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吉岡 宏敏

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【対面型セミナー】「失敗しない管理職登用判断の方法」 | 人材アセスメント

【対面型セミナー】「失敗しない管理職登用判断の方法」

 高い成果を出し、職務遂行能力にも問題ないと判断して、管理職に登用してみると、どうにも困ったマネジャーだった・・・いわゆる「管理職登用の失敗」の話はどの会社でも耳にします。管理職登用の判断方法として、内部評価、外部評価、それらの組み合わせなど、さまざまな手法があります。 本セミナーでは、それぞれのメリットや制約を踏まえ、失敗しない昇格診断のアプローチと留意点についてご紹介します。セミナー後は、個別ご相談会にて課題解決のご支援もさせていただきます。ぜひご参加ください。

人材育成の本気度 | 人材開発

人材育成の本気度

 選抜型の、次期経営リーダーを育成する教育施策を数多く提供してきた。  基本は経営リテラシーを学ぶための半年間の連続研修の形式。各研修の事前に基本知識の学習と課題に対して自身の考えをまとめる作業を課し、研修当日は議論とアウトプットに集中。事後には、研修テーマを自身の組織や自社を題材にして考察したレポート提出を都度課す。連続研修の最後には経営に対する施策提言を組みこみ、社長以下全役員のタフクエスチョンに晒され、経営目線から評価されるイベントで終わる。  この最後のイベントの狙いは、もちろん優れた施策提案があればその実施について経営陣が合意しすぐに開始できるようにすることだが、多くは実践できる施策への期待というよりも、優秀な候補人材をさらに成長へむけブーストすることである。ゆえに、多様なタフクェッション(=厳しい質問や指摘)が、経営のリアリティに気付かせるための教育的な叱責として繰り出されなければならない。そこに、聞き手である社長以下経営陣の姿勢と力量が大きく問われことになる。  ゆえに、このイベントは、決して締めくくりのセレモニーではなく、一連の経営リーダー育成施策の成否を分ける勘所である。ときに、提言の未熟さにいらだちおもわず頭ごなしに切り捨ててしまう社長が著しく受講者のモチベーションを棄損してしまったり、経営難の渦中にあるせいか受講者から提案される案に前のめりに食いついて、会社への不安感を抱かせてしまったりといった逆効果の逸話も聞く。時間と労力と費用を投下し経営人材育成に臨んできた取り組みが、最後の最後で失敗してしまったら元も子もない。  成功させるために大事なことは、経営実践で必要な視座と視野を分からせるための厳しい指摘と、さらなる動機付けの両面を、きちんと踏まえた発言が経営陣からなされることである。経営陣が真剣に問い質すその言葉によって、自分たちの提言がなぜ至らないのかを胎落ちさせる。その問いや問う姿勢に、経営者の器というものが受講者に垣間見えることこそが意義深い。  ある会社で、経営会議の時間の前半を割いて、若手選抜研修の最後の経営提言発表をしたことがあった。各グループの発表ごとに経営陣からの質問、指摘、意見が予想以上にあって、予定の終了時間になってもまだ半分しか終わっていない。経営会議の後半では重要な決議事項が目白押しなので、打ち切らざるを得ない。残りの発表内容は資料回付で役員が閲覧し後日コメントをフィードバックするようにしたい、と事務局が終らせようとする。  と、間髪を入れず社長が「いや、それは違うんじゃないか。彼らがこんなに一所懸命に考え準備して我々に提起したいというのだから、我々はそれに応える義務があるのではないか。最後まで、じっくりやろう。経営会議の議論はそのあとだ。夜は長いし」と言った。  時間切れか、、、と悄然としていた受講生たちも、その言葉に、一様に笑顔で顔をあげ目を輝かせる。育成施策の巧拙もさることながら、経営者の本気度に勝る育成のエンジンはないのだ、と思わせる一瞬であった。

