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人事制度

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辛抱なき若者が未来を照らす | 人事制度

辛抱なき若者が未来を照らす

 配属ガチャという言葉があるそうだ。大学を卒業して首尾よく就職することができても、初任配属は会社の都合、思うようにはいかないものだ、という意味らしい。そして驚くべきことに、初任配属の地域や仕事が思うままにいかなかったとき、4人にひとりが退職を考えるというのだ(※)。せっかく入った会社なのに、あまりに辛抱が欠けてはいまいか。  昭和の時代にサラリーマンとしてのスタートを切った人間にとっては、空いた口が塞がらないタイプの事実だ。ご同輩の読者はどう思われるだろうか。しかしながら、この事実には、「いまどきの若者は・・」で済まされない大きな変化を感じる。    さて、ジョブ型という言葉が流行りだしてから少し時間が経った。積極的にこれを取り入れようとする会社もあれば、話はわかるが当社には合いそうもないから放っておけ、という会社もある。いずれにしても、ジョブ型という言葉の定義にはかなりの幅があるように思える。  ジョブ型の反対の概念をメンバーシップ型と呼ぶことが多い。筆者なりに両者の違いを描写すると次のようになる。まず、メンバーシップ型だ。雇い主は新入社員に、「定年を迎えるまで何があっても君をクビにしないよ、その代わり、会社が命じるままどこへでも行って、何でもやってください。」と言う。新入社員は「はい、どんな場所にも行って、どんな仕事でもやります。その代わり絶対にクビにしないで。」と答える。家族的だが、ちゃんと取引が成り立っている。  ジョブ型はこれと違う。雇い主は新入社員に、「この仕事をこの場所でやってください。他の場所にはいかなくてよい。他の仕事もしなくてよい。その代わり、この仕事が無くなったら君はクビ。成果が出せなかったときも君はクビ。」という。新入社員も、「この場所で、この仕事だけやって成果を上げます。他のことをやらせようとするなら、会社を辞めます。」と言う。とてもビジネスライクに取引が成り立っている。わが国で解雇が難しいことはもちろん承知の上だが・・。  こうした定義が成り立つならば、ジョブ型というのは雇用契約の話をしているのだ。「ジョブディスクリプションを作ってやるべき仕事をはっきりさせましょう」というような、社内の制度やルールの話ではない。先ほどの配属ガチャ問題、会社のほうは「絶対クビにしないよ・・」と例のごとく言うが、新入社員のほうは「・・でも、他の場所で他の仕事をやらせたりしないでね。」と言っているように見える。同床異夢。取引が成り立っていない。    グローバル競争の時代、多くの経営者が、当社の社員には専門性が欠けていると嘆く。一人ひとりの社員がもっともっと高い専門性を持って仕事に臨まないと競争に勝てない、と。専門性を研ぎ澄まそうとするなら、なんでも屋のメンバーシップ型ゼネラリストではなく、ジョブ型の精鋭専門職を採り育てるべきだろう。わが国も、段階的であるにせよジョブ型雇用の道を進んでいかざるを得ないのかも知れない。だとすると、配属ガチャで辞めてしまう新入社員の決断こそ、わが国の雇用が進むべき道を指し示している、ということにならないか。  不本意配属で、若者は会社を辞めるのだ。多くの会社が喉から手が出るほどに欲する理工系、特に情報系の若者も、配属ガチャを理由に辞めてしまうのだ。ならば、先に職種とエリアを約束し、それを長期間守っていかざるを得ないだろう。あとは、いかにして「その代わり・・」のところを描くかだ。取引を成り立たせるためにどうしたらいいのか。    がんばれ、新入社員。きみたちは自分のやりたい仕事を鮮明に思い描き、高度専門家の志を貫徹すべきだ。そして、それを実現するために必要なら、異動の無い働き方を求めてよい。どうしても叶わないなら、そんな就職は蹴飛ばしてしまえ。社会は甘くないから、「その代わり・・」が待っているかも知れない。でも勇気を持って前に進もう。君たちの決断は、わが国の未来を照らしているかも知れないのだから。   ※出所:「入社後の配属先に関する意向(不安・期待度)調査」キャリアチケットProduced by Leverages(2024年4月2日)

その転勤、必要ですか? | 人事制度

その転勤、必要ですか?

