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コラム

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偶数段階評価 | 人事制度設計

偶数段階評価

 日本人は幼いころからの学校教育の影響か、何かを評価するときに五段階で行うことが好きなようです。この五段階とは、例えばS、A,B,C,Dや5、4、3、2、1のようなもので、長年慣れ親しんできています。この感覚が企業の人事にもそのまま持ち込まれているように感じます。  この5段階評価は、特徴的であるのはBや3などの“ふつう”という概念です。平均的、まあ合格レベル的な感覚ではないでしょうか。なぜ特徴的であるかというと、非常に難しい概念であるからです。それは“ふつう”の上下の境界線が決まらなければ“ふつう”が決まらないからです。要は“ふつう”という概念は、二つの境界線を設定しなければ成立しないのです。AとB、BとCの境界線の間が“ふつう”ということだからです。Bの概念には厳密に言えば求められている基準に対して多少上回っていることと、多少下回っていることが混在している、非常にわかりづらい構造なのです。  人事管理の評価でもこの日本的な慣行は一般的で、評価を“ふつう”を中心とした5段階にする傾向が非常に強くあります。もっと言えば慣れ親しんでいる5段階で評価することになんら疑いを持っていないのです。  企業の人材管理で非常に重要であるのは、企業が求めるレベルの人材が適正数在籍しているかということです。これを制度的に言えば、昇格が最も重要と言うことになります。昇格を判断するためには、現在の等級の基準をクリアしているかが問題であります。従ってBとか普通という概念ではなく、大学を卒業すると同じように、等級を卒業するために、昇格基準を越えているかいないかが問題なのです。従って極論すれば“越えている”“越えていない”を判断することが基本的な機能として必須になるのです。これは究極には“○”か“×”かということですが、○にも段階があるでしょうし、×も同じですからそれぞれ2つに分割したら4段階評価ということになるでしょう。  要は人材管理の非常に重要な機能の昇格の判断には今までの5段階評価は合理性が全くないということなのです。基準をクリアしているかいないかが昇格の候補者であり、それがはっきりわかる評価方法に変えなければ機能しないのです。  社員の能力の評価は、昔風の5段階ではなく、クリアしているかいないかが明示できる偶数段階評価が必要になるのです。たまに昔から親しんでいる奇数段階評価でないと社員が理解できないと言う企業もありますが、大学卒業は単位が取れるかとれないかで判断される訳であり、なにも小中高校の感覚でなければ評価しづらいというのもどうかと思います。実務的にもBや普通のある概念は難しさを倍以上にします。評価の目線が合わないと言っているのであれば、合いやすいように偶数段階評価にすれば、合わない部分はたちどころに半分以下になるでしょう。 以上

改革のパターン | その他

改革のパターン

 改革を断行できる経営者はあまり多くありません。改革自体が過去の経営を一部否定することと、社員の削減や処遇の見直しという重い仕事を実際に行わなくてはならないからです。改革を行うには経営者は相当な腹を決めなければなかなか実行できるものではありません。  改革が必要な企業で改革に対しての行動にはいくつかのパターンがあります。まず改革を行わなくてはならないことはよく理解しているが、改革をしないという“戦意喪失”的パターンです。自分が経営者の間はできれば改革はしたくないということです。環境が好転しない限り状況が悪化するケースが多いですが、自分の任期中は行わないのです。次に大胆な改革をぶちあげますが、計画を検討する中で次第にトーンダウンするパターンでしょう。“敵前逃亡”的パターンと言えるでしょう。改革の重要性や方向性はより理解しており、それを行う構えを見せるのですが、構えで終わってしまうのです。改革の検討段階で社外社内からいろいろな抵抗にあいます。この抵抗の強さや抵抗を覆すパワーを考えると、次第に妥協的改革案になり、果てはほとんど何も行わない改革となってしまうのです。このパターンに似ていますが、抜本的な改革はしないけれども、社内外の強烈な抵抗をうまく制御して、決定的な対立がなく、その組織内の許容的範囲で改革を行うパターンもあります。“予定調和”パターンと言えるでしょう。このパターンの企業の多くは、改革のあるべき姿はわかっていますが、過去の経営や現状への配慮も同じだけの比重で考える傾向にあります。非常に頭の良い先の見えるキーマンが先導して行うパターンです。確かに抜本的ではありませんが、制約の中で最大限の成果を上げようとするものです。そして改革を徹底して断行する“正面突破”パターンがあります。このパターンは環境的に改革をしなければ生きていけない企業が多いですが、将来を見据えて徹底して改革を断行するという企業もあります。正確な環境判断と今後の経営のあるべき姿から一気に改革を断行するのです。  改革を断行し成功する企業はいくつか共通することがあります。一つは強力なリーダーがいるということです。このリーダーは現状の正確な把握と将来に対するビジョンがあります。またある程度人望がなければなりません。次に方法論に固執しないということです。実行するための方法論について詳細な意見は言わずに他に任せるのです。また強力なブレーンがいるということも共通しています。そして最後にこれが最も重要ですが、改革が失敗したら自らの身を処す覚悟ができているということです。  これから日本企業の人事は今まで経験してこなかった変革期を迎えます。高齢化やグローバル競争、環境変化に対応して成長を持続しなくてはなりません。そのための人事基盤はあまりにも脆弱で非合理的です。また過去の遺物も多くあります。どこかで大きな構造転換が必要になるでしょう。改革がうまくいくためには“リーダーシップ”と“覚悟”がいかに重要であるかを再認識しなければなりません。  以上