イノベーション人材とは誰か その2 | その他

イノベーション人材とは誰か その2

 イノベーションのためには   ① イノベーションの種(タネ)となる斬新でユニークな発想で創造的アイディアを生み出す人材   ② それが排除されず生かされる環境をつくる、そのように職場をマネジメントする人材 の2種類の人材がいる。その後者、管理職者たるイノベーション人材について前回、書いた。(→『イノベーション人材とは誰か その1』)  では、前者、そもそものイノベーションの種(タネ)を生み出す人材とはどういう人材なのか。優れたアイディアマンや誰も思いつかない突飛な発想に優れるというだけではイノベーション人材にはあたらない。新しいアイディアはイノベーションの種(タネ)にすぎない。事業や組織の変革につながる芽へと発芽させることができて初めて「ビジネスイノベーション」の可能性が兆すからだ。ビジネスイノベーションの端緒を作りだせる人材には、柔軟で斬新な発想力とは別の、ビジネスセンスをもって種を見極め発芽にむけてアクセルを踏み果敢にドライブする能力が必要である。    別の能力とは、起業家的能力だろう。「新結合」という言い方で経済発展に不可欠なイノベーションを初めて提唱したシュンペーターは、その担い手を企業者とし、経営管理者と区別した。この文脈で彼のいう企業者とは、起業家に他ならない。その要件は、   ① 物事を見極める独特の視点    ② 不確定でも抵抗があっても一人率先して取り組む実験精神    ③ 周囲を巻き込み従わせる影響力 と解釈できる。それがビジネスイノベーションの原動力だとすれば、こうした資質と能力を有する人たちが(芽を生み出す)イノベーション人材と言ってよい。  人材要件からいってあきらかに、統制的なマネジメントや階層別の一律教育から、イノベーション人材は生まれない。ゆえに、前回書いたイノベーション(喚起)人材としてのマネジャーが要請され、教育施策としては、資質ある人材を選別し、能力を高め、試行実践を繰り返すような特別なプログラムが組まれるべきだろう。  教育プログラムのポイントは、   第一に、自ら新しいアイディアを生み出すのではなく、すでにある兆候や発想の可能性を洞察し見極めること。   第二に、実験と仮説検証を繰り返しそれを経営検討に値する「芽」に仕上げること。   第三に、その試行を自ら周囲に働きかけ交渉し巻き込んでやり遂げること。 こうしたプロセスそのものを、たとえばアクションラーニングとしてしつらえ、起業の芽の強制的な発芽促進装置とする、といった趣向が考えられる。  さて、その育成装置に放り込む人材をどう選ぶか。誰が、鍛えがいのある候補人材たりうるかを、どう見極めるか。人材要件を要素分解して、その能力や資質を持つ人材をアセスメントするのが順当な方法だが、もっとも重要な候補者の条件は、「自分のビジョンを持っているかどうか」である。その人に問うビジョンとは、所属する組織や会社のビジョンでもなく、自身のキャリアのビジョンでもない。自身の仕事のビジョン、つまりは自分の仕事でなにをなしたいかという強い願望である。自分がどうしたいかという強い想いであり、主体性自律性のエンジンである。  そもそも、イノベーションに通底する「創り出す」という行為は、任務とか命令といった受け身では駆動しえない。自身の持っているビジョン(=想いや願望)が、その目的の意味に共振・共感して初めて、寝食忘れてコトに対峙し考え抜き試し続け、結果、「なにものかを創りだす」ことができるからである。

イノベーション人材とは誰か その1 | その他

イノベーション人材とは誰か その1

 製品開発力で知られるある大企業の社長が、管理職全員を集めた集会でこう言ったという逸話がある。  「全社をあげてさらにイノベーションに取り組まなければならない。しかし、君たちからイノベーションが生まれることは一切期待していない。君たちの役割は、部下たちのなかに萌したイノベーションの芽を見逃さないことだけであり、決してそれを潰さないようにすることだ」。  イノベーションの種(タネ)は個人の新奇な発想である。それはおそらく、過去の経験則や慣習や常識に縛られずに、あるいはそれらを疑い、個々人の願望や想いや信念に執着した意思をもって着想される。新しいアイディアの苗床は、同質ではなく異質、統制ではなく逸脱、組織的でなく個人的を要件とするのだとすれば、マネジメントこそが、イノベーションの萌芽を阻害するのだというコトワリをこの社長は、経験的に痛感しているのだろう。    この話から気づかされることは、イノベーションのためには2種類の人材が要るということだ。   ①斬新でユニークな発想で創造的アイディアを生み出す人材   ②それが排除されず生かされる環境をつくる、そのように職場をマネジメントする人材 種(タネ)を生み出す人材はもちろん必要だが、生み出しうる職場をつくるマネジャーもまた必要である。「管理職者はイノベーション予備軍たる部下の邪魔をするな」という社長の言葉の真意は、イノベーションの種を見逃さず、守り、発芽を促進してくれということであり、さらには、新しいアイディアや過去の手法の問い直しが自律的積極的に生まれるような「創発的な場」づくりを管理職者に期待しているに違いない。  つまり、邪魔をしなければいいといった消極策ではすまない、きわめて難易度の高いリーダーシップスタイルの転換が突きつけられているのだ。まずは、異質性や変化、新しい発想をよしとする職場風土への改革という意味では、コッター流の「変革リーダーシップ」が求められる。一方で、日常のピープルマネジメントとしては対人的な創発の喚起・触発ができなければならない。それはたとえば、共感し、問いかけ、肯定し、支援するといった「カタリスト(触媒)型リーダーシップ」なのかもしれない。さらには、部下たちが相互に刺激しあいアイディアが増幅するようなグループダイナミクスを促進する「ファシリテーション型リーダーシップ」も必要かもしれない。  目標達成と人材育成という管理職役割の発揮は、当然ながら厳しく求められつつだから、「管理職者としてのイノベーション(喚起)人材」たりうるのはマネジャー個々人の頑張りだけでは難しい。彼らを支える土壌―イノベーション喚起のインフラたりうる組織構造や評価の仕組み、必要なスキル教育、共通の価値観浸透、が併せ整備されなければならないだろう。  なによりも大事な土壌が、マネジャーたちをこの困難な役割に臨む気にさせる経営意思の明確な発信。それは、情報創造組織論の嚆矢・野中郁次郎さんのいう「センシタイジングな問い(コンセプト)」が経営トップから出されることである。イノベーションは目的ではなく手段である。到底解決できそうもないけれども、ぜひ挑戦したいと全員が思える目的(=課題)が先になければならない。それは「HOW」ではなく、「WHAT」や「WHY」、つまりは我々の事業や製品や提供価値の「そもそも」についての根源的な問いから生まれる。それが人々の心を感光(=センシタイジング)させ、イノベーションへの意思が自分ゴトとなる。  社長は、「わが社にはイノベーションが必要である」と誰でもが言えるようなことを言うのではなく、なにより、自社の存在理由の将来への問い、つまりは自社のイノベーションの目的について、自身の想いと覚悟を語らなければならないのである。