 転居を伴う転勤に抵抗感をもつ人が増えている。  エン・ジャパン株式会社の「転勤」に関する意識調査(2024)※によると、69%が「転勤は退職のキッカケになる」と回答しており、転勤を拒否する理由は「配偶者の転居が難しいから」が一番に挙がっている。その次に、「持ち家があるから」「子育てがしづらいから」が続いている模様だ。  今も昔も、転勤の基本的な考え方は、会社が主導して社員の配置転換を行うものだ。転勤を拒否すれば解雇事由となるのは、多数の企業の就業規則に明記されているところだろう。このように会社が強力な人事権を持つ背景には、日本型雇用の特徴である「終身雇用」「年功序列」とそれに伴う給与の引上げがセットになっていたためであり、労使双方でメリットがあったから成立していたとも言える。  しかし、転職が珍しくもなくなり、共働き世帯が大多数となった現在となっては、転勤の目的の重みと、その負担に即した処遇の大きさを再整理し、再び労使双方が合意できるポイントを探るのが急務となっている。 転勤の目的とは何か  そもそも、なぜ転勤が必要なのか、目的を整理したい。第一に挙がるのは欠員補充だ。定期的な転勤であれ随時の転勤であれ、ポストの欠員が出た場合に社外ではなく社内から素早く人材を補充できるのは、経営管理の視点で極めて効率的である。一方、社員視点ではどうだろうか。いつ自分に転勤の声がかかるか分からない不安定な働き方の中では、当然に将来の生活設計の見通しを立てづらくなる。欠員補充とだけ言われては本人のモチベーションもそうは上がらないだろう。このような目的の重みと本人負担を考えると、それ相応の処遇が求められてくる。具体的には、総合職手当といった「転勤を前提とした働き方の不安定さ」に報いる報酬であるが、少なくとも転勤がない社員と比べて5%~15%程度の給与水準の差がないと転勤待ちする側の納得感は得にくいだろう。  次によくある目的として挙がるのが人材育成だ。将来の経営人材候補や管理職を育てるために様々な事業所で経験を積ませるという企業は多い。人材の入れ替えが事業の成長要因になる企業もあるだろう。経営管理の視点で言えば、後継者育成や重要ポストの維持など、企業の継続性を保つ重要な目的である。社員視点で言ってもキャリアアップとそれに伴う処遇アップに繋がるので、転居に伴う生活上の負担は小さくはないものの、処遇が伴えば転勤に関する抵抗感も少なくなる(上述の調査結果でも、転勤を「条件付きで承諾する」と回答したうち、72%が「家賃補助や手当が出る」45%が「昇進・昇給がともなう」と回答している)。このような目的と本人負担を考えると、転勤先で帯びる職務職責に応じた報酬に加え、会社から本人への期待感の表れとして転勤一時金を支給することも一案だ。現に、最近のニュースでは大手銀行などで引っ越しの支度金などの転勤一時金を拡充する動きもある。その他の事例としては、転勤後の一定期間で「転勤手当」を固定的に月額で支給するものもあるが、赴任後のいつまでを転勤とみなすのかなど考え方の整理が難しく、各企業の個別事情によって運用は異なる。 転勤する人の社内的価値に“差”をつけられるか  さて、ここで大きな課題が残る。その会社における転勤の目的の重みと、社員本人の負担を整理した次に考えなければならないのは、転勤する人の社内的価値に対して、どのくらいのキャリアや報酬を用意するか、だ。転勤しない人の処遇が転勤する人に比べて見劣りすると、「不公平感が出る」「優秀な人材が取れなくなる」などの意見がよくある。そこで、両者のキャリアや給与の差を小さくしてしまうと、差がないなら当然「転勤しない方がラク」なのだから、転勤する人の抵抗感が大きくなる。転勤することがどれだけその企業にとって重要で価値があることなのか、差をつけることで社員にメッセージすることが重要なのだ。 企業起点で考える  転勤の社内的価値は、その企業における経営方針や事業の成長要因、人事管理の方針など、様々な経営上の文脈に依存する。例えば、毎年大量の新卒採用を行っている企業で、随時出てくる期中の欠員補充をわずかにするのみであれば、社外からの補充で事足りるため転勤を無くすという考え方もあるだろう。また、未来の経営人材を社内で育てねばならない企業で、限られた優秀人材に相応のキャリアと報酬を与える必要性が高いならば、等級・キャリアパス設計の中に転勤制度もしっかり組み込んで、戦略的に人材タイプを区別していくのがしっくりくる。最も良くないのは、転勤の位置づけが曖昧で処遇の納得感が少ないために、経営計画や事業運営にとって必要な配置転換がやりづらくなってしまうことだ。  転勤に抵抗感のある人が多い社会情勢である。人手不足で採用競争も熾烈だ。しかし、労働市場の情勢に翻弄されて誰の得にもならないような転勤制度にはして欲しくない。会社として転勤をどう捉えるか、企業起点で考えることから始めたい。 ※出所:「転勤」に関する意識調査(2024)―『エンゲージ』ユーザーアンケート―69%が「転勤は退職のキッカケになる」と回答。 年代が低いほど、転勤への抵抗感が大きくなる傾向に。 | エン・ジャパン(en Japan) (en-japan.com)

その賃上げ、意味ありますか | 人事制度

その賃上げ、意味ありますか

 経団連が発表した大手企業の2024年春闘の回答・妥結状況によると、月例賃金の引上げ率は5.58%(19,480円)と、2023年の3.88%(13,122円)を大きく上回っており、高い水準となっている。  賃金の引き上げは、従業員のモチベーション向上や離職率の低下につながる一方で、企業にとってはコスト増、特に固定費が増加するため、慎重に検討する必要がある。  そこで、月例賃金の引上げを行った2社の例から、その効果について考えたい。A社は、階層ごとに一定の賃上げを行った。一方、B社は、基本給が低い層の賃上げ幅を大きくし、基本給が高くなるにつれ、賃上げ率を低くする改定を行った。    賃金引き上げの意義や効果を考えてみると、以下の3点が考えられる。 従業員のモチベーション向上  報酬に対する満足感が高まり、仕事への取り組み方や成果に対する積極的で高いモチベーションを持つことができる。そのため、従業員の仕事への熱意やパフォーマンスが向上し、結果的に企業の業績向上につながると期待できる。 優秀な人材の確保と定着  賃金が競争力のある水準で維持されることで、優秀な人材を企業に引き留めることが可能となり、従業員の定着率を高め、長期的な競争力を獲得することが期待できる。 従業員の経済的な安定  賃金水準が向上することで、従業員は安定した生活を送ることができ、経済的な安定感が得られるため、ストレスやプレッシャーが軽減され、仕事への専念度も高まることが期待できる。    さて、A社とB社の事例では、この3つの効果が期待できるだろうか。  A社は階層に関わらず全社員の基本給を一律で引上げ、B社は若手層をターゲットとした基本給の引上げを行った。いずれの場合も非管理職層を重点に賃金の引き上げを行っているが、大きく異なる点は、B社は等級や号俸による引き上げ額に傾斜をつけることによって、会社全体の賃金幅を縮小したことである。  これらの違いは、両社の賃金改定に至る経緯の違いに起因していると思われる。A社は、社員の年収を大幅にアップすることを具現化した制度改定であることに対し、B社は、厳しい採用環境への対応と若手の離職防止に主眼を置いた改定を行っている。  そのため、A社の場合だと、全社員に対して万遍なく、賃上げの効果が期待できる。B社の場合では、若年層には大きな効果が期待できる一方で、中堅~管理職層では、現状よりは、賃金が増えているにも関わらず、制度改定に対する不公平感を感じてしまい、将来の昇給期待が持ちにくくなってしまう恐れがある。  賃上げは、決してメリットばかりではない。人件費は増加しているのにデモチベーションになる恐れや、公平性を重視するあまり、従業員が賃金上昇を実感できず、ほとんど効果がなかったということに陥ってはいないだろうか。  どのような効果を期待して、限られた賃金引上げ原資を配分するか、人事・経営に携わる者の腕の見せどころではないだろうか。    

