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人事制度

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初めての、部下評価 | 人事制度運用支援

初めての、部下評価

■先輩、ちょっと相談していいですか。管理職になって初めての人事評価つけるのですが、まだまだ未熟な自分が人を正しく評価できるかすごく不安なのです。私のつけた評点で処遇が決まるのも重圧だし、年上の部下もいてちゃんと本人に納得させられるのか自信がなくて。 □未熟、つまり経験とか人間力が足りないから不安と言っているなら、君は評価の原理がわかっていない。自分の経験や価値観をもって評価する=つまり、自分の「中」の基準で人を評価するなら、そうかもしれないが、君がやるべき評価はそうではない。君の「外」にある基準に照らして、部下の行動や能力発揮度合を見る、ということなのだぜ。 ■「外」にある基準? □公開されている会社としての基準(こんな行動をとってほしい、こんな能力を発揮してほしい)に照らして各部下の行動を見ればいいのだから、君の人としての成熟度とは関係ない。「基準に即しての評価=つまり、絶対評価をせよ」と評価者研修で習ったでしょ? ■だとしても、評価項目は抽象的だし、基準もあいまい。個々人をその基準に照らして1~5点なんて、正しくつけられるとは思えないのだけど。 □ここは確かに、最初は難しいかもね。場数を踏んで磨かれていくという面はある。でもすぐできるコツがあるのだけど、知りたい? ■ぜひ。 □たとえば、部下が5人いたとしたら、評価項目ごとに、できている順に並べてみる。 ■それは相対評価では? それはしないと習ったけど。 □まぁ聞いて。ちゃんと絶対評価になるから。で、Aさんが一番できているとするなら、なぜ、君がそう判断したかの根拠をならべてみる。同様に、BさんやCさんについても、Aさんとの違い、それぞれの違いがどこにあるかを考えてみる。 ■根拠、つまり行動事実の違い? □そう。そこで、あらためてそれを評価基準に照らして、レベル分け=評点化してみればいい。 ■なるほど。できている、できていない、と私が感じる「事実の違い」を材料に絶対評価をするわけですね。うん、それならできそうだ。でも、、、そもそもの、この行動事実ならOKとみた私の判断自体が会社として正しいのかどうかが私には自信がないけれども。 □はい、そのとおり、そこが大事なところ。それは君一人では確認できないし、二次評価者の上司の眼も現場を見てないから怪しい。方法は、たったひとつ。ほかの評価者との間でつけた部下の評価表を開示して、相互検証をするのです。 ■え、そんなことしてもよいの? □大丈夫、君はまだ経験していないけど、「評価会議」というイベントがこの会社では用意されているから。一次評価者同士で評価結果の妥当性を相互に検証する会議。他の評価者が、どのような行動事実をもとに、どう評点をつけたかを知り、またその妥当性を検証しあうことで、評点レベル、つまり評価者の目線があう。 ■なるほど、人のふり見てわがふり直せ。 □いやいや、意味ちがうけど。。。正確にいえば、個々の判断が妥当かどうかを検証していくというよりも、会社ごとの「見えない基準」を明示化し共有していく場という方が正しいかな。評価基準は抽象度が高くどの会社でも似たようなものだけど、具体的実態的な基準は、会社ごとに違ってしかるべきだから。 ■個別具体的な評価基準とは、会社の「暗黙知としての価値基準」の明示化である。 □いきなり難しいこと言うなぁ。。。平たく言えば、「勤務態度」みたいな項目で、一回でも遅刻したらダメな会社もあれば、二回まではOKという会社もある。そういう暗黙の基準が評価会議で確認・共有され、皆が同じように評価できるようになるわけね。 ■評価って、どこか内密にっていうか、上司部下の間だけ、せいぜい二次評価者までの間での秘匿性高い印象あったけど、もっとオープンに論じるべきものなのですね。少し気が楽になりました。 □評価時期の評点のつけ方よりも大事なのは、その材料となる日常の観察と指導。日々君が部下をよく見ていて、都度、指導をしていて、個々人の成果達成にむけて気配りを怠らないこと。まぁそこは大丈夫でしょう、初評価の責任を痛感し不安を覚えていること自体が、君が誠実な管理職者であるということだから。

