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コラム

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ライタープロフィール

南城 三四郎
南城 三四郎(なんじょう さんしろう)

大学卒業後、建設系専修学校にて、都市計画、情報処理関連学科の教員として、講義、学生指導を行う。その後、IT企業にてサーバー、ネットワークの保守・運用業務のほか、スマートフォンアプリ、Webサービスの企画、開発を担当するとともに、人材育成担当マネージャーとして社員教育に従事した後、現職。

学びのポイント | 人材開発

学びのポイント

 ある企業で技術職として採用された新人のOJTでの話だ。  OJTトレーナーが今週一週間の業務経験からのどのような学びが得られたか、特に重要と思うものは?と聞いたところ「書類を届けるため初めてひとりでA社へ往訪しました。その経験からA社へ行くときは○○駅から歩いて行った方が早いという学びがありました」とのこと。技術職なのにその視点はさすがにおかしいだろう、それに初めてひとりで客先を訪問するという経験からはもっと他に学ぶべきポイントがあっただろうになぜそこなのか、さすがに空いた口が塞がらなかったそうだ。  これは経験からどのような教訓を引き出すか学ぶべきポイントがずれている極端な例だが、往々にして、経験が少ない者ほどそういう傾向がある。物事をとらえるときに思考のバリエーションが少なく近視眼的になりがちなのである。また、新人に限らず、問題の原因を深堀するのが苦手、議論の場でポイントのずれた発言をしてしまうといった人がいるがこれも同じような課題を抱えている可能性が高い。共通する解決策は物事をとらえるときの視点、視野、視座を意識させることである。  視点とは見るべきところのことであり、一度特定の箇所に注目してしまうと他のところに目が行きにくい。この新人のケースであれば、往訪する際にどのような準備をしたか、客先ではどのような会話があったのか、といった他の視点があることを気づかせることだ。  視野は、単に書類をお届けするということだけに限らず、相手企業と当社はどのような関係か、この書類を届けた後の仕事の流れはどうなっているか、など範囲を広げて考えることである。  視座は物事を見る立ち位置のことで、自分以外の立場に立って考えることだ。書類を持たせた先輩社員の立場、書類を受け取った担当者の立場などに立って考えるのである。  物事の視点、視野、視座を変えることで物事の本質が見えやすくなり、学ぶべきポイントが浮かび上がってくる。勘所は自分自身で自分の頭で考えることである。他者から言われたことは情報としてインプットはされるが、学びにはなりにくい。自分で考えてこその学びなのであり、そこに導いていくのが先輩社員の腕のみせどころとなるわけだ。  さて、OJTトレーナーを唖然とさせたこの新人、現在は中堅社員となり自身もOJTトレーナーとして新人の育成にあたっている。当時の話をしたところ、「いやー、あれは往訪時間ギリギリになってしまったので先輩に聞いたら○○駅から歩いた方が早いと言われまして、それからは都内で効率よく移動するためには往訪先の最寄駅の情報だけじゃなく、地図上での位置も把握しておかないといけないなと思い、都内の鉄道・地下鉄の駅・路線の位置関係を覚えたのですが、今でも結構役に立ってますよ。」とのこと。本人に聞いてみれば思いのほか自分なりに考えていたようではあった。

