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コラム

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いつまで使う?電子メール | その他

いつまで使う?電子メール

 現代のビジネスシーンにおけるコミュニケーションツールといえば、筆頭はやはり電子メールだろう。コストがかからず、相手の時間も拘束せず、あとからやり取りの履歴を追えるといったメリットはビジネスにおいて非常に有益である。  だが、電子メールがビジネスで利用されるようになって約30年がたち、ビジネス環境もだいぶ変わってきた。日頃、電子メールのやり取りをしていて、正直、使いにくい、と思う点が目につくようになってきた。少なくとも、人対人のコミュニケーションで用いるツールとしてはかなり問題が多いのではないか、と思うのである。いくつか例を挙げると、 1.関係のないメールが多すぎる  登録した覚えないメールマガジンや、情報共有という名目でCCに入れられたメールが多く、とにかく処理に時間がかかる。  総務省の調査によれば、主要通信事業者が送受信している電子メールの約50%は迷惑メールだそうだ。 2.受信したメールを振り分けるのが面倒  様々な業務のメールが同じ受信トレイに入ってくるので、適切に振り分けないとどんどん埋もれてしまう。また、日々新たな振り分け設定をするのが非常に面倒だ。 3.多人数でのやり取りがやりにくい  CCでの情報共有に頼らざるを得ず、メールの量がますます増える。 4.相手がメールを読んだかわからない  送った後に相手に届いたか、実際に読んでもらえたかわからない。メールを送った後に「今、お送りしたメールの件ですが……」と電話をかけて確認したりすることもしばしばである。  など、一通ずつ丁寧に処理していたのでは、時間がかかって仕方がない。コミュニケーションのスピードという点に関して電子メールはかなりイケてないツールであると感じる。 B2BやB2Cのコミュニケーションや、サービス、アプリケーションからの通知などの用途に関しては、これからも電子メールが主体であるり続けるであろう。だが、やり取りの頻度が高く、スピード感が求められる社内のコミュニケーションやプロジェクトメンバー間でのコミュニケーションは、ビジネスチャットでのやりとりが中心となり、必要であれば即オンラインミーティングを行うなど、目的や用途に応じて、適切なコミュニケーションツールを選択していく必要がある。もはや、社内での電子メールの利用を禁止する、という企業も出てきているぐらいだから、早々に電子メールにのみに頼ったコミュニケーションから脱却しなければならない。  コロナ禍の中で、リモートワークの利用が拡大することにより、電話、メール、ビジネスチャット、オンライン会議などさまざまなコミュニケーションツールを利用する機会が増えている。それぞれのコミュニケーションツールの特性をきちんと把握し、目的用途に応じたツールを選択し、それを使いこなせるようになることが、現在のビジネスコミュニケーションにおいては必須のスキルなのである。

有効求人倍率と企業変革 | 雇用施策・その他

有効求人倍率と企業変革

全国の6月の有効求人倍率(季節調整値)は5月より0.09ポイント低下し、1.11倍となった。値をどう見るか。リーマンショック後の0.5倍を割る水準ほどではないものの、昨年まで続いてきた1.5倍以上の状況からみると、かなり低下した。先行き不透明な環境下で、企業が新たな採用を控えている事や、人事部門がコロナ感染拡大の中での働き方への対応や、雇用調整助成金の申請などで手一杯で、採用まで手が回らないという事もあるだろう。いずれにせよ、労働市場の需給バランスが大きく変化し、コロナ禍以前のように、総じて企業が、人材が思うように採用できない状況は一転した。 同指標の値から、雇用状況が悪化しているとは言えるが、一方で、今後の経済を見通す指標としての株価は、必ずしも悲観的には推移していない。日経平均やNYダウといった株価インデックスは、2~3月に底を打った後、回復に転じ、コロナ前の水準まで、ほぼ戻してきている。ナスダックに至っては、コロナ後に史上最高値を付けた。株価が堅調な理由として、単に世界的に金余りという事や、コロナ禍は短期的であり、中長期でのキャッシュフローに大きな影響はないとの見方と共に、コロナ禍により、企業変革が促進される事が好感とされているからとも言われている。災い転じて、デジタル・トランスフォーメーションや働き方改革が加速され、生産性が向上し、企業の収益率が高まる事が期待されているという事だ。 実際、米国の投資ファンドのカーライル社が、コロナ禍で社会構造が変わり、欧米に比べて遅れていた日本企業の変革への機運の高まりを受け、今後3~5年間で1兆円規模の投資をするとの新聞報道もあった。今後、コロナ禍がいつまで続くのかは不透明ではあるが、いずれにせよ、いつか終わる。感染拡大が収束するまで、採用についても何もせずにいると、その時点では、すでに勝負がついてしまっているかもしれない。 ちなみに、過去、最も景気のよかったといわれるバブル期の有効求人倍率は、1990年の1.43倍だったが、昨年前の数年間は、それを凌ぐ1.5~1.6倍を推移していた。つまり、最近は、労働人口が減少していく中で、必ずしも好景気でなかろうと、恒常的に人手不足が発生する状況になっている。バブルの頃とはゲームのルールが異なっているわけで、今や、先が見えないからと言って、近視眼的ないしは盲目的に、採用を抑制してしまうと、それが命取りになるかもしれないと言える。 今回のコロナ禍の発生は、日本にとどまらず、世界全体へむけた社会変革、企業変革へのウェークアップコールだとも言われている。企業として、人事として、この状況をどう捉え、どう行動するか、正直、大変悩ましい判断を求められているが、コロナ終息後も企業が生き抜くためには、人事の変革も、立ち止まる事なく行っていく必要がある。そのためにも、中長期な視点で見て、経営の人的資源の質的な転換をはかるため、有効求人倍率の低い今こそ、チャンスと捉えて、積極的に、将来にむけた必要人材を獲りにいってはどうだろうか。