「言葉にする」ための教養 | 人材開発

「言葉にする」ための教養

 美や感性を表現する仕事、写真家や画家、デザイナーといったクリエイティブな職業のスキルのアセスメント(=ポテンシャル把握)は、「言葉にできるかどうか」でなされるという。たとえばこんな試験で、プロフェッショナル予備軍が選別される。   1.有名無名を問わず、自分が好きな作品を50~100点選び出せ。   2.そのそれぞれについて、その理由を記述せよ。  なぜ好きなのか。なにがどうなっているから魅力的なのか。なぜ美しいのか。それをきちんと言葉にできていれば、マネすることができる。良し悪しの理由がわかっていれば、あとはやってみるだけだからだ。テクニカルスキルが問われるのはそのあとだ。言葉にできることは、プロとして「クリエティビティの再現性」を獲得する第一歩ということである。  リーダーシップトレーニングのエクササイズに、「持論を書く」というものがある。管理職たちは、それぞれに経験のなかで、自分なりのマネジメントスタイルや部下をうまく動かす経験則を得ているものだが、それはおうおうにして暗黙知にとどまる。持論として書いてみることによって、それは方法論として形式知化する。つまり、人に教えられるようになる。神戸大学教授の金井さんは、リーダーたちの持論はTPOV(=Teachable Point of View)の宝庫だといった。  言葉にするということは、自分の見ているもの、自分の感じていること、自分がやっていること、を客観化することである。それが、方法論化につながり、再現性やTPOVを可能にする。しかし、その言葉が、個々人の独りよがりの見方ややり方であったらそうした効用には至らない。普遍性を踏まえかつ独自性ある言葉でなければ評価されないし有用でもない。  写真には写真の文法があり、絵画には絵画のスキームがある。リーダーシップにはセオリーがある。絵画の美を、普遍性をもった言葉で語るためには、スキームを知らなければならないし、確立されたリーダーシップ理論を学習しそのうえで自身の経験を意味付けることで、リーダーたち個々人の持論は有効性をもつようになる。  近年、経営リテラシーのなかで「真善美」が語られるようになってきた。ビジネスは、不断の価値創造の取り組みだが、VUCAの時代には、既存の価値の横展開や再利用では通用しない。原点から社会への価値創出を考えなければならない。原点とはつまり社会における自社の有用性の追求。だから真善美からの検討は避けられない。経営リーダーたちはいま、真善美について自分なりの言葉にすることが求められているのだ。  それには、スキームがいる。世界や人間や社会の認識と在りように関して繰り広げられてきた論議の数々、知の格闘の歴史といえる蓄積抜きには、社会に対峙する普遍的な言葉たり得ない。リベラルアーツとは、自分なりのかつ普遍性をもった言葉を書き出すために不可欠のスキームなのである。