Page One | 人事制度

Page One

 「新年度から導入する新しい人事制度について説明します。」 人事制度を大幅改定する時には、社員の納得を得るために丁寧に説明する必要がある。美しく編集したパワーポイントの資料を指し示しながら、人事部長の説明が続く。 「最初のページは新しい制度の概要を示しています…」  最初のページには、たいてい、「新制度方針」や「新制度概要」が記される。新しく導入する制度の根本的な考え方や、眼目となる部分について述べる重要なページだ。    X社の「新人事制度概要」にはこんなことが書いてあった。 ‐わが社は人を大切にする会社。社員の雇用を絶対に守るという方針は変わらない。 ‐わが社は、「主力製品に資源を集中し、我が国最高レベルの技術力を磨く」という戦略を 掲げた。新人事制度はこれを支えるものだ。 ‐だから、新人事制度を通じて社員の専門能力を高め、卓越した競争力を構築する。 ‐社員の一人ひとりが、自分のキャリアを自律的に組み立てていくことが制度の眼目だ。 ‐人材育成には最も力を入れることとし、積極的なローテーションを実施する。 ‐個々人のライフイベントに寄り添い、多様な働き方を可能にする。残業の削減を徹底。 ‐職場や仕事の異動がないコースと、あるコースとを設け、自由に選択できるようにする。 ‐給与は競合他社に負けない水準とし、職務に応じた、メリハリのある処遇を実現する。 ‐希望する者は、70歳まで働ける制度にする…云々  戦略を支える良い人事制度だ。しかも、現代のキーワードが数多く織り込まれているではないか。きっと、働きやすくて良い会社になるぞ・・と感じる。しかし、待てよ。よく考えてみるとわかりにくい所があるではないか。 積極的にローテーションをしながら他社を凌駕する高い専門性が養えるのだろうか? ライフサイクルに応じた手厚い休業制度で空いた穴は、誰がカバーするのだろう? 事業領域を絞る戦略なのに、皆が自分のキャリアを勝手に組み立てて 、辻褄が合うのか? 社員のほとんどが転勤しないコースを選んだら、仕事は回るのかなあ? 我が国最高レベルの技術力に、60歳超えの高齢者が貢献できるだろうか? 去年並みの賞与出るかなあ…?  Y社の「新人事制度概要」には少し違うことが書いてある。 ‐当社の、人を大切にするという方針は変わらない。 ‐わが社は、主力製品に資源を集中し、社員の専門能力を徹底的に伸ばして他社を凌駕する。 ‐社員の一人ひとりが、自分のキャリアを自律的に組み立てていくことが制度の眼目だ。 ‐多様な能力開発の仕組みを整え、社員の志を支える。自らのキャリアプランに沿う仕事を選べばよい。 ‐就くべき仕事が見つからない者、専門性が会社の戦略に馴染まない者、45歳を超えて志す能力を身に着けられない者には、リスキリングの機会を与える。 ‐それでも貢献の場が見いだせない場合には、社外のキャリアを追求できるよう、会社が全力で支援する。 ‐給与は職務と成果に応じて支給する。 ‐プランどおりのキャリアを進み、社業に貢献できる限り、何歳まで働いてもよい。リタイアメントは自分で決める。  人事制度の設計において、背骨になる考え方は重要だ。時代を代表するさまざまなキーワードを研究することは意義のあることだが、会社の進むべき道をはっきり意識して制度の方針を説き起こしていくプロセスは、もっと大切だ。 「釈然としないが、まあ、いいっか!」と、X社では、いつものとおりの日常が回っていくだろう。Y社では、人が去り、そして、人が集まるだろう。 以上

判断に迷う評価者を出さないために | 人事制度運用支援

判断に迷う評価者を出さないために

 読者の皆様は、アンケートでいくつかの回答基準の中から当てはまるものを選んでくださいと書いてあるとき、どれに当てはまるのか悩むことはないだろうか。  例えば、「そう思う」「ややそう思う」「ややそう思わない」「そう思わない」といった4つの選択肢から選ぶ場合である。部分的には当てはまるが、当てはまらない部分も存在する場合に、「ややそう思う」と「ややそう思わない」のどちらを選ぶか悩み、最終的には感覚で回答している人も多いだろう。  これがアンケートではなく評価だった場合はより深刻である。被評価者が一定程度能力習熟しているものの一部できていない場面も見受けられるときに、どの評価をつければよいか判断に迷っている評価者は周りにいないだろうか。判断に悩むということは、人によって評価が分かれているということである。評価の甘辛に悩むクライアントは多いが、この判断の迷いが評価の甘辛に影響していているのである。  評価者が判断に迷わないようにする1つの方法として、達成となる評価基準を決める方法がある。評価者間で各評価基準が達成となる未達成どちらに分類されるのか認識を合わせる。達成した場合に選ぶ評価基準と未達成の場合に選ぶ評価基準が明確になるため、評価者には達成と未達成をもとに評価を実施してもらうのである。  最初のアンケートを例に、当てはまる場合の基準を「ややそう思う」とする。当てはまらない部分が少しでもあるなら「ややそう思わない」を選び、当てはまらない部分がない時にのみ「そう思う」を選ぶということを回答者間で統一するのである。これを評価に置き換え、評価基準を上から「できている」「一定程度できている」「ややできていない」「できていない」の4区分として、達成の基準を「一定程度できている」とした場合を考える。一部できていない場面があるのであれば「ややできていない」、できていない場面がないのであれば「一定程度できている」となる。  つまり、評価基準は、たとえ何段階にも分かれていたとしても、究極的には達成と未達成の2区分に分類されるのである。そのため、評価者にとっては達成できたのか達成できなかったのかどちらなのかを判断することが重要な点となる。  このメリットとして、①評価者が判断に迷いにくい②被評価者へ明確に評価の理由を説明できるということが挙げられる。一部達成できていなかった場合は必ず未達成の評価となるため、評価者は未達成の基準の中から評価をつければよい。また、被評価者へフィードバックする際は達成か未達成か、そしてその中でどの程度の段階にいるのかを伝えればよいため、評価の説得性が増すのである。  しかし、達成したか達成していないのかを意識せずに評価している評価者は多いのが現状ではないだろうか。評価の甘辛が起きた結果、被評価者は不公平感を感じ、評価結果に対する納得性は低くなる。  評価者の意識を改善する前に、まずは会社としてどの評価基準以上が達成とするのか検討するところから始める必要がある。その上で、研修や評価者会議を通じて評価者に達成と未達成の考え方を繰り返し伝え、認識を合わせていく必要があるだろう。 以上

