シリーズ「人事はなぜ機能しないのか」
(1)評価制度はなぜ納得されないのか
—「正しいのに不満が出る」構造的な理由—
目次
評価面談の場で、こんなやり取りを見たことはないだろうか。
「評価基準に照らすと、この結果になります」
「説明は理解できました。ただ、納得はできません」
この会話は、多くの企業で繰り返されている。評価はルール通りに行われ、論理的にも筋が通っている。それでも不満は消えない。
こうした場面に直面したとき、私たちはつい「評価基準が曖昧なのではないか」「評価者のスキルが足りないのではないか」と考える。あるいは、甘辛調整の問題だと片付けてしまうこともある。しかし、本当にそうだろうか。
もし問題が「精度」にあるのなら、制度を緻密に設計し、評価者教育を徹底すれば不満は解消されるはずだ。だが現実はそうなっていない。むしろ、制度を整えれば整えるほど「説明は完璧なのに納得できない」という状態が生まれやすくなる。ここに、評価制度が抱える本質的な矛盾がある。
評価の目的は、本当に機能しているのか
評価制度の目的は何か。この問いに対して、多くの企業は次のように答える。個人目標を組織目標・会社目標に接続すること。評価結果を処遇へ適切に反映すること。そして評価を人材育成につなげること。いずれも正しい。むしろ、これ以外の答えはない。
ただ、ここで一度立ち止まりたい。それは「本当に機能しているのか」という問いだ。目標は本当に接続されているのか。評価は本当に処遇へ納得感をもって結びついているのか。評価は本当に人材育成につながっているのか。
もしこれらが機能しているなら、評価制度に対する不満がここまで広がっているはずはない。問題は、目的が間違っているのではない。目的を実現できる構造になっていないことにある。
重要なのはこの「機能していない」状態が、誰かの怠慢や悪意によって生まれているわけではないという点だ。制度を設計した人事も、目標を設定した上司も、評価を下した管理者も、それぞれ誠実に仕事をしている。問題は、その誠実な仕事が「つながっていない」ことにある。だから表面上は「制度が整っている」ように見えるのに、現場では不満が積み上がっていく。
評価制度は「制度」ではなく「構造」である
評価制度をルールの集合として捉える限り、この問題は解けない。評価制度は本来、もっと立体的なものだ。
評価制度 = 構造 × 関係 × データ
この三つが接続されて初めて、評価は機能する。
ひとつ比喩を使いたい。
評価制度は「カーナビ」に似ている。構造は地図だ。どこに何があるかを示す設計そのものである。関係は運転者の意思や状況であり、どのルートを選ぶかに影響する。データは現在地や交通情報であり、意思決定の前提となる情報だ。
この比喩で重要なのは、三つのうちどれか一つが欠けても「目的地に辿り着けない」という点である。地図が精緻でも、現在地がずれていれば意味がない。現在地が正確でも、運転者が「なぜここへ向かうのか」を理解していなければ、途中で引き返す。評価制度も同じだ。構造(制度設計)だけ整えても、関係(評価者と被評価者の対話)とデータ(判断の根拠となる情報)が接続されていなければ、「使える制度」にはならない。
問題は、多くの企業がこの三つを分断したまま運用しているという点にある。制度は立派に整備されていても、評価者と被評価者の関係は形式的な面談に収まり、意思決定に使えるデータも乏しい。結果として「ルールとしての評価」は動いているのに、「機能としての評価」は止まっているという状態が生まれる。
納得されない理由は「意味が接続されていない」からだ
評価制度に対する不満は、「評価が間違っている」から生まれるのではない。評価の意味が、自分の中で接続されていないことが本質だ。
現場でよく見られる場面を挙げたい。あるメンバーが今期、高い目標を掲げ、それをほぼ達成した。自己評価はA。しかし上司からの評価はBだった。面談で上司は丁寧に説明した。「目標は達成したが、期待していた行動面での成長が見えなかった」と。説明は論理的だった。しかしそのメンバーは、面談後にこう感じた。「行動面の期待なんて、期初に聞いていない」と。
問題は評価の正しさではない。期初に何を期待されているかが伝わっておらず、評価という「結果」だけが届いた点にある。評価という点と、期待という点が、一本の線としてつながっていなかった。これが「意味の翻訳不全」だ。
評価とは本来、点数を伝えるものではない。「自分は何を期待されているのか」「どこに向かっているのか」を伝える装置だ。それが機能していないとき、人は「正しい評価」に対しても納得できない。評価の「正しさ」と「納得感」は、別の回路で動いている。正しければ納得される、という前提自体が、そもそも成り立っていないのだ。