従業員満足度の真実 | 調査・診断(組織分析)

従業員満足度の真実

 人的資本開示における代表的な項目である従業員満足度は、企業価値向上のための重要な指標の一つとされています。経営者も人事部も、企業価値向上のための一つの重要な指標としてとらえ、従業員満足度向上を目指していることでしょう。  従業員満足度が高いことが企業経営にもたらすメリットは多岐にわたります。仕事に対してのモチベーションが高ければ、効率的に働く傾向があり、生産性の向上が見込めます。顧客満足度の高さにも影響を与え、リピート率を上げることに繋がれば業績も上がります。また、満足度の高い従業員が多くいることで職場の雰囲気もよく、チームワークが強化される可能性も高いです。その先には、心理的安全性が確保された職場において安心して意見を言える環境が整い、新しいアイデアを出し合い創造性やイノベーションの促進にも繋がる可能性も高くなります。そのほかにも、離職率の低下やウェルビーイングの実現にもつながり、企業にとってはいいことずくめです。    それゆえに、従業員満足度が高い=望ましい人事施策が講じられている会社である、ととらえるのが一般的でしょう。  しかし、現実はそんなに単純なものではありません。経営計画を達成するための人事制度改革が、逆に従業員満足度を下げることもあります。  例えば、超高齢化している会社が若手の確保や成長を重視した施策を講じるとともに、高齢層の処遇を適正化することで従業員満足度が低下することがあります。早期定年制を導入し、高齢層の退職を促すと、特に高齢層からの不満が増加します。選挙と同じで票をもっているのは高年齢層が多いので、従業員満足度は大きく下がり得るでしょう。 また、実力主義を導入することで、ハイパフォーマーは満足度が上がりますが、アベレージパフォーマーやローパフォーマーは不満を抱く可能性があります。実力主義に大きく舵をきればきるほど、会社として投資対象にしたい人とそうではない人に歴然とした差が生まれるので、そこから漏れる人は不満をもちます。2:6:2の理論でいえば、半分以上の人が不満に転じる可能性があります。    従業員満足度は、冒頭に記載したとおり、重要な指標であることは確かです。従業員満足度が常に高い状態が続いている場合、企業が必要な改革を怠っている可能性もありえます。重要なのは、満足度の高低ではなく、経営計画を達成するための人事施策をしっかりと講じて、組織に浸透させていくことです。実力主義を導入して、ローパフォーマーが厳しさを感じていなければ、運用がうまくいっていないのではないかと疑わなくてはなりません。人事施策を講じたら、どの層にどのような影響が出て然るべきかの予測を立て、継続的に調査を行い、適宜調整を加えていくことが不可欠です。    企業が真に持続的成長を遂げるためには、従業員満足度を適切に管理しながら(単に高いことだけを目指すのではなく)、柔軟かつ迅速に改革を進める姿勢が求められます。これこそが、変動する市場環境においても競争力を維持し続けるためのキーポイントです。

江戸時代からあった?人的資本経営の本質とは | 人事制度

江戸時代からあった?人的資本経営の本質とは

 ここ数年で「人的資本経営」に関する話題が一気に増えた。人件費をコストではなく資本として考え直そう。だから財産である「人財にもっと投資をしよう」というのが大きな話の流れだ。    日本では失われた30年間で業績低迷に対するコストカットの一つとして、人件費をどうやってコントロールして余分な部分をカットするかに多くの企業が腐心していた時期が確かにあった。その意味では揺り動かしとして、人件費をコストではなく、資本として捉え直して、人件費に、正確に言えば人に投資をしようという動向は前向きな印象として捉えている人が多いと感じる。    ただ、違和感を覚えている人も同じように居ると感じる。違和感と言うのは、「人に投資するのは当たり前なのではないか、昔からやっていたぞ」と言う、経営や人事を真剣に考えてきた人達の感覚ではないだろうか。  実は江戸時代から日本では人を公共財として考えていたとされている。誰かが所有するのではなく、社会の財産として人を育て、社会に還元する考え方だ。当然、今より過酷な労働環境だったし、キレイ事で片付かない話も多々ある。それでも私はこの考え方が好きだ。人を財産と考えるときに古くは江戸時代からこのような考え方が日本にあったことに誇りを感じる。  だからこそ、日本では世界でも類をみない新卒採用という仕組みがあるのだと感じる。企業に対して戦力としてほとんど貢献出来ない新入社員を雇って、生活の安定を支援し、独り立ち出来るように様々なケアをし、大切に大切に育て上げる新卒採用の仕組みは、まさに人に対して投資を行い続けてきた日本企業の姿ではないだろうか。新卒採用は一例だが日本企業は従来より人を財産として、人的資本経営を実践してきたと言える。    もう一度、ここ数年の人的資本経営の動向を改めて考えてみると、議論の多くは「数値化」だと感じている。研修時間、退職率などの人的資本経営を客観的に「数値化」するための尺度の整備に議論が多く行われている。これ自体は否定するものではなく、とても重要だ。財務分野と人事分野での大きな違いの一つとしてよく言われるのが、財務分野は日本国内はもちろんグローバルスタンダードで「数値化」して「判断する」尺度が整えられているが人事分野ではそれが無いということだ。この人事分野の尺度を社会全体で整備しようとしているというのが現在の動向ではないだろうか。  もちろん、この動向に自社も参加することは重要ではあるが、人財を大切にする企業として最も大切なことは、自社にとって何が「人財を増やしていく上で重要かということを把握する」ことだ。    この把握は、世の中の動向と合わせるより、自社の文化や今いる社員などをもとに、模索しながら尺度・軸を自社で独自に創りあげていく形になるだろう。尺度・軸を創り上げていくためには合理で把握した部分、経営感覚としての直観を結び付けて創り上げていく形になる。合理と経営感覚の結びつきが強ければ強いほど、自社にとって「芯を食った」人財基盤強化の尺度(KPI)になる。グローバルスタンダードでは無いかも知れないし、自社以外の人には伝わらないかも知れない、きっと他社とは比較できない尺度や軸になるだろう。だからこそ自社が成長するための本質がここにある。   日本企業は「人を大切にして投資しよう」は既にやっている。今やるべきことは、自社にとって何が人財基盤を強化する尺度になるのかを改めて把握し、創り上げて強化することだ。日本が古来より大切にしてきた人的資本経営を強化する本質はここにある。   以上