エフェクチュエーション―創造的ご都合主義のすすめ | 人事制度

エフェクチュエーション―創造的ご都合主義のすすめ

 経営にしろ、ビジネスを行うにしろ、日常の業務遂行にしろ、まず目標/ゴールを定めることが鉄則である。経営とはそもそも構想主導の取り組みであり、ゆえに経営リテラシーの筆頭はビジョンニング力とされる。ビジネスへの着手は、つねにゴールセッティングに始まる。定めた目標をゴールとし、そこへ至るプロセスを考えるのが合理的な方策であることには、疑いの余地はない。  しかしそれは、過去の常識かもしれない。VUCAの状況下では、目標設定自体が難しいし、設定した目標の正しさもあやういからだ。かくして近年は、「コーゼーションからエフェクチュエーションへ」といった言葉が目に付くようになってきた。コーゼーション(Causation=原因/因果関係)とは、環境を予測し目標(結果)を定め逆算的にプロセス(原因)を描くこと。エフェクチュエーション(Effectuation=実用/効力発生)とは、目標を定めず現実的に採れるプロセス(実用)を進めていくなかで決定要因(効力)を見出し結果を創り出していくこと。要は、因果論ではなくて、実効論である。  平たく言えば、「目標から考える」のではなく、「走りながら考える」。と聞けば、先の見えない新規事業開発などは、まさに走りながら、試行錯誤しながら、形にしていくという実態にならざるを得ないこともよくあるから、耳慣れない「エフェクチュエーション」も、とりわけ目新しい概念というわけでもない。ただ注目したいのは、これが起業家に特徴的な意思決定行動だということだ。  この言葉が日本に登場したのは、『エフェクチュエーション』(サラス・サラスバシー著)が翻訳出版された2015年。学際型の経営学者として定評ある加護野忠男さんの監訳だったから買ってはみたもののその分厚さもあって積ん読状態だったが、どこかで見た言葉だなと書架の本に気づいてひも解いてみた。実証的起業家研究の書で、起業家たちを特徴づける能力を調べてみると、それがエフェクチュエーションだったということである。  「走りながら考える」とは、目的からではなく手段から考えるということである。つまり、手持ちのリソース、能力、人脈で何ができるか考え、できることから始める。これが、①掌中の鳥の原則、と命名され熟達した起業家行動の第一の特徴とされる。以下、②許容可能な損失の原則、③クレージーキルトの原則、④レモネードの原則、⑤飛行中のパイロットの原則の5原則が提示される。ちなみに、レモネードの原則とは、「酸っぱいレモンをつかまされたら、レモネードをつくれ」との格言の意で、偶発性の活用という行動原理だ。良いことも悪いことも、途中で起こったサプライズは、価値創造の源泉と考える。  5原則の概要はググれば出てくるので確認いただきたいが、それぞれに示唆的ではあるが刮目するほどのものではない。しかし、こうした原則に通底する起業家行動、その原理にはなるほどとうならされる。彼らは、未来を予測しようとするのではなく、未来をコントロールしようとするのだ。ゆえに、今あるリソースから確実にできることをはじめ、実際にコミットした関与者をリソースとし、サプライズもまたリソースとしてインプットするのである。つまり、不確実な未来だからこそ、すべてを自分に都合よくデザイン(=創出)しようとする。  サラス・サラスバシーは、エフェクチュエーションを支える論理をプラグマティズムだと説明し、こんな逸話を書いている。  ある日、学生たちに、私が背の低さゆえにバスケットボール選手になれなかったことを語った時、クラスのなかのプラグマティストは、「背が低い人のバスケットボールリーグを作ればよいじゃないですか」と言い返したのだ!

