「人事制度 」の記事一覧(1 ページ目)|コラム|株式会社トランストラクチャ

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人事制度

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専門職の制度設計 | 人事制度

専門職の制度設計

 人事制度において、高度な専門性をもって、付加価値を創出し経営貢献をする、管理職と同程度、ないしはそれ以上で処遇できる「専門職」を設置する会社は多数ある。社員のキャリアゴールを複数提示し、本人の志向性によってキャリア選択できる複線型人事制度と呼ばれるものの一部で、オーソドックスな人事制度の形であり、比較的なじみのあるものだと思われる。昨今は、社内に知見やノウハウのない領域を強化するため中途採用しやすくするための設置や、専門職を成長の源泉と位置づけ、新たに増設を検討するケースも増えている。  これまで社内にいなかった人材を定義し位置付ける、ないしは、新たに専門性が高い、ということで高い処遇をしてスポットをあてていく制度であるため、「専門性が高い」イメージのすり合わせを慎重に行いながら設計を進められていることだろう。  特に、専門職として最上位等級を定義すると「こんな人材が本当に出てくるのか?」と思うようなレベルを設定することも多い。業界革新を起こす業界のリーダーであったり、会社業績に直接的に極めて大きなインパクトを与える人材であったり。  当然こういった人材が出てくるのは会社として望ましいし、そういった人材が本当に成長に資するならば難易度が高くても生みだしていくべきであろう。しかし、制度設計においては、実はこの輝けるキャリアゴールに向かってどう専門人材を生み出すか、ということよりもいかに生み出しすぎないようにするか、が設計時の主要な議論になることが多い。  昨今、管理職は役割等級制度や職務等級制度に代表されるように、組織の数分しか管理職に格付かない制度への見直しが進んでいる。年功的な昇格をなくし、人数管理を行うことで人件費が適正に維持される仕組みである。一方、専門職は人数をコントロールする拠り所がないことが多く、またそこに格づいている人がいないことから、確信をもった格付ができるか不安もある。よってこれまでの職能等級のように、人件費高騰リスクのある制度になるのではないかという危機感をもって設計が進む。  どんなに等級定義を難しく、手の届きづらいものにしたとしても、甘い評価や、長らく同じ等級に留まることへのモチベーションの低下を恐れ、昇格圧力に負けてしまうのではないか、と考えてしまう。特に、その会社において最高位クラスの専門家となってくるとその専門性を測定できる人がいないということから、評価が高ぶれし続ける、という状態に陥ってしまうことも予見して設計するのである。  これまでの年功的運用の失敗を繰り返さないため、専門職に対しては、そのあたりのリスクを回避するために、しっかりと制度で制御できる仕組みを採用している会社も多い。例えば、①専門職の評価はその専門性を以て出した「成果」を特定できるようにする②360度評価を行い、周囲からしっかり専門家として認定されているかを確認する。③専門職としての価値が自社、ないしは労働市場においてあるか、定期的に検証できるよう専門職認定の会議を行い、時価で評価できるようにする。④専門職をおいてよい職種ごとに人数制限を設ける、などである。  制度設計においては、人件費高騰リスクや等級にアンマッチな人材が格づくことを回避することを検討することはもちろん重要である。もちろん抑制だけでなく、キャリアを構築できるイメージがわくように腐心して設計する。設計はそれでよいだろう。しかし、じつは、こういった人材が活躍できる環境に身をおかせることができるか、といった観点での検証が専門職制度においては制度設計と同じくらい重要だと思う。具体的には、実際どのように組織に位置づけ、役割、権限を与えていくかという、配置する際のルールの議論や考え方の浸透である。  例えば、専門職の等級定義の中に、会社全体に大きなインパクトを与える成果が期待される。という一文があったとしよう。しかし、実際そのような成果を出すための位置づけに専門職一人一人を組織の中に位置づけられていないケースが圧倒的に多い。現実的には、一部員、課員であることが多く、なすべきことは部長ないしは課長から指示され、自由に自ら構想して専門性を活かして成果を出せる環境になかったりする。成果を出すためのリソース(人・金)や権限を与えていない、ないしは不明確なことも多いだろう。専門職=一人で成果を出してもらう人、というイメージがあるのかもしれず、組織長もその必要性を感じていないこともあるだろう。目標設定の際に初めて、この人は専門職だから難しい仕事をさせないといけないぞ、と考えて難易度の高い一人でやる仕事を無理やり生み出していたりする。また、専門的見地から部長や課長をサポートする位置づけ、かつての部長補佐、課長補佐のような立場にしてしまうこともある。その結果、専門職の人材イメージを劣化させてしまったりする。また、本来の期待役割をスムーズにこなせない。これではせっかくの専門職が台無しである。  専門職はその専門性の高さ、およびそれを培ってきたバックグラウンドを駆使して、マネジメントを担ってきた人では考えられない観点や、手法、人脈で成果を出していくのではないかと思う。昨今、専門性を以て成果を出す人材をいかに作っていくかが付加価値創出の鍵であるという人事制度の考え方も増えてきている。専門職に対してどのような権限、裁量を与え、専門職の成しえていきたいこと、やりたいことを組織の中に取り込みながら組織成果を作っていく、ということが今後更に重要になるだろう。これから更に、中途採用で専門職を増やしていく会社も増えていく。中途の専門性の高い方の力を使って、新しい価値を創出していく、ということであればなおさら、いかにうまく組織に位置づけ、成果をだしやすい権限付与していくかをしっかり考える必要があるということを忘れないで頂きたい。

「管理職レディネスをどう高めるか」(育成のためのアセスメント①) | スマートアセスメント®

「管理職レディネスをどう高めるか」(育成のためのアセスメント①)