昇格審査では遅すぎる | スマートアセスメント®

昇格審査では遅すぎる

 管理職への登用を決める際には「昇格アセスメント」を行うことが多い。人事評価や部門長推薦によって選定された昇格候補者に対して、テストや論文、役員面接などといった社内での審査に加えて、外部アセッサーによる審査=アセスメントを行う。たいていは「アセスメントセンター方式」と呼ばれる手法が使われ、1~3日の研修形式で管理職能力の発揮可能性が測られる。  この手法は、まだ非管理職である対象者全員が同一のシミュレーション環境(=管理職の業務環境)のなかに置かれ、そこでの行動を観察することで、保有能力(=潜在的管理職能力)を測定するもの。約50年前から欧米企業で使われ、日本でも約40年の歴史があり、その評定の信頼性はすでに確立されている。管理職への入学審査として総合的な管理職能力レベルがわかること以上に、個別の強み弱みが能力項目の言葉で明らかになる効用がきわめて大きい。  つまり、一人一人の管理職たりうるための能力課題が、非管理職の段階で明確になる。しかし、昇格審査では、序列化された総合点結果が選抜だけに使われ、個別育成に資する結果は個人の自己啓発の参考としてフィードバックされるだけである。残念ながら、審査の合否段階で、自身の能力課題がわかっても、もはや遅い。宝の持ち腐れだ。  個々人の強み弱みという貴重な情報がもっと早く、例えば、管理職手前の等級にあがった時点で得られれば、3年なり5年なりの期間、本人も上司も業務遂行のなかで管理職へ向けての自己研鑽や成長のための指導を効果的にはかれるに違いない。このことは、管理職スキル先行教育にほかならず管理職候補者群の能力底上げとなり、量的にも質的にも管理職能力の向上につながる。  実際、管理職手前の等級のエントリー時点で全員にセンター方式アセスメントをきっちりと行い、管理職昇格審査をむしろ簡素にする運用を仕組化している企業もあるが、まだまだ少数派だ。  どう考えても有効なこの手の施策が広がらないのは、センター方式アセスメントの手間と費用の負担レベルが多人数実施に向かないからである。しかし、センター方式アセスメントは、必ずしもコストのかかる1日や2日の集合研修形式(5人程度の専門アセッサーが稼働)を必須とするわけではない。大事なことは、「何を診るか」に応じて、適切なシミュレーション環境(=「刺激」)が設計され、評定構造(=「認知」「判断」「行動」)が理論的専門的に正しく組まれること。  たとえば、インバスケット演習だけをテストとして設計したり、用途ごとに作成したケースを使った方針策定演習だけを実施することだけでもディメンション(=評価項目)は限定されるが、十分な能力課題把握ができる(ちなみに当社の『スマートアセスメント』はWeb診断で簡易に多面的な診断ができる)。昇格審査だけではなくむしろ人材育成にこそ、アセスメントセンター方式は、自由な発想で多様に活用すべき手法なのである。  管理職先行教育はもちろん、若手対象の選抜型経営人材育成も、個々人の(経営人材としての)能力課題の測定があって初めて、効果的個別的な育成が可能になる。あるいは、中途採用対象者が自社で能力発揮できるか、なにが課題になりそうか。新卒採用対象者のなかで自社の事業開発業務に適する人材がいるか、どのような能力特徴か。  そうした将来可能性と個別特性が、シミュレーション環境で測定する手法ゆえに掴めるから、全社で鍵となる人材の活用・育成を個別効果的に実践するには必須のツールなのである。

必須のリーダー要件 | スマートアセスメント®

必須のリーダー要件

 管理職の昇格アセスメントでは、複数のディメンション(=評価項目)で評点をつけ、総合点の降順で候補者を序列化するのが常である。それを見ながら「合否」を判断していくのだが、ある合格点ラインで単純に合否を分けるのは得策ではない。総合点がはっきり高い、あるいは低い人たちについては、能力適性判定の限りではその高低に従ってよい。あとは、社内評価や個別の期待事情を含めて総合的に判断していくことになる。問題は、ボーダーラインの前後あたりに並ぶ人々をどう評価するか、である。  アセスメントとは入学評価である。まだ経験していない管理職業務における能力発揮可能性をみる。将来管理職としてちゃんとやっていけるかどうかを、複数のディメンションで評定する手法だが、個々のディメンションには「濃淡」がある。誰しも、ディメンションごとの評点に高低のメリハリがあるものだが、これだけは低い評点であってはマズいというディメンションがあるのだ。  ディメンションは通常、①思考面、②対人面、③資質面の3カテゴリーで構成されるが、この資質面カテゴリーの項目群のなかにそうしたクリティカルなものがある。例えば、「達成指向」、「自律一貫性」」といった項目が低い評点であるなら、まず候補からはずしたほうがよい。ひらたくいえば、達成に向けてブレずにやりぬく――こうした資質は、人を率いて組織成果を出すうえでの前提要件だからである。他に際立って高い評点の項目がない、つまり総合点でギリギリのポジションにいて、これら姿勢を持たないなら、そもそも管理職に向いていないといってよい。  思考面や対人面の能力には、経験や教育によって高めていけるものがある。なかには変えることが難しい能力もあるが、その弱みは、管理職になってからの限定的アサインやサポートする上司やナンバー2の配置によって補完することもできる。つまりは、能力課題はあるけれどもそれをわかったうえで、管理職登用後の成長期待や組織的配慮を併せ合格判断をすることもできる。その場合あくまでも、資質面がOKであれば、ということである。資質というくらいで、この手の姿勢はなかなか変え難いからだ。  では、思考能力や対人能力において、マストとなる必須能力はあるか。ディメンションにはなかなか分解できないが、管理職としての優劣を分けるベース能力としては、「概念化力」と「自己認識力」のふたつに特定できるだろう。概念化つまり本質を掴み表現できれば、課題解決や方針策定から日常の業務遂行まで的確に行えるし、自己認識つまり自身の内面も外面(=行動)も客観視できれば、自分をコントロールし、周りの人々を的確に動かすことができる。  というようなことはしかし、我々がいろいろな場面で見てきた優れた経営者、管理職者、ハイパフォーマの方々を思い浮かべれば、あまりにも当たり前のことなのである。