ひとりひとりの社員に向き合う組織力~人事評価の本質~ | 人事制度運用支援

ひとりひとりの社員に向き合う組織力~人事評価の本質~

 求める人材要件に対して正確に測定し、充足を把握する。社員からは公平性、公正性を求められる。人事評価が機能しないと、社員のやりがいは低下し、離職に至る。社内の片隅でひっそり活躍している宝物を見つけることもできない。給与を決めるだけの形式的、儀式的、属人的な人事評価は人材育成に貢献はしない。戦力は安定せず、戦う集団にならない。人事評価はあるべき人材のポートフォリオを実現していく上で、重要なファンクションと言わざるをえないが、とにかくこの人事評価が機能していない。  そもそも多様な人材の活用を求められているなかで、求める人材要件も多様になり、一律ではない。人材要件を詳細に定義し、評価していくこと自体、無理な話かもしれない。そもそも全く同じ人間など存在しない。何らの基準に対して、達しているか、達していないかの絶対評価も重要ではあるが、ひとそれぞれの特性を把握することが改めて重要になりつつある。  多くの企業で評価は管理職の重要な役割となっている。たったひとりの管理職に多くの人材について要件に対して詳細に評価する責任は重い。その役割を課されることに負担に感じるのも無理もない。本来は評価者である上司が指導をすべきであるが、その上司も評価者を評価、指導できていないことは多い。そんな簡単なことではないということか。  しかしなぜこんな人事評価になってしまったのか、軽視されていたわけではないが、ひとりひとりの人材に向き合う重要性が相対的に高くなかったことにあると思う。年齢を重ねるだけで給与があがってきた日本的な事情や、人口増加を背景に経済的な発展を果たしてきた経済事情などが考えられる。年齢とパフォーマンスのアンバランスの放置。変わらない、変えない、保守的な事業戦略。ただ過去の関係を続けるための予算の策定、それでも成り立ってきた。人材をひとくくりに定義し、何か問題があってやり過ごしていくマネジメントで事業が成立していた。    改めてここでいう必要もないとは思うが、今後ごまかしは通用しない。先の読めない事業環境に対して、リスクをとり、挑戦しつづける集団になること、ひとりひとりの人材を生かすといった観点で組織的に向き合う重要性が高まる。タレントマネジメントに情報管理の業務改革やテクノロジーの進化による人材の特性分析はITベンダにぜひともその発展をお任せするとして、それを使いこなす人材の育成、そして組織としてひとりひとりの社員に向き合う組織力が求められている。    先日の娘の高校の入学式、学年担任の言葉が印象的。「ひとりひとりに担任はいますが、教員全員がひとりひとりを見守ります」と。難しい問題はその責任をもつ人々が当事者意識をもって、常にアンテナを張り、得られた情報を交換し、適宜対応していく組織力が欠かせない。ひとりの子供を養っていくことも相当大変と感じるが、仕事とはいえ、40名もそんな「大変」を一手に引き受け向き合っていこうとする先生の意気込みは尊敬でしかない。未熟な生徒に向き合うことは容易ではないが、しかし大人になったはずの社会人も相変わらずだとは思う。    経営者が先頭にたって、次の世代に向き合って、牽引していく。そんな経営者を見て多くの管理職がもっと人に向き合うことに時間と労力をかける。ひとりひとりをただ純粋に大切に思い、継続的、一貫性をもって、忍耐強く、謙虚に、そして誠実に向き合っていく組織にしていくこと、それが「この会社で働きたい」を増していくはずだ。

シニア人材の活用ポリシーが明確な企業は意外と多くない | 関連制度設計

シニア人材の活用ポリシーが明確な企業は意外と多くない

 新型コロナ、米中覇権争い、国家間衝突、為替変動、急速な物価高騰など、10年前、いや5年前には想像していなかったことが今、起こっており、日本企業は、これまで以上に二極化が進んでいくことが想像できます。企業経営は困難な時代に突入しています。  市場環境の変化だけでなく、速度をコントロールできない高齢化が進んでいく中、シニア人材の活用も企業経営には大きな課題です。各社の人事担当者にシニア人材の活用についてお聞きすると、優秀な人材は積極的に活用したい、基本、現役時給与の〇〇%(※)にしていますとの声が大半である。ある程度の方針は存在するものの、明確なポリシーが定まっている企業は意外と多くない。70歳までの雇用義務化が想像できる、現場業務などシニア人材に頼らざるを得ない職場があるなど、シニア人材の活用ポリシーは、今後の人事施策面において非常に重要です。大袈裟かもしれませんが、企業が競争を勝ち抜いていくポイントになるかもしれません。 (※)国税庁が公開している「2020年民間給与実態統計調査」によると、現役世代と定年世代の給与比較で、男性は22%減、女性は17%減となっています。  内閣府が2019年に実施した「高齢者の日常生活に関する意識調査」では、仕事をしている60歳以上の人のうち、「65歳くらいまで働きたい」と回答したのは25.6%、次いで「70歳くらいまで」(21.7%)、「働けるうちはいつまでも」(20.6%)と、高齢期にも高い就業意欲を持っていることがわかっています。  シニア人材の活用について、特徴のある事例についてご紹介します。 ・高齢化しているものの60歳までは好待遇(組合が強く制度改定が困難)。ただし、要員に余剰感があるため、60歳以上のシニア活用について、「活用しない」という明確なポリシーがあり、特例を除いて再雇用者は簡易な業務で時給になります。8割以上が再雇用を希望しないそうです。 ・シニア層の職場確保に課題がありました。大企業であれば出向という手段がありますが、中堅企業には当該手段は選択肢になく、同社は業務委託しているコールセンター業務を自社で行うことを検討しています(その他委託業務も自社実施が可能か検討)。 ・更に、大胆は企業では、FC加盟でシニア層の活用を検討している企業があります。将来的な成長が見込めるフランチャイザー(国内外)を真剣に探しています。A社長曰く、収支トントンでいいんだよ。雇用義務も果たせるし、結果、人件費は抑制できるから。  70歳までの就業の確保(努力義務)が定められた後、定年再雇用制度設計(含定年延長)の相談は増えています。制度設計に際しては、シニア人材の活用ポリシーが明確であることが必至です。まだ時間はあると思っていても、時の経過は想像以上に速いものです。まだであれば、シニア人材の活用ポリシーについて議論してもらいたいと思います。  シニア層で運営できる、将来性のあるフランチャイズビジネス。 「見つからなかったら自分で創ってしまおうかな。儲かるかもしれない」と、A社長は笑顔で言っていた。 以上