経営者が「人的資本経営」に体重を乗せるには? | 人事制度

経営者が「人的資本経営」に体重を乗せるには?

 私が相談を受けた、ある中堅企業の経営者と人事担当者の話です。 <経営者>  ここ数年、専門部署を設置する等DXに注力している。DX推進を意思決定した背景は生産性向上収益につながると認識しているからである。他方、人的資本経営の開示においては課題項目になりそうな女性管理職を今後は増やすよう指示している。人的資本経営とは言うものの物価高騰の中で賃上げも実施せざるを得ない状況で、人にかけるコストは極力抑えたいのが本音だ。 <人事担当者>  経営者は「DX推進だ!」と言っているが実際はクラウドシステム導入であり、変革(トランスフォーメーション)は全く行われておらず社内では「D推進」と揶揄されている。一方で人事には時間も予算も増やす予定はない。社内では若年層の離職率が高まり閉塞感が漂っている。人事としては「人的資本経営」の時流に乗って人への投資も重要だと認識してもらいたいが経営者には伝わらない。  このギャップをどうすれば良いだろうか・・。  上記のような相談が経営者や人事担当者から寄せられることは少なくありません。  これまでの失われた30年では人件費は最大のコストとして削減対象である、と捉える経営者が少なくない一方で、人事側は労働人口の減少傾向、採用市場の獲得競争激化、必要人材像の変化など外部・内部環境の変化により人事戦略の在り方について危機感を募らせています。  このギャップの論点は「人的資本経営」の意図をどのように理解しているか、であると考えられます。単年を切り取った開示KPIのみ捉えると前述の経営者のような発想に陥ってしまいますが、本質を考えることで対応も変わってきます。  人的資本経営の効用は旧来より立証されてきています。有名なものは1994年にハーバードビジネススクールのJ・L・ヘスケットらにて提唱された「サービスプロフィットチェーン」(以下SPC)です。  SPCを要約すると従業員のロイヤルティを高めることで、サービス品質の向上や顧客のロイヤルティ向上、収益性の向上につながり、そこで得た利益を従業員に還元することで更に従業員のロイヤルティが高まるという好循環を生む、という概念です。  広く取り入れられている概念ですが、重要なことは短期視点で手法だけを取り入れても自社と整合しなければ借り物の施策で終わってしまうことです。自社のありたい姿を実現するための戦略と必要な人材に沿った施策、その答えは自社内にあり、それを経営者に進言することが人事担当に求められているのではないでしょうか。 その為には人材を「資源・コスト」として捉える目と「資本・投資」対象と捉える目の両目で見つつ、更に「どこに」「何を」「どのように」「どの程度」投資するかの判断軸を磨き続かなければなりません。今こそ改めてSPCの概念に立ち返り、人的資本経営という共通言語のもと、人事が経営者の良きパートナーとなっていただければ幸いです。    

「正確な測定」をあきらめるな(評価品質を高めるために①) | 人事制度

「正確な測定」をあきらめるな(評価品質を高めるために①)