ひきこもりのダメージ | その他

ひきこもりのダメージ

 皆が家にこもる状況は脱したものの、対面・接触をさける生活は終わりそうにない。世界中の感染状況をみると、いつまた外出自粛の号令がかかるかもしれない危機のなかにあり、かつてのような人と人のリアルなコミュニケーションが普通だった時はもう戻ってこないように見える。  多くの人がひきこもることで出来るもっとも大きな問題は、社会性や共同性、つまり、関係のなかでヒトは生きているというプリミティブなコトワリが、対面できない「非接触」のなかでどう変容するか、だろう。  人は他者との関係のなかで、自分自身の存在理由を確認する。関係のなかで、機微や情や愉楽を交換し生きることの彩りを感得する。すでに我々は、ネットワークインフラのおかげで直に会わなくても用が足りる利便性を享受しているがそのうえでなお、不要不急のふるまいとして、あえて顔を合わせ、直に話すことをしてきた。ネットの利便性を補完するものとして、そうした人間同士の交流、熱量や体温を感じるコミュニケーションを必要としてきたのも、そうしたコトワリの現れだった。    こうした対面接触なしの対人関係がもたらす、いわば情緒的なアイデンティティクライシスは、もしかすると社会の死を意味するくらいのインパクトがあることかもしれないが、組織での協働という点でいえば、もっと具体的なコミュニケーション上の問題がある。それは、コミュニケーションの生成機能に対する、実態的ダメージだ。  WEB会議をはじめとするコミュニケーション手法の拡大・進化によって、言葉だけではなく表情、態度、文字、絵などの「記号」のやり取りは、代替できるだろう。しかしコミュニケーションは、何かすでにある情報を伝えるだけではなく、コミュニケーションのなかで新しい情報(=アイディアや新しい発想)が生成されるという機能ももつ。  自動車の製造現場でうまれた「カイゼン」は、部門を超え職位の違いを超えて人が集まり、現場現物によるコミュニケーションによりわいわいがやがやと問題解決をはかる手法としてその有効性がよく知られる。「真の問題は現場に存在する」ことを前提に、徹底して現場でモノを見て率直に意見を出し合い、例えばモノを動かしてみるといった解決策をその場で試すといった集団での活動が、新しい発想の生成を相乗し、改善のみならず改革につながる。  ここで喚起されるコミュニケーションの創発性、組織論でいう「場の創造性」は、個々の異質性の交換/相互作用を要件とする。異質性は、「記号」のやりとりだけでなく、あつく語る人々の熱気、共感して肩を叩きあい、笑い、また反発して憤るといった感情の交換でもより一層際立ち、グループダイナミクスを促進する。  こうしたダイナミズムが「集まらない、対面しない」から失われるのだ。それは、イノベーションを迫られる企業組織にとって実態的なダメージであると同時に、働く人々にとっての醍醐味、モチベーションエンジンもまた損なうことだろう。対面することなく「カイゼン」すらも媒介できるコミュニケーションプラットフォームもまた技術進化によって登場するかもしれないが、それでも、集団でなにか新しいものを生み出す際の想念のうねりや坩堝が、あるいは生み出し得たときの一体感が、そこに生まれるかどうかは、期待できない。それは、アタマで理解し共有するというよりも、もっとアマルガムな、身体性の一体感だからである。  