人事評価の限界 | スマートアセスメント®

人事評価の限界

 客観的な能力評定の手法として使われるヒューマンアセスメントは、正確には「アセスメントセンター方式」と呼称される。この手法は第二次大戦中、将校(一説には諜報員)の選抜手法として生まれ、各地にアセスメントセンターが設置されたことが呼称の由来と言われる。アセスメントセンター方式を特徴づけるのは、シミュレーションによる能力測定ということであり、その有効性は、社会心理学者クルツ・レビンが以下の方程式で示した原理を前提としている。  レビンいわく、個人がとる行動は、個人特性と環境との関数である。ゆえに、環境を職務シミュレーションとして固定することで、その環境下の行動発揮を観察・分析すれば個人特性を評定できる。対象者が経験や職場の異なる人々であっても共通環境で評定できるし、シミュレーションだから経験したことのない職務環境での行動発揮も診れる。例えばまだ経験したことのない管理職環境をシミュレーション演習とした評定は、管理職の昇格審査にきわめて多く使われているから、アセスメント=管理職昇格審査という理解が一般的になっている。  この方程式からは、通常企業内で行われる人事評価の限界もまた、見えてくる。業績評価は結果や目標達成なので明快だが、能力評価や行動評価では、個人能力の正確な把握は原理的に難しい。レビンの式でいえば、職場での能力発揮行動は、職務の慣れ具合や長くともに働いてきた良好な人間関係、上司との相性などなどといった「環境」と個人が有する「能力・資質」の両方が相まっての結果として発揮度合が決まるからだ。  そうであっても、貢献度合いを評価するという意味では何ら問題はない。能力評価とは保有能力ではなく発揮能力、発揮行動を問うのだという評価原則はつまり、貢献に結果しているかどうかを評価することに他ならないからだ。「環境も含めた能力」の発揮を評価するのが、企業内で行われる能力評価、行動評価ということである。 問題になるのは、個別育成や組織的活用の基盤となる個人能力・資質を、人事評価では正確には把握できないことだ。もちろん、環境変数に惑わされず、個人特性を見極め得る慧眼のマネジャーはいるかもしれないが、その彼彼女とて、部下の未経験職における能力発揮可能性を見極めるには、特殊なトレーニング(アセッサー養成訓練のような)抜きには難しいだろう。社内の適材を探し出して配置する、あるいは能力開発を個別的に効果的に行う――そうしたタレントマネジメントの起点情報としての個人特性把握には、人事評価情報は使えない。 かくして、管理職よりも下の階層に対して網羅的経年的にアセスメントセンター方式による測定を行う取り組みやリスキリング施策へのアセスメント組み込みのニーズが増えてきた。あるいは、イノベーションをにらんで事業開発型人材の発掘のためのアセスメント仕様設計などの要請もある。その採用局面への展開の事例もある。タレントマネジメントとは現有人材の保有能力の最大活用を目指すものだとすれば、必然的に、こうした正確な能力測定機会をさまざまに設けざるを得ないということである。

「人が集まる企業」のKPI | 調査・診断(組織分析)