 階層別の能力課題を定量的に把握するためには、評価情報を経年で集計分析するとよい。個々人の評価結果は、その資格等級で発揮すべき能力に対しての現状レベルを示すから、各資格等級における共通する能力課題や、その経年変化、部署ごとの違いも浮き彫りになる。この「スキルギャップ」をもとにして育成策を練るのが、合理的な研修設計の常套手段だ。  だからまず、評価情報を分析しましょうと言うと「いやぁ、でも上司の評価だから、ブレもあるしデータとしてどうかな」との声が返ってくることがある。結果を見る業績評価ならまだしも、能力評価については、その正確性をハナから信じていないかのような反応。経営サイドが、自社の管理職には「正確な評価」はできないとはあきらめているのではないか。そんな印象をうける機会は、実は少なくない。  能力評価は、通常、昇給・昇格に反映させるが、評価結果に差がある二人の人材について、「この二人同期だし、実際のところ、仕事ぶりはそんなに違わないし、両方昇格させません?」などという情景も珍しくない。それが、年功的運用を助長しているわけだが、そこには「しょせん評価は評価で、実態は別」という暗黙の共通認識さえうかがえる。  まず、この状況を変えねばならないのではないか。人材の能力や動力(エンゲージメント)を高め労働の成果を最大化すべく人的資本に投資するのであれば、現場での評価はその検証と駆動の道具であり、評価品質のレベルは人的資本経営の品質を左右するからだ。ゆえに「正確な測定」としての評価の実現が愚直に追及されなければならない。  また、じつに多くの企業が評価運用の問題を抱えている。社員の不満(=評価の不公平感や不透明感)がエンゲージメントを下げる、処遇決定だけで育成には使えない、マネジャーの評価負荷が高すぎる等々さまざまだが、それらを解決するには、評価フィードバックの技法や育成前提の評価運用の工夫以前に、まず「正確な測定」が出来なければ始まらない。  評価品質を向上させるには、①評価の仕組み ②評価の運用 ③評価のスキル の3つの観点で手を打つ必要がある。   最初の観点、①評価の仕組みでいえば、正確な測定のためには「評価項目をいかに明快な基準たりうるものとして設計するか」が勘所となる。正確な測定=絶対評価(基準に照らした評定)であり、評価項目定義が、照らすべき基準だからだ。ともすれば、能力評価項目は抽象度が高く、基準としてはあいまいになりがちなので、その項目で「なにを評価するのか」がきちんと概念整理され、記述されることがポイントになる。  たとえば、G3等級(管理職手前)の「課題設定力」が以下と定義されていたとする。  ■方針を踏まえ自組織の課題を抽出・整理し、上位者へ的確に提言している   これはどの会社でも使えるような一般的な記述だが、自社においてどのような「抽出・整理」を評価するのか、どのような「的確」を評価するかは、見えない。これがA社ではこう書かれている。  ■方針を踏まえ自組織の現状の問題に対して原因を深く考察し、信頼性の高いデータなどで検証しながら、具体的にやるべきことを上位者に提言している   このような定義文は、A社のG3等級の課題設定は、「原因を深く考察」「客観的な検証」「施策の具体性」がなければいけないというメッセージになっており、その観点で部下の行動事実に照らせばよいから、判断基準足りえている。   ついでにいえば、ここでは提言する施策の妥当性は問うていない。妥当な施策を定めるのは上位者たる管理職者で、それは管理職用の「課題設定力」項目定義で問われることだからだ。G3には、提言する施策の具体性とそのもとになる問題の考察と検証の行動だけを問うている。つまり、A社では、「課題設定」のプロセスの何を評価するかが階層的に定まっている。  こうした評価項目の設計は、人事部門だけではなく、現場の管理職を巻き込まないと難しい。評価項目が抽象的だから職種別「行動例」をつけるという設計をする場合もあり、現場への依頼というと行動例作成としがちだが、実はそうではない。細かい行動例は、むしろ評価のブレを増大しかねない。大事なことは、さきのA社の例のような概念整理にこそ現場管理職の知見をいれ、評価定義自体を実際の行動事実と照らしやすい、いわば「使える基準」として仕上げることである。  以上は、評価制度の設計や改訂する場合の留意だが、評価の仕組みはもうできあがっていて、確かにあいまいな評価項目ではあるが、現時点で変えようがないという場合でも、評価品質を高める方法はある。次回は、運用のなかで品質を担保し、また確実に評価スキルをあげる手法を提起したい。 →評価100本ノックのすすめ(評価品質を高めるために②)を読む

評価100本ノックのすすめ(評価品質を高めるために②) | 人事制度

評価100本ノックのすすめ(評価品質を高めるために②)

 前回(「正確な測定」をあきらめるなー評価品質を高めるために①)提起したような評価基準を明快に定めた評価項目設計をおこなったとしても、評価のブレは必ず発生する。評価基準の抽象性を完全にはなくせないこともその原因ではあるが、最大の問題は、管理職の評価スキルが低いことだ。いや、正確にいえば、評価のスキルを鍛えられることなく、評価の実践を強いられていることだ。逆に、現行の評価項目定義があいまいだったとしても、まず評価スキルのレベルをあげれば、評価品質はかなり高めることができる。  なぜ、評価スキルが鍛えられないか。確かに新任管理職研修の一環として、評価の仕方は学ぶものだが、多くは自社の評価制度の理解と一般的な評価留意(基準と事実に即した評価原則やよくある評価エラーなど)の学習にとどまる。あとは実践の中で、せいぜい二次評価者チェックなどを経つつ、自分なりに評価スキルを身につけていくから、スキルレベルはばらつき、結局、「あいつはデキる奴だ」といった印象評価が幅を利かしたりする。  管理職者の評価スキルを向上させるために、新任・既任含めて徹底した評価力向上トレーニングを行えばよい。「研修」ではなく「トレーニング」、つまり座学ではなく反復練習によって、確実なスキル向上を図ることである。有効な方法は、以下の3つのフェーズで構成される。     1.課題の特定と確認     2.実践トレーニング     3.実践フォロー  第一フェーズは、評価者たちの課題を明らかにし、トレーニング内容をそれに合わせチューニングするとともに、本人たち「何が問題か」を突きつけることを狙いとする。常套的な課題抽出の方法は、評価情報を集計分析し、各評価者の甘辛や評点分布といった「クセ」を見える化することだ。360度診断やエンゲージメントサーベイを行っていれば、そこからも上司の評価行為の問題は見える。  さらに我々が推奨するのは、「評価力アセスメント」の実施。同一のシミュレーション下で、部下行動をいくつかの評価項目で評価するテストで、評価定義に示される基準に照らして部下の行動事実を評定することが、いかにできていないか、また、その原理原則をいかにわかっていなかったか、が如実に浮き彫りになる。  第二フェーズは、正しい評価ができるようなスキル習熟のための評定トレーニング。さきの課題を踏まえて、100本ノックのように、評定をくりかえす。そこでのポイントは、共通ケースを使ってのウォーミングアップののち、実際の部下を評価し、互いに相互検証し、講師の指摘も踏まえ、正しい評価を決定するセッションを時間の許す限り行うことだ。とくに評価者同士の侃侃諤諤の議論での気づきが効く。  同様に、目標設定についても、現状の目標の品質状況を総覧し、共通課題を明らかにし、適切な目標の要件を繰り返し教え込む。  そのうえで、各評価者は実際の評価に臨む。その実践のなかで、評価品質向上をはかるのが、第三フェーズ・実践フォローだ。たとえば、「目標設定レビュー」。実際に期首にたてられた目標をレビューし、その是正を指導する。目標はなんども立ててきていて自己流が身に沁みついているから、適切な目標設定の原則を学んでもなかなか実行できない。なので、実際の目標そのものを「添削」するほうが効果的なのだ。同様に、期末の「評価票レビュー」を行う場合もある。  もうひとつは、実践しての課題を採取し、その解決をはかるというフォロー施策。半期末か期末のタイミングで、評価者からアンケートをとる。実際の評価をしていくうえで、評価者が直面した問題やリアルな悩みを把握し、それに対してフォロートレーニングを行うということである。併せ、被評価者アンケートも行うとさらにシビアな実践課題が得られる。  「正確な測定」のためには、①評価の仕組み ②評価の運用 ③評価のスキル でそれぞれ打ち手があり、前回は①仕組みの観点、今回は③スキルの観点での提起を行ったが、②運用の観点での施策に触れる余裕がなかった。この運用上の施策もまた、きわめて実効性の高い評価品質向上策なので、追加でもう一回書く予定だ。 お役立ち情報→【人事評価運用のお悩みはトランストラクチャが解決】