パンデミック後の世界 | その他

パンデミック後の世界

 新型コロナウィルスの感染拡大が世界中に広がり、将来が見えない状況が続いている。誰もが不安を感じながら、これから世の中がどうなることかと思いめぐらせている。かつて、ピータードラッカーは、「未来のことは誰も分らない」し、「未来は、今日と異なることは間違いない」と言ったが、同時に、「未来は創ることができる」し、「既に起こった事の結果を予測することはできる」とも言った。確かに、自分自身の意志で、未来を切り開いていくことは、誰でもそれなりにやっているし、既に起きている事から、起こり得る結果を、ある程度、見通すことはできる。日本の少子高齢化が起こっている結果として、将来、労働力不足が予見できるのは、この類のことだろう。  では、新型コロナウィルスの世界的な感染拡大、いわゆるパンデミックと言われる現象の後に何が起こるのか、この問いに対しては、ドラッカーの残した言葉よりも、ローマの歴史家が残した「歴史は繰り返す」の方が、有効に機能するかもしれない。  世界の歴史を振り返ると、過去に何度も、パンデミックと言われる感染症の世界的流行が起きている。 たとえば、14世紀のペストによるパンデミック。蒙古のキプチャク・ハン国が黒海沿いにあったイタリア、ジェノバの植民都市を攻撃した際、陣営内でペストが発生、蒙古軍はペストで死んだ遺体を城壁の中へと投げ入れて退却したため、城塞内で感染が拡大し、ジェノバの人々は、交易拠点であるコンスタンティノープル、マルセイユ等、当時の交易拠点をたどりながら、ペストと共にジェノバに戻った。その結果、これら都市からヨーロッパ全体、さらには北アフリカ、中東に至るまでにペストが拡散した。このペストの大流行でヨーロッパの人口の半分が亡くなったとされている。その結果、農民人口が激減し、領主と農民のバランスが一気に崩れ、領主階級は没落、封建制度は崩壊し、ヨーロッパは絶対王政へと移行していった。  今から約100年前、世界中で猛威をふるったスペイン風邪も、もう一つのパンデミックである。太平洋の孤島から北極圏の住民まで、当時の世界人口の4人に1人以上、約5億人が感染したと言われ、死者数の正確な数字は不明で、5,000万人〜1億人が死亡したとも言われている。ただ、これだけの猛威を振るったスペイン風邪だが、経済に大きな打撃を与えなかった。また、第1次大戦の終結の遠因になったとも言われている。  以上過去の2つのパンデミックの歴史から、何を得るか。少なくとも言えるのは、「終わらないパンデミックはない」という事。早ければ、年末には新型コロナのワクチンが完成するという報道も流れているが、どんなに深刻な感染状況であっても、パンデミックはいずれ終息する。また、実態経済から聞こえて来る声とは異なり、思いの他、金融市場で株価が堅調なのは、中長期的なキャッシュフローには大きな影響なしと投資家が認識しているからなのかもしれない。  もう一つ言える事は、パンデミックが、「社会が大きく変化するきっかけ」となる事だ。パンデミックで世界は生まれ変わるというより、それまで、進行してきた事態が加速するという方があっているかも知れない。 何年も前から働き方改革が進行しつつあるが、今回のパンデミックを機に、働くことに付随する様々な固定観念が打ち壊され、オンライン会議をはじめとするリモートワークがデフォルト化し、人々の居住場所に対する概念も大きく変化していく事になるだろう。キャッシュレス経済もまたしかり。  社会の変化は、直線的には起きず、さまざまな周辺の要因の影響を受け、一定のより戻しを経たあと、しかるべき着地点に達するものだ。目先の感染者数の推移を追って右往左往するより、過去の歴史からヒントを得て、いずれパンデミックが終息した後の社会の変化を見据えた行動を心がけたい。

初対面の2秒 | その他

初対面の2秒

人は初対面の人と出会った時、無意識のうちに第一印象を決めてしまうと言われています。 さらにこの第一印象ですが、2秒で決まってしまいます。1992年のスタンフォード大学ナリーニ・アンバディ教授によるメタ分析で提唱されました。 (メタ分析とは複数の論文データを統計的手法で答えを導く信憑性の高い分析です。) 教授は、初対面同士の生徒と教師を言語・非言語でコミュニケーションをとらせました。 その時間を2秒、5秒、10秒、そして数分間とわけました。 その後、生徒が教師に抱く印象をきいたところ、どの時間も変わりませんでした。つまり2秒で人の評価・印象は決まってしまい、最初の印象が良ければ、最終的な印象も良くなるということです。 この研究から、いかに第一印象が大切か、ということがわかります。 ビジネスの交渉の場において、第一印象ですべってしまうと、そのあとがとても大変です。 一度ついたイメージを覆すことは容易ではありませんね。 この第一印象をよくするために下記のようなことは大事で、まさに基本中の基本です。 ①清潔感がある 服装などトータル的に汚れがなく清楚な人は見ていて、落ち着きます。 こういう安心感を与える外見が印象の良さを持たれます。 ②礼儀正しくて、素直である 教養があり、礼儀正しい人は信頼感があります。 また素直に人を受け入れることができる人も、相手にいい印象を与えるポイントのようです。 ③笑顔をキープする 笑顔は、相手に安心感や信頼感を与えられる、誰でもできることです。 いくらコミュニケーションが取れていても、仏頂面では好印象は与えられません。 それだけ笑顔であるかは大切なことです。 ④コミュニケーション能力が高い 誰とでも気軽に会話ができる人は、愛されやすい人柄と言えます。 会話力があり、正しい言葉使いをしながら相手を楽しませるコミュニケーションが取れるほど、第一印象がい人と言えるでしょう。 ⑤相手を思いやる 相手の意見をいかに受け入れられるか、これは心の寛容の問題です。 相手に対して批判せず、受け入れる。 これができる人は、心が広くゆとりがある人だという印象を与えられ、自身も受け入れてもらいやすくなります。 第一印象を良くするには、外面だけではなく⑤のように相手を思いやり、心地よくする、気づかいや心配りが一番大切と考えます。これには臨床心理学でいうところの「ラポール」の形成が効果的とされています。 「相手と心が通じている」「どんなことでも打明けられる」「会話の内容が十分に理解されている」とお互いが安心感のある状態に持っていくことが必要なのです。 初対面の時は、話が相手にちゃんと伝わっているか不安になりがちですが、一番大事なのは相手を尊重し、興味を持つこと、また相手の話を聞こうとする意識です。 最近はWeb商談も多く、実際の対面の場が少なくなってきていて、相手のリアクションがなく、会話が思うように進まないなんて話をよく聞きます。どの場面でも、第一印象が良くキチンとコミュニケーションが取れるなぁと周りから言われるように 日々自分を磨いていかなければなりませんね。                                         以 上