管理職昇進を望まない社員増加は心配事ではない | スマートアセスメント®

管理職昇進を望まない社員増加は心配事ではない

 近年は労働観が多様化し、管理職になりたくないという人が増えています。厚生労働省の調査(平成30年版労働経済の分析)によれば、実に61.1%もの人が「管理職に昇進したいと思わない」と回答しており、更に直近の調査会社の結果では80%という数字も散見されます。管理職になりたくない理由として、「出世欲がない」「責任が伴う」「仕事量が増える」が上位を占めます。バブルの時代「24時間戦えますか?」というフレーズが流行り、管理職になることはキャリアにおける一つの目標であったものの、現在は誰もが出世を夢見た時代は終わり、働き方が多様化し、仕事はほどほどに、私生活の充実も重視するライフワークバランス派の増加だけでなく、専門性を突き詰めるために管理職にならない道を選ぶポジティブなキャリアを選択する社員も増えているということです。  この様な状況から、企業の人事担当者との商談で、管理職登用試験を受けない社員が増えているが他社でも同じ傾向ですか。自分が試験を受けた時は、試験を受けられなかったらどうしようと思っていたのに・・・、という場面がリピートします。  企業としては、管理職になりたくない人が今後も増えていくことを前提に人事管理を行っていく必要となるものの、一方、現状の管理職層の問題課題として、40歳前半になると管理職に昇格させてきたことで、部下無し管理職や会社貢献が希薄な管理職の扱いに苦慮している企業は少なくありません。 「2:6:2の法則」「8割を2割が生み出す“パレートの法則”」から、会社を牽引する管理職は20%が適切で、80%の社員が管理職になりたくないことは、管理職の歪な状態を見直すトリガーになり得るとも言えます。ただし、留意点としては、会社が管理職にしたい社員が管理職を目指す仕組みが整っているかです。ミスマッチを回避するために、以下のようなことを確認することをお薦めします。これが全てではないですが。 ①本人のキャリアプラン確認(入社5年・10年の節目で複数回設定) ②会社からのメッセージ(上位職から君は管理職として会社を牽引する人材だと情熱を持って伝える、情熱が欠けると意味がない) ③人事制度(キャリアプランが選択できる複線型パス、適正な評価、報酬格差等) ④能力把握の適正診断(アセスメント等) ⑤管理職候補者に絞った育成研修(社員全員の底上げでなく選抜型での育成)  働き方の多様化から、管理職昇進を望まない社員の勢いは止めることは出来ないでしょう。管理職試験を受けたくない社員がいること自体、50代の管理職は理解できないことかもしれません。この傾向を管理職の歪さ解消を中心とした組織見直しのチャンスと捉え、前向きに人事管理に向き合っていくことができれば、決して心配することではないと言えます。どの様な場面においても、プラス思考を忘れなければ、進むべき路は見えてくるものです。