評価票を公開せよ(評価品質を高めるために③)  | 人事制度

評価票を公開せよ(評価品質を高めるために③) 

 「正確な測定」のための施策として、評価項目設計、評価スキルの観点でのポイントを二回にわたって提起してきたが、今回は、評価運用の勘所について書く。  「二次評価という言葉自体が今後存在しなくなる」と、10年以上前に当社創業者・林明文が書いたが、いまも二次評価(さらには三次評価すらも)を運用する企業は少なくない。二次評価という仕組みには、俯瞰した視点での調整、つまり組織的なバランスをとる機能はあっても、一次評価者の評価を是正し、ひいてはその評価スキルを高める効用はない。つまり、「正確な測定」の実現には効かない。  一次評価は絶対評価であり、その被評価者の行動事実を目にしていない二次評者には、一次評価の正確性を判断し得ないからだ。一次評価者による評価を二次評価者だけがチェックするという閉じた関係の中では評価品質を上げることはできない。評価の運用施策において、確実に評価品質の向上に資するのは、「評価票」を公開することだ。  一次評価者同士の評価会議を行い、自身がつけた部下評価を公開し相互検証する施策である。ときに、評価会議、評価者会議という言い方で、「評価調整」の会議を行う場合もあるが、それとは異なることにまず注意してほしい。それが組織としての相対的な評点調整を行う、つまり組織的な二次評価機能であるのに対して、ここで推奨する評価会議は、絶対評価としての一次評価が妥当であるかどうかを確認し、おかしければ修正するために行う。  進め方はシンプルで、評価者が順次、自身がつけた部下評価について「なぜ、こう評価したか」を話し、それが妥当かどうか評価者同士で議論する。冒頭、評価基準や等級別要求レベルを改めて確認したり、事前に評点データを集計し評価者ごとの評点分布を共有することもある。ただあくまでも、部下のAさん、Bさん、Cさんの①行動事実が、②評価基準に照らして、③妥当な評点であるのかを、ひたすら相互検証することが眼目だ。  つまりこの場で検証されることは、三つある。 評価対象となる行動事実自体の妥当性  例えば、推測や主観で事実把握がされていないか、成果にひきずられた行動判断ではないか、評価対象でない行動を含めて見ていないか、等。 評価基準自体の解釈の妥当性  例えば、できているかできていないかの基準の理解が間違っていないか、何を評価するか(問題の発見なのか課題の発見なのか、等)の理解が間違っていないか、等。 評点の妥当性  客観的にみて評点が妥当か、在籍等級レベルと上位等級レベルが混同されていないか、たまたまの行動発揮ではなく、期中通しての評価になっているか、等。 このプロセスのなかで、一次評価vs二次評価者という閉じた関係では顕在化し得なかった評価スキルのばらつきが是正され、評価品質は向上する。同じ一次評価者たちによるオープンな相互検証を行うからこそ、自己流でないあるべき評価の観点が共有され、「正確な測定」が組織的になされるということである。  この方式には、副次的な効用もある。評価項目の文言があいまいで、「できた」「できない」の基準が読み取れないことが、よくある。たとえば、勤務態度を評価する項目に「つねに規律を守り、誠意と責任感をもって業務遂行する」という文言があったとして、これだけでは、一回でも遅刻をしたらダメなのか、事前に理由を連絡しての遅刻ならOKなのか、二回まで許されるのか、判断はつかないし、その基準は会社によっても異なるだろう。評価会議のなかの検討で、たとえば当社においてはこうだ、という暗黙の基準が顕在化されれば、以降それが基準として共有され、評価のブレが減ることになる。  評価会議とともに、有効なもう一つの運用施策が、目標設定会議だ。目標の品質問題は、実に多くの会社で聞かれる悩み事だが、同様に、期首に実際の部下目標を公開し相互検証することで、目標設定の三原則(1.上位目標連動性 2.等級妥当性 3.表現妥当性)を「個別具体的に実際に」確認・是正することができる。  これらの施策は、容易にお分かりになるように、評価者たちにとっても、人事部にとっても時間的負荷は高い。しかし、手間をかけるだけの評価品質向上効果は確実にある。もちろん、そのためには、目的たがわず、きちんと会議をコントロールし上記の三つの検証に臨まなければならない。例えば、「彼はリーダーシップを発揮していたのでリーダーシップの評価をA評価としました」と言った説明になっていない説明は決して認めない。会議が紛糾しようとも声の大きい上位者の「印象評価」は断固拒否するといったことが極めて大事なのはいうまでもない。 ■「評価品質を高めるために」コラムバックナンバー 「正確な測定」をあきらめるな(評価品質を高めるために①) 評価100本ノックのすすめ(評価品質を高めるために②) ■「評価関連セミナー」のお申込みはこちら 【対面型セミナー】「評価力診断 無料体験セミナー」  ■【HRデータ解説】データでわかる「評価品質」関連解説 経営にとって「評価品質」が重要であることがデータでも分かります 「従業員意識調査に見る会社への不満」 ~社員の多くがキャリアと評価と処遇に満足していない~ https://www.transtructure.com/hr-data-analysys/search/motivation-survey/p12777/    