「わからない」を許さないオンライン研修 | 人材開発

「わからない」を許さないオンライン研修

 集合型研修は姿を消し、各企業の社内研修は、オンライン研修一色となりつつある。まずは「密を避ける」という社会的要請に合わせられ、かつWEB会議アプリケーションをうまく使えば、集合研修の効果を「集合するコスト」なしに得られるという、いわば対症療法としての一斉実施といえるだろう。  ともすると、集合研修の代替可能性とコスト効果だけが喧伝されるきらいがあるが、オンライン研修ならではの効用は、実はかなりある。そこを意識した設計と運用を行えば、従来型集合研修の多くはもはや戻る気が起こらない旧型研修にみえてしまうほどだ。  オンライン研修の最大の効用は、座学ではなくトレーニングとして手を動かし、参加者一人一人が理解しスキルアップする――つまり、「反復学習」性と「個別指導」性がいかようにも組み込めるということだ。  集合型研修ではときに、「その場ではわかった気になるが、仕事に戻るとわすれてしまう」といった身もふたもない反応や、「なにより他部門の人と話せたのがよかった」と研修目的とはズレた満足度の高さになったりもすることがある。  そうした行事的研修を排し、実効性の高い研修にするためには、①事前の課題把握(調査や測定による受講生の行動課題の特定)を行い、②その課題解決につながる実践的な研修(絞り込んだスキル教育とリアルな職場課題の演習)を組み、③事後の行動実践を踏まえた効果測定、という「事前・事後まで含んだ設計」にするというのが、常套手段だ。つまり、真の課題にミートした研修を行いその実践状況を追っかける。  それでも肝心の研修自体は、集合させ一日で終わらせるという制約上、どうしたって、なるべく多くの人の理解度向上/スキル向上はできても、全員がそれぞれにレベルアップするところまでは追求できない。ところが、オンライン研修では、受講生の理解度を都度把握しながら、レクチャー内容を調整し、個々の演習のアウトプットを踏まえてできるようになるまで反復訓練をすることができる。要は、きめ細かな理解状況適応と個別指導により全員のスキル向上を結果しうる可能性があるのだ。  研修は、A.レクチャーパート(=インプット)とB.演習パート(=アウトプット)とC.演習の解説・指導パート(=フィードバック)の3つで構成される。A.レクチャーパートをとってみても、集合研修でも単に講師が話すだけではなく質疑をうけつつインタラクティブに進めるのが講師ワザだが、オンラインでやるとすれば、多彩な双方向性と個別性を仕込める。  たとえば、講師が15分ほど話したら、全員に理解度や個別課題に関する問い(=アンケート)を出し、全員の回答をすぐにグラフ化して提示したり、題材となる回答を紹介して論じたりする。理解度の低い人たちをグルーピングし、のちのB.演習パートで、そのグループには固有のレクチャーや演習を課して分からせるといった運用をしたりする。  レクチャー中でも、チャット機能で常時質問や不明点を受け付け、講師が必要と判断したら、説明を加えたりする。受講生の表情がはっきり見えるので、首をかしげていたり集中してない顔つきに気づけば、講師から指名して質問したりするから、皆真剣にならざるを得ない。手を変え品を変え、理解度を確認されるから、「よくわからなかったけど、、」、とか「なんか違うと思うけどまぁいいや」と研修を終えることは許されないのだ。  加えてより重要なのは、反復学習の全面展開だ。上記のA→B→Cを小さなサイクルで繰り返したり、都度スキルレベル別にわけたグループごとのサイクルを回わすなどでしつこく習熟を図る。移動して集まる負荷がないだけに、1日研修ではなく、3時間程度の研修を2~3回に分けてやるなど、短時間研修×複数回の連続研修を様々に組むのがよい。  連続研修として組んだら、各研修後に事後課題を課し、そのフィードバックを(とくに課題ある受講者には)個別にWEB面談で行い、意欲喚起とスキル向上を直接支援するとなお効果的だ。こうした反復学習は、とくに、新任管理職向け評価者研修など、徹底した評価の体感理解トレーニングとしてお勧めしたい。  集合研修と同じコンテンツの流用や従来型の職人講師ではこの意味での研修効果は望めない。反復性と双方向性と個別対応を最大化するには、アンケートシステムの組み込みや柔軟なグルーピング法など綿密に設計されたうえで、「状況適応運営に長けたオンラインコーディネータ」と「全員もれなくわからせることに執着する講師」とのタッグでの運用が必須になるのである。