 管理職の登用審査には、アセスメントセンター方式が有効だと何回か書いてきたし、実際に使用する企業数も増えつつある。 ■「登用の失敗」はなぜおこるか(アセスメント活用の勘所①) ■外部視点評価を過信するな(アセスメント活用の勘所②) ■VUCAリーダーをどう見極めるか(アセスメント活用の勘所③)  ただ、審査の合否判断にだけアセスメントが使われるのは、あまりにもったいないのではないか。いざ管理職になろうかとする際に、「あなたは、能力不足だからダメ」といわれても、能力はすぐにはどうにもならないし、失地挽回には1年後の再審査にかけるしかない。  審査ではなく、管理職「候補者」の育成のために、アセスメントを使ったらどうか。せっかくアセスメントでは「管理職としての能力発揮可能性」を評定できるのだから、もっと早く、たとえば管理職手前の等級に昇格した時点でそれが分かっていれば、審査までのあいだに、管理職へむけての成長に努められるからである。結果、候補者の能力の底上げができることになるわけだが、アセスメント先行実施の、より大きな効用は、「管理職レディネス(=管理職となる準備ができた状態)」が醸成できることだ。   シミュレーションを通じたアセスメントを受けることで、第一に、管理職業務のなんたるかを、きわめて具体的に体感理解できる。第二に、そうした業務における自身の(現在の)能力課題を知ることができる。現在はプレーヤー業務ではあるけれども、将来管理職になった際の「弱み」があきらかになっていれば、現状業務を通じてのその克服を、上司も本人も意識し実践できる。  では、こうしたアセスメント先行実施による育成を意図したとして、登用審査としてもう一度アセスメントをするのかどうか。もちろん、仕上がりをテストで確認するのが効果測定としては確実だが、必ずしもアセスメントを2回する必要はない。たとえば、以下の二つの方法がある。 1.先行アセスメント+社内審査 候補者に対して、審査の1年前にアセスメントを実施、その結果を本人、上司にフィードバック。自身の強み弱みを踏まえて、上位課題(個人ではなく部署の課題)を設定し、その解決のための行動計画を立案・実行。■上位課題のレベル ■計画の実践度合い ■能力課題およびその是正への取り組み、を面接(経営陣による)で審査 2.先行研修(シミュレーション研修)+アセスメント審査 管理職手間の等級への昇格者に対して、「アセスメントの原理を応用した管理職シミュレーション形式」の研修を実施。演習と解説、自己分析により、管理職業務の体感理解と自身の能力課題を把握。結果を上司と共有し、育成にむけたOJT(権限移譲含む)と自己啓発を計画化し実行。登用タイミングでアセスメント審査をうける。  いずれも、プレーヤーの延長ではない管理職という節目だからこそ、❝入学評価❞であるアセスメント(の原理)を管理職レディネスの醸成つまり管理職先行教育に使おうということである。加えて、②のアセスメントの原理を用いる研修は、階層別研修におけるブラッシュアップ研修でもさまざまに実施できることを付記しておきたい。  階層別研修は、通常、階層ごとにエントリー研修とブラッシュアップ研修を用意するが、前者は、当該等級昇格者向け、後者には、目的別に3種類ある。ひとつは、当該等級在籍者の能力・行動課題の是正目的のもの。評価情報分析による共通課題に基づく。もう一つが昇格候補者への研修。次の等級への準備研修であり、こちらは、上記②と同様に、上位等級での期待行動をシミュレーションのなかでの体感理解と自己分析によって、「昇格レディネス」の醸成ができる。併せ研修行動を観察・評価することで、「育成しながら見極める」こともできるので、この手のブラッシュアップ研修を階層別研修に組み込むことは、効果的効率的育成施策として推奨したい。  ちなみに、ブラッシュアップ研修の3つ目は、当該等級滞留者への研修。上位等級への昇格の見込みがない人々を、いかに戦略的にかつモチベーション高く稼働させるか。難易度の高い施策ではあるが方策はさまざまにある。今回のテーマには外れるので、別の機会に紹介したいと思う。 「育成のためのアセスメント」を考えるコラム2回シリーズ。 「管理職レディネスをどう高めるか」(育成のためのアセスメント①) →今回 「内省の強制」から始める(育成のためのアセスメント②) ※育成のためのアセスメント「スマートアセスメント」はこちら