どんなパッケージがあるのですか? | 人事制度運用支援

どんなパッケージがあるのですか?

 採用担当をやっている友人が話してくれたエピソード。外資系の開発会社で経験あるシステムエンジニアが採用面接に訪れた時のことだそうだ。志望動機やプログラミングスキルなど、ひととおりの質問の後、そちらから何か質問は、と尋ねてみると、「御社にはどのようなパッケージがあるのですか。」という問いが返ってきた。  パッケージとは一体何のことか、と確認すると、当たり前のことだが、という前置き付で、退職を余儀なくされた際に受け取る、割増退職金、在籍猶予期間、再就職支援など一連のサービスセットのことをいうのだ、との返答だった。この人は、入社する前から退職のことを考えていた。いや、パッケージなるものが整っている会社でないと、怖くて働けない、と言うのだ。  若手社員の離職は、多くの会社に一様な問題になってきた。辞める理由にいろいろあるが、その多くは「うちの会社では将来のキャリア展望が持てない」ということだ。そう考えて、より良いキャリア展望が持てるように人事制度を改変したり、社員に改めて人事制度の内容を周知徹底したりするような企業が増えている。雇い主のほうは、キャリアの道筋が見えるようにさまざまな努力をし、社員の定着を図る。だが、雇われる側は、もはや社内でのキャリア展望を求めていないと見える時がある。かっこよく言えば、社内でのキャリアゴールなど眼中になく、労働市場全体を俯瞰した、転職前提のキャリアプランを考えているのかも知れない。  我が国より先を行っていると言われる米国と中国のIT業界、その労働市場について、それぞれの国のビジネスマンを捕まえて聞いてみた。おおざっぱなところでは、両国の慣習はよく似ていた。  システムエンジニアとしての収入のピークは30~35歳、それを過ぎると、技術知識と経験だけでは収入を伸ばすことができない。同じ会社でその先に進むとすれば、プロジェクトマネージャーの仕事に就き、さらにその先、管理職に進んでいくことが求められる。しかしながら、マネージャーポストには限りがある。そこで、エンジニア諸氏は、30歳を過ぎると、自分で会社を立てて人を雇い、大きな会社の下請けに入って中小企業経営者としての道を歩む。さもなければ、別の業界のシステム部員として再就職する。リスクを抱えるか収入の伸びをあきらめるかといった選択だ。 周りにたくさんのロールモデルがあるのだろう、彼らは、若い頃から労働市場全体の動きに注意を払いながら、現実的なキャリアプランを練っているのだ。  雇用に関するこうした動きは、早晩、我が国にも忍び込んでくるに違いない。たとえば、我が国の高等教育(大学の教育)では、2030年に必要なIT専門人材の4分の3足らずしか満たすことができないだろうという予測がある。不足分は当然、外国の労働力に頼らざるを得ないのだから、我が国の雇用慣習への影響も避けられない、ということだ。そして、このことは、ただIT業界に留まることではないだろう。  我が国の経営者の多くは、「人を大切にする」という表現で、雇用の安定・確保にこだわってきた。会社の中に、さまざまなキャリアの選択肢を準備して、心配しなくてもよい、長く働いてください、というメッセージを送ることができるよう、さまざまな努力をしてきた。ところが、社員のほうがそんなことは求めていませんよ、という社会になりつつある。言われなくてもずいぶん前からわかっていますよ、というコメントが聞こえてくるようだが、私たちが思うより、ずっと早いスピードで、強いマグニチュードで、雇用の地殻変動は進んでいるのではないかという気がする。これからの人事管理を、断層のこちら側で設計するか、あちら側で設計するか、腹の決め時が来ている。