マズローの罪 | その他

マズローの罪

 入社2年目や3年目社員の研修で決まって要請されることがある。それは、「初任配属が希望と違うかもしれないけれども、目の前の仕事を全力でやることが次のキャリアにつながる」というメッセージを伝えてほしいということだ。  現場の仕事が予想以上にしんどいとか上司と相性が悪くて評価されていないとかの状況に加え、同期の彼は希望通りの配属なのに自分は違う。やりたい仕事がやれていない、どうすれば今後、そうした「自分のやりたい仕事」つけるのか、といった想いを持つ若手社員が多いということである。    そもそも社会に出たばかりで、自分のやりたい仕事が明確であるのだろうか? 子供のころや学生時代に何かのきっかけや社会的問題意識から、明確な目指す職業ゴールを持つ人もいるだろうが、多くは、仕事経験の中で、向き不向きや自分は何を面白いと思うのかを“発見”していくのではないか。 まだほとんど仕事経験がないときの自分のやりたいことなど単なるイメージにすぎないのに、それにとらわれて迷ってしまう。ましてや、大学のキャリア教育で、自分の将来のキャリアをデザインしたりするから、自分がやるべきこと、やりたいことを言語化し、それにこだわってしまう。 自己実現の呪縛である。よく知られるマズローの欲求階層は、最上位に自己実現欲求を置く。この整理は、人はなぜ働くか、という問いの答としては明快ではあるけれども、実現するべき自己がまずあるかのような誤解もうむ。経験や関係のなかで、自己がアイデンティファイされていくという事情をともすれば見落としてしまう。  キャリアデザインでは、よく「やりたいこと」と「できること」を棚卸しし、その重なりが強みだ、と言ったりする。しかし、この二つは独立しているのではなくて、経験を経ての「できること」つまり能力の向上や広がりが、次の「やりたいこと」を生み出していくことのダイナミズムこそがキャリア発展の醍醐味である。  こうした若手社員研修では、目の前の仕事をただやるのではなくて、その意味(会社にとっての、社会にとっての、自分にとっての)を考え、全力を尽くすこと。そのことの意義を、具体的に気付かせることに腐心する。だから最初の配属がどうあれ、無能な上司であろうが、そこを成長の場にできるかどうかは本人次第と分からせる。  とはいっても、最初の配属先がその人の将来を決める、といった調査結果もある。そのときどんな上司につくかが、その後の進路を左右するようなクリティカルな経験といった面もあるかもしれない。社会に出たばかりの若者にとって、上司の影響力がきわめて大きいこともまた事実だろう。  できる管理職者だなぁと日ごろから思い、おそらく部下にとって良い上司と目されるあるメーカーの課長に、この、新入社員の自己実現呪縛の話をしたら、彼はきっぱりとこう言った。  「そんなこと簡単だよ。これが君のやりたい仕事だ、といって業務をわたせばいい」