職能型人事制度の逆襲 | 人事制度

職能型人事制度の逆襲

 職能型人事制度と聞いて真っ先に連想するのは、「年功序列」という言葉ではないでしょうか。また職能型は古い、今の時代にマッチしていない等も合わせてよく耳にします。本当にそうでしょうか?  近年、企業の経営環境は大きな変革を迎えています。従来の経営モデルに代わって、現在注目されているのは御承知の通り「人的資本経営」となります。 人的資本経営の定義は経済産業省ホームページ:人的資本経営~人の価値を最大限に引き出す~で下記の様に定義されています。 『人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方』 つまり、人材に投資をし、成長をさせることで企業価値を生み出していく経営のあり方となります。  人的資本経営を実現するための人事制度を考えるとするのであれば、仕事を基軸とした考えではなく、人を基軸とした考え方となります。 これは、昨今注目度の高かった職務型制度(ジョブ型制度)ではなく、1970年代に定着した職能型人事制度の思想に近しいことを意味します。 更に付け加えますと、欧米型の職務型制度が日本の慣習や風土、国のセーフティーネットとはマッチせず、コロナ禍で非常に多くのメディアに取り上げられていた職務型制度が、今は下火の傾向にあると言えます。 ※弊社への依頼の状況も、職務型人事制度を導入したいという声は減っている状況です。  ただし、従来の職能型制度では、冒頭申し上げた通り年功序列的な人事制度となること想像に難くありません。古き良き部分は残しつつ、問題・課題点は当然改善した人事制度を構築する必要があります。  古き良きという部分については、日本は能力やスキルをベースに人事制度を考えてきた点です。特に製造業においては技術伝承の観点から、非常にきめ細やかなスキルマップを作成している企業もございます。この伝統的な能力・スキルをベースにしたキャリアパスがこれからの人事制度の根幹となると予測をしています。 しかし、これだけでは能力・スキルが向上すれば処遇は高くなり、能力・スキルは年齢によって微減はしても、大きく下がることはないという制度では、結果として年功序列的な制度となってしまいます。  この様な悪しき職能型制度・運用を如何に解決するか。 それは職能型制度に、職務型制度の利点を組み込む人事制度を設計することです。 職務型制度の利点は、職務や役割やポジションに必要な業務・責任、経験が定義されているため、タスクの分担や役割の明確化が容易になります。生産性の向上という観点では職務型制度は有効な人事制度です。 失われた30年から脱却し、これからの日本に求められる人事制度は、職能型+職務型のハイブリッド型人事制度です。  ハイブリッド型人事制度のイメージは下記の通りです。 ①会社が求めるスキルがLv7→職務lv7の職務にアサインをする。 ②ポストに空きがなければ、スキルLv7であっても職務アサインはLv6以下となる。 ③スキルLv7の社員がライフイベントによって働き方を限定する場合は、職務Lv5にアサインをする。 ①を原理原則の人事制度運用とした制度となり、②③を厳格に運用することで人件費の高騰化を防ぎます。また③のように現在の45歳以上の中間管理職層はこれから介護を行う社員が増加することを考慮し、多様な働き方を許容可能な制度にもなります。  最後になりますが、ハイブリッド人事制度を機能させるためにもう1つ重要なピースがあります。それはテクノロジーの活用です。 スキルの可視化、スキルと職務のマッチングは人間の力では限界があります。  これから職能型制度への回帰が想定されますが、そこには職務型制度、テクノロジーの活用がプラスされた全く新しい職能型制度の姿です。 職務型制度ではなく、この新しい職務型制度が今後のトレンドになると推測をします。 今まさに、職能型人事制度の逆襲が始まろうとしています。

登山型キャリア制度からGoogleマップ型キャリア制度へ ~社員の“自由”と、組織の“管理”の交差点~ | 人事制度

登山型キャリア制度からGoogleマップ型キャリア制度へ ~社員の“自由”と、組織の“管理”の交差点~

 企業におけるキャリアパス制度は、しばしば「登山」にたとえられる。 標高(役職や等級)が高いほど評価され、道は一本道、頂上を目指して歩を進めることが善とされる。この構造は、制度設計の側からすれば整然としており、管理しやすい。しかし一方で、「頂上を目指したくない」社員には不自由で、「登るルートを変えたい」「そもそも別の山に行きたい」社員にとっては、制度そのものがキャリアの足かせになる。  人のキャリアは、山ではない。どちらかといえば都市だ。 複数の目的地があり、好みによって行きたい場所も、歩き方も違う。ある人は繁華街に向かい、ある人は静かな図書館を目指す。途中でルートを変える人もいれば、しばらく足を止めて考える人もいるだろう。  そんなキャリアの現実を捉えなおすとき、ヒントになるのが「Googlマップ型」のキャリア設計だ。登山型のように一本道ではなく、現在地からあらゆる方向に向かう選択肢が開かれており、途中で経路変更も可能。もちろん、全ルートに高低差はあるが、「高い方がエラい」とは限らない。それぞれの目的地に、それぞれの価値がある。  このようなキャリア設計では、社員の自己認知と行動選択が重要になる。 いま自分がどこにいるのか、何を目指したいのか、それにはどんなルートがあるのか。 こうした情報を見える化し、選べる環境を提供することが、企業側の制度設計として求められる。  「自律的キャリア」と言いながら、選べる道が2本しかない――管理職か専門職か――という企業も多い。しかし、Googleマップに例えれば、それは“国道か有料道路か”しかルートが出てこない地図のようなものだ。現実の人間のキャリアはもっと多様で、寄り道、遠回り、ワープ、引き返しといった柔らかな動きがあって当然だ。とはいえ、「自由にどうぞ」と言うだけでは、組織は動かない。企業にとってキャリア制度は、“社員の自己実現の支援”であると同時に、“組織のリソースマネジメントの仕組み”でもある。管理可能性と自律性の両立は、矛盾をはらむ構造だ。  この矛盾を乗り越える鍵は、「可視化」と「ナビゲーション」にある。 まず、社員が自分のスキル・志向・現在地を把握できるようにすること。加えて、そこからどんなルートが引けるのかを、制度として示すこと。 たとえば、社内にどんなキャリアパターンがあるのかをライブラリ化したり、過去に同様の経路を通ったロールモデルを紹介したりといった工夫である。 加えて、マネージャーや人事は“経路案内人”として、ルートを強制するのではなく、「こういう道もありますよ」と提案する存在に変わっていく必要がある。Googleマップは「こっちへ行け」とは言わない。ただ、距離や渋滞状況を伝え、意思決定を支援する。このスタンスは、これからの人事にも求められる姿勢ではないだろうか。  もちろん、自由にはコストがかかる。全員が勝手に動いてしまえば、組織は機能不全に陥る。だからこそ、「可視化」と「選択肢の提示」は、秩序のある自由を生むツールになる。社員は“地図”を持ち、企業は“設計”を持つ。両者が同じ画面を見ながら進むとき、キャリアの可能性は一気に広がる。  かつての制度は、「登山口に並ばされる」仕組みだった。だが今は、社員それぞれの端末に、GPSがある。「そっちへ行きたい」という声を受け止め、組織としてどうナビゲートするか。キャリア制度の再設計とは、その問いへの応答なのだ。