「冷や飯人事」でも這い上がる人 | 人事制度運用支援

「冷や飯人事」でも這い上がる人

 ※今回のコラムは、フリーランスのジャーナリスト吉田典史氏の執筆です。内容は個人によるもので、当社を代表するものではありません。 ============================================   報道によると、自民党の役員人事や組閣人事で新しい首相が総裁選を競い合った議員に冷や飯を食わせる処遇を行ったという。真相は定かではないが、権力闘争の結末はこういうものなのかもしれない。  この意味での冷や飯人事は、企業社会でも時折見られる。一例を挙げよう。2年程前、社員500人の会社(出版業)で社長が交代した。新しい社長は、2000年前後から2010年までくらいは管理職の中で反主流の立場にいた。それ以前は、中核の部署で編集長(課長)として15人ほどの編集者を束ねていた。いわゆる、出世コースだ。だが、当時の編集担当役員と仕事の進め方をめぐりぶつかり、役職を外された。反主流の時は部下が2人で、さしたる仕事はなく、暗い雰囲気を漂わせていた。当時は、小学生の息子の成長くらいしか楽しみがないようだった。  私は、この会社から仕事を請け負っていた。この男性と何度か話をした。お酒を2人で飲んだこともある。シャイな一面があり、性格は誠実そのものだった。競争心が弱く、要領のいい同世代に利用されやすい雰囲気もあった。  ところが、10数年経つと、500人前後の社員のトップに立った。まさに「リベンジ」と言える。なぜ、こんな逆転劇が可能になったのか。それには、いくつかの理由がある。私の観察にもとづくものを以下に挙げよう。 1.社員の離職率が高い    30年以上にわたり、新卒、中途ともに辞める人が多い。ほぼ毎年、新卒採用試験を行い、1年で数人が入社。3年間で約10人になる。だが、30歳までにほぼ全員が辞める。35歳まで残るのは約10人のうち、1~2人。40代になると、全員が管理職になる。役員になるのも、倍率からすると難しくはない。冷や飯を食う立場になったとしても、主流に戻ることは可能なのだ。 2. リストラを繰り返す  20年間で数回、リストラを行い、40~50代の社員(管理職と一般職)15~20人を退職させた。この中には優秀な人もいたようだが、同世代の社員が大量にいなくなり、リベンジができる環境が一段と整っていたとも言える。 3. 頻繁な組織改革と人事異動  歴代の経営陣は、「新体制」と称して組織改革を繰り返してきた。約20年で5回ほどに及ぶ。その都度、500人のうち150~180人が対象になるほどの大規模な配置転換を行った。こういう経営刷新を行うと、状況に素早く適応し、高い業績を残す人材とそうでない人の差が明確になる。管理職の数はもともと少ないがゆえに、優れた人はどんどんと際立つ。  そして、男性には同世代の管理職を圧倒する力があった。それは、本流の仕事をしていた頃(1980年代~90年代)に、大きな実績があることだ。自らが20~30代の編集者として関わった資料集が大幅に売れたのだ。しかも、ヒット作が数年間で10冊前後になった。この会社では、たったひとりの快挙と言われる。だからこそ、少々、プライドが高く、40歳前後の編集長の時に20歳上の担当役員と激しくぶつかったのかもしれない。  男性は冷や飯を食わされていた頃も、本業に関する分野の知識を獲得する努力は怠らなかったようだ。本業に関する分野では、1000冊を超える本を読んだという。社内の一部では、「教授」とも言われていたほどだ。運がいいだけで、500人のトップになったわけではないのだろう。  これも付け加えておこう。この会社は創業60年を超えるが、市場や環境の変化に鈍く、1960~80年代型のビジネスモデルや仕事の仕方が業界全体に浸透している。それを変えようとする機運は業界や社内にあまりない。本来は好ましい姿ではないのだろうが、新しいスタイルのビジネスを始める必然性がほとんどないのも事実だ。この会社は、従来どおりの方法で業績はある程度、維持できている。  こういう状況であることも、リベンジを実現した要因の1つだろう。古い体質のままであるから、他の業界から優秀な人が次々と転職してくる可能性が低く、強力なライバルが現れにくい。数少ない中での競争に勝ち、社長の座をつかんだとも言える。私が知る限りでは、人事の処遇で冷や飯を食っていた人が復活するのはこんなケースが目立つ。読者諸氏の会社で「リベンジ」の人事は行われているだろうか。それができた背景には何があるのか。そんなことを考えるだけでも、人事マネジメントがより身近になるはずだ。

無事之名馬 | 関連制度設計

無事之名馬

 もはや耳にタコではあるが、日本は少子高齢化の進行により、労働力人口の急激な減少がしており、今後、国内のあらゆる企業において、労働力の不足が大きな人事課題になることは確実である。不足する労働力を確保していくためには、外国人労働力、女性、定年延長・再雇用などで労働力を維持していくことが必要となるが、この定年延長という取り組みに関して、新たな問題として考えられるのが、健康の問題である。  企業は、従業員の健康を維持することに投資し、従業員は、今まで以上に健康を維持するための運動習慣、食生活の改善に取り組むことが求められるようになる。60歳を過ぎても、できるだけ健康な状態で過ごすことによって、医療・介護にかかる費用を押さえていくことが、国民全体の負担の軽減につながり、社会保障の持続可能性を高めることにもなる。個人にとっても国家にとっても望ましいのである。   健康の維持推進というと、まず、”疾病”にならないための衛生水準を確保するということ、感染症対策や食品衛生などである。この点に関しては、清潔な住環境、徹底された食品の衛生管理など、日本は国際的にみて高いレベルを維持しているといえるだろう。  しかしながら、これから訪れる強烈な高年齢社会を実現していくためには、これに加えて、私たち自身も、運動習慣や食生活の改善に積極的に取り組み、生活習慣病の発症や重症化を予防していかなければならない。  近年、企業としても従業員の健康に関する取り組みを支援する動きが活発になってきた。健康経営の事例としてよく上げられる、ジョンソン・エンド・ジョンソンの取り組みであるが、グループ250社、約11万4000人に健康教育プログラムを提供し、その投資に対するリターンを試算ところ、投資1ドルに対して3ドル分のリターンがあったとされている。従業員の健康に対する取り組みを支援することが、企業としての価値を高め、業績の向上にもつながるということである。  現在の国内企業の主な取り組み内容としては、禁煙推進、成人病の高リスク者へのカウンセリング、ノー残業デー、健康教育などが多いが、今後はさらに強化されていかなければならない。業務に必要とされる知識やスキル、を習得し続けなければならないことはもとより、その技能を長期間にわたって、いかんなく発揮し続けるだけの肉体・精神の頑健さを維持していかなければならない。「無事之名馬」がこれからの日本人が目指すべき姿なのである。  ちなみに、「無事之名馬」という言葉は、競走馬の世界において、多少能力が見劣りしていようと、常に健康であってくれることが馬主にとって望ましい、ということを表す言葉であるが、大前提として、競走馬とすべく生産されたすべてが競走馬になれるわけではなく、選び抜かれた真に強い馬のみがレースに出走し続けることができる世界である、ということを理解しておかなければならない。