見落とされがちな「データ」の歪み
もうひとつ、重要な論点がある。データだ。
多くの企業において、評価に用いられるデータは「自己評価」と「上司評価」という主観データにほぼ限定されている。主観データは重要だ。関係性や文脈を含む、生きた情報だからである。しかし、主観データだけで構成された評価は、必ず解釈の揺らぎを内包する。
同じ行動でも、評価者によって意味づけが変わる。同じ成果でも、上司との関係性によって受け取られ方が異なる。結果として評価は「正しいかどうか」ではなく「誰がどう見たか」に依存する構造になる。
これはカーナビの比喩で言えば、地図はあるのに現在地が人によって違って見えている状態だ。同じ場所にいるはずなのに、見えている景色が違う。この状態で「現在地はここだ」と言われても、腑に落ちない。評価に対する「なんとなく納得できない感覚」の多くは、このデータの歪みから来ている。
評価におけるデータは、主観だけで閉じてはならない。行動の記録、プロジェクトへの貢献、周囲からの観察——こうした情報が主観評価を支えることで、初めて評価は「誰が見ても一定の意味を持つもの」になる。この点はさらに踏み込む必要があるため、ここでは問題提起にとどめておく。
問題は「運用」ではなく「構造」にある
評価制度の不全は、評価基準の曖昧さや評価者のスキル不足といった個別要因では説明できない。それは、構造・関係・データが分断されたまま運用されているという、構造そのものの問題だ。
評価制度はよく「運用が重要だ」と言われる。確かに運用は大切だ。しかし正確にはこうだ。運用が重要なのではなく、「運用で補わざるを得ない構造」になっていることが問題なのだ。
構造が適切に設計されていれば、運用は自然と整う。逆に構造が歪んでいれば、どれだけ優秀な評価者がいても制度は崩れていく。「あの上司は評価が上手い」「あのマネージャーは部下の納得感を引き出せる」という話が出てくる時点で、その制度はすでに個人スキルへの依存を前提にしている。それは制度ではなく、属人的な運用だ。
「正しい評価」が不満を生むという逆説
評価制度の難しさはここにある。間違っているから不満が出るのではない。正しいのに不満が出る。これは制度の欠陥ではなく、構造の欠陥だ。
評価制度とは、単に人を評価する仕組みではない。組織の期待と個人の認識を接続する「翻訳装置」だ。この翻訳が成立していない限り、どれだけ制度を精緻にしても不満はなくならない。
人事の現場で長く仕事をしていると、「制度は整っているはずなのに、なぜうまくいかないのか」という声を繰り返し聞く。その問いに向き合うたびに感じるのは、問題が制度の「中」にあるのではなく、制度をどのレイヤーで捉えているかにある、ということだ。ルールとして捉える限り、評価制度の問題はルールの修正で解こうとする。しかし本来、評価は構造として捉えるべきものだ。そこに気づいたとき、はじめて設計は始まる。
では、何を見直すべきなのか
評価制度を見直す際、多くの企業がまず手をつけるのは「評価基準の見直し」や「評価者研修の強化」だ。それ自体は必要な取り組みだ。しかし、それだけでは不満の本質には届かない。
重要なのは、「評価制度を改善すること」ではなく、「評価をどのような構造として捉え直すか」だ。具体的には、三つの問いを持つことから始まる。
一つ目は、「評価はどの意思決定と結びついているか」だ。昇格・昇給・配置・育成——それぞれの意思決定に対して、評価はどう接続されているのか。ここが曖昧なまま制度を動かすと、評価結果が宙に浮いた状態になる。「評価Aなのになぜ昇格しないのか」という問いが出るのは、この接続が言語化されていないからだ。
二つ目は、「評価に使っている情報は十分か」だ。自己評価と上司評価だけで完結している企業は多い。しかしそれでは、主観の揺らぎを補正する手段がない。行動の記録、プロジェクトの成果、周囲からの観察——こうした情報が加わって初めて、評価は「根拠のある判断」になる。
三つ目は、「評価の意味が本人に届いているか」だ。評価面談は「結果を伝える場」になっていないか。本来は「期待を伝え、方向性を共有する場」であるはずだ。点数の説明に終始している限り、意味の翻訳は起きない。
この三つは、いずれも制度の改訂では解決できない。評価をどう設計し、どう運用し、どう対話するかという、構造全体の問いだ。そして、この三つが接続されたとき、評価制度は初めて「人材を動かす仕組み」として機能し始める。
評価制度の問題は、制度の中にはない。
どのレイヤーでそれを捉えているか——にある。
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