発達不全 | その他

発達不全

 研修のなかで、参加者一人一人の行動を観察しアセスメントすることがある。そのときのポイントの一つは、グループで議論をしていて意見が対立したときに、別の観点を提示して、その停滞局面を打破し議論を前に進めるような発言をしているか、ということだ。  単に、同調したり、頑なに自説にこだわるのではなく、意見の違いを踏まえたうえでコミュニケーションの階梯を一段あげるような発言たりえてるか、に注目して観察をする。そこに、思考力やリーダーシップ、とくにコミュニケーションのスキルレベルを診ることができるからである。  グループディスカッション演習では、だいたいどのグループにもそうした役割を果たす人がいるものだが、ときに、そうした場面がまったく見られないことがある。そもそも意見の対立自体が起こらなくて、むしろ違いの表出を避けるかのようにグループの結論がまとまる。予定調和的な議論が展開され、正解というか優等生的な答がきちんとだされたといった印象。そんな会社が何社かあった。  それが事業特性から醸成されている社風なのかもしれないし、優秀な人たちならではの“研修だから”といった割り切った所作かもしれないけれども、そこには強い違和感を覚える。個々人は優秀でおそらく実務でも問題ないけれども、もしかするとこの集団は、「大人の仲間関係」ではないのではないか。つまり、違いを前提にして合意形成に至るというコミュニケーションレベルに至っていないのではないか。  成長過程で、集団におけるそうした振る舞いのベースが身に付くには、3段階の仲間意識の発達を経ると臨床心理学でいわれる。  子供は、小学生高学年くらいから、親の言うことよりも友達の言うことを重視するような仲間意識が現れる。その第一段階は、「ギャンググループ」と呼ばれ、そこでの一体感は、同一行動による。同じ格好や行動をするから、仲間だということである。つまりみんなでつるんで、悪さばかりしているからギャング。  第二段階は、「チャムグループ」。チャム(chum)とは、ぺちゃくちゃしゃべってばかりいることで、この年代の一体感は、言葉による確認になる。「昨日〇〇を見た」「私も見た見た」「あれかっこいいよね」「そうそう」と言葉でお互いが同じだと言い合う。ときに自分達だけの共通の言葉で、行動ではなく内面の類似性を確認する。これが中学生ぐらい。  高校生以上になると、本来の仲間という意味の「ピアグループ」となる。今までと違って、お互いの違いを認めたうえでの、仲間意識。チャムの段階だと、自分の言葉を否定されると自分を否定されたと受け取るけれども、そうではなくなる。つまり、議論ができるようになる。  大学生を対象にしたエンカウンターグループセラピーを実施しているカウンセラーに、「受験教育のなかで仲間関係を十分に経験せずに大学生になって、ギャングやチャムを楽しむ学生が増えている。より深刻な問題は大学生の病理現象の変化だ」と聞いたことがある。学生のノイローゼは、かつては“自分”に関するものだったが、いまはすべてが“対人関係”の悩み。「人と付き合えない」「女性と口がきけない」「沈黙が怖い」といった集団としての行動がうまくとれないといったものだ。  もしかすると、企業の中のコミュニケーションもチャムレベルにとどまっている場合もあるのかもしれない。そこでピアの議論などすると仲間関係がうまくいかない。だから大人の議論を避ける。もしかすると、メンタルイッシュ―もその発達不全に起因しているかもしれない。  大人のコミュニケーションとは、お互いが違うときに、少しずつ傷つけあって、第三の道を見出していくことだ。第三の道とは、交渉における合意点であるだけなく、今までにない考え方や方法でもある。だとしたらそれは、決められたことをきちんとやるのではなく、仕事のやり方の革新を生み出すために不可欠の、集団の振る舞いでもあるのではないか。  組織変革力が求められる状況下、それは社風やコミュニケーションのクセといって片づけられない、きわめて大きな問題なのかもしれない。