対人能力は必須か | 人材アセスメント

対人能力は必須か

 社会で働くために必要な能力=就業スキルとして、コミュニケーション能力は必須のものとされる。社会人基礎力には、「チームで働く力」として発信力、傾聴力、柔軟性などがあげられ、社員教育では早い段階からビジネスコミュニケーションのスキルが教えられる。管理職昇格アセスメントの評点が、「思考能力」、「対人能力」、「資質/姿勢」の3領域で測られるように、マネジャーのスキル要件にもコミュニケーションスキルは欠かせない。  ゆえに、どの会社でも、きわめて高い思考力や高度な専門的スキルをもっていても、コミュニケーションが不得手な人はなかなか肩身が狭いことになる。人との関係形成が苦手だったり、対人感受性に欠け人の気持ちがわからない人(=私です)は、職業人として課題あり、とされる。とくに、人を動かして組織成果を出す役割の管理職なら、対人能力欠如はまず問題視されるだろう。  しかし、ほんとうにそうか。仕事で成果を出すうえで、対人コミュ二ケーション能力は必須なのだろうか。業務上必要な意思疎通さえできれば、それ以外の対人配慮、たとえば、感情や想いへの気配りや、態度や表情といった非言語的サインの察知、ヒドゥンアジェンダ(=隠されているテーマ)への忖度、チームを盛り上げんとする言動などなどは、それはあった方がよいけれども、必須ではないし、ときに邪魔だったりもする。  チームワークにおいて大事なことは、言語化された明示的メッセージをきちんと受発信することで、それさえ徹底されれば、余計なコミュニケーションのワザなど必要ない。メッセージが曖昧だから、察知し、気遣い、忖度するスキルや四の五の言わなくても通じる信頼感の醸成のワザが、補完的に求められているにすぎないのではないか。  よく知られるように、多民族が協働する多国籍企業内のコミュケーションは、意思や要求を明確に言葉にしてやり取りすることこそを必須とする。対人関係の常識の背景(=文化・習慣・感性)がまったく異なるから、すべては言葉にして伝えるのであって、「行間」を読むことなどそもそも前提しないのだ。すでに日本の会社も、年齢や価値観や他者感覚における多様性の組織であり、メッセージの言語化/明確化こそが、協働のためのコミュニケーションの原点だろう。  「言語化された明示的メッセージをきちんと受発信する」ための能力は、思考能力(=理解力や論展開力や概念化力など)と姿勢(=達成指向や誠実性や自律一貫性など)である。いわゆる対人能力(対人理解力、共感力、関係形成力など)ではない。人と協働するうえでは、共感や関係形成ができたほうがもちろんよいが、思考力や姿勢面で優秀であれば、あるべき対人行動を「演じる」ことができるから、その意味でも、生来の対人能力はなくても問題はないのである。    そもそも、仕事をするうえでコミュニケーションスキルが必須となったのは、人類の長い歴史のなかでは、ごくごく最近のことだ。自然に働きかけて直接に商材を得る仕事(=第一次産業)や自然界のモノを加工して商材を得る仕事(=第二次産業)では、身体的技能こそがコアスキルだった。例えば偏屈で人づきあいできない職人でも、モノづくりの腕が良ければそれだけで評価されていただろう。  就業者の大半が第三次産業、つまり人を相手にしたサービスを商材とする仕事に従事する現代になって、対人コミュニケーションが重要なスキルとして台頭してきた。自然を対象にするスキルやモノを対象にするスキルではなく、ヒトを対象にするスキルが重要視され、高度消費社会の進展とともに、対人能力は社会の基盤的なワザかのように見なされるようになったのだった。  技能があるだけでは許されずに、つねに対人配慮性や対人能力が求められる現在の状況は、しかし、人々を能力評価する眼を曇らせる。ヒューマンスキルは「人を動かし成果を拡大させる」能力ではあるが、もともとのアイディアや新しい機能や手法を生み出すのは、コンセプチャルスキルとテクニカルスキル。つまり、思考や身体の技能こそがパフォーマンスの源泉たりうるコアスキルだろう。  職人の方々は、よく「身体が覚える」とか「手で考える」と言う。近年、「身体性の復権」がイノベーションの鍵だといわれる意味でも、対人能力の偏重には気を付けなければいけないのではないか。