令和維新の年になれるか | 人事制度

令和維新の年になれるか

 現代の人事制度の基礎は明治維新と言われていますが、この明治維新は、西暦1868年(辰年)に始まり、明治天皇が即位して江戸幕府が倒れ、明治政府が発足した日本の歴史的な転換期であったわけです。  人事制度に関しては、この明治維新以降に大きな変化がありました。例えば、前近代的な身分制度からの解放や、新たな近代的な役職や制度の導入などが行われました。これらの変化は、日本の近代化とともに人事制度にも影響を与え、近代的な組織や制度の基礎を築くことになりました。  以降、辰年からどのような出来事があったか気になり整理すると、、、 1916年(辰年)  大正時代に入り、日本は急速な近代化を遂げました。官僚制度や公務員制度の改革が進められ、官僚の選任や昇進に関する基準が見直され、近代的な人事制度が整備されました。 1940年(辰年)  昭和時代に入り、日本は軍国主義の台頭や第二次世界大戦の勃発など、大きな社会変動を経験しました。この時期には、国家の体制や組織が変化し、人事制度もそれに応じて変化しました。 1964年(辰年)  戦後の高度成長期に入り、日本は経済成長を遂げました。この時期には、企業や官庁の組織が拡大し、人事制度も組織内の人材育成やキャリアパスの整備が重視されるようになりました。 1988年(辰年)  バブル経済の到来やグローバル化の進展など、様々な経済・社会の変化が起こりました。これに伴い、企業や官庁の組織が再編され、人事制度は働き方の改革や労働条件の見直しなどが進められました。 2000年(辰年)  バブル経済の崩壊後の経済不況期であり、企業のリストラクチャリングや人員削減が進行しました。多くの企業が人事制度の見直しや労働条件の改善を図り、労働市場の柔軟性の向上や非正規雇用の拡大が進んだ時期でもあります。 2012年(辰年)  リーマン・ショック(2008年)をきっかけとする世界的な金融危機以降、多くの企業が経営環境の厳しさに直面し、人員削減や組織再編が相次ぎました。この時期には、企業の経営戦略や人事制度が大きく変化し、労働市場の不安定化や労働条件の悪化が懸念されました。  これらの過去辰年における社会的・経済的な出来事は、人事制度に影響を与え、企業や組織がその時代の課題やニーズに対応するために制度の改革を行ってきた経緯があります。特に、リストラクチャリングや経営戦略の変化、働き方の見直しや労働市場の変動への対応などが重要なテーマとなってきたのです。  今年2024年は辰年ですが、新型コロナウイルスの世界的な流行によるパンデミック以降、多くの企業がリモートワークやテレワークなどの柔軟な働き方を導入し、働き方の在り方や人事制度が大きく変化してきています。また、経済の不確実性や雇用の不安定化も影響し、労働市場全体のダイナミクスも変わってきています。  社会全体でも多様性と包摂性の重要性が認識される中、企業も多様な人材の活用や包摂的な職場文化の構築に力を入れています。人事制度も、ウエルビーイングと多様性と包摂性を推進するための取り組みを進めていく必要があります。これらの要素が、2024年(辰年)における人事制度の基礎を形成していくでしょうし、企業は、これらの変化に迅速に対応し、より持続可能な人事戦略を構築することが求められています。  今年を明治維新のごとく令和維新の年にできるかどうかは、各企業の変革の本気度にかかっているのです。

「内省の強制」から始める(育成のためのアセスメント②) | スマートアセスメント®

「内省の強制」から始める(育成のためのアセスメント②)

   「管理職の登用審査」に使われるアセスメント(=アセスメントセンター方式)を、「管理職候補者の育成」に使うことを前回提案した。アセスメントの利点である客観的な保有能力判断を用いることで、的確に管理職レディネス(=管理職になる準備ができている状態)の醸成が出来る。管理職手前の早い段階で、管理職能力として何が足りないかがわかれば、その後、個別計画的なOJTやOff-JTを組むことで能力伸長や弱点補強ができるからだ。  例えば、把握された強み弱みを踏まえて、上司が、その部下を管理職にすべく育成計画を組み権限移譲を含むOJTをすればいいし、共通して足りないスキルがあれば研修を組む、といった対象者の弱点の実態に即した効果的で計画的な管理職候補者育成が可能になる。  その際にもっとも大事なことは、まずは、本人が自身のアセスメント結果を「自分事」として腹落ちすることである。「分析力」はわりと良い点とれてるが、「創造力」はぜんぜんだめだな。「人材育成力」はイマイチの点だったな、などとテスト結果に一喜一憂するだけでは、まったく意味がない。自分事としての腹落ちとは、①問題に対して自分がどう答えたからこの評価点になったのだと「理解」し、②たしかに日常業務でもこの点は弱みだなと「納得」し、③是正のためにどう「行動」するかがわかっている、ということである。  この、①理解→②納得→③行動、を本人任せにしないで、きっちりとフィードバックを行うこと。いわば、「内省の強制」のイベントとしてのフィードバックが、アセスメント以降の育成の出発点として必須だと強調しておきたい。  それには、二つの方法がある。ひとつは、アセッサーによる個別フィードバック面談。実際の評定者だから、評点の理由はきわめて具体的に説明できる。加えて対話のなかで、本人の違和感や日常の課題感を聞き、演習行動との関係を意味づけさせることで、結果の腹落ちを促す。つまり、自身の業務の文脈でアセスメント結果を再確認させ、具体行動に結びつけることが、フィードバック面談の目的となる。  もう一つは、受検者集合型のフィードバックセッションだ。こちらは、ワークショップ形式なので個別面談のようなきめ細かさには劣るが、グループダイナミクスならではの「気づき」効果の大きさに優れる。たとえば、インバスケット演習であれば、いくつかの案件について、自身の回答を手元にもって、正解に向けてのグループ討議をする。講師の「この案件では何が問われ、どうすべきだったのか」という解説とともに、他者がどう考えどう行動したかを目の当たりにすることで、自身の不足や課題に如実に気づかされる。仮に、同じ管理職を目指す立場として、どうも自分は劣っていると体感したとしたら、その焦りは、以降の自己啓発の原動力にもなるだろう。  このセッションでは最後に、自己確認した能力課題に対して、以降の改善行動方針を作らせるが、そこでも、共有のなかで他者の方針に触れることで、自身に足りない視点に気づき、方針のブラッシュアップの場となるという効用もある。セッションを通じて、他者との考え方や着眼の違いに直面することが、ときに危機感をもった自己課題への気づきをもたらすわけである。  自分の能力課題は何なのか、それをどう解決するか。その切実な理解と自己啓発の意思がなければ、上司が考える計画的な指導も、きちんとした方法論やスキルの教育も、十分な効果は望めない。いま管理職としてなにが足りていないかが自覚できていて、それをどう解消していくかの意思と方針をもつこと。それが、管理職レディネスを高めるために不可欠な第一歩なのである。   「育成のためのアセスメント」を考えるコラム2回シリーズ。 「管理職レディネスをどう高めるか」(育成のためのアセスメント①)  「内省の強制」から始める(育成のためのアセスメント②)→今回 ※育成のためのアセスメント「スマートアセスメント」はこちら  