時代遅れの二次評価 | 人事制度設計

時代遅れの二次評価

 多くの企業では人事評価を行う上で、数回に渡り評価の見直しを行うことが普通に行われています。直属の上司がつける評価を一次評価とし、より上位の社員役員による再評価を二次評価、三次評価として運用している企業が実に多くあります。長期雇用、年功序列の人事管理の中では、この二次評価、三次評価はそれなりに機能を果たしてきましたが、実力、成果主義の人事管理を指向しようとすると、とたんにこの二次、三次評価はマイナス以外の何者でもなくなります。  かつての人事管理は、長期に安定して勤務することが非常に重要であり、そのため社員の大多数がある程度満足する評価でなければなりませんでした。評価自体も口当たりの良い甘い傾向であることが当然ですし、また二次評価以降でも組織間のバランスなどの視点から、全社的に多くの社員が満足するバランスをとるための評価調整がなされるのです。もっと言えば社員個々の評価について厳格に管理するという視点はそもそもなく、多くの社員が満足するバランス作りが必要だったのです。したがって一部の優秀な社員と大半のまあ優秀な社員と、ほんの少数の優秀でない社員という暗黙のバランスを指向していたとも言えます。二次評価以降はこの全体バランスという視点で調整することが主たる役割であり、上位の管理職や役員からみて、うまいバランスであるかを検討する場として、それなりの意味があったのです。  しかし経営、人事を取り巻く環境は、大きく変わりました。企業の成長のためにハイパフォーマーをできるだけ育成しなければなりません。労働市場の発達はメリハリのない企業にとっては人材流出のリスクが高まっています。また人件費にも限りがあります。有効な配分をしなければなりません。環境は全員を最後まで雇用することを前提としない、労働市場的にも社内的にも実力主義的人事管理を求めているのです。この環境の変化に対して現在の人事制度はあまりにも旧式です。実力成果主義人事を行うための人事制度に切り替えなくてはならないのですが、未だに実質年功給的な昇給があったり、適正な人員構成実現という観点の昇格になっていない、賞与などの配分に論理性がないなど様々な問題が発生し、新たニーズに対応できていないのが実際でしょう。  実力、成果主義人事制度のもとでは、社員に対する評価は常に“絶対”でなくてはなりません。そうでなければ社員の理解を得ることができないからです。そのためには昔の評価制度風に言えば、一次評価のみが重要であるということです。要は評価を適正に行うためには、直接の業務指示者が正確な評価を行うことに尽きるということです。直接の上司でなければ実際の能力や貢献がわからないからです。この一次評価の品質をいかに上げるかが極めて重要で、一次評価の品質が低い企業は、二次評価以降の評価で品質がよくなることはありません。一次評価の結果を上位者により変更することは、一次評価者、被評価者の理解賛同を得られずらく、混乱し不満に思うだけでしょう。実力、成果主義的人事では二次評価はその存在がそのものに意味がありませんし、逆にマイナスなのです。  よく“一次評価者のレベルが低く、二次評価で修正しなければならない”などという声も聞きます。そのために二次評価をするのだと。しかしそんな社員を管理職として遇し、また適正な評価ができないことを黙認してはいけません。今後の人事管理では二次評価という言葉自体も存在しないということです。 以上

夢のない分布 | その他

夢のない分布

 社員の評価が適正でない企業では、最終的な手段として“分布規制”を行います。これは社員の能力や業績の評価結果を決められた分布通りにするという発想です。その多くは“正規分布”的発想で、SABCDの5段階であればSが5%、Aが15%、Bが40%のようにあらかじめ“形”を決めておくのです。こうすることにより、甘辛の調整をするという発想です。 この考え方にはいくつか重要な論点があります。多くの企業では社員の評価は“絶対評価”で行い、その結果を相対評価するという建付けになっています。背後には評価者は甘く付ける傾向にあるということでしょう。一次評価した絶対評価を信用しないということなのです。こうすることによって社員からみた評価制度は意味がわからないものとなります。もう一つ重要であるのはそもそも“正規分布”は正しいのかということです。企業内の人材が一定の評価基準で評価した結果正規分布になることなど、どの理論に基づいているのでしょうか。少なくとも私は十分な論拠のある正規分布適正論を見たことはありません。働くアリだけを集めると、一定比率働かないアリが発生するといったことが、この評価の分布議論で、納得性のある話のように流布されています。面白いですがそれだけです。体感的には優秀な人材が多く在籍している企業もその逆もあると思いますので、なぜ正規分布かが理論的にも体感的にもわからないのです。そんなに相対評価したければ、社員に順位を付ける制度のほうがわかりやすいのではないかと思います。等級別の自分の相対順位で自分の位置づけを認識するイメージです。  この正規分布の考え方は、別な言い方をするとあまりにも夢がありません。人事管理の本質的意味合いを否定しているかの如く感じることさえあります。どの企業でも“優秀な人材の育成”と銘打っていますが、優秀な人材は一定比率しか認めないという矛盾したものとなっているのです。人事管理の視点では優秀な人材の比率が高まることで、より高い生産性、より高い業績を生み出すために行っているのであり、一人でも多くより活躍し、より高い処遇になることが目的です。正規分布はその人事管理の目的を否定している考え方に見えるのです、  実際には分布規制をしている会社は、そんな悪意を持っていません。甘い評価が横行するのを何とか食い止めるために行っているのでしょう。経営や人事部門の苦悩がこのような手法に表れているのです。いずれにしても評価そのもの、人事制度そのものをより高い効果を出すという視点からは、副作用の非常に強い対処療法でしかありません。  真に優秀な人材が多く発生して困ることはありません。逆に優秀な社員が多く出現するほうがよいに決まっています。社員を適正に評価できる仕組みやマインドを再構築して、“正規分布的発想”をなくし、攻撃的で夢のある人事管理に変貌しなければなりません。いつまでも正規分布が妥当かを議論したり、正規分布の比率の議論はあまりにも本質から逸脱しているように思えます。 以上