「人が集まる企業」のKPI

 人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方、とされる。  人的資本経営の情報開示が求められるのは、投資家がそうした非財務的情報も考慮して投資判断をするためであり、それが株価に影響するため各社本腰をいれて情報開示の巧拙を競わなければならなくなった。しかし、人事施策と株価変動の関係については、せいぜい人員削減施策の影響がプラスに出たりマイナスに出たりといった事例があるくらいで、調査も分析もされていない。よって「金融商品としての自社」に最適な開示情報の選定ははなはだ難しい。  ゆえにそこはいったんおいて、では、そもそもわが社の企業価値向上につながる人的資本経営とはなにか、と考えたのが、情報開示に臨んだ各社に共通するスタンスだったろう。しかし、何が企業価値を高めるかについても普遍的な答えはない。例えば、エンゲージメントレベルをあげることが生産性向上につながる、ダイバーシティ&インクルージョンがイノベーションの苗床になる、従業員が幸福であれば(Well-being)結果的に企業は成長する・・・、といったよく言われるコトワリを自社にあてはめても、そうした人事施策が自社の企業価値向上につながる保証はない。    で結局のところ、多くの企業は国から例示された定型一般的な指標情報の開示に留まるといった横並び姿勢を見せたのが、情報開示初年度の状況だった。女性管理職比率〇〇%、目標○○%といった当たり障りのない指標開示には、独自の指標はほとんど見当たらないし、その会社ならではの人的資本経営の思想は伝わってこない。  企業価値向上うんぬん以前に、なにより「優秀な人材の確保」がなければ始まらないのだから、開示すべき情報は、求める人材像が明快で、働く場として魅力的かどうか、つまりその情報を見た人が働きたいと思うかどうかの観点でまず検討すべきではなかったか。開示情報=新卒採用広報の際に提示する情報だと考えれば、人材獲得競争のなかで差別性の高いメッセージたりえているかが問われるから、横並びなどもってのほかで、独自性の高い情報開示に腐心しなければならなかったはずである。  新卒採用広報における企業PRとは、製品やサービスのPRのように「企業の現状」を魅力的な効用として見せることではない。入社した自身の将来の姿がイメージできるような「企業の未来」を確かなものとして提示することである。確かさを保証するものは、組織と人材に関する明確な経営意思(=方針)と実現のリアリティ。人的資本経営としてその会社は何を目指すか、つまり入社する自分たちがどのような人材を目指しどのような場に身を置くか、そのリアリティを裏付ける重要なファクターこそが、開示情報に示される固有の指標、その現状の達成度合いと目標に向けたマイルストーンである。  とすれば、人的資本経営とはまず、「人が集まる企業」としての自社のアイデンティティを問い直し、追究し、形づけることから始まるのではないか。人的「資源」を「資本」と言い換えても、企業都合で人々の能力を高め、十全に使用/活用し、企業価値(¬つまり経済価値)を向上させるという構図に変わりはない。それだけではない、人々が交通し、成長し、機会開発する「場」としての企業の価値向上に目を向けることからも、各社各様の人的資本経営の指標はさまざまにありうるはずである。

あなたの会社にCLOはいるか | 人材開発

あなたの会社にCLOはいるか

 ここでいうCLOとは、Chief Legal Officer(最高法務責任者)でもなければ、Chief Learning Officer (最高人材育成責任者)でもなく、Chief Logistics Officer(最高ロジスティクス責任者)である。と説明せざるを得ないほど、CLOは言葉として知られていないし、その役職のある日本企業はほとんどない。  ロジスティクス(兵站)は、もともと軍事用語。戦争の趨勢は兵站術に左右されることは常識であり、「戦争のプロはロジスティクスを語り、戦争の素人は戦略を語る」とさえ言われる。モノを扱うビジネスにとっても同じ事情(戦争のプロ≒経営のプロ)のはずだが、多くの企業にとってロジスティクス責任者は物流サービスの発注担当者にとどまる。そうした経営意識ゆえCLOの不在が当たり前ではあったが、ここにきて急にCLO設置の「外圧」が高まってきた。  ロジスティクス環境の危機的状況が加速しているからである。来年2024年には、時間外労働時間の上限規制が、ドライバー職にも適応される。もともとロジスティクス業界は、昨今の宅配ニーズの高まりもあって物流量は増大、低賃金長時間労働が常態化し、恒常的な人手不足による将来の物流能力不足が危惧される構造だった。  そこに、時間規制により業務量が減り売上がさがる。人材確保のためには時間外勤務報酬を前提しない賃金レベルアップは必定であり、利益は減少、さらなる物流コスト増や徹底せざるを得ない効率化の取り組みは、ロジスティクス業界のみならず産業界全体のサプライチェーンを揺るがす事態となることはあきらかだ。  かくて、昨年9月より国が主導する「持続可能な物流の実現のための検討会」では、荷主企業に役員クラスの物流管理統括者(≒CLO)の選任を義務づける措置案があがっている。この検討会は、物流業者、発荷主企業、着荷主企業の三者それぞれの物流効率化へ向けての取り組み促進を目指し、その一環としてのCLOの設置は、荷主企業経営者に対する物流生産性向上の意識醸成が狙いとされる。  しかし、単に物流生産性向上のためのCLOでは、「経営のプロはロジスティクスを語る」には物足りない。そもそも、三者関係においては、一方の効率化が他方のコスト増をもたらしかねない。物流というサービスの売買である限りは、「三方よし」の追求は難しい。持続可能な物流のためには、従来の、安くて融通のきく物流サービスを使うという発注姿勢からの転換が必要なのではないか。  たとえば荷主企業は当たり前のように、出荷タイミングにあわせ待機させ、指定の時間に届けることを最優先に要求する。たとえば私たちは気軽にアマゾンで、近所のコンビニ行けば買えるような日用品をひとつ、時間指定の宅配で購入したりする。物が運ばれる/物が届けられることは、産業と生活にとって不可欠な機能であり、物流は経済社会の血脈ともいえる。だとすれば、そうした顧客の身勝手な個別ニーズ以前に、その仕組み維持と効率的使用のための社会共通の使用規則と標準手順があってもいい。  経産省と国交省が旗を振る「フィジカルインターネット」構想は、そのような社会インフラとしてのロジスティクスネットワーク、いわば公共財としてのロジスティクスへの構造転換を予感させる。インターネットとは、①情報を「パケット」に分割しそれが ②都度、さまざまな通信経路を自在に経て届き ③共通プロトコルによって各局面が制御されるしくみ。それにならって、①「コンテナ」や「パレット」といた標準化された荷単位を使い、②最適なルート(空き容量があり時間の合う輸送手段)を経て配送され、③集荷・配達・情報管理の汎用ルールによって荷主とのインターフェイスが制御されるしくみとし、ロジスティクスを社会的装置として組み立てるということだ。  となれば、荷主企業には、インターネットのようにユニバーサルなロジスティクス機能を自在に使えるリテラシーと、それを使いサプライチェーンマネジメントをどう最適化するかという戦略的意思決定が、日々問われるだろう。安く自社の都合に合わせてくれる物流業者をどう調達するかが勝負で、あとは業者任せ、ではなくて、自社のサプライチェーン戦略にあわせて、みずから柔軟に物量機能自体をどう設計し制御するかが問われてくる。さらには、個別業者のキャパシティの制約から解放されて、サプライチェーン戦略自体の自在な策定も可能になるからだ。  兵站術では、戦闘の作戦が「兵站支援限界」によって規制される方策と、戦闘に必要な兵站をなんとか用意する「作戦追随型」の方策があるとされる。国と国の戦争ではもっぱら前者が歴史的に選択されてきたが、近年のテロとの戦闘においては後者にならざるをえないらしい。ビジネスにアナロジーすれば、それはVUCA時代のロジスティクスであり、フィジカルインターネットはそれを可能にする。と考えれば、これは先行き不透明ななかでの柔軟自在なロジスティクス=攻撃的なサプライチェーンマネジメントへの機会かもしれない。  その担い手としてのCLOであれば、魅力的でチャレンジングだ。単なる物流合理化ではない、ロジスティクスの構造転換に今から主体的に与し先行してリテラシーを磨くという意味で、CLOの設置の好機なのである。