無事之名馬 | 関連制度設計

無事之名馬

 もはや耳にタコではあるが、日本は少子高齢化の進行により、労働力人口の急激な減少がしており、今後、国内のあらゆる企業において、労働力の不足が大きな人事課題になることは確実である。不足する労働力を確保していくためには、外国人労働力、女性、定年延長・再雇用などで労働力を維持していくことが必要となるが、この定年延長という取り組みに関して、新たな問題として考えられるのが、健康の問題である。  企業は、従業員の健康を維持することに投資し、従業員は、今まで以上に健康を維持するための運動習慣、食生活の改善に取り組むことが求められるようになる。60歳を過ぎても、できるだけ健康な状態で過ごすことによって、医療・介護にかかる費用を押さえていくことが、国民全体の負担の軽減につながり、社会保障の持続可能性を高めることにもなる。個人にとっても国家にとっても望ましいのである。   健康の維持推進というと、まず、”疾病”にならないための衛生水準を確保するということ、感染症対策や食品衛生などである。この点に関しては、清潔な住環境、徹底された食品の衛生管理など、日本は国際的にみて高いレベルを維持しているといえるだろう。  しかしながら、これから訪れる強烈な高年齢社会を実現していくためには、これに加えて、私たち自身も、運動習慣や食生活の改善に積極的に取り組み、生活習慣病の発症や重症化を予防していかなければならない。  近年、企業としても従業員の健康に関する取り組みを支援する動きが活発になってきた。健康経営の事例としてよく上げられる、ジョンソン・エンド・ジョンソンの取り組みであるが、グループ250社、約11万4000人に健康教育プログラムを提供し、その投資に対するリターンを試算ところ、投資1ドルに対して3ドル分のリターンがあったとされている。従業員の健康に対する取り組みを支援することが、企業としての価値を高め、業績の向上にもつながるということである。  現在の国内企業の主な取り組み内容としては、禁煙推進、成人病の高リスク者へのカウンセリング、ノー残業デー、健康教育などが多いが、今後はさらに強化されていかなければならない。業務に必要とされる知識やスキル、を習得し続けなければならないことはもとより、その技能を長期間にわたって、いかんなく発揮し続けるだけの肉体・精神の頑健さを維持していかなければならない。「無事之名馬」がこれからの日本人が目指すべき姿なのである。  ちなみに、「無事之名馬」という言葉は、競走馬の世界において、多少能力が見劣りしていようと、常に健康であってくれることが馬主にとって望ましい、ということを表す言葉であるが、大前提として、競走馬とすべく生産されたすべてが競走馬になれるわけではなく、選び抜かれた真に強い馬のみがレースに出走し続けることができる世界である、ということを理解しておかなければならない。

学び続ける日々 | その他

学び続ける日々

 「職場とは、仕事の成果を上げる場である」かつて、そのように教わったことがある。 スポーツに例えると、職場は実際に仕事をして成果を上げる試合の場であり、勉強や仕事を行う上で必要な知識を習得するのは練習である。練習は試合の合間に行うものだから、試合の場である職場で練習(学習)をしているようでは、そもそも試合を捨てているようなものだ、試合に臨むのであれば、日々自らを磨き上げる努力をし続けなければならない。というわけである。  そういわれ続け、プライベートでも仕事のことを考えなければならないのか、と憂鬱な気にもなったものだが、確かに職場だけではなかなか学習する時間が取れない。プライベートの時間を割いて"練習"をしなければ成果に結びつかない、ということはすぐにわかった。  調べたわけではないので、正確な割合はわからないが、ここで人は大きく2つのタイプに分かれると思っている。プライベートの時間を削って、練習の時間にあてることができる者とそうでない者だ。平たく言えば、自分で勉強する人と、しない人、ということである。勉強をしない人も、勉強が重要であるということは理解しているのだが、実際にすることができない、というのは、勉強や練習という行為の特性によるところが大きい。すなわち、成果がなかなか目に見えない、ということだ。  学習したことは脳にまずは短期記憶として記憶されるが、この短期記憶は、1日たてば70%以上失われると言われている。やってみても覚えられない、身に付かない、成長している実感が得られないともなれば、勉強なんてやりたくない、となるのも仕方がないかもしれない。忘れないためには、日々繰り返し反復して学習することが重要なのである。  自分で勉強する人としない人を1週間、1ヶ月間という短い期間で見ると、両者にあまり差は生じない。仕事の中でもある程度は学習ができるので、自分で勉強をしなくても一定の成長はできるからである。だが、日々の勉強を続けることで、効果は着実に積みあがっていく。数年も経過すればその差は歴然となり、学ばざるものには、もはや容易には追いつくことができないほどの差が生まれるのである。  とはいえ、短期的に成果が見えないことに取り組む、というのは継続することが難しい。ダイエットがうまくいかないのと同じだ。自分がどうありたいか、半年後、1年後にこうなっていたい、将来のイメージを具体的に、かつ明確にもっていないと続かない。ゴールを常に意識し続けることが重要なのは言うまでもない。  かつては、職場で勤務時間は自らの業務を行い、仕事が終われば、研修や有志の勉強会に参加したり、書籍やネットで情報を収集して学習するといった学習スタイルが主流であったと思う。しかし、コロナ禍において、人が集まって学習するということが難しくなった現在、代りにネット上のバーチャル空間が学習の場として拡大してきている。学びの場や機会は以前より増えていると捉えるべきだろう。  このような学習リソースを活用するものとしない者ではいずれ大きな差が生じることになるだろう。職場という概念が希薄になり、試合と練習の区別があいまいになりつつある現在、"練習不足”にならないよう、今まで以上に、自ら、効率よく学び、かつそれを継続し続けることが重要な時代になったのである。