辛抱なき若者が未来を照らす | 人事制度

辛抱なき若者が未来を照らす

 配属ガチャという言葉があるそうだ。大学を卒業して首尾よく就職することができても、初任配属は会社の都合、思うようにはいかないものだ、という意味らしい。そして驚くべきことに、初任配属の地域や仕事が思うままにいかなかったとき、4人にひとりが退職を考えるというのだ(※)。せっかく入った会社なのに、あまりに辛抱が欠けてはいまいか。  昭和の時代にサラリーマンとしてのスタートを切った人間にとっては、空いた口が塞がらないタイプの事実だ。ご同輩の読者はどう思われるだろうか。しかしながら、この事実には、「いまどきの若者は・・」で済まされない大きな変化を感じる。    さて、ジョブ型という言葉が流行りだしてから少し時間が経った。積極的にこれを取り入れようとする会社もあれば、話はわかるが当社には合いそうもないから放っておけ、という会社もある。いずれにしても、ジョブ型という言葉の定義にはかなりの幅があるように思える。  ジョブ型の反対の概念をメンバーシップ型と呼ぶことが多い。筆者なりに両者の違いを描写すると次のようになる。まず、メンバーシップ型だ。雇い主は新入社員に、「定年を迎えるまで何があっても君をクビにしないよ、その代わり、会社が命じるままどこへでも行って、何でもやってください。」と言う。新入社員は「はい、どんな場所にも行って、どんな仕事でもやります。その代わり絶対にクビにしないで。」と答える。家族的だが、ちゃんと取引が成り立っている。  ジョブ型はこれと違う。雇い主は新入社員に、「この仕事をこの場所でやってください。他の場所にはいかなくてよい。他の仕事もしなくてよい。その代わり、この仕事が無くなったら君はクビ。成果が出せなかったときも君はクビ。」という。新入社員も、「この場所で、この仕事だけやって成果を上げます。他のことをやらせようとするなら、会社を辞めます。」と言う。とてもビジネスライクに取引が成り立っている。わが国で解雇が難しいことはもちろん承知の上だが・・。  こうした定義が成り立つならば、ジョブ型というのは雇用契約の話をしているのだ。「ジョブディスクリプションを作ってやるべき仕事をはっきりさせましょう」というような、社内の制度やルールの話ではない。先ほどの配属ガチャ問題、会社のほうは「絶対クビにしないよ・・」と例のごとく言うが、新入社員のほうは「・・でも、他の場所で他の仕事をやらせたりしないでね。」と言っているように見える。同床異夢。取引が成り立っていない。    グローバル競争の時代、多くの経営者が、当社の社員には専門性が欠けていると嘆く。一人ひとりの社員がもっともっと高い専門性を持って仕事に臨まないと競争に勝てない、と。専門性を研ぎ澄まそうとするなら、なんでも屋のメンバーシップ型ゼネラリストではなく、ジョブ型の精鋭専門職を採り育てるべきだろう。わが国も、段階的であるにせよジョブ型雇用の道を進んでいかざるを得ないのかも知れない。だとすると、配属ガチャで辞めてしまう新入社員の決断こそ、わが国の雇用が進むべき道を指し示している、ということにならないか。  不本意配属で、若者は会社を辞めるのだ。多くの会社が喉から手が出るほどに欲する理工系、特に情報系の若者も、配属ガチャを理由に辞めてしまうのだ。ならば、先に職種とエリアを約束し、それを長期間守っていかざるを得ないだろう。あとは、いかにして「その代わり・・」のところを描くかだ。取引を成り立たせるためにどうしたらいいのか。    がんばれ、新入社員。きみたちは自分のやりたい仕事を鮮明に思い描き、高度専門家の志を貫徹すべきだ。そして、それを実現するために必要なら、異動の無い働き方を求めてよい。どうしても叶わないなら、そんな就職は蹴飛ばしてしまえ。社会は甘くないから、「その代わり・・」が待っているかも知れない。でも勇気を持って前に進もう。君たちの決断は、わが国の未来を照らしているかも知れないのだから。   ※出所:「入社後の配属先に関する意向(不安・期待度)調査」キャリアチケットProduced by Leverages(2024年4月2日)