初めての、部下評価 | 人事制度運用支援

初めての、部下評価

■先輩、ちょっと相談していいですか。管理職になって初めての人事評価つけるのですが、まだまだ未熟な自分が人を正しく評価できるかすごく不安なのです。私のつけた評点で処遇が決まるのも重圧だし、年上の部下もいてちゃんと本人に納得させられるのか自信がなくて。 □未熟、つまり経験とか人間力が足りないから不安と言っているなら、君は評価の原理がわかっていない。自分の経験や価値観をもって評価する=つまり、自分の「中」の基準で人を評価するなら、そうかもしれないが、君がやるべき評価はそうではない。君の「外」にある基準に照らして、部下の行動や能力発揮度合を見る、ということなのだぜ。 ■「外」にある基準? □公開されている会社としての基準(こんな行動をとってほしい、こんな能力を発揮してほしい)に照らして各部下の行動を見ればいいのだから、君の人としての成熟度とは関係ない。「基準に即しての評価=つまり、絶対評価をせよ」と評価者研修で習ったでしょ? ■だとしても、評価項目は抽象的だし、基準もあいまい。個々人をその基準に照らして1~5点なんて、正しくつけられるとは思えないのだけど。 □ここは確かに、最初は難しいかもね。場数を踏んで磨かれていくという面はある。でもすぐできるコツがあるのだけど、知りたい? ■ぜひ。 □たとえば、部下が5人いたとしたら、評価項目ごとに、できている順に並べてみる。 ■それは相対評価では? それはしないと習ったけど。 □まぁ聞いて。ちゃんと絶対評価になるから。で、Aさんが一番できているとするなら、なぜ、君がそう判断したかの根拠をならべてみる。同様に、BさんやCさんについても、Aさんとの違い、それぞれの違いがどこにあるかを考えてみる。 ■根拠、つまり行動事実の違い? □そう。そこで、あらためてそれを評価基準に照らして、レベル分け=評点化してみればいい。 ■なるほど。できている、できていない、と私が感じる「事実の違い」を材料に絶対評価をするわけですね。うん、それならできそうだ。でも、、、そもそもの、この行動事実ならOKとみた私の判断自体が会社として正しいのかどうかが私には自信がないけれども。 □はい、そのとおり、そこが大事なところ。それは君一人では確認できないし、二次評価者の上司の眼も現場を見てないから怪しい。方法は、たったひとつ。ほかの評価者との間でつけた部下の評価表を開示して、相互検証をするのです。 ■え、そんなことしてもよいの? □大丈夫、君はまだ経験していないけど、「評価会議」というイベントがこの会社では用意されているから。一次評価者同士で評価結果の妥当性を相互に検証する会議。他の評価者が、どのような行動事実をもとに、どう評点をつけたかを知り、またその妥当性を検証しあうことで、評点レベル、つまり評価者の目線があう。 ■なるほど、人のふり見てわがふり直せ。 □いやいや、意味ちがうけど。。。正確にいえば、個々の判断が妥当かどうかを検証していくというよりも、会社ごとの「見えない基準」を明示化し共有していく場という方が正しいかな。評価基準は抽象度が高くどの会社でも似たようなものだけど、具体的実態的な基準は、会社ごとに違ってしかるべきだから。 ■個別具体的な評価基準とは、会社の「暗黙知としての価値基準」の明示化である。 □いきなり難しいこと言うなぁ。。。平たく言えば、「勤務態度」みたいな項目で、一回でも遅刻したらダメな会社もあれば、二回まではOKという会社もある。そういう暗黙の基準が評価会議で確認・共有され、皆が同じように評価できるようになるわけね。 ■評価って、どこか内密にっていうか、上司部下の間だけ、せいぜい二次評価者までの間での秘匿性高い印象あったけど、もっとオープンに論じるべきものなのですね。少し気が楽になりました。 □評価時期の評点のつけ方よりも大事なのは、その材料となる日常の観察と指導。日々君が部下をよく見ていて、都度、指導をしていて、個々人の成果達成にむけて気配りを怠らないこと。まぁそこは大丈夫でしょう、初評価の責任を痛感し不安を覚えていること自体が、君が誠実な管理職者であるということだから。