残業代を懐かしむ? 非定型業務を担う人財の育成 | その他

残業代を懐かしむ? 非定型業務を担う人財の育成

「残業」という概念のように、「投下時間に対して報酬を支払う」という考え方は、極論すると、定型業務にしか馴染みません。作業量は、おおよそ投下時間に比例するかもしれませんが、価値や成果は、投下時間に比例するとは限らないからです。 定型業務の場合と違って、「何らかの基準を設けて測る、創出価値や成果で評価する」のが、非定型業務です。論文が引用された数や特許数などの指標で評価される、研究開発といった仕事は、非定型業務のわかりやすい例かもしれません。 他にも、ヴィジョンの構築や新規事業の企画、充分な情報が揃い切らない段階での意思決定をはじめ、持続可能な差別化やイノベーション(創新普及)に貢献するような優れた問いを生み出せるか、実際に厄介な問題を解決できるか、組織内の潤滑油的な役割を担って相乗効果を引き出せるか…といった能力の発揮に関係するのが非定型業務と呼ばれる仕事です。 (非定型業務には、定時出社等の「時間管理」は馴染みませんね。では、「非定型業務用のマニュアル」はあるでしょうか?…ありませんね。) 今後も、定型業務自体の重要性は変わらないのですが、その担い手が機械知能(Machine Intelligence:MI)やロボティクスに置き換えられていくという大きな潮流があることは認めざるを得ないのではないでしょうか。 もちろん、自動化や自律化のコストや手間に見合わないなどといった理由で、ヒトが求められ続ける定型業務はまだまだ多いと思います。 現時点でそういった実態があることは承知しつつも、人生100年時代を生きる私たちにとって、「非定型業務で能力を発揮できるように、自己刷新していくことが求められる」のは、避けられないことなのではないでしょうか。 「画一的な内容を、同じ理解の仕方で記憶・習得させる」という方法は、「定型業務を効率よくこなす人財」を育成するためには有効でした。しかし、その人財育成の方法は、「唯一絶対解のない『厄介な問題』(※)の解決に必須な、非定型業務が務まる人財」を育成するために有効とは言えません。 そして、「先生が生徒に一方的にモノを教えるという教育スタイル」が通用しなくなるにつれ、「MIを用いた個別学習」の浸透に加え、「正解を知らない先生が、生徒と一緒になって、身近な環境問題に関する解決策を考える」などといった北欧型の教育スタイルへの関心が高まっています。 見方を変えると、「学習者それぞれが独自に課題を設定して、その解決を図るプロセスを学ばせることができるファシリテーター」(変化・成長・学習の促進者)が求められるようになってきているということです。 …業界や企業の成長ステージ、プロジェクトの内容によっては、喫緊の課題です。 貴社では、環境変化に応じて自己刷新を遂げ、持続的な発展が可能になるように、「キーパーソンが、効果的なファシリテーター役を務めることができる」ように育成されているでしょうか? また、そういった人財が働きやすい環境を整えていらっしゃるでしょうか? ※「厄介な問題」(Wicked Problem:ウィキッド・プロブレム) 「難問」と区別する際に用いられることのある表現。 単に、解決に至るまでに多くの手順や時間が求められるとか、関係者が多くて問題の構造が複雑であるなどというだけでなく、分析思考・線形思考だけに頼っていては解決できない問題のこと。さまざまな原因が絡まり合って複雑な状況を生み出しているだけでなく、関係者によって何を問題と見なすかが異なっていたりするなど、「問題設定を明確に行うことが困難」であるため、なぜ現在直面しているような状況が起きているのかが不明であったり、独特の特徴や条件などを備えているため過去の問題解決策が適用できなかったり、問題解決に向けた試験的な取り組みを実施することで、対象とする状況などが変化してしまうために改めて問題設定を行う必要が生じたり、どういう状況になったら「問題が解決した」と見なせるのか判断するのが困難…などといった特徴(のどれか、またはいくつか)を備えた問題のこと。 例:感染症の大流行と経済活動に関する問題、高齢化問題、頭脳流出問題、肥満問題、移民問題、地球温暖化問題、持続可能社会の実現問題、テロリスト対策問題、貧困対策問題など

クワバラ、クワバラ | その他

クワバラ、クワバラ

 新型コロナの騒動は、のろのろと進んでいた「働き方改革」のアクセルを強く踏み込んだ。在宅勤務は、好むと好まざるとに関わらず広く普及し、定常化した。満員電車の揉み合いが無い快適さの代償に、業務妨害を企む子供たちとの熾烈な揉み合いを強いられる。それでも、会社から見ると、なあんだ、やればできるじゃないか、ということで、在宅勤務を標準の働き方に据え、この際、「働き方改革」をしっかり前に進めようと決心する会社が次々と現れてきた。  このようにして労働のスタイルが変わってくると、会社は新しい悩みを抱える。部下の働きぶりが見えないという悩みだ。つい数か月前には、管理職を集めた研修で、「部下の働きぶりをよく観察しなければ正しい評価はできませんよ」などと嘯いていたのに、「どうやって観察するの?」という問いに答えを失う。もはや仕事のプロセスは見えないから、アウトプットだけを見て評価しなければならないのだろうか。しかし、アウトプットの量や出来栄えなど、測定できない仕事もあるしなあ・・と悩みは尽きないのだ。  これまでの普通のマネジメントは、会社が良しとする行動を社員に求めてきた。それを立派に実行すれば褒美が与えられるし、さぼったり、いい加減にやったりすれば、罰が与えられる。こうしたマネジメントによって動かされる組織を仮に「規律組織」としよう。上長は常に部下の仕事ぶりを観察し、部下を指導し、望ましい行動をとるよう誘導する。社員は規律に反しないよう、常に会社や上長の意向を気にしながら業務に当たるというメカニズムだ。ワン・オン・ワンだとかコーチングだとかいろいろ配慮してくれるのは有難いが、つまるところ罰点を食らうのはご免蒙りたい。だから上長に求められるとおりの行動を取る。ふつうの組織だ。  さて、最先端のICTを駆使する在宅勤務組織に言わせれば、こんな「規律組織」はまどろっこしいものかも知れない。最先端のICTとは、「画像認証技術」、「ビッグデータ」、「AI」・・などというやつだ。もともと、AIというのは、Xというアウトプットの結果たる膨大なYの値を集めてきて、こんなXをインプットしたら、たぶんこんなYがアウトプットされるだろうと、帰納的に判断するのだそうだ。XとYの間の因果関係はブラックボックスだ。ウェブサイトで買い物をする人が検索する品目を大量に集めて分析すれば、ある品目をチェックしている人に「こんなのもありますよ」と興味の湧きそうな別の品物を勧めることができるということだ。    こんなことができるなら、在宅勤務する人の表情をPC内臓のカメラがいつも監視していて、画像認証技術で表情の動きを解析し、集中力が低下したというサインを見つけたときには部屋の照明とPCの電源を自動的に落とし、5分の休養を促す静かな音楽を流すようになるかも知れない。会話の音声と表情の動きからあまり買う気が無いと分析されたお客さんとのオンライン商談は、10分を過ぎると会社のサーバーが勝手にシャットダウンしてしまい、デジタルな趣の声が「コショウシマシタ。」とアナウンスするようになるかも知れない。  つまり、規則で人々を律する組織ではなく、ICTで人々の行動をコントロールする組織だ。「規律組織」に対して「自動制御組織」とでも呼ぼうか。  社員は自律的に努力し、自主的な判断で仕事を進める。上長はコーチとしての脇役だから、細かい指示も命令もしない、仕事の主役は最前線で働くオレだ!と、仕事をしている本人はそう信じている。だが、いつの間にか、知らないところで、AIが彼らの行動を詳細に監視し、照明を暗くしたり明るくしたりしながら、その行動をコントロールしている・・そんな時代の到来を、新型コロナが加速させているような気がする。クワバラ、クワバラ。