ターニングポイント | その他

ターニングポイント

 東京都が都内の企業を対象に行ったリモートワークについての調査によると、2020年6月時点の導入率は57.8%と昨年の25.1%から大幅に上昇しており、大企業だけでなく中小企業においてもリモートワークの導入が進んでいることを示している。リモートワークの導入については、以前から政策や自治体のアクションプランにおいて、大きなテーマとして取り上げられてきていたが、新型コロナウイルスの感染拡大という予想もしていなかった外圧によって、ついに企業も本格的な導入に踏み切ることになった。  人口減少・少子高齢化に伴う労働力の減少、雇用構造の変化、また、テクノロジーの革新など、現在、企業を取り巻く環境が劇的に変化していくなかで、働き方や組織の制度もこれ合わせて変化していくのは当然のことだ。例えば、リモートワークの導入を進める企業においては職務・成果型の人事評価制度への移行を進める企業が増えている。従来の能力・行動評価が中心の評価では、上司が部下の職務行動やそのプロセスを観察することができず、職務・成果物自体、あるいは成果指標の達成度で評価しなければならないため、従来の職能型の人事評価制度では対応が困難であるためだ。  働き手は、リモートワークの導入が進むことによって、通勤や移動時間が削減できたり、自身や家族との時間を確保できるようになって、ワークライフバランスを実現しやすくなることや、自身の空間で作業に集中できるといった利点がある一方で、これまで以上に仕事の目的を的確にとらえ、自分自身で業務を計画・遂行する、強い自主性が必要となる。人材育成のスタイルも、これまで企業が主体となって提供していた人材育成プログラムから、自らが学習プログラムを選択し、専門性を追求するものとなっていくだろう。個人が成功するためには、自身が明確にキャリアをデザインし、計画的に知識・スキルを習得していくことが重要になるのである。  雇用の面では、これまでのメンバーシップ型雇用から、ジョブ型雇用へのシフトも進んでいくことで、今後は、高度な技術やスキルを有した人材が、副業や兼業により、複数の企業でその能力を発揮するようになったり、フリーランス人材との業務委託が進み、不足する労働力に対応していくことになるだろう。特定の企業に"就社"するのではなく、文字どおり、職に就く"就職"が実現するようになるのである。  このような企業や職場といった場所や時間にとらわれない働き方は、働き手の利便性や、満足度を向上することだけが目的ではない。働き方の自由度が増す、ということは企業人事の取れる手段の自由度も増すということであり、企業にとっては、経営戦略の実現のために必要な労働力を確保するための手段となる。今までのような、日本型○○というような画一的な組織構造、制度、働き方を維持するだけでは、この変化に対応する術を自ら放棄することになる。これからの企業人事は、過去に例のない大変革を強いられることになるだろう。その劇的な環境変化の中においても、企業が存続し続け、さらには安定した成長を実現していくためには、これらの働き方を実現するための準備、組織づくりを迅速に進めていくことが最重要課題だ。従来の制度から新しい制度への変革、今まさにそのターニングポイントを迎えているのである。