大谷翔平はいない。でも勝ち筋はある───自社に必要な人事戦略 | 人事制度

大谷翔平はいない。でも勝ち筋はある───自社に必要な人事戦略

大谷翔平のような存在がいれば、チームの戦い方は一気に広がる。投げても打っても結果を出せるスター選手がいれば、監督は思い切った作戦を組むことができる。 けれど、現実にはそんな選手がいないチームが圧倒的に多い。だからといって勝てないわけではない。 むしろ、自分たちの選手をどう生かすかを工夫することで、そのチームならではの勝ち筋をつくることができる。 名将の戦術をそのまま真似してもうまくいかないのは、自分たちに合ったやり方を考える必要があるからだ。サッカーでも野球でも、同じフォーメーションや作戦は別のチームでは機能しない。 結局のところ、勝ち筋はチームごとに異なる。企業経営も同じだ。他社を真似たスローガンや人事制度を持ってきても成果が出ないのは、「自社の勝ち筋=固有解」が他社とは違うからだ。 だからこそ、まず現状を診断する必要がある。 目の前に見えている現象に振り回されず、なぜその問題が自社で起きているのかを分析する。そして「全部やる」ではなく、「この課題に集中する」と決める。 これが固有解を見つけるプロセスだ。固有解とは、経営成果や競争優位に直結する人事課題を見つけ出し、そこに人やお金といった経営資源を集中的に投下することである。 よくある誤りは、「立派な理念の言葉」や「短期の数字目標」から制度をつくってしまうことだ。 制度を整えても社員の行動が変わらなければ成果にはつながらない。 重要なのは「何を変えるのか」を見極めることだ。経営課題の中には「放置すれば会社の存続に関わるもの」と「成長のブレーキになっているもの」が混在している。 その中から本当に取り組むべき課題を選び出し、今の会社の体力で現実的に解決できるかどうかを見極める。ここに限られたリソースを戦略的に集中させることが求められる。 押さえるべきポイントは明確だ。課題は必ず原因まで掘り下げること。全員を平等に扱うのではなく、会社の成長に直結する層や行動を選んで投資すること。 制度改定には必ず抵抗が起きる。だが、それは変化が本物である証拠だ。恐れる必要はない。 経営が「ここに集中する」と腹をくくって旗を振り、幹部や現場の管理職がそれを自分の言葉で社員に伝える。 この両方がそろって初めて変革は動き出す。 そして制度は必ず硬直化する。だからこそ有効期限を設け、定期的に見直すことが不可欠だ。 人事制度はあくまで手段にすぎない。 価値があるのは「何のためにつくり、どんな行動を生み出すか」である。完全な正解は存在しない。矛盾や摩擦を抱えながらも、比較的うまく運用していくことが現実的な理想だ。 企業が成長するために必要なのは、自社に合った固有解を見つけ、それを人事制度に落とし込み、社員の行動を経営目標に結びつけること。それこそが他社には真似できない競争優位を築き、成長を続けるための人事戦略である。 自社にだからこそできるのは、大企業にはないスピード感と柔軟さで制度を見直し、自社に合った勝ち筋を磨き続けることだ。

その転勤、必要ですか? | 人事制度

その転勤、必要ですか?

 転居を伴う転勤に抵抗感をもつ人が増えている。  エン・ジャパン株式会社の「転勤」に関する意識調査(2024)※によると、69%が「転勤は退職のキッカケになる」と回答しており、転勤を拒否する理由は「配偶者の転居が難しいから」が一番に挙がっている。その次に、「持ち家があるから」「子育てがしづらいから」が続いている模様だ。  今も昔も、転勤の基本的な考え方は、会社が主導して社員の配置転換を行うものだ。転勤を拒否すれば解雇事由となるのは、多数の企業の就業規則に明記されているところだろう。このように会社が強力な人事権を持つ背景には、日本型雇用の特徴である「終身雇用」「年功序列」とそれに伴う給与の引上げがセットになっていたためであり、労使双方でメリットがあったから成立していたとも言える。  しかし、転職が珍しくもなくなり、共働き世帯が大多数となった現在となっては、転勤の目的の重みと、その負担に即した処遇の大きさを再整理し、再び労使双方が合意できるポイントを探るのが急務となっている。 転勤の目的とは何か  そもそも、なぜ転勤が必要なのか、目的を整理したい。第一に挙がるのは欠員補充だ。定期的な転勤であれ随時の転勤であれ、ポストの欠員が出た場合に社外ではなく社内から素早く人材を補充できるのは、経営管理の視点で極めて効率的である。一方、社員視点ではどうだろうか。いつ自分に転勤の声がかかるか分からない不安定な働き方の中では、当然に将来の生活設計の見通しを立てづらくなる。欠員補充とだけ言われては本人のモチベーションもそうは上がらないだろう。このような目的の重みと本人負担を考えると、それ相応の処遇が求められてくる。具体的には、総合職手当といった「転勤を前提とした働き方の不安定さ」に報いる報酬であるが、少なくとも転勤がない社員と比べて5%~15%程度の給与水準の差がないと転勤待ちする側の納得感は得にくいだろう。  次によくある目的として挙がるのが人材育成だ。将来の経営人材候補や管理職を育てるために様々な事業所で経験を積ませるという企業は多い。人材の入れ替えが事業の成長要因になる企業もあるだろう。経営管理の視点で言えば、後継者育成や重要ポストの維持など、企業の継続性を保つ重要な目的である。社員視点で言ってもキャリアアップとそれに伴う処遇アップに繋がるので、転居に伴う生活上の負担は小さくはないものの、処遇が伴えば転勤に関する抵抗感も少なくなる(上述の調査結果でも、転勤を「条件付きで承諾する」と回答したうち、72%が「家賃補助や手当が出る」45%が「昇進・昇給がともなう」と回答している)。このような目的と本人負担を考えると、転勤先で帯びる職務職責に応じた報酬に加え、会社から本人への期待感の表れとして転勤一時金を支給することも一案だ。現に、最近のニュースでは大手銀行などで引っ越しの支度金などの転勤一時金を拡充する動きもある。その他の事例としては、転勤後の一定期間で「転勤手当」を固定的に月額で支給するものもあるが、赴任後のいつまでを転勤とみなすのかなど考え方の整理が難しく、各企業の個別事情によって運用は異なる。 転勤する人の社内的価値に“差”をつけられるか  さて、ここで大きな課題が残る。その会社における転勤の目的の重みと、社員本人の負担を整理した次に考えなければならないのは、転勤する人の社内的価値に対して、どのくらいのキャリアや報酬を用意するか、だ。転勤しない人の処遇が転勤する人に比べて見劣りすると、「不公平感が出る」「優秀な人材が取れなくなる」などの意見がよくある。そこで、両者のキャリアや給与の差を小さくしてしまうと、差がないなら当然「転勤しない方がラク」なのだから、転勤する人の抵抗感が大きくなる。転勤することがどれだけその企業にとって重要で価値があることなのか、差をつけることで社員にメッセージすることが重要なのだ。 企業起点で考える  転勤の社内的価値は、その企業における経営方針や事業の成長要因、人事管理の方針など、様々な経営上の文脈に依存する。例えば、毎年大量の新卒採用を行っている企業で、随時出てくる期中の欠員補充をわずかにするのみであれば、社外からの補充で事足りるため転勤を無くすという考え方もあるだろう。また、未来の経営人材を社内で育てねばならない企業で、限られた優秀人材に相応のキャリアと報酬を与える必要性が高いならば、等級・キャリアパス設計の中に転勤制度もしっかり組み込んで、戦略的に人材タイプを区別していくのがしっくりくる。最も良くないのは、転勤の位置づけが曖昧で処遇の納得感が少ないために、経営計画や事業運営にとって必要な配置転換がやりづらくなってしまうことだ。  転勤に抵抗感のある人が多い社会情勢である。人手不足で採用競争も熾烈だ。しかし、労働市場の情勢に翻弄されて誰の得にもならないような転勤制度にはして欲しくない。会社として転勤をどう捉えるか、企業起点で考えることから始めたい。 ※出所:「転勤」に関する意識調査(2024)―『エンゲージ』ユーザーアンケート―69%が「転勤は退職のキッカケになる」と回答。 年代が低いほど、転勤への抵抗感が大きくなる傾向に。 | エン・ジャパン(en Japan) (en-japan.com)