振り出しに戻る | その他

振り出しに戻る

 管理職から外れたら専門職に移るという人事制度をよく見ますが、本当に合理的なのか大いに疑問です。  優秀な事業部長を育てるには、複数の部長の経験が必要でしょう。同じように優秀な部長を育てるためには、異なる機能の課長経験が必要となります。優秀な課長として育成するためには、いくつかの異なる部署の経験をすることが望ましいでしょう。異なる環境や異なる機能でのマネジメント経験をさせることで、マネジメントとしての幅が広がり懐が深くなるのです。そのため優秀な管理職はローテーションが必須となるのです。逆に専門職は特定の領域の社内専門家です。企業によってその専門の領域は異なりますが、特定の領域を深掘りしていくことになるので、基本的にはローテーションという考えは必要ないのです。とにかく特定領域を徹底して詳しくなるようにするのです。要は管理職と専門職は全く育て方が異なるということです。  しかし多くの企業の人事制度はあまり合理的に管理職、専門職の設計がなされていないのが現状でしょう。例えば管理職の等級が事業部長、部長、課長クラスに対応してM1、M2、M3とあったとします。それに対応して専門職の等級もP1,P2,P3のように設定したりするのです。これ自体には問題は全くないのですが、M1で管理職から外れた社員を同格のP1に転換させるような人事制度が圧倒的に多いのです。管理職と専門職は行き来が自由のような設計も多く見られます。管理職を外れたのであれば、管理職のもとで何らかの実務を行うことになります。この実務のレベルは同格の専門職と同じとは考えられません。専門職としてもその経験を積んでいない分、同格ではなく一つか二つ下ではないでしょうか。しかし実際にはあまり処遇を下げたくないという感覚から同格の専門職にしたりするのです。  これは専門職の地位を著しく侵害しています。本当の意味での専門職は長年特定の専門領域の職務に就き豊富な経験と高いノウハウを持っているのであり、管理職だった社員が横滑りしてきて同格ということはあり得ないでしょう。そういう意味で現在の専門職は2つの人材が混在しているのです。管理職から外れた人材と専門家として評価されてきた人材が同じ等級・グレードに存在しているとも言えます。そうなると専門職は管理職から外れた社員の処遇の場として認識され、“管理職として処遇できない社員の職種”、“管理職より下”のような位置付けとなり、本当の意味での専門職は根付きません。  まず管理職と専門職はその育成方法の違いと形成する能力の違いから相互の互換性は高くないことを再認識しなければなりません。自由に行き来できるというのは、全くナンセンスなのです。また管理職のどの等級からでも、管理職から外れた場合には専門職の一番下へ格付けるような方法が合理的でしょう。管理職としての能力ではなく専門職としての能力で評価すれば多くの場合にはM1〜M3の社員が専門職に行く場合には、皆P3に格付けるということです。管理職から外れたら、分岐したスタートポイントに戻るのです。“振り出しに戻る”ということです。 以上