いつまで使う?電子メール | その他

いつまで使う?電子メール

 現代のビジネスシーンにおけるコミュニケーションツールといえば、筆頭はやはり電子メールだろう。コストがかからず、相手の時間も拘束せず、あとからやり取りの履歴を追えるといったメリットはビジネスにおいて非常に有益である。  だが、電子メールがビジネスで利用されるようになって約30年がたち、ビジネス環境もだいぶ変わってきた。日頃、電子メールのやり取りをしていて、正直、使いにくい、と思う点が目につくようになってきた。少なくとも、人対人のコミュニケーションで用いるツールとしてはかなり問題が多いのではないか、と思うのである。いくつか例を挙げると、 1.関係のないメールが多すぎる  登録した覚えないメールマガジンや、情報共有という名目でCCに入れられたメールが多く、とにかく処理に時間がかかる。  総務省の調査によれば、主要通信事業者が送受信している電子メールの約50%は迷惑メールだそうだ。 2.受信したメールを振り分けるのが面倒  様々な業務のメールが同じ受信トレイに入ってくるので、適切に振り分けないとどんどん埋もれてしまう。また、日々新たな振り分け設定をするのが非常に面倒だ。 3.多人数でのやり取りがやりにくい  CCでの情報共有に頼らざるを得ず、メールの量がますます増える。 4.相手がメールを読んだかわからない  送った後に相手に届いたか、実際に読んでもらえたかわからない。メールを送った後に「今、お送りしたメールの件ですが……」と電話をかけて確認したりすることもしばしばである。  など、一通ずつ丁寧に処理していたのでは、時間がかかって仕方がない。コミュニケーションのスピードという点に関して電子メールはかなりイケてないツールであると感じる。 B2BやB2Cのコミュニケーションや、サービス、アプリケーションからの通知などの用途に関しては、これからも電子メールが主体であるり続けるであろう。だが、やり取りの頻度が高く、スピード感が求められる社内のコミュニケーションやプロジェクトメンバー間でのコミュニケーションは、ビジネスチャットでのやりとりが中心となり、必要であれば即オンラインミーティングを行うなど、目的や用途に応じて、適切なコミュニケーションツールを選択していく必要がある。もはや、社内での電子メールの利用を禁止する、という企業も出てきているぐらいだから、早々に電子メールにのみに頼ったコミュニケーションから脱却しなければならない。  コロナ禍の中で、リモートワークの利用が拡大することにより、電話、メール、ビジネスチャット、オンライン会議などさまざまなコミュニケーションツールを利用する機会が増えている。それぞれのコミュニケーションツールの特性をきちんと把握し、目的用途に応じたツールを選択し、それを使いこなせるようになることが、現在のビジネスコミュニケーションにおいては必須のスキルなのである。

新しいスタイルへの対応 | その他

新しいスタイルへの対応

 ようやく、東京都の緊急事態宣言が解除された。安倍首相が「戦後最大の危機に直面している」と述べた日本経済も、徐々に歯車が回り始めていく中、多くの企業が頭を悩ませているのが「働き方の新しいスタイル」への対応であろう。  専門家会議の提言では、新規感染者数が限定的となった地域においても、再度感染が拡大する可能性があり、長丁場に備え、感染拡大を予防する新しい生活様式に移行していくことを求めている。厚生労働省の公表した「新しい生活様式」の実践例は、この専門家会議の提言を受け、「働き方の新しいスタイル」として、具体的に、テレワークやローテーション勤務、時差通勤、会議のオンライン化、名刺交換のオンライン化などの取り組みが挙げられている。  この「働き方の新しいスタイル」について、"コロナ前"の時点で、導入している企業と、全く導入していない(あるいは一部導入にとどまる)企業は、圧倒的に後者の方が多かっただろう。それが、この緊急事態宣言の間に、凄まじい勢いで導入が進んでいる。Zoom社によれば、昨年末に1,000万人程度だった1日あたりの会議参加者数は5月には3億人にまで急増したとのこと。ほんの2~3ヶ月前までは「オンライン飲み会」なる言葉がメディアを賑わすほどになるとはだれが想像しただろうか。  このような状況で、最大の課題は、単にリモートワークや会議のオンライン化を推し進めることではない。これまでに多くの企業が経験したことのない働き方に急速にシフトすると同時に、社員のモチベーションが高い状態を維持し、"コロナ前"と同等以上の成果を上げなければならない、ということにある。  特に、直接コミュニケーションの減少は大きな問題だ。社員の業務の遂行状況、健康、メンタルの状況について、相互に把握すること困難になることで、特定の人に負荷が集中してしまったり、逆に稼働が少ない社員が出てきたりする。また、働き方が変わる、ということは、必要とされるスキルやマインドも変わるということであり、それらが従業員のパフォーマンスに大きく影響する。従来のパフォーマンスを発揮することができなくなる社員も少なくないだろう。  少なくとも当面の間は、完全に"コロナ前"の働き方に戻ることはない。とすると、この新しい働き方のスタイルで、社員はモチベーションを高め、維持できる状態になければならない。状況が大きく変化した今だからこそ、モチベーションサーベイや360度診断といったツールを活用し、組織と個人の状況を正確に把握することが重要だ。能力を発揮する人材は、何によって動機づけられているのか、また逆に、パフォーマンスを発揮できない人はどのようなデモチベート要因があるのか、といった要因分析から見えてくるものは今後の施策展開の検討において、極めて重要なヒントとなる。  社員一人ひとりが持つ能力を発揮し、目標を達成できるモチベーションを維持し続けられる環境を提供することで組織の経営戦略が実現されることは、コロナの前も後も変わらない。いくら便利なシステムやサービスを導入し、環境だけを整えても、そこで働く人々のモチベーションが考慮されなければ、画竜点睛を欠くということになるだろう。