その賃上げ、意味ありますか | 人事制度

その賃上げ、意味ありますか

 経団連が発表した大手企業の2024年春闘の回答・妥結状況によると、月例賃金の引上げ率は5.58%(19,480円)と、2023年の3.88%(13,122円)を大きく上回っており、高い水準となっている。  賃金の引き上げは、従業員のモチベーション向上や離職率の低下につながる一方で、企業にとってはコスト増、特に固定費が増加するため、慎重に検討する必要がある。  そこで、月例賃金の引上げを行った2社の例から、その効果について考えたい。A社は、階層ごとに一定の賃上げを行った。一方、B社は、基本給が低い層の賃上げ幅を大きくし、基本給が高くなるにつれ、賃上げ率を低くする改定を行った。    賃金引き上げの意義や効果を考えてみると、以下の3点が考えられる。 従業員のモチベーション向上  報酬に対する満足感が高まり、仕事への取り組み方や成果に対する積極的で高いモチベーションを持つことができる。そのため、従業員の仕事への熱意やパフォーマンスが向上し、結果的に企業の業績向上につながると期待できる。 優秀な人材の確保と定着  賃金が競争力のある水準で維持されることで、優秀な人材を企業に引き留めることが可能となり、従業員の定着率を高め、長期的な競争力を獲得することが期待できる。 従業員の経済的な安定  賃金水準が向上することで、従業員は安定した生活を送ることができ、経済的な安定感が得られるため、ストレスやプレッシャーが軽減され、仕事への専念度も高まることが期待できる。    さて、A社とB社の事例では、この3つの効果が期待できるだろうか。  A社は階層に関わらず全社員の基本給を一律で引上げ、B社は若手層をターゲットとした基本給の引上げを行った。いずれの場合も非管理職層を重点に賃金の引き上げを行っているが、大きく異なる点は、B社は等級や号俸による引き上げ額に傾斜をつけることによって、会社全体の賃金幅を縮小したことである。  これらの違いは、両社の賃金改定に至る経緯の違いに起因していると思われる。A社は、社員の年収を大幅にアップすることを具現化した制度改定であることに対し、B社は、厳しい採用環境への対応と若手の離職防止に主眼を置いた改定を行っている。  そのため、A社の場合だと、全社員に対して万遍なく、賃上げの効果が期待できる。B社の場合では、若年層には大きな効果が期待できる一方で、中堅~管理職層では、現状よりは、賃金が増えているにも関わらず、制度改定に対する不公平感を感じてしまい、将来の昇給期待が持ちにくくなってしまう恐れがある。  賃上げは、決してメリットばかりではない。人件費は増加しているのにデモチベーションになる恐れや、公平性を重視するあまり、従業員が賃金上昇を実感できず、ほとんど効果がなかったということに陥ってはいないだろうか。  どのような効果を期待して、限られた賃金引上げ原資を配分するか、人事・経営に携わる者の腕の見せどころではないだろうか。    

従業員満足度の真実 | 調査・診断(組織分析)