変わったヤツだね、あいつ | 人事制度

変わったヤツだね、あいつ

 東京に本社を置くその会社は、600人ほどの従業員を擁する大手企業傘下のシステム開発会社だ。管理職と専門職の複線型人事制度を設けている。この専門職というのをどう位置付けたらよいのか、ずいぶん長く議論してきたが明らかな結論が見えてこない。曰く・・ 「40代後半にもなって、ポストが無いという理由で管理職に昇格できない人材を遇するには、専門職という立場がどうしても必要だ。」 「いや、ちょっと待て。専門職というのは、他人に無い高い専門性を持つ人材を処遇するためのものだ。単に優秀な総合職社員を格付けるものとは違うのではないか。」 「優秀ではあるが管理職には向かないという人もいる。こういう人も、それなりに処遇しなければ辞めてしまうだろう。」 「ところで、管理職に昇格させてみたがうまく成果の出ない人材は管理職ポストから外したいのだけれど、格付けを一般社員まで落とす訳にもいかない。専門職に移ってもらえば収まりが良いな・・。」 そうこうするうちに、若くて優秀な専門人材と管理職リタイア組が混ぜこぜになった、妙な人材集団が出来上がった。多くの若手社員から声が上がる。 「いったいこの専門職というのは何なのだろうか? うちの専門職に何かの専門家はいるのですか? 年功序列の大義名分に過ぎないのでは?」  さて、同じICT系の会社だけれど、地方都市に本拠を置く新興の会社がある。まだ200人ばかりの会社だが、クルマの先進情報技術を武器に急成長を遂げている。前述の会社と同じような複線型制度を設けているが、少し違った景色が見える。 ここで働く人は、全員が非常に高い専門技術を持っている。例えば、この会社のコーダー(コーティングを仕事とする職種)は、ふつうのプログラマーの5人分から10人分もの仕事をするのだそうだ。彼らは、あたかも日本語とコーディング言語のバイリンガルだ。部下に帰国子女がいれば、辞書を引きつつ汗かきながら英語で会話をしなくても倍のスピードで仕事が片付くのと似て、注文主が「こんなシステムがあるといいな」と夢を語れば、たちどころにコンピューターと話をつけてくれるのだそうだ。 コーダー職以外にも、AIのアルゴリズムを考える人、巨大なデータセンターを切り盛りする人など、数多くの専門家が腕を振るう。綺羅星のごとき人材たちが数多く働く専門家集団だ。 ここでは、専門家としてのウデの良さでグレードが決まる。誰もが、自らの専門分野で、もっともっとウデを磨きたいと考えている。だから、ポスト不足の悩みなどない。そもそも管理職という仕事への憧憬が無いのだ。若い技術者たちが仲間のうわさ話をする。「あいつ、次のワンオンワンで管理職コース希望するんだってさ、変わったヤツだね・・」  根拠の無い直観だが、二番目に述べたような会社がにょきにょきと姿を現しているように思う。その半面、数多くの人事部門で、一番目に述べた会社のような議論が依然として交わされている。技術の急激な発展があり、産業構造やビジネスモデルの地殻変動が起こる。そして、わが国の人事管理は、その後を周回遅れで追いかけているように見える。  ところで、人事制度を刷新するとき、経営者は社員にそのいきさつを語る。米国の経営者の多くは、『私はこんど、このような制度を導入することを決心しました。』と言う。日本の経営者の多くは、『わが社では、こんど、このような制度を導入することになりました。』と言う。両者の表現には微妙なニュアンスの違いを感じる。 マスコミがそのことについて盛んに論評し、業界の多くがそれに賛同し、有識者の協力を得、従業員の皆さんの大方のご理解が得られ、十分に環境が整い、機が熟したときに、日本の人事管理は漸く、一歩、前に進むのだろう。熾烈なグローバル競争の中で、遅きに失することがないとよいが。

内部公平性という呪縛 | 人事制度

内部公平性という呪縛

 人的資本経営の重要性の認識が高まる中で、人事制度の見直しに着手する企業が増えている。人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、企業価値向上につなげる経営のあり方だ。具体的には、企業理念・経営戦略を実現するための人材価値や人材像が言語化され、事業戦略・経営計画と合致した視点や時間軸で目指すべき人材ポートフォリオが明確にされ、その姿を目指して、要員計画・人件費計画や、採用、配置、育成などの各人事機能別方針・施策が統合的に展開されるアプローチと言えるだろう。 経営理念や経営戦略と連動した明快な人事戦略の下で、人事マネジメントを行っていく事であり、当然、人事制度もその方針に合致したものとなる。  この人的資本経営という概念を大きく否定する人はあまりいないが、実際の人事制度の設計プロセスにおいて、スムーズに事が決められていくかと言えば、実際はそうならない。「多様な働き方へ対応するために地域限定の総合職を導入するか?」「優秀なITエンジニアを中途採用で採用可能にするために、他の部門よりIT部門の給与水準を上げるか?」こうした問いに対する判断の論点は、外部競争力を優先させて、世代間や部門間の公平性を犠牲にすることを許容するかどうかにかかってくるが、同一企業の経営層や人事部内でも意見は様々で、共通の人事ポリシーや判断軸を持ち合わせている企業は多くない。  管理職役職定年の是非、定年延長やシニア世代の処遇の在り方等、多様な人材の柔軟な働き方を許容していくトレンドが進む中で、こうした従前からの人事制度上の検討事項が、改めて着目され、見直しを迫られている状況だが、制度見直しをすれば、既存社員の特定の誰かにしわ寄せがきて、不利益や不満が発生する事を恐れ、容易に意思決定に至らない。本来、こうした見直しの判断の拠り所も、企業の人事戦略で謳われた方針であるはずだが、社内の内部公平性を重視する日本的マネジメントの足枷は、思いのほか強く、様々な人材セグメントが持つ既得権益を否定するまでには至らず、議論が長引く事が少なくない。  結局のところ、人材や働き方の多様性を受け入れていく中で、それぞれの立場で、既得権益を持つ既存社員も含めて、一律的な公平性を追求していけば、当然ながら、どこかで袋小路にぶつかる。どこかでゲームのルールを変えていかざるを得ない。  内部公平性は、人事制度設計において、外部との競争力の強化と共に主要な視点であり、社内の多様な人材を公平に扱うという考えは尊重すべきものだが、それぞれの人材セグメント上で発生した既得権益を温存しがちな、従来からの日本的社内公平性の概念からの転換が必要だ。  例えば、リスキリングやキャリア形成支援等、各人材セグメントに即した最適なキャリア成長の支援を、公平に提供していく事を前面に出していく等、人的資本経営時代にふさわしい新しい公平性の在り方を社内外に提示し、粘り強く、内部公正性という意味合いの転換の必要性に理解を求めていく事が、それぞれの企業文化や経営戦略に即した人的資本経営を具現化していくうえで、カギとなっていくだろう。