エフェクチュエーション―創造的ご都合主義のすすめ | 人事制度

エフェクチュエーション―創造的ご都合主義のすすめ

 経営にしろ、ビジネスを行うにしろ、日常の業務遂行にしろ、まず目標/ゴールを定めることが鉄則である。経営とはそもそも構想主導の取り組みであり、ゆえに経営リテラシーの筆頭はビジョンニング力とされる。ビジネスへの着手は、つねにゴールセッティングに始まる。定めた目標をゴールとし、そこへ至るプロセスを考えるのが合理的な方策であることには、疑いの余地はない。  しかしそれは、過去の常識かもしれない。VUCAの状況下では、目標設定自体が難しいし、設定した目標の正しさもあやういからだ。かくして近年は、「コーゼーションからエフェクチュエーションへ」といった言葉が目に付くようになってきた。コーゼーション(Causation=原因/因果関係)とは、環境を予測し目標(結果)を定め逆算的にプロセス(原因)を描くこと。エフェクチュエーション(Effectuation=実用/効力発生)とは、目標を定めず現実的に採れるプロセス(実用)を進めていくなかで決定要因(効力)を見出し結果を創り出していくこと。要は、因果論ではなくて、実効論である。  平たく言えば、「目標から考える」のではなく、「走りながら考える」。と聞けば、先の見えない新規事業開発などは、まさに走りながら、試行錯誤しながら、形にしていくという実態にならざるを得ないこともよくあるから、耳慣れない「エフェクチュエーション」も、とりわけ目新しい概念というわけでもない。ただ注目したいのは、これが起業家に特徴的な意思決定行動だということだ。  この言葉が日本に登場したのは、『エフェクチュエーション』(サラス・サラスバシー著)が翻訳出版された2015年。学際型の経営学者として定評ある加護野忠男さんの監訳だったから買ってはみたもののその分厚さもあって積ん読状態だったが、どこかで見た言葉だなと書架の本に気づいてひも解いてみた。実証的起業家研究の書で、起業家たちを特徴づける能力を調べてみると、それがエフェクチュエーションだったということである。  「走りながら考える」とは、目的からではなく手段から考えるということである。つまり、手持ちのリソース、能力、人脈で何ができるか考え、できることから始める。これが、①掌中の鳥の原則、と命名され熟達した起業家行動の第一の特徴とされる。以下、②許容可能な損失の原則、③クレージーキルトの原則、④レモネードの原則、⑤飛行中のパイロットの原則の5原則が提示される。ちなみに、レモネードの原則とは、「酸っぱいレモンをつかまされたら、レモネードをつくれ」との格言の意で、偶発性の活用という行動原理だ。良いことも悪いことも、途中で起こったサプライズは、価値創造の源泉と考える。  5原則の概要はググれば出てくるので確認いただきたいが、それぞれに示唆的ではあるが刮目するほどのものではない。しかし、こうした原則に通底する起業家行動、その原理にはなるほどとうならされる。彼らは、未来を予測しようとするのではなく、未来をコントロールしようとするのだ。ゆえに、今あるリソースから確実にできることをはじめ、実際にコミットした関与者をリソースとし、サプライズもまたリソースとしてインプットするのである。つまり、不確実な未来だからこそ、すべてを自分に都合よくデザイン(=創出)しようとする。  サラス・サラスバシーは、エフェクチュエーションを支える論理をプラグマティズムだと説明し、こんな逸話を書いている。  ある日、学生たちに、私が背の低さゆえにバスケットボール選手になれなかったことを語った時、クラスのなかのプラグマティストは、「背が低い人のバスケットボールリーグを作ればよいじゃないですか」と言い返したのだ!