従業員満足度の真実

 人的資本開示における代表的な項目である従業員満足度は、企業価値向上のための重要な指標の一つとされています。経営者も人事部も、企業価値向上のための一つの重要な指標としてとらえ、従業員満足度向上を目指していることでしょう。  従業員満足度が高いことが企業経営にもたらすメリットは多岐にわたります。仕事に対してのモチベーションが高ければ、効率的に働く傾向があり、生産性の向上が見込めます。顧客満足度の高さにも影響を与え、リピート率を上げることに繋がれば業績も上がります。また、満足度の高い従業員が多くいることで職場の雰囲気もよく、チームワークが強化される可能性も高いです。その先には、心理的安全性が確保された職場において安心して意見を言える環境が整い、新しいアイデアを出し合い創造性やイノベーションの促進にも繋がる可能性も高くなります。そのほかにも、離職率の低下やウェルビーイングの実現にもつながり、企業にとってはいいことずくめです。    それゆえに、従業員満足度が高い=望ましい人事施策が講じられている会社である、ととらえるのが一般的でしょう。  しかし、現実はそんなに単純なものではありません。経営計画を達成するための人事制度改革が、逆に従業員満足度を下げることもあります。  例えば、超高齢化している会社が若手の確保や成長を重視した施策を講じるとともに、高齢層の処遇を適正化することで従業員満足度が低下することがあります。早期定年制を導入し、高齢層の退職を促すと、特に高齢層からの不満が増加します。選挙と同じで票をもっているのは高年齢層が多いので、従業員満足度は大きく下がり得るでしょう。 また、実力主義を導入することで、ハイパフォーマーは満足度が上がりますが、アベレージパフォーマーやローパフォーマーは不満を抱く可能性があります。実力主義に大きく舵をきればきるほど、会社として投資対象にしたい人とそうではない人に歴然とした差が生まれるので、そこから漏れる人は不満をもちます。2:6:2の理論でいえば、半分以上の人が不満に転じる可能性があります。    従業員満足度は、冒頭に記載したとおり、重要な指標であることは確かです。従業員満足度が常に高い状態が続いている場合、企業が必要な改革を怠っている可能性もありえます。重要なのは、満足度の高低ではなく、経営計画を達成するための人事施策をしっかりと講じて、組織に浸透させていくことです。実力主義を導入して、ローパフォーマーが厳しさを感じていなければ、運用がうまくいっていないのではないかと疑わなくてはなりません。人事施策を講じたら、どの層にどのような影響が出て然るべきかの予測を立て、継続的に調査を行い、適宜調整を加えていくことが不可欠です。    企業が真に持続的成長を遂げるためには、従業員満足度を適切に管理しながら(単に高いことだけを目指すのではなく)、柔軟かつ迅速に改革を進める姿勢が求められます。これこそが、変動する市場環境においても競争力を維持し続けるためのキーポイントです。

江戸時代からあった?人的資本経営の本質とは | 人事制度

江戸時代からあった?人的資本経営の本質とは

 ここ数年で「人的資本経営」に関する話題が一気に増えた。人件費をコストではなく資本として考え直そう。だから財産である「人財にもっと投資をしよう」というのが大きな話の流れだ。    日本では失われた30年間で業績低迷に対するコストカットの一つとして、人件費をどうやってコントロールして余分な部分をカットするかに多くの企業が腐心していた時期が確かにあった。その意味では揺り動かしとして、人件費をコストではなく、資本として捉え直して、人件費に、正確に言えば人に投資をしようという動向は前向きな印象として捉えている人が多いと感じる。    ただ、違和感を覚えている人も同じように居ると感じる。違和感と言うのは、「人に投資するのは当たり前なのではないか、昔からやっていたぞ」と言う、経営や人事を真剣に考えてきた人達の感覚ではないだろうか。  実は江戸時代から日本では人を公共財として考えていたとされている。誰かが所有するのではなく、社会の財産として人を育て、社会に還元する考え方だ。当然、今より過酷な労働環境だったし、キレイ事で片付かない話も多々ある。それでも私はこの考え方が好きだ。人を財産と考えるときに古くは江戸時代からこのような考え方が日本にあったことに誇りを感じる。  だからこそ、日本では世界でも類をみない新卒採用という仕組みがあるのだと感じる。企業に対して戦力としてほとんど貢献出来ない新入社員を雇って、生活の安定を支援し、独り立ち出来るように様々なケアをし、大切に大切に育て上げる新卒採用の仕組みは、まさに人に対して投資を行い続けてきた日本企業の姿ではないだろうか。新卒採用は一例だが日本企業は従来より人を財産として、人的資本経営を実践してきたと言える。    もう一度、ここ数年の人的資本経営の動向を改めて考えてみると、議論の多くは「数値化」だと感じている。研修時間、退職率などの人的資本経営を客観的に「数値化」するための尺度の整備に議論が多く行われている。これ自体は否定するものではなく、とても重要だ。財務分野と人事分野での大きな違いの一つとしてよく言われるのが、財務分野は日本国内はもちろんグローバルスタンダードで「数値化」して「判断する」尺度が整えられているが人事分野ではそれが無いということだ。この人事分野の尺度を社会全体で整備しようとしているというのが現在の動向ではないだろうか。  もちろん、この動向に自社も参加することは重要ではあるが、人財を大切にする企業として最も大切なことは、自社にとって何が「人財を増やしていく上で重要かということを把握する」ことだ。    この把握は、世の中の動向と合わせるより、自社の文化や今いる社員などをもとに、模索しながら尺度・軸を自社で独自に創りあげていく形になるだろう。尺度・軸を創り上げていくためには合理で把握した部分、経営感覚としての直観を結び付けて創り上げていく形になる。合理と経営感覚の結びつきが強ければ強いほど、自社にとって「芯を食った」人財基盤強化の尺度(KPI)になる。グローバルスタンダードでは無いかも知れないし、自社以外の人には伝わらないかも知れない、きっと他社とは比較できない尺度や軸になるだろう。だからこそ自社が成長するための本質がここにある。   日本企業は「人を大切にして投資しよう」は既にやっている。今やるべきことは、自社にとって何が人財基盤を強化する尺度になるのかを改めて把握し、創り上げて強化することだ。日本が古来より大切にしてきた人的資本経営を強化する本質はここにある。   以上