役職定年は「消化試合」をもたらす | 関連制度設計

役職定年は「消化試合」をもたらす

 多くの日本企業で高齢化が進むなか、高齢化対策として導入されてきたのが「役職定年制度」です。役職定年制度は、1986年に施行された高齢者雇用安定法により55歳定年から60歳までの雇用を努力義務とされたことを契機に拡大してきました。  定年が引き上げられ、1つの役職に長く留まる人が増えると、世代交代が滞り、若手のモチベーションダウンにつながります。また、年功型の人事制度の場合、時には実際のポスト数より多くの役職者が発生し、総額人件費も増大化します。そこで、一定年齢(多くは50代前半)になった段階で、役を外し、それによって若手にポストをあけ、賃金を抑えることを目的としているのが役職定年制度です。  しかしながら、役職定年制度の実態をみるとさまざまな問題が生じています。  役職定年後の当事者は、ほぼ同じ仕事で、給与は6-7割にダウンするのが通例です。当然モチベーションダウンは避けられず、生産性も低下します。シニア人材は定年までの「消化試合」をして過ごすということにたとえられるのではないでしょうか。バブル層が今55歳前後に差し掛かり、5年後に60歳の定年を迎えます。大量の人材が「消化試合」状態になる姿を、経営側は望んでいるはずがありません。  一方で、優秀な方においては役職定年を機に離職するという負のスパイラルを生み出します。  また、役職定年制は年齢差別であるという批判もあります。外国に目を向けると、米国や英国では、年齢を理由に雇い入れや労働条件を差別することを原則禁じられている例もあります。  そんな中、最近においては、55歳前後で管理職から外す役職定年制度を廃止する企業が増えています。例えば、大手の某電気メーカーにおいては、役職定年を迎えた約1,000名を、成果実力主義に則り管理職に復活させました。  さまざまな状況を踏まえ、今後を見据えた場合、「もはや、年齢を理由にした人事管理は限界にきている」と考えています。  しかしながら、若手が相変わらず役職に就けないというのも望ましくはありません。これらを解消するためには、仕事内容を明確にするジョブ型雇用が考えられます。 管理職の登用については、管理職の役目を担えるスキルや能力があって、パフォーマンスが発揮できる方であれば、男性、女性、高齢者、若年者、外国人などに関係なく昇格できる評価制度が確立されていることが重要になります。つまり、ペイフォアパフォーマンスを徹底することです。  シニア人材のモチベーション低下も、仕事と成果レベルによって処遇パターンを変えることを合意の上で雇用を継続すれば、一律ダウンは避けられるはずです。  シニア人材を消化試合化させず、誰もがモチベーション高く活躍できるために、成果・能力・貢献を評価基準とした制度設計と、それを明確に正しく厳格に評価できる評価者の育成こそが求められています。

うまくいかない目標管理 | 人事制度運用支援

うまくいかない目標管理

 目標管理は言うまでもなく“企業の目標の達成のために、組織や社員が目標を設定し、達成を促進する”ものである。多くの企業で目標管理が導入されているが、うまく機能している企業は非常に少ない。うまく機能しないのは、経営や人事が目標管理に対して過度に期待しているからではないか。多くの企業でみられるうまくいかない代表的なパターンは次のようなものである。 -そもそも会社や組織の目標が不明確  企業が毎年掲げる目標が明確でないことが散見される。目標そのものが十分に社内で検討されていない、また実現可能性が低いなど企業目標として“質”を疑うものがある。この企業の全体の目標を、各組織や個人に分解するのであるから、元の目標の質が十分でなければうまくいくはずがない。十分な社内協議や計画の裏付けのない目標が掲げられているということである。こうなると企業目標を組織や個人に割り振っていくと不整合が発生し、解決できない様々な矛盾が発生する。目標設定の段階で失敗しているということだ。目標設定がうまくできないので、結果正しい測定になりようがない。企業目標、経営計画が不明確な企業は目標管理をする前提がないのである。 -所詮“正確”に測定できないことを前提としていない  企業の経営目標も売上や利益のような数字だけでなく、管理レベルの向上、人材育成、コンプラ、社会貢献などの数字で測定しづらい目標も多くある。このような定性的な目標に対しても、達成度合いを判断しなければならない難しさがある。所詮定性目標の達成度は人により判断することであるので認識が完全に一致することはない。しかし多くの人の認識を一致させる必要はある。“目線合わせ”というのは、多くの人に認識が一致することであるので、これには“衆目の目”にさらすことが有効である。目標と達成度合いを公開すれば目標そのものの設定やその評価に対して様々な意見議論が発生するだろう。衆目の目にさらすことによる目線合わせを行うことによって、適正な評価をする文化が醸成される。 -目標管理は管理職以上  目標を設定するということは、その目標に対して責任権限がなくてはならない。自分の責任権限外の目標は自分ではコントロールできないからである。そのため目標管理の対象は組織の長には最適である。本部、部、課などの組織は目標が設定しやすくかつ責任権限がある。まず管理職の目標管理を機能させることが第一歩である。一般の社員の目標管理は実際には非常に困難で、多大な時間を投下しても得るものは少ない。仕事は個人に閉じて遂行しているのではなく、チームとして動いていることが多い。そうなると課の目標を個人にきれいに分解することは困難であり、またあまり意味が無くなる。さらに目標を自分で設定させる例を目にするが、業績の測定という観点では全くナンセンスだ。業績管理のための目標管理では、会社や組織の妄評を達成するための個人に対する指示であるので、あくまでも会社や上司が決定しなければならないからだ。 -測定技術が不正確、非合理  せっかく目標を設定してもその測定方法が曖昧であったり非合理であれば正しい評価とは言えない。例えば目標を100%達成ならB、120%ならAなどのように、目標に対して一律の達成基準で測定する方法がよく見られる。目標に対する達成の振り幅は目標によって大きく異なる。ルートセールスであれば売れる数量はあまり大きく変わらないかもしれないが、新しい商材の営業や個人の営業努力で数字が大きく変動する業態では振り幅は非常に大きい。本来は個別の目標ごとに達成基準を設置しなければ正しい測定はできない。 また目標に難易度を付ける例などもあるが、どこまで合理性があるか疑問である。 -ほんとうは重要視していない  目標の設定が曖昧で測定も非合理であるために、評価の結果は当然適正で整合性があるものとは言えない。それでも目標管理に多大な時間を投下しているが、この結果をストレートに反映している企業はごく少数だ。目標管理は通過儀礼的なもので評価は最初から答えがありきではないかと疑われてしまう。社員の処遇に対して大きな影響を与える評価であるのであれば、仕組みや運用などもっと厳格にするべきであるが、曖昧な目標や甘い評価が散見されても経営者も人事も身を挺して防ぐことをしない。本当は重要視していないのではないか。  目標管理を否定しているのではない。現在の目標管理があまりにも機能していないため、まずは原則に従いできる部分から始めることが有効だと考える。会社そのものや経営者の目標管理を明確にし、次に管理職の目標管理を機能させることを優先させるべきであろう。 以上

人事評価の新トレンド | 人事制度設計

人事評価の新トレンド

我が国では、人事評価を年1回、ないし、半年に1回行っている企業が大半を占めているが、米国では、数年前から、年次評価や半期の中間評価をやめ、社員にリアルタイムでより頻繁にフィードバックを行う企業が増えている。 この背景には、期初に目標を置き、期末にその達成度を確認・評価するという従来の目標管理制度がうまく機能していない実態がある。ビジネス環境が日々刻々と変化する中では、期初に立てた目標は、1年後の期末には、陳腐化してしまう事があるし、何か月も前に起こった事象に対して、後から上司と部下双方でその時を思い出しながら、まとめてフィードバックや改善施策を議論しても遅きに失してしまうという事もある。 年に1回、AとかBとか各社員をレーティングすることもやめて、代わりに、上司が部下へ頻繁にフィードバックを行う。部下の個々のアクションに対して、「先週のクレーム処理は完璧だった」「あのプレゼンは、正確でなかった」「この業務は期限内の終了しなかった」と言った率直なフィードバックを行い、課題解決に向けた方策を双方で議論する。直近の部下の行動やパフォーマンスについて速やかに議論を行い、上司と部下とのコミュニケーションを増やすことで、双方の認識がズレたまま、漫然と業務を遂行し続ける事を防いだり、課題を解決するための行動をより速やかに導くことを目指している。 1年まとめてじっくりパフォーマンスの評定をするより、日々の行動の都度、フィードバックを行うことを重視する人事評価のトレンドは、今後も、社会の変化のスピードがさらに加速すると言われている中で、ますます、浸透していくと考えられるが、この仕組みを導入している企業の現場では、まだ、必ずしもスムーズに事が運んでいるわけではない。実際、現場の管理職には、多くの負荷が掛かっていて、毎月、何十回も部下とのフィードバックのミーティングを行う時間を確保することだけでも大変であり、また、部下に対し、ストレートにフィードバックする事で、感情的なストレスを抱えることもある。こうした取り組みが定着していくためには、上司、部下ともに、一定の試行錯誤の時間が必要なことは確かだろう。 今後、このようなフィードバックを効率的に行うためには、管理職の負荷軽減と部下とのコミュニケーション力の向上がカギとなる。それを推進するには、なによりITツールの活用が不可欠となる。目標設定や社員の進捗状況をリアルタイムで評価するツールや、会議やイベントの終了後に関与した社員にその評価を求める多面評価システムなどがそれにあたる。例えば、大きな会議が終了した後、出席した上司や同僚が席に戻るとパソコンにメールが送られてきて即、その会議の内容や進め方についてのアンケートを求められ、その結果は、即、会議を主催した当事者にフィードバックされるといった具合である。 従来のように、1年まとめてじっくり評価しようとしても、当初の目標設定がずれたり、上司の認識が異なるまま評価され、不満を抱えたまま、翌年を過ごすより、一つの業務の節目ごとに、ほぼリアルタイムで周囲からフィードバックを受け、頻繁に、今後どうするべきかを上司とともに建設的に考えていく事ができれば、社員の評価に対する不満は減り、モチベーションは向上していくことになるだろう。 我が国においても、以上のようなITツールが充実するに従い、こうした頻繁なフィードバックをベースとした評価システムへと移行していく事になるのではないだろうか。