あふれかえるデータが判断力を鈍らせる | その他

あふれかえるデータが判断力を鈍らせる

 インターネットが普及し始めた1990年代後半からの情報技術の急速な発展が、職場環境や働き方をどれだけ変えてきたか、もはやネットのない世界なんて知らない世代もいるぐらいだから、遥か昔のことのように感じるが、たかだか20数年間のことだ。私たちは既に驚異的なレベルの働き方改革を体験してきているのだ。  情報技術の目覚ましい発展により、個人で大量の情報を容易に得られるようになった一方で、日常的に処理しきれないほどのデータにさらされるようになった。ビジネスパーソンは「何かを探す」という行動に年間に150時間もの時間を費やしているといわれているが、机の引き出しから資料を探したり、PCやファイルサーバのファイルやフォルダ、大量に貯まったメールなど、膨大なデータの中から必要なデータを探し出したりするのは、想像以上に仕事の生産性に悪影響を与えていると考えた方が良い。  人には意思決定を長時間繰り返すと判断の質が低下する「判断疲れ」という現象があることが知られている。スタンフォード大学のジョナサン・レバーブ教授らが、裁判所の仮釈放委員会の「服役中の囚人を仮釈放すべきか」という決断について分析を行った実験によると、午前の初めの方に審査した囚人に対しては仮釈放を認める率が高く、時間が経過するにしたがって仮釈放を認めなくなる傾向がみられるという。つまり、重大な判断を続けて行うことでエネルギーを使い、後半は「判断疲れ」に陥ったというわけである。この例ほどではないだろうが、探したり調べたり、という作業も取捨選択、判断を伴う作業であるから、長時間繰り返すことによって、判断の質の低下が生じることが想像できる。つまりビジネスにおいて、重要な判断をしなければならない者は、極力無駄な判断をしない、というのが合理的なのである。かのスティーブ・ジョブズも常に黒のタートルネックシャツを身に着けていたのは「今日は何を着るか」という選択に頭を使いたくなかったから、と言っていたのは有名な話だ。  人間の生物学的な特性を変えることはできない以上、企業はこのような付加価値を生まない時間を削減し、社員が判断力のレベルを維持しやすい職場環境を整備しなければならない。近い将来、業務システムで扱っているようなデータだけでなく、画像や音声、Web上の口コミ情報、メール、SNSのログといった、従来のシステムでは分析が難しかったような種類のデータも収集・蓄積し、利用者の目的に応じて処理をすることができるようなデータマネジメント基盤が整備されるようになる。分析、将来予測といった業務が人工知能に置き換わっていくことが予想されている中で、人は高度な判断力が求められるようになるだろう。先進的な企業はすでに、そのような取り組みを進めており、成果を出しつつある。まだ着手していない企業は、組織内の情報を整理、蓄積し活用するためのデータマネジメント基盤を整備することが急務なのである。  余談ではあるが、上述の仮釈放委員会の実験の結果から、上司へお伺いを立てたり、あるいは採用面接を受けたりするのであれば、できるだけ早い時間帯、できれば朝一番の方が、エネルギッシュな上司や面接官の好意的な判断を期待できるかもしれない。

