑みる必要もあるものの、社内の非熟練者と比較した場合の相対的な価値の高さを処遇で表現する必要がある。  キャリアパスという観点でも、まったく異なる性質を持つ。プロフェッショナル人材は、新入社員が社内であらゆる経験を積んで管理職へ育っていく道の上にはいないのだ。例えば、製造業の会社で採用した新人Aさんに製造現場や営業、管理部門と様々な職務領域を経験させ、管理職に登用されるまで育てあげたとする。優秀な管理職としての価値は十分に高まったとしても、法律家や、研究者など、特定の領域で他の追随を許さないほど専門性を高めた人材とは、やはり有する価値の種類も歩んできた道のりも全く違うはずだ。  仮にAさんの育成が上手くいかず、管理職への登用ができなかったとしても、急にプロフェッショナル人材として扱うのには無理があるだろう。プロフェッショナル人材とは通ってきたルートと有する価値の種類が違うのだから、社内における能力習熟度や業務の熟練度が高い熟練者として処遇する方が、キャリアのあり方や有する価値に見合っているといえる。  ビジネスモデルが必要とする人材の多様化や、流動的な時流を乗り越えるための管理職のスリム化を契機に、複数の人材区分やキャリアパスを設ける会社が増えている。せっかく分けるのであれば、人材群の特徴を精緻に描写し、特徴にぴったりの処遇やキャリアパスを設計する必要がある。人材群の特徴にぴったりの処遇やキャリアパスを設けようとしないのであれば、人材を区分する意味がないのだ。