新しいスタイルへの対応 | その他

新しいスタイルへの対応

 ようやく、東京都の緊急事態宣言が解除された。安倍首相が「戦後最大の危機に直面している」と述べた日本経済も、徐々に歯車が回り始めていく中、多くの企業が頭を悩ませているのが「働き方の新しいスタイル」への対応であろう。  専門家会議の提言では、新規感染者数が限定的となった地域においても、再度感染が拡大する可能性があり、長丁場に備え、感染拡大を予防する新しい生活様式に移行していくことを求めている。厚生労働省の公表した「新しい生活様式」の実践例は、この専門家会議の提言を受け、「働き方の新しいスタイル」として、具体的に、テレワークやローテーション勤務、時差通勤、会議のオンライン化、名刺交換のオンライン化などの取り組みが挙げられている。  この「働き方の新しいスタイル」について、"コロナ前"の時点で、導入している企業と、全く導入していない(あるいは一部導入にとどまる)企業は、圧倒的に後者の方が多かっただろう。それが、この緊急事態宣言の間に、凄まじい勢いで導入が進んでいる。Zoom社によれば、昨年末に1,000万人程度だった1日あたりの会議参加者数は5月には3億人にまで急増したとのこと。ほんの2~3ヶ月前までは「オンライン飲み会」なる言葉がメディアを賑わすほどになるとはだれが想像しただろうか。  このような状況で、最大の課題は、単にリモートワークや会議のオンライン化を推し進めることではない。これまでに多くの企業が経験したことのない働き方に急速にシフトすると同時に、社員のモチベーションが高い状態を維持し、"コロナ前"と同等以上の成果を上げなければならない、ということにある。  特に、直接コミュニケーションの減少は大きな問題だ。社員の業務の遂行状況、健康、メンタルの状況について、相互に把握すること困難になることで、特定の人に負荷が集中してしまったり、逆に稼働が少ない社員が出てきたりする。また、働き方が変わる、ということは、必要とされるスキルやマインドも変わるということであり、それらが従業員のパフォーマンスに大きく影響する。従来のパフォーマンスを発揮することができなくなる社員も少なくないだろう。  少なくとも当面の間は、完全に"コロナ前"の働き方に戻ることはない。とすると、この新しい働き方のスタイルで、社員はモチベーションを高め、維持できる状態になければならない。状況が大きく変化した今だからこそ、モチベーションサーベイや360度診断といったツールを活用し、組織と個人の状況を正確に把握することが重要だ。能力を発揮する人材は、何によって動機づけられているのか、また逆に、パフォーマンスを発揮できない人はどのようなデモチベート要因があるのか、といった要因分析から見えてくるものは今後の施策展開の検討において、極めて重要なヒントとなる。  社員一人ひとりが持つ能力を発揮し、目標を達成できるモチベーションを維持し続けられる環境を提供することで組織の経営戦略が実現されることは、コロナの前も後も変わらない。いくら便利なシステムやサービスを導入し、環境だけを整えても、そこで働く人々のモチベーションが考慮されなければ、画竜点睛を欠くということになるだろう。

意味はいらない? | その他

意味はいらない?