演技力を鍛える | その他

演技力を鍛える

 管理職に求められる能力で重要なものはなにか?と問われたときに、実はこれが最も重要なのではないか、と常々思っている能力がある。それは「演技力」である。  子供のころに学芸会の演劇で、何かの役を演じたことがある方は、おそらく、本番で恥をかかないよう、一生懸命、台本のセリフを覚え、いかに間違えないように読めるか、ということに注力していたことだろう。そのため、”演技”というと、セリフを覚えて台本のとおりに振舞うことをイメージするかもしれないが、ここでいう”演技”とはもちろんそういうレベルのものではない。  演技においては、発声の仕方、表情の作り方、表現の仕方など、様々なスキルが求められるが、プロの俳優と我々のような素人では、まず役作りに対する力の入れ方が違う。台本を隅々まで読むのは当たり前。例えばドラマの刑事役であれば、自分が追っている事件は何か、捜査の状況はどうか、これまでの自分の仕事ぶりはどんなであったか、相棒はどんな性格の人物か、などなど、自分が演ずる人物の背景、現在どのような状況に置かれているか、を把握することから始める。そのうえで、どのような振る舞いをする人物なのか、詳細なイメージを作り上げるのである。必要であれば、取材もするし、時にはリアルさを追求するため、整形手術を行う俳優もいるほどだ。そこまで精緻にイメージすることで、その役にはまった演技ができるようになるのである。  この役作りのプロセスを見ると、実はビジネスの場において、我々も同じようなことをしていることがわかる。任命されている職位、役割を務めるためには、まず、その役割を深く理解しなければならない。自社は業種・業界ではどのような位置にあるのか、直近の売上はどうか、どのような課題があるか、課せられた業務の目的を理解した上で、どのような言動が求められているか、という役(人物像)を作り上げ、その役というフィルタを通して、物事を判断し行動するのだ。管理職に就く者は、役を務める能力、演技力が求められているのだ。  良い演技をするためには、周囲の協力も必要だ。自分の視点だけで役を作ったり、表現していたりしては、NGを出してしまう。俳優であれば監督、社員であれば上司や部下からの指摘(フィードバック)を受け、自身の役作りに反映し続けていくことで演技力は向上していく。さらに極めていくと、その役が憑依、あるいは融合するということが起る。映画やドラマの撮影が終わった後の「まだ役が抜けない」という俳優のコメントは、役を演じているうちに、その役が自分の一部になったことを示している。最初は意識しなければできなかったことが、自然と行動に移すことができるようになる。言い換えると、演技が実力になったとも言える。  よく、「立場が人を育てる」という言葉を聞くが、単に立場(役)を人に与えただけで、その人が成長するわけではない。その役に見合った人物になりたい、という本人の意思と、その役を演じる能力、すなわち演技力によってこそ、人は成長するのである。

抽象的思考力を鍛える | 人材開発

抽象的思考力を鍛える

 会議の場などで、「説明が抽象的すぎてわからない。もっと具体的に話せ!」と指摘を受けた経験のある方は多いだろう。この抽象的な表現というのはコミュニケーションの場において、ネガティブな意味で使われるため、仕事の上でも、“抽象的”はダメで“具体的”でなければならない、と勘違いをしている人は少なくない。ところが、実際のところ仕事のできる人間というのは、漏れなくこの物事を抽象化して捉える能力が高い。なぜなら、仕事というのは常に何かしらの意思決定が必要であり、そのためには抽象的思考力が必要不可欠だからである。  抽象的思考力とは、重要なポイントだけを抜き出し、不要な部分は捨てて物事を把握する、すなわち物事の本質を捉える能力である。例えば、料理をする際に、「フライパンに材料をのせて中火で3分焼く」、というように手順で覚えていると、次に同じような料理を行う際に、食材の分量によっては焦げてしまったり、生焼けになったりするかもしれないが、「材料に火が通るまで焼く」と覚えていれば、そのような失敗はしない。  この抽象的思考力は、人間の学習において大きな役割を果たしているといわれている一方で、その仕組みはよくわかっておらず、機械学習においても再現することができていない。過去に起こった事象から、これから起こるだろう事象の結果を予測するのが機械学習だが、人間の知能には遠くおよばないのが実際なのである。いやいや、囲碁や将棋では、もう人間は人工知能に勝てないじゃないか、という人もいるかもしれないが、機械学習のアルゴリズムは、基本的には大量のデータから傾向を探る、という手法であり、ある分野の学習をするためには、人間よりもはるかに膨大なデータを必要とする。また、ある分野での学習を別の分野で活かすことも苦手だ。つまり、機械学習は人間の学習能力のうちの、ある一部分で人間を上回る能力を発揮しているが、人間以上の知能を有しているわけではない。電卓が人間の計算能力を上回る能力を発揮しているが、人工知能とは呼ばないことと同様である。  今後、様々な作業が人工知能に置き換わっていくことが予想されている中で、この抽象的思考力こそ、人が鍛えるべき能力と言える。抽象的思考力は単に経験を積むだけでは鍛えられない。地道なトレーニングが必要だ。ただやみくもに考えればよい、というわけではなく、要は何なのか、を文章にしたり、図式化して考えたりする、ということを習慣づける必要がある。要点を箇条書きにする、ということも立派なトレーニングになるし、会議の議事録作成は、仕事の理解と抽象的思考力の両方が強化できるので、新人には特におすすめだ。中途採用において、業界の異なる人が活躍できるかは、その人が自身の職務経験や業務の知識を抽象化して捉え、それを汎用的に活用できる能力を持っているかがポイントとなる。これからの採用においては、面接の際には経験や実績でも、言語能力や計算能力でもなく、抽象的思考力を見るべきだろう。  冒頭の会議の例では、物事を正しく抽象化できていないからこそ、わかりやすい具体的な説明ができない、と考えるべきだ。正しくは、「具体的に話せ!」ではなく、「抽象化できているか?」なのである。