矛盾する方針 | その他

矛盾する方針

 企業が新たに人事制度を設計し導入する場合に、その制度のレベルは関与者の知識、スキル、マインドに大きく依存します。多くの企業では、人事制度の導入を計画する場合に人事部が中心となって設計します。また主要組織のキーマンや経営陣などを中心として、“人事制度検討委員会”などを設置して、人事部門が策定した制度を審議します。新たな人事制度の方向性やある程度の骨格を決定するのは、委員会のメンバーと実際には設計する人事部門メンバーとなります。経営者が方向性と大まかな制約事項を提示して、人事部門が自社に適合した経営に効果のある制度を設計し、それを経営者が承認するというのが望ましい進み方です。  しかしこれがうまく機能しない企業が少なくありません。そもそも経営者の方針や制約がよく理解できなかったりします。また経営者の方向性を咀嚼して人事部門が設計しても設計そのものが合理的でないことも散見されます。そうなると説得力のある説明できないのです。さらには設計の途中や設計終了後に経営者と話をすると、ここでも大きな問題が起こることがあります。経営者は自らが発した方針が制度になることによって初めて現実の社員への影響を目の当たりにするのです。そうすると矛先が鈍る人も多く出てくるのです。  ある企業で“担当している職務によって処遇する制度にする”という方針に対して、人事部門は複数段階の職務レベルを設定して、それぞれ適切と思われる給与を設計しました。職務によってということは、担当職務が上がれば給与は上がるでしょうし、担当職務が明らかに下がれば給与はダウンすると解釈しました。給与制度的には職務レベルによってはっきりと差のある給与制度となります。これを経営者に持っていったところ、毎年の昇給や数年ごとの昇格は行いたいという強い要望が出たのです。職務レベルを軸とした処遇と定期昇給や定期的な昇格などは理論的には相入れないのですが、どうもその経営者の認識が明確でないのです。こういう人事に疎い経営者に対して最近の人事制度理論をすぐに理解させることは非常に困難を伴います。経営者も昔の人事制度で慣れ親しみ、かつ昔の制度でよい思いをしてきた人なのです。こうなると人事制度設計も内部承認を得るまで大きな苦労が待っています。結果としては経営者の曖昧なイメージを何度も形にして説明しますが、そもそも矛盾した方針を出しているのですから、設計しても無理があります。設計に無理があることに経営者は次第に気が付いて行くのですが、これには時間がかかるのです。挙句の果てに、個人別の給与の変更案をみると一気に心が萎える人がいることも、多く目にしてきました。  企業にとって重要な人事制度を策定するのであれば、まずは経営者含めて社内の関与する人たちの人事知識を一定レベルまで上げなければ、議論すら噛み合わないのです。いくつかの企業で、制度設計する前に人事の基本的な言葉や理論の研修を社長含めて関与者に行ってから設計をすることがありました。これは非常に効果的でした。ただし社長含めてこのような事前研修に出ること自体に消極的な企業も少なくありません。このような研修ができない企業は、議論が長くなることを覚悟したほうがよいかもしれません。経営者の“人事管理”に関する知識、スキルが足りていないのが現状ではないでしょうか。

間違いだらけのMBO | その他

間違いだらけのMBO

 目標管理(MBO)は多くの企業で、業績の管理の手法として導入されています。このMBOは最初に誰がどのようにして広めたかわかりませんが、あまりにも非現実的で初歩的な誤認識が目につきます。この間違えたMBOについては、あまりにも語ることが多くありますが、その代表的な誤認識について議論したいと思います。  まず目標管理の対象者ですが、多くの企業で社員全員を対象にしています。目標管理の対象者は、適切な目標を設定でき、それが測定可能で、また自分の権限でコントロールができる人であることが絶対的条件です。この原則を守らないと、多くの企業で出てくるいつも聞く問題が発生するのです。“目標が適切に設定できない”などはその代表的なものです。企業によっては目標を適切に設定しようと躍起になる企業もあります。まず無駄だと思います。上記の3つの条件が成立する社員はポストに就いている管理職社員がほとんどでしょう。一般の社員はチームで仕事をしていることが多く、またローテーションでたまたまその職務を担当していたりします。日本の企業では等級・グレード制度が厳格に運用されていないので、等級による目標の差なども明確にすることは不可能です。簡単に言えば目標管理はポストに就いている管理職に限定するほうがよほどわかりやすいのです。分解できない構造であるのに、無理に目標を一般社員にまで分解することが間違いなのです。  目標管理の書籍などを見てびっくりすることがあります。たまに目標は社員自らが立てるべきであると書いてあるものがあります。これは経営管理上全くナンセンスです。根拠としては、会社の方針を理解して積極的に自分の目標を設定することによって社員の自覚意識が高まるなどとも書いてあったりします。会社の