  異動したばかりの部署で作業の引継ぎを受けている人(Aさん)が、教える人(Bさん)に質問している。 A:「この作業ってなんか無駄だなぁ。なんのためにやるのかなぁ。やる意味を教えてくれない?」 B:「えッ? 私もそのようにしろと言われてやってきたので、知りません」 A:「だってどう見ても意味ないじゃない。そう思わないの?」 B:「考えたこともありません」 A:「!?・・・・・」  「なんのための作業か」を知らぬまま作業するBさんの問題とは、あきらかにBさんの上司の問題である。作業の「目的」や「意味」を必ず教えることが「正しい業務指示」の鉄則だからだ。目的がわからなければ、やりきる意欲もでないし応用も効かない。そもそも、作業者に責任感や主体性を求めていないか、そのことに気づかない無能な上司ということである。  しかしそれ以上に不気味なのは、Bさん本人である。何のためにやるのか=目の前の仕事の意義や意味、を知らずして人は働けるものなのか。まず目的を語れ、というのが業務指示の鉄則だというのも、そもそも人は、「仕事の有意義感によって仕事に前向きに臨める」というコトワリが前提されているからなのだ。  報償や強制によらず人をやる気にさせる要因(=内発的動機づけ要因)の最たるものは、「仕事そのもの」といわれる。仕事自体の面白さや魅力だったり、社会や会社への貢献実感だったり、キャリアアップにつながるからモチベーションがあがる。要は自分の目の前の仕事に「意味」があればいい。たとえばモチベーション論でよく知られるハックマン=オルダムの5つの職務要件でいえば、 ①Skill Variety  ②Task identity  ③Task significance の3つが、「意味ある仕事」の条件だ(残りの2つは、④Autonomy ⑤Feedback)。  平たく言えば、 ①自分の複数のスキルが生かされると実感でき ②仕事の全貌がわかり、担当職務の位置づけを理解していて ③重要性 (社会にとっての、自社にとっての、自部門にとっての、あるいは協働する仲間達にとっての…)がわかっている。  とくに大事なのは、②Task identity。たとえ分業の一端を担っている単純作業だとしても、仕事の全体像と関連する他職務との関係のなかでアイデンティファイされることで、人は自分の職務の有意味感を得る。そもそも「大人」とは、自身の状況を意味づけ関係づけないと生きていけない事情があるから、このようなモデルが成立するのだ。  赤ん坊が外界の刺激にさらされていく中で、意味や関係のなかでモノゴトを秩序づける修練を積んでいくことが、人の精神発達=つまり大人になるメカニズムである。そのように大人、つまり社会的存在になった人は、なにごとにも、意味や関係を見出そうする。もはや、無意味には耐えられないはずなのである。  大人であるはずのBさんはしかし、自身の職務遂行に際して、職務の意味を必要としなかったということである。  さて、Bさんをやる気にさせるにはどうしたらよいか。もしかするとBさんは、社会性や共同性(=関係の中での意味づけ)をはぐくむよりも、自身への関心や自分の流儀に閉じがちな成長をしてきたのかもしれない。だとすると、彼をその気にさせるボタンは、むしろ自己完結性の強化にこそあるのかもしれない。  さきのハックマン=オルダムの説でいえば残りの二つ、④Autonomy ⑤Feedback、自律性と結果の確認である。自分のやり方で業務をすすめ、都度、結果がどうなったかがわかる――仕事の全貌や意義ではなく、切り取られた目の前の職務だけについて自分の流儀で結果を出せること。そうした自己完結的な業務遂行がBさんのモチベーションにつながるのではないか。  というのはまったくの仮説である。ただ、Bさんタイプはときに作業者として優秀で高いパフォーマンスを出したりもするから、なにか定石どおりではない業務指示でモチベートする必要があるはずだ。もしかすると、Bさんの上司は無能どころか、多様性を踏まえて、たとえばこのような仮説を実践する手練れの管理職なのかもしれない。

Web会議は疲れる⁉ | モチベーションサーベイ

Web会議は疲れる⁉

 最近のコロナ禍で、オンライン会議といわれるWeb会議が非常に増えました。このWeb会議だと、会社に行かなくても自宅からだし、移動時間がなくなって良かった、出席する負担も軽いはずだし、時間を効率的に管理できると考えていたが、1日に2回、3回実施するとリアルで会議や商談をするより、はるかに疲れるなぁと思うようになったのです。連続でこなそうものなら、疲労がピークに達する場合もあるほどです。  なぜWeb会議は、リアルの会議に比べてこれほど体力や精神力を必要とするのでしょうか。web会議の場合は、参加者全員とコミュニケーションをとる必要があり、相手の言っていることや考えていること、表情をすべて理解しなければいけないという意識が働くわけです。そのため、いつも能動的なスタンスで、画面に向かいます。さらに映る背景を気にしながらカメラにいいポジションでという意識から、同じ姿勢で固まったままになりがちです。  通常の会議であれば、何人か出席していたとしても、自分が発言している時は他の参加者は、その他大勢となるので、参加者の顔は見えるが、個々の表情にまでそんなに意識を向けなくても良いのです。つまり会議全体の「雰囲気」さえ把握していれば問題ないのです。  ところがweb会議では、遮断された「雰囲気」をできる限り摂取しようと画面を通して伝わってくる情報に目や耳を集中させることが必要になります。「全参加者分の個別ワイプ画面」と対峙することになる状況が続き、たくさんの顔と向き合うと、一人ひとりの表情や動作が非常に気になるという事態が発生します。いろんな顔に目を向けることになるし、さらに、共有された資料も見ながら常に集中し続けているし、情報が多すぎて整理できない。この高度な集中力を要求されることが、web会議後のなんとも言えない「疲労感」につながっているのではないかと考えるのです。  今後、Web会議に疲れていると自覚しているのであれば、ツールの使い方の工夫が必要です。たとえば、出席者の確認をしたら、あとはカメラ映像をOFFにしてしまうとか、時間を思い切って短く設定するとか。テレカン(teleconference)のように複数人で電話会議をすることは前から実施しており、映像を使わないことがあります。音声だけでも十分にコミュニケーションはできるはずです。映像というツールが使えるからついつい表情も見たくなり、映像は常にONにという暗黙のルールや圧力を感じるときもありますが、実務的な打ち合わせなどでは、顔よりも資料に目線を集中させた方がはるかに効率的なこともあるのです。  今後もweb会議はますます発展していくことが予想されます。すでに会議だけでなく、集合型の研修をWeb型研修に切り替えるケースも増えてきているし、web会議にしかない良さ、冒頭にあげたような「効率」の面では圧倒的に便利です。その一方で、対面での会議でも、これからweb会議がどんどん合理的なツールになれば、「非合理的な」コミュニケーションの手段として残って欲しいなと思います。  リモートワークに体が慣れてないうちは、いろいろ大変なことも多いです。会社でなく家にいるからといって、決して楽ではないわけです。充実したリモートライフを送るためにも、気づいたことがあればいろいろと工夫していきたい。それぞれの良さを踏まえたうえで、場面に応じた使い分けが大事ですから。