マイクロマネジメント | その他

マイクロマネジメント

 部下に業務を指示したが、どうもうまく進められていない、求める品質に達していない。結局、上司が自分で引き取ってやってしまう。というのは割とよくある話だ。上司の言い訳としては、「自分でやったほうが早い」、「品質が低くてこれでは納品できない」など、いろいろあるだろうが、要は、部下にその業務遂行能力がないと思い込んでいる、部下のことを信頼していない、ということである。  上司が部下を信頼できなくなると、こんなことを始めることがある。毎朝、その日の業務について、部下と打ち合わせを行い、今日やらなければいけないことひとつひとつについて、手順を細部まで確認する。打ち合わせの締めには、部下がちゃんと理解したか心配なので、再度、手順を復唱させたりする。さらには、適宜、作業の進捗状況を報告させ、そこで問題があれば、対応方法を細かに指示する。1日が終われば、何がどこまで終わったか、予定通りにいかなかったのは何が原因か、などこれまた細かに確認し、では、明日どうするか、といった具合だ。  このような管理手法を「マイクロマネジメント」という。上司からすると、部下に対して細かに指示しており、業務を適切にマネジメントしているような気になるのだが、部下からすると堪ったものではない。自分の意見や感情は封殺され、言われたままに仕事をしなければならない。その結果、指示されたことがちゃんとできても、それは上司のおかげ、もし失敗しても、それもまた上司のせいとなり、部下は主体的に行動することがなくなり、仕事に対する責任感も持たなくなってしまう。これは一種の「過干渉」だ。過干渉は子育ての世界では、親が一方的に自分の価値観を子供に押し付け、子の欲求を抑圧することだ。その結果、主体性の欠如、他責思考といった傾向がみられるようになる。過干渉は、精神的な虐待と位置付けられているほど、罪深いものなのである。  Googleの元人事トップ、ラズロ・ボック氏は、著書「ワーク・ルールズ!」の中で「リーダーが犯す過ちは管理しすぎることだ」と述べている。また、アジア開発銀行のオリヴィエ・セラット氏のこんな言葉を引用している。「マイクロマネジメントはミスマネジメントだ・・・人々がマイクロマネジメントに走るのは、組織のパフォーマンスに関する不安を緩和するためだ、つまり、他人の行動を絶えず監督し管理していると気が楽になるのだ―」  ちなみに、冒頭のエピソードは、いずれも私が新米マネージャーの頃の失敗談だ。初めて部下ができ、とにかく、部下をしっかり育てなければ、と気負っていたこともあり、いろいろな取り組みをしたものだ。きっかけは部下の些細な失敗であった。その失敗に過剰に反応し、自信を失った私はマイクロマネジメントに陥ってしまったのである。つまりは、マイクロマネジメントとは、部下のことを信頼していないだけではなく、上司自身の自信のなさの表れなのである。

恥ずかしいを乗り越えさせる | その他

恥ずかしいを乗り越えさせる

 ”聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥”、 “恥の上塗り”など、日本には恥に関する故事ことわざが多くある。よく日本人はシャイな人が多い、とか日本は恥の文化だ、などといわれているが、”恥ずかしい”は日本人だけのものではない。西洋でも“Better to ask the way than to go astray. “(道に迷うより、道を聞いた方が良い)ということわざがあることからわかるように、万国共通、人に聞くのは多かれ少なかれ恥ずかしいことなのだ。  人に聞くという行為を恥ずかしいと思うのは、聞いた相手に「なんだ、こんなことも知らないのか」と思われてしまうのではないか?という気持ちが働いていると考えられる。自分の欠点や誤りを自覚して体裁が悪く感じるのである。だが、聞かれた人のほとんどはそんなことは思っていない、多くの場合、自分の思い込みに過ぎないのである。  人に意見を“述べる”ときも同様だ。集合研修などで、講師が受講者に発表してもらおうと挙手を求めることがある。ときには何人かパラパラと手が上がることはあるだろうが、大抵は、一斉に視線を手元のテキストに落とし、講師と目線を合わせないようにして、モジモジし始めたりするものである。せっかくの研修の場である、自分の考えを述べ、皆からフィードバックをもらった方が絶対にためになるのは誰でもわかっている。学ぶために研修に参加しているにも関わらず、恥ずかしいと思う気持ちが強いと、行動が制限されてしまうのである。  この”恥ずかしい”を乗り越えさせるには、”恥ずかしい”のハードルを下げるしかない。学生の時に部活で大勢の人の集まる場で、大声で自己紹介をさせられたり、一発芸や歌を歌わせられたりしたものだが、これはもう強烈に恥ずかしい体験だった。なぜ、こんなことをやらなければならないのか全く理解できなかったが、繰り返しやっているうちに、だんだんと恥ずかしいと思う気持ちが弱くなっていくのを感じたものだ。このようなやり方をどう捉えるかはいろいろな意見があるだろうが、確実に言えるのは、”恥ずかしい”というのは慣れればどうということはない、ということだ。  大勢の前で自分の意見を述べたり、プレゼンテーションしたりするのを恥ずかしい、と思う気持ちは多かれ少なかれ誰にでもある。そこで手を上げられるかどうかで、その後の成長には大きな差が生まれるのであれば、そういう時こそ手を挙げられる人物になって欲しい。そのためには、常日頃から、そういった機会を与え続けることが重要だ。最初は、しどろもどろになったり、どもってしまったりすることもあるだろうが。その経験こそが恥ずかしさを乗り越える力となるのだ。最近の若手社員はシャイだ、とか積極性が足りない、とか嘆くのは自分がそういった機会を与えることができていないのだ、ということを認識すべきである。

居残り勉強は非か? | その他

居残り勉強は非か?

 「若いころは、寝る間も惜しんで、仕事に打ち込んだ」「自宅には本や資料がないから、会社で居残り勉強の毎日だった」というのは、わりと良く聞く話だ。きちんと統計を取ったわけではないが、感覚的に40代以上の世代にそういう人が多いように感じる。 かつてはそのような勉強の仕方が奨励されていたり、そうしなければ1人前になれない、というような空気が確かにあった。  私自身も社会人になったばかりのころを振り返ってみると、会社のリソースを拝借してずいぶんと勉強させてもらったものだ。当時はOA化の掛け声のもとにPCが職場に導入されるようになってきたころで、入社したばかりの私の机の上には、これまで触ったこともないPCが置かれていた。実際の業務で使うのはワープロソフトぐらいであったが、これをうまく使えば面倒な仕事も楽々こなせるのではないか、と毎晩、会社に残って情報処理の学習をしつつ、業務での活用方法にとどまらず、どんな可能性があるのか、それこそ寝食を忘れて没頭していた時期があった。  だが、時代は変わり、今では自身の学習のためでも会社に残っていると、「業務もないのにダラダラ残っている」だとか、「会社のリソースを私物化している」とかで、服務規律、コンプライアンス違反に問われたりする。居残り勉強は是か非か?と問われれば、現在では間違いなく“非”なのだ。  さらに、現在のように、ビジネスの変化が激しい状況では、時間をかけて習得した知識・スキルが一瞬で陳腐化するリスクを考慮しなければならない。そして、今やっていることが活かせるシーンが今後も続くのか、ということを認識しておかなければならない。今まで以上に自身が学習すべきテーマを絞り込み、限られた時間の中で効率的に学習するというスキルが重要になるだろう。 自身を振り返ってみて、良いイメージのある経験が、やれルール違反だ、非効率だ、などといわれてしまうのには少々隔世の感があるが、今や会社に残って寝食を忘れてひとつのことに打ち込む、というような学び方は、要領の悪いダメ社員のレッテルを貼られてしまうのかもしれない。