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人事制度

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「指導と評価の一体化」 | 人事制度運用支援

「指導と評価の一体化」

 人事部門の方に、人事評価の運用についてどのような悩みがあるか聞いてみると多くの企業では、「部下を評価するのは難しい」という意見が多い。また、「評価によってどのように部下のモチベーションを上げればいいのか」と考える人も多いのではないだろうか。インターネットで“部下の評価の仕方”と検索すると、評価のポイントや評価文例なども出てくる。それほど評価に関するアドバイスへの需要は高い。  さて、今回伝えたいことは、評価と指導の一体化だ。評価だけにスポットを当てるのではなく、評価を今後の指導に生かすことについて述べたい。  なぜ評価と指導の一体化なのか。実は学校教育では、この言葉はよく使われる。文部科学省が作成している学習指導要領(いわゆる先生達の教科書)にも次のような記述がある。  “学校においては、計画、実践、評価という一連の活動が繰り返されながら、児童生徒のよりよい成長を目指した指導が展開されています。すなわち、指導と評価とは別物ではなく、評価の結果によって後の指導を改善し、さらに新しい指導の成果を再度評価するという、指導に生かす評価を充実させることが重要です。”  私の体験談を話したい。教師が定期テストを作成する際、いきなり100点満点のテストは作れない。10点の小テストを何度か繰り返し、生徒の解答を分析した上で、テストを作成する。だから、良いテストができるのである。  自分が学生でいる間は、このように先生達が考えているなどとは、恐らく微塵も思わない。重要なことは、誰しも学校という場でこの評価と指導を受けてきているということ。だからこそ、“指導と評価の一体化”の考え方は、企業でも通用するに違いないと考える。  評価で終わるのではなく、評価者は「なぜ目標達成できなかったのだろうか」「どんな指導が必要だったのだろうか」この問いに対する答えを考えた上で「次なる目標を設定する」ことにつなげた方が良い。なぜなら、このプロセスを繰り返すことで、評価だけでなく自分の指導の質も高まっていく。結果として、より良い人材育成につながるということである。  評価を受ける部下だけがそれを次に生かすのではなく、評価者たる自分もそれを生かす。“指導と評価の一体化”ができると、評価の在り方も変わってくるかもしれない。

鶏が先か、卵が先か ‐経営戦略と人材戦略の関連性‐ | 人事制度

鶏が先か、卵が先か ‐経営戦略と人材戦略の関連性‐

”組織は戦略に従う” ”戦略は組織に従う”  前者は1962年にアルフレッド・チャンドラーが提唱し、後者は1979年にH・イゴール・アンゾフ提唱した考え方である。 各企業が中長期計画を立て、その中長期計画の中には人件費、今後の採用計画等が当然の如く織り込まれている。 戦略を立てる順序としては、先に経営戦略、後に人事戦略を立てる企業が多い。”組織は戦略に従う”と言える。  VUCA時代と言われる今、予測困難な未来に対して経営戦略を立てることは困難を極め、 新型コロナウィルスによるパンデミックは、まさにその象徴と言えるのではないだろうか。  新型コロナウィルスが発生したここ1、2年で、クライアントからの相談は下記の様なものがあった。 ・リモートワーク下でのマネジメント ・設定した目標の下方修正 ・賞与原資の確保 ・雇用調整による人件費の削減 不測の事態への対応が後手に回った反省から、人事制度の設計だけではなく、人事戦略を考えたいという企業の相談が増えてきている。  多くの企業は経営計画を立てたものの、急激な環境の変化までは想定しておらず、経営計画の下方修正を余儀なくされ、それに伴い人事戦略の見直しを図る。中には複数のシナリオをプランニングし、この未曽有の事態に対処している企業もあるだろうが、その数は非常に少ない。“組織は戦略に従う”という考え方であれば経営戦略→人材戦略の構図に違和感はないのだが、VUCA時代において、この構図が正しいと言えるのか。  DX化、AI化が進み、ビジネスの潮流が非常に速く流れる中、競合他社との差別化に成功したとしても、その優位性は瞬く間に埋まってしまう。矢継ぎ早に新しい商品やサービスを企画しなければならないが、企画している間に競合他社が商品、サービスを提供し始めている。 ・MBO(Management by Objectives)では新たな商品やサービスは提供できない。我が社はOKR(Objectives and Key Results)を導入する! ・PDCAサイクルでは間に合わない。変化に対応するためにOODAループを活用する!  この様な声をよく耳にする。経営計画を実現するために、制度や仕組みを変更し、変化に対応していく体制を整えることは重要である。しかし、“経営戦略が下りてくるのを待ち、人事戦略を立てる”では間に合わない。先に記載した通り、長期的な経営戦略はこの様な時代では有り得ず、ビジネス変化に対応するために絶えず経営戦略を練り直さなければならない以上、人事戦略は経営戦略を先読みして作る必要がある。  人事部門に求められるものは、流動的な経営戦略にも対応できる人事戦略を立案することである。 つまり、“戦略は組織に従う”という考え方が非常に重要になってくる。 どちらが鶏でどちらが卵かではなく、人事戦略は経営戦略を実現するために立てられ、経営戦略は人事戦略に基づき立てる必要があると考える。  これからの人事部門の役割は、“経営のパートナー”としての役割が大きくなる。 しかし、企業が人を選ぶ時代は終わり、人が企業を選ぶ時代となった今、 “従業員のパートナー”であることも決して忘れてはならない。

「45歳定年」発言の何がいけないのか? | 人事制度

「45歳定年」発言の何がいけないのか?

 ※今回のコラムは、フリーランスのジャーナリスト吉田典史氏の執筆です。内容は個人によるもので、当社を代表するものではありません。 ============================================  この原稿を書く数日前、「45歳定年」発言がネット上で炎上していた。時事通信社によると、サントリーホールディングスの新浪 剛史社長が経済同友会の夏季セミナーにオンラインで出席し、ウィズコロナの時代に必要な経済社会変革について「45歳定年制を敷いて会社に頼らない姿勢が必要だ」と述べたという。  私の印象で言えば、「今さら感」がある。1980年後半には、著名な経営コンサルタントや経営学者が新聞やテレビで「40代の定年」を指摘していた。私は、そのころからこの指摘は正しいと思っている。各自が遅くとも40歳前後で会社員人生を振り返り、少なくとも次のことは会社側と話し合いをすべきだろう。   1,現在の会社に残るか否か   2,残るならば、どのようにして貢献するか   3,その具体的な仕事や実績  1から3についての合意形成を定年まで毎年1回はすべきだ。年に数回でもいい。合意ができないならば、つまり、会社の求める仕事や実績に応じられないと判断された場合は、次の対処が必要になる。   ・他部署への配置転換、職種転換   ・グループ会社などへの出向・転籍   ・賞与を中心に大幅な減額   40代になっても管理職になれない人や部下のいない管理職には、退職勧奨を盛り込むこともやむを得ない。活躍の機会はほとんどないだろうから、他社でチャンスを切り拓く道も考えたほうがいい。ただし、退職強要は不当な行為である以上、避けるべきだ。  「45歳定年」発言を批判する人は、会社を取り巻く状況にあまりにも鈍感ではないか。少子高齢化が加速する以上、日本経済や各市場の規模は確実に小さくなる。多くの企業の業績はダウンする。海外展開し、危機を乗り越えようとするが、難しい業種や職種はある。すでに海外市場で日本企業は苦戦を強いられている。管理職になれない人や部下のいない管理職を多数抱え、総額人件費が適性ラインを越えているのだから当然だろう。一方で、海外企業の日本への進出や競争は激しくなる。シェアを次々と奪われる。間違いなく、倒産や廃業、吸収合併などの再編は猛烈に増える。会社が真剣に生き残ろうとするならば、人事のあり方を大胆に変えざるを得ない。少なくとも、次の取り組みは必要になる。   1,総額人件費の厳密な管理、圧縮   2,役員報酬規定の明確化、役員数の削減   3,管理職への昇格の明確化、厳格化、管理職数の削減   4,年齢給や勤続給の廃止、役割給や業績給の基本給に占める比率を拡大   5,管理職定年(40代後半~50代半ば)の導入やリストラの実施、大胆な人事異動   6,一般職(非管理職)の削減、リストラの実施、大胆な人事異動   7,総合職を減らし、専門職を増やす  1~7までは、バブル経済が崩壊した1990年代前半には取り組むべきだった。私の取材の限りでは、2や3に今なお取り組んでいない会社のほうが多い。だからこそ、40代になっても管理職になれなかったり、部下のいない管理職にしかなれない人が多数いる。多くは60歳の定年、そして雇用延長が終わる65歳前後、もしかしたら70歳までいるだろう。その総数は、すさまじいものになる。それで経営が成り立つのか…。  想像の域を出ていないが、「45歳定年」発言の背景にはこのような危機感があったのではないか。本来は、新聞やテレビ、雑誌、ネットニュースは発言の真意や背景について冷静で、深い議論の場を提供すべきだった。それができないところにも、沈む国の深刻な現状が見える。

専門職とは何か | 人事制度

専門職とは何か

 専門職とは、どのような人材群だろうか。管理職にはならなかったが社内での経験がそれなりにある人材に対して、少し高めの処遇をするために設けている職群であったり、そうした人材と高度な専門性を有する人材が混在している場合であったり、会社により様々である。  人材を特徴ごとに区分する際につける名称は、会社の自由だが、「管理職にならなかった人材」と「その他の個別性が強く一把に括れない人材」をごちゃ混ぜにして専門職と呼ぶような会社も見受けられる。  このような「ごちゃ混ぜ専門職」の問題点は、各人の価値に応じた処遇やキャリアパスを実現しにくいことにある。価値に見合った処遇ができなければ、社員が有する価値に十分に報いることができず優秀な人材が流出しかねないし、価値よりも余分に処遇すれば総額人件費の膨張につながる。実態と合致したキャリアパスを用意できなければ、目的に合った計画的な育成ができなかったり、社員に対して「自分は将来どんな道を歩めばよいのか」という不安を抱かせたりしてしまう。  ここでいう本当の意味での専門職(以下プロフェッショナル人材、と呼ぶ)とは、特定の領域における専門的な知見や経験によって会社に貢献する人材のことである。一方、管理職にはならなかったけれど、それなりに高く処遇されているという人材は、社内で必要なスキルを十分に習得しており、業務に対する一定の熟練度を有する人材であることが多い(以下、熟練者と呼ぶ)。  プロフェッショナル人材と熟練者とでは、有する価値の種類が違うため、処遇の設計に対する思想も根本的に異なる。プロフェッショナル人材は、社内に限らず労働市場において活躍できる可能性が高いことから、外部労働市場における価値を鑑みた処遇をする必要がある。  一方の熟練者は、必要なスキルを習得しており、業務の熟練度も高く、安定的な業務遂行を期待できるという価値を持っている。必要以上の流出を防止するため外部労働市場を鑑みる必要もあるものの、社内の非熟練者と比較した場合の相対的な価値の高さを処遇で表現する必要がある。  キャリアパスという観点でも、まったく異なる性質を持つ。プロフェッショナル人材は、新入社員が社内であらゆる経験を積んで管理職へ育っていく道の上にはいないのだ。例えば、製造業の会社で採用した新人Aさんに製造現場や営業、管理部門と様々な職務領域を経験させ、管理職に登用されるまで育てあげたとする。優秀な管理職としての価値は十分に高まったとしても、法律家や、研究者など、特定の領域で他の追随を許さないほど専門性を高めた人材とは、やはり有する価値の種類も歩んできた道のりも全く違うはずだ。  仮にAさんの育成が上手くいかず、管理職への登用ができなかったとしても、急にプロフェッショナル人材として扱うのには無理があるだろう。プロフェッショナル人材とは通ってきたルートと有する価値の種類が違うのだから、社内における能力習熟度や業務の熟練度が高い熟練者として処遇する方が、キャリアのあり方や有する価値に見合っているといえる。  ビジネスモデルが必要とする人材の多様化や、流動的な時流を乗り越えるための管理職のスリム化を契機に、複数の人材区分やキャリアパスを設ける会社が増えている。せっかく分けるのであれば、人材群の特徴を精緻に描写し、特徴にぴったりの処遇やキャリアパスを設計する必要がある。人材群の特徴にぴったりの処遇やキャリアパスを設けようとしないのであれば、人材を区分する意味がないのだ。

強引な「管理職定年」と「女性管理職の抜擢」 | 人事制度設計

強引な「管理職定年」と「女性管理職の抜擢」

 この7月、2015年からコンビを組んで仕事をしてきた女性編集者が「管理職定年」(56歳)となり、課長級(次長兼務)の役職を解かれた。部下は、5人からゼロになる。今後は、60歳の定年まで一般職になるという。本人は清々したといった雰囲気ではあったが、さびしそうにも見えた。  新卒時の入社の難易度は業界最上位の3社の下に位置するグループ(20社ほど)の現在の会社に20代前半から勤務してきた。抜群に優秀なタイプではないかもしれないが、他社を含め、30~50代の編集者120人ほどの中では仕事力は上位2割に入る、と思えた。部下からは慕われているように見えた。それだけに、年齢で役職を解かれることに疑問を感じた。  日本の企業は、正社員に占める管理職の比率が高い傾向がある。私が取材を通じて知る大企業や中堅企業は、管理職が全社員の約4割を占める。前述の女性編集者が勤務する出版社は3割5分ほどという。本来は、2割以下にとどめるべきだろう。それを踏まえるとこの出版社が数を減らし、人件費の管理を厳格にすることは正しい。  だが、それ相当の力がある社員を「56歳になったから」として役職を外すのは損失ではないか。今後、「管理職定年」を53歳にする予定のようだ。数をできるだけ減らしたいのだろう。  そもそも、なぜ、必要以上にいるのか。大きな理由は、職能資格制度と降格がない(できない)ことにある。職能資格制度を厳格に運用すると、40代半ば以降では同世代の少なくとも半数は管理職になる。しかも、いわゆる降格は職能資格制度運用上も法律上も困難だ。例えば、ITデジタルが進み、オンラインの会議すら仕切ることができない部長がなぜか、降格にはならない。それどころか、本部長に昇格するケースすらある。  結果として、社内に課長や部長があふれかえる。次長、副部長、部長代理、課長補佐、課長代理と役職をつけて、社内外に向けて管理職に見せようとする。その多くは部下のいない管理職であり、一般職(非管理職)と仕事の内容はさほど変わらない。これでも年収はおそらく、一般職の最上位の等級の社員よりも数百万円は高いだろう。  このあたりの構造が改善されることなく、「管理職定年」と称して一定の年齢に達すると、ヒラ社員にするのは本末転倒ではないだろうか。せめて今後は、年齢を基準に一律に役職を解くのではなく、その社員の評価や実績に応じて柔軟に運用するべきだろう。  例えば、冒頭の女性編集者のようなタイプは56歳以降、1年ごとに「定年」にするか否かを決めてもいい。あるいは、管理職数が多いならばリストラを40代以降に限定にするのではなく、20代から始めてもいい。  企業取材を通じて感じるのは、日本企業の場合、社員の人事の扱いが硬直的で、柔軟性に著しく欠けることだ。少子化が進めば、おのずと働き手の数も減る。少なくなる社員をいかに有効活用するか、その視点を持ちたい。  なお、この出版社は2016年にある問題が起きた。副編集長(課長級)の経験がない一般職の女性を突然、編集長(部長級)にしたのだ。抜擢人事と言えるのかもしれないが、通常、このような処遇は業界ではありえない。いきなり、ヒラ社員を部長にするのだ。案の定、大失敗に終わる。  この編集長は部下たちをほぼ毎日怒鳴り、当たり散らす。無理もない。はじめて部下を持ったのだ。しかも、10人も。半年以内に、部下たちは企業内労組に「パワハラを受けている」と苦情を持ち込む。労組の役員と編集長の上司である局長が話し合い、喧嘩両成敗となる。部下10人のうち4人は人事異動で他部署へ、編集長は更迭となった。今もタブーとなっているようだ。  人事の扱いが硬直的で、柔軟性に著しく欠ける企業はこういう理解に苦しむ処遇を唐突にする場合がある。これを機に、管理職を始め、人事のあり方を見つめ直したい。

働く事の過去と未来 | モチベーションサーベイ

働く事の過去と未来

 古代ギリシャでは、労働は“卑しい”ものだった。肉体的労働ばかりか、医師や会計士などの知的労働も、奴隷が行うべきものであり、市民は、労働による苦役がない環境で、自由に思考し、生きることが望ましいとされた。「アダムとイヴが禁断の果実を食べた罰として、神が人間に苦役たる労働を課した」というキリスト教的観念と共に、ヨーロッパに「労働はできればすべきでない」という考え方が広がっていた。  その後、中世に入り、教皇や聖職者の堕落により、ローマ・カトリック教会への不信が広がる中で始まったルターやカルバンらによる宗教改革の過程で、人々の労働への価値観に大きな変化が起きた。彼らは、腐敗した教会や司祭を通じて神と向き合う事を止め、神から与えられた仕事を天職として、一生懸命励み、成功することでこそ、神の救済を得られる、と考えるようになった。  神の救済を求めて、まじめに働き、その結果として得られた利益を、神へのより大きな奉仕のため、生産の拡大へと充てて行ったため、次第に資本が蓄積され、それが近代資本主義へと発展して行ったと言うのが、20世紀初頭の社会学者のマックスウェーバーの主張である。宗教的な無欲思想に基づく勤労精神が、現代の資本主義的社会構造を築く源泉だったという事だが、その過程で、生産性や効率性を重視する合理的思想が強調されていく一方で、いつしか、神への奉仕という、本来の宗教的倫理感は色褪せ、結果として、利益の追及を優先的に考える現代的資本主義へと変化していった。  人々の崇高な倫理感が欠けたまま、暴走を始めた資本主義が、地球環境を破壊し、人々の貧富の差の拡大をもたらし、社会自体を傷つけている事に、我々もようやく気付き始めている。SDGs「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」等の新たなルールを事業経営にも持ち込み、社会全体の利益を考える企業が増えて来たり、Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス=企業統治)の3つの観点から企業の将来性や持続性などを分析・評価した上で、投資先(企業等)を選別する、ESG投資が若い世代を中心に注目を集めているのもその表れと言ってよいだろう。企業も人々も、単なる財務的利益を追求する従来型資本主義の軌道修正を今、はかろうとしているのだ。  こうした変化は、企業と労働者との関係も大きな影響を与えることになるはずだ。多くの企業で、近年のAIやテクノロジーの発達による従来業務の機械化・自動化に伴い、企業も人も将来、「どんな仕事を行うべきか」を模索し始めているが、こうした資本主義のトランスフォーメーションというもう一つの社会変化が、同時に進行する中では、「人がなぜ働くのか」、という根源的な問いにも同時に向き合った対応も求められているという事だ。いやはや、人事にとっては本当にチャレンジングな時代がやってきた。

望ましいFIREムーブメント | 人事制度運用支援

望ましいFIREムーブメント

 年末、高校のクラス同窓会に出席した。今回はZOOMを使って、リモートで開催された。毎回、一人一人の近況を聞くのを楽しみにしているが、最近は、親の介護や子供の就職、結婚等がメインだが、今年、大半が定年を迎えるため、定年後にどこで働くのか、どんな生活をするか等、自らの今後のキャリアを語る同級生も少なくなかった。  いつのころからか、「FIRE」という言葉を耳にするようになった。「FIRE」と言っても、ドナルド・トランプ氏の「You are fired!」ではなく、「Financial Independence, Retire Early」の頭文字をとったもので、経済的な安定を確立して、早期にリタイアを実現しようという取り組みを言うものだ。 FIREはいまやムーブメントになっている新しい生活スタイルで、日本でも若い世代を中心にFIREへの関心が高まっていると言われている。  我々の20代の頃も、若いうちから猛烈に働いて、早期にリタイアして、自由に余生を楽しむことを目指している人々は、いるにはいたが、ごく少数だった。少なくとも、さきほどのリモート同窓会で集まった友人たちの中には、早期リタイアして、悠々自適に暮らしている同級生はいない。  そのFIREがムーブメントになり、多くの若い世代がそれを目指している背景には、何があるのだろう。その一つは、過去と比べて、今の若い世代の将来に対する期待が、過去と比べてずいぶん異なる事にあるように思う。かつては、日本でも経済成長が続き、毎年、賃金が上がり、それに合わせて、日々、社会も個人の生活の質も向上していく感覚があった。もっと頑張れば、もっと豊かになるという事を実感できていることは、励みになるし、働くモチベーションにもなる。  ところが、我が国では、バブル経済崩壊後、しばらくすると、デフレが進み、GDPもこの20年、400~500兆円あたりで横ばいを続け、経済成長が鈍化したままで、その結果として、個人の給与水準の上がらない構造が続いている。国税庁の民間給与実態統計調査でも、10年以上の間、平均年収400万円台前半の水準で推移し続けている・・。  こうした社会環境の中で、働くことに対する喜びを見出そうとしても、なかなか活力が湧き出てこないというのも、わかる気がする。いっそのこと、早く経済的に自立して、後は、好きなことをして暮らしたいという気持ちがでてくるのも自然な事だ。  さらには、ここ10年の株価の上昇トレンドをみると、まとまった金融資産をうまく回せば、それなりの利子が確保できそうに思える事や、YouTuberなど、個人がネットメディアに発信することで、世界を相手に、巨額な収入を得られる仕組みが出現したことも、いわゆる会社勤めをやめて、好きなことをして生きていきたいという風潮を後押ししているのかも知れない。  FIREムーブメントには、賛否両論あり、シニア世代には、否定的な意見を持つ人も少なくないようだが、  個人的には、若いうちから猛烈に自分を磨いて、働き、いずれFIREを実現しようという想いを持つことは悪いことではないと思っている。むしろ、若いうちから、やる気も将来の見通しを持たず、ほどほどに仕事をして、将来のあてもなく、漫然と生きるよりは、よっぽどよいと思う。  ただ、FIRE実現後の人生は、いま、それを目指している人の思い通りではないように思う。起業して株式を公開し、若くしてリタイアをした私の友人、知人達も、しばらくして、また、ビジネスの世界に戻って来ている。多額の資産の利息だけで、生活するのも、しばらくは良いかもしれないが、いずれ飽きるのが人間だ。 人生100年時代の後半を、自分の能力、スキルも磨かずに、のんびり生きることには、やがて耐えられなくなってしまう事だろう。  生活費を切り詰め、ほどほどに働きながら、収入の大半を貯金に回して、こじんまりとした余生を目指すFIREというのもあるかもしれないが、どうせなら、豪快なFIREを目指してほしい。多くの若い世代が、将来のFIREを目指して、猛烈に働くことは、沢山の価値が社会に生み出されることになり、世の中にとって、明らかにプラスだ。そして、経済的自立を得た後も、会社からリタイアしても、人生のリタイアはせず、自分らしいやり方とペースで、社会に貢献し続けるFIREを目指すのであれば、多いに歓迎したい。

信頼回復への鍵は人事の再構築!不正行為防止の具体策とは! | 人事制度

信頼回復への鍵は人事の再構築!不正行為防止の具体策とは!

 昨今、企業の不正行為が社会問題となっています。不正は企業の信頼を揺るがし、組織の健全性を損なうだけでなく、社会全体にも悪影響を及ぼします。このような不正が起こる背景には何があるのか。また不正を防ぐために人事としてできることについて考察してみたいと思います。  A社では、長年にわたり堅実な経営を築いており、業界でも名が知れるほど拡大しましたが、不正行為の発覚によってその信頼は揺らぎました。このような不正が起こる背景には、組織文化の欠如や報酬制度の偏りなどが挙げられます。経営陣が目先の成績に重点を置き、倫理観や社会的責任を軽視した経営方針が、不正行為を招いたのです。また、人材配置においても、適切なポジションに適切な人材を配置することが怠られ、モチベーション低下や不正行為への誘因となりました。  信頼回復と不正防止には、まず組織文化の再構築が不可欠です。経営陣が倫理観と社会的責任を実践する姿勢を示すことで、従業員に模範となる行動を醸成します。透明性を高め、情報の公正な共有を行うことで、不正行為を未然に防ぐ土壌を築くことが重要です。  最も着目すべきは過度なノルマです。それによる行き過ぎた昇降格制度にあります。評価制度において、数字至上主義的な短期的な成績だけ求める評価でなく、長期的な企業価値や社会的貢献を評価する仕組みを構築が必要です。成果主義だけでなく、倫理的な行動を評価し報酬に反映させることで、不正への動機付けを低減します。また不正行為に頼らずとも働きが評価される環境を整備することも重要になります。  適切な人材の配置には、個人の適性と組織のニーズを考慮した人事評価が欠かせません。適材適所の配置によって従業員のモチベーションを高め、不正行為のリスクを軽減することができます。  教育とトレーニングの強化も効果的です。従業員に対して倫理的な行動やコンプライアンスの重要性を理解させる教育を実施することで、不正行為への意識を高めることができます。リスクマネジメントのトレーニングによって、不正リスクを見極める力を養うことも重要です。  組織全体での協力と監視体制の強化が不可欠です。従業員が不正行為を報告しやすい環境を整えるためには、経営陣が不正行為を許容しない姿勢を示すことが不可欠です。内部監査や監督機関の強化によって、不正行為の早期発見と是正を図ることが重要です。  不正行為の防止には経営と人事の連携が不可欠であることを示しました。人事としてできることがこれだけあったのだと気づかれたと思います。信頼を築く組織への挑戦は容易ではありません。しかし、適切な人事施策を講じることができてさえいれば、A社も不正を未然に防止できて、ここまで大きく社会的信頼性を失うことはなかったのではないかと考えざるをえません。

組織の力を引き出すために、人間的な側面にフォーカスしよう | モチベーションサーベイ

組織の力を引き出すために、人間的な側面にフォーカスしよう

 『A社は、ほとんど異動がなく分業体制による業務の効率性を追求していたが、他社との競争に対応するために積極的なローテーションを導入。最初は異動に対する抵抗感が強く、象徴的な管理職の異動から始まり、徐々に一般社員も異動するようになった。異動者からは、「学びがあった」とその価値が周囲に広まる。部署間の理解を深めるために説明会やワークショップが開催された。複数業務経験を昇格の要件とし、毎年一定数の異動を実施。若年層から異動希望の声が上がるようになり、異動の順番待ちも発生した。積極的なローテーションにより、一部の業務効率や品質に一時的な低下が見られたが、会社は社員の能力向上を重視し、業務の標準化、業務マニュアルの整備、評価制度の見直しなど対策を講じた上で、方針を継続。入社時から異動が当たり前となり、異動経験者から未異動者への不満も生じたが、時間をかけて異動が当たり前の文化が形成された。』  この例では、少数の影響範囲から始めて、効果を感じた人から口コミを通じて変化の波は少しずつ広がっていきました。そして、新入社員に対しても同じ考え方を適用していくことで、早いスピードで適用者の比率が増え、徐々に組織全体へ浸透していきました。  しかし、ここで興味深いのは、途中から「異動しない人がずるい」というような声が大きくなり、「異動をしていない層」に対する同調圧力が強くなったことです。最初に異動の効果を感じた人は、新たな発見や自分自身が新しい何かをできるようになったことで、仕事の面白みや充実感を感じていたはずです。それが途中から、一部の層において変化していきます。制度の目的が腹落ちしていない、周囲との関係性の面から多数派でいたいなどの理由があったかもしれません。                   組織には、「ハードな側面」と「ソフトな側面」があります。組織のハードな側面とは、組織構造、制度や規則、職務内容や仕事をする上での手順などをさします。一方、ソフトな側面とは、人の意識やモチベーション、人々の関係性、リーダーシップ、組織の文化や風土などをさします。いわば、「人」や「関係性」など人間的側面です。どんなに立派な制度や精緻なルールを整備して、計画通り運用し、ハードな側面を整えても、組織のソフトな側面(人間的な側面)の影響で、当初のねらい通り、目的が達成されないことがあります。組織の力を強くするためには、両方の側面に焦点をあてて取り組むことが必要です。組織開発の先駆者であるダグラス・マグレガーは、「組織における人間的側面は重要なマネジメント課題である。」と主張しています。  人は、「いやいや仕方なしにやる」ことによっては活き活きとせず、その人が持つ力が発揮されません。自ら「面白がってやりたい」と感じた時に活き活きとし、その人らしさや力が発揮されてきます。ソフトな側面へのアプローチは、一朝一夕にはいきませんが、是非取り組みたい課題です。そしてそれは、人事領域に関わる方の仕事の面白味・充実感につながるのではないでしょうか。   以上

シニア人事制度 | 関連制度設計

シニア人事制度

 最近クライアントの人事担当者と話をしていると、シニア人材活用のテーマが多いと感じます。シニアの方々は、長年の経験と豊富な知識を持っているし、その経験や洞察力は、会社にとって非常に貴重な資源でもあります。だからこそシニア人事制度を再構築することで、彼らの経験や知識を最大限に活用し、会社の業績向上や問題解決に貢献してもらいたいといった内容です。ただ、そういった思いはあるものの、制度構築となると進んでいないのが現状のようです。  ご存じのとおり、2021年4月施行の改正高年齢者雇用安定法により、企業には70歳までの雇用が課されることになりました。この法改正で企業に求められる高年齢者雇用確保措置は「努力義務」の位置づけであるものの、大企業を中心に70歳までの雇用延長を制度化する動きが出てきており、多くの企業で高年齢者雇用の推進が急務となっています。 旧法では、   ①65歳までの定年引上げ   ②65歳までの継続雇用制度の導入   ③定年廃止のいずれかを講じることが企業に義務付けられていました。 今回の改正法では、   ①70歳までの定年引上げ   ②70歳までの継続雇用制度の導入   ③定年廃止   ④高年齢者が希望するときは、70歳まで継続的に業務委託契約を締結する制度の導入 あるいは、70歳まで継続的に事業主が自ら実施する社会貢献事業や、事業主が委託、出資等する団体が行う社会貢献事業に従事できる制度の導入のいずれかを講じることが企業の「努力義務」として課せられることになりました。  また、総務省統計局「人口推計」によれば、高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)は2021年10月1日時点で28.9%となっていて、この高齢化率は今後も上昇を続け、2036年には33.3%、つまり総人口の1/3が65歳以上になると推計されています。労働人口はどうかというと、若年層を中心に減少に転じており、今後必然的に、企業としてはシニア層(60歳代以上)の活用を推進せざるを得ない状況になってきているのです。  現在は多くの企業が65歳までの制度を有しているものの、65歳定年延長や70歳までの継続雇用制度については、まだまだ整備が追い付いていないのが実情です。65歳定年延長あるいは66歳以上の継続雇用制度の導入にあたっては、今よりも雇用期間を延長していくことに対してシニア層の処遇をどのように再設定するか、総額人件費の上昇にどのように対応するか、という点が非常に高いハードルになっています。その他にも、シニア層の健康や能力の維持、業務の確保、職場環境整備等といった人事施策が必要になる点が、企業の人事施策が計画的に進まない要因になっていると考えられます。シニア人材の活躍ということに関して、現場レベルでは何から始めればいいか分からないという状態の企業が非常に多く、とりあえず検討を開始してみたが、検討が長期化したり頓挫したりといったケースが多いです。その主な原因を考えると、意思決定するための現状分析と方針策定、シミュレーションが不十分なことがあげられます。   現状分析は、問題・課題の抽出をして分析するわけですが、少なくても以下の視点で実施することが必要です。   ①人員数・人員構成 現状の人員数が適正か、人員構成に問題がないか、将来的にどうなっていくのか   ②人件費単価 現状の自社の賃金レベルが労働市場においてどうなのか   ③シニア人材評価 現状の評価はシニア層の能力や貢献を適切に評価しているか、評価結果に偏りはないか   ④意識調査/職場環境調査 シニア社員を含め、モチベーションや組織の現状をソフト面・ハード面で分析すると どうなのか  この分析の結果を根拠とし、自社におけるシニア社員の活用方針を明確にして、経営と共有しておくことで、その後のシニア人事制度構築をスムーズに進めることが可能になります。シニア人事制度を構築・浸透させるには、会社全体での意識改革や政策の見直しへの取り組みが必要です。シニア人材の能力や貢献を正当に評価し、彼らが持つ経験や知識を最大限に活かす仕組みを整備することで、会社は多様性や包括性を促進し、持続的な成功を築くことができるのです。

不退転の覚悟のしどころ | 人事制度設計

不退転の覚悟のしどころ

 多くの企業が中期経営計画の中に、人事基盤の刷新、人事制度の見直し、経営計画と連動した人材戦略確立など、人事施策を中計の主要な柱に掲げている。しかし、3~5年の中期経営計画の中で、それこそ「基盤」が変わるほどの変化を遂げた会社はそう多くないと感じている。それは一重に、人事の変革において、経営が覚悟を以て取り組むべき所が実は人事施策の方針策定や制度設計の先にもある、ということの認知がされていないからなのではないかと思うのだ。ビジネスのステージや置かれている環境が異なり、改革に対する慎重度や見直しの必要性の度合い、求めているスピードの違いがあるので、大きな変化の有無を良い悪いと評価するつもりはない。ただ、大きな改革をやり遂げた企業の特徴をいえば、「最初から最後まで」経営が不退転の覚悟を以て取り組んでいると感じる。  最初から最後まで、とは大きくいうと、①方針・制度策定時、②制度導入時(社員説明を行う段)③制度運用時(毎年の配置変更、昇格・降格を見据えた評価時、もしくは格付け見直しの時)である。①においては、経営メンバーで議論をし、経営としての重要な施策であることから、経営、もしくは現場を巻き込みながら、各施策の必要性の検証やリスク分析などを行い、かなり慎重に重要な決断を下している。もちろん議論をつくし、大きな改革を行う必要があるのであれば、覚悟を経営メンバーで共有し、意思決定がなされる。これはよく見かける光景だ。しかし、実は人事の改革で極めて重要なのは②と③であるが、この重要性が意外と経営に認識されていないのではないかと思う。  人事制度は全ての社員にとって身近であり、処遇に関わることから、非常に注目度が高い。だからこそ、人事基盤の見直しをするときにはその改定の目的、社員に期待すること、もしくは変わってもらいたいこと、を理解させることが重要である。等級・給与・教育・評価、さらには人事部の在り方まで、しっかり議論がつくされ、合理的に設計されたのであれば、それを理解してもらうために、言葉を尽くす必要があるし伝えるための工夫が必要だ。  しかし、出来上がった制度をどう伝えるか、どのような布陣で社員説明の場に臨むかは、あまり議論されずに進んでいる会社をよく見かける。制度の伝え方についていえば、厳しさがあると受け入れられづらいのではないか、という配慮や質問されることをリスクととらえ、リスク回避の結果、本来実現したい改革の本質を「ぼかす」説明会にしてしまったケースもある。  また、直接社員に言葉で語りかける絶好の機会であるため、本来であれば、社長(経営)の口から強烈なメッセージを発信してほしいところだが、実際は「人事部長・人事課長の制度設計最後の仕事」となっており、テクニカルな仕組みについて理解させることに終始していることも多い。確かにそこも重要だが、経営の想い、考えは結局伝わらずに終わっているケースも多い。制度のエンドユーザーに直接触れる機会こそ、不退転の覚悟をもって、経営の目指す世界と制度のつながりをしっかり落とし込んで頂きたい。それがしっかり伝わったかが説明会の良しあしの判断基準でもよいくらいだ。  ここまでの話は②の代表的な制度導入時の話であるが、実はもう一つ覚悟をもって臨むべきは③の、制度の運用である。方針議論の際に、必ずといってよいほど、パフォーマンスの割に処遇(等級)の高い社員に対しての問題認識や、優秀な若手登用の話が語られる。優秀な人材であれば年齢に関係なく登用し、パフォーマンスが高くなければ適正な格付けにする。これをやりたいがための制度を目指して設計しても、いざ運用してみるとそのような対象者が一人も出ていない。登用のケースにおいては、象徴的な人を一人は出そう、という考えのもと、導入時に数名登用したりするが、その後が続かない、もしくはその真逆で、登用しすぎて、本来の人材イメージに合っていない人材が登用され、制度の狙いを大いにぼかしてしまっている。  中計実現のために成しえたかったことは制度設計だけでなく、運用を以て実現できるのだが、もはや運用の段になると経営の目も届きづらい。細かな人事運用の結果は経営報告されていないことも多いだろう。制度導入を経たら、経営も、もはや中計の柱である人事基盤の構築という仕事が終わったと思われているかもしれない。しかし、基盤は制度設計と運用で出来上がるものである。経営として、目指す世界を実現するための覚悟を持った運用を先陣きって進め、運用の指導して頂きたいと思う。加えていえば、人事や管理職に「不退転の覚悟をもった運用」をさせることが、経営として覚悟をもって進めなくてはならない仕事なのではないだろうか。

理想と現実の見極め | 人事制度設計

理想と現実の見極め

 近年の人事制度設計の大きなトレンドの一つに、役割や組織への貢献度に応じた処遇を行う役割型制度への移行がある。部長や課長など、組織階層のポストの格付けに合わせて、一定の階差をつけた給与水準を設定する事などが役割型の人事制度に沿った制度構造である。  いままで、課長を担っていた人材が、部長に任用されることになれば、その役割の重さに応じて、等級が格上げされ、処遇もそれに応じて上がるという事や、逆に、高い役割を担わなければ、それに応じた処遇に留まるという事は、どんな役割を担っていても、年功的に処遇が上がっていくような仕組みにくらべて、人件費コントロールの観点からも望ましく、こうした役割型人事制度のコンセプトは、合理的なものであり、多くの企業で受け入れられ、導入されてきた。  そういう意味で、うまく機能するはずと考えて導入された役割型人事制度ではあるが、実際に導入していく中で、いくつかの不都合な現実に直面することがある。  その一つに、一度、任用した役職者をポストから外せないという事である。より重い役割のポストに任用し、処遇も上げる事は、さほど難しくないが、ひとたび、任に就いている部課長をその任から解き、非管理職のプレーヤーとしての処遇に下げるポストオフ人事を抵抗なく行える企業は、日本企業の中では、かなり少数に留まるだろう。実際、役割型制度を導入したものの、高い役割発揮を期待される若手の管理職候補を、既に任用している部課長をポストオフして、入れ替えることができないで苦慮している場面をあちこちで見かける。  日本で役割型制度を導入している企業の多くで、ポストオフが容易にできない背景には、与えられた役割の変化により、今まで支持を出していた上席者を、一転、部下として指示を受ける立場に切り替えることを容易に受け入れられない“文化”がある。年長者や先輩を敬う文化、あるいは、“かわいそう”の文化は、我々の心の中に、根強く染み込んでいるという事だ。日本人は、みな、心情的にドライになれない国民なのだ。  そういう事情を勘案して、役職定年制度を導入している企業は相当数、存在する。役職定年制度は、本来、年齢軸で、ポストオフの判断をする制度なので、ポストの役割に見合った人材をそのポストに任用し、役割に応じた貢献を担えるかどうかで、処遇を判断する役割型人事制度とは思想的には、合致しないが、役割を担えなくなった人材をポストオフするには、年齢という方便を使い、“合理的な制度”と“根強く浸透する文化”との折り合いをつけようとしていると言ってもよいだろう。  この一つの事象から見えてくるのは、グローバル化の中で、人材が流動化し、優秀な人材の維持、獲得のために、企業は、ジョブ型的な雇用や、役割や貢献度に応じた処遇制度への転換を図ろうとしつつも、長年、浸みついた日本固有の文化や国民性が、その理屈通りの運用を阻んでいるという構図である。  世の中の流れは、逆流することはないので、日本において、人材の流動化や役割に見合った処遇への移行は進んでいくだろうが、その流れに応じた我々の意識の変革や心情の切り替えには、一定の時間が必要な事を認識する必要があるだろう。経営戦略に応じて人事制度の見直しは当然、進めていかねばならないが、その際に、そこで働く我々の意識変革のスピードに配慮していくことが、新しい制度を浸透、定着にむけて大変、重要な事項であることを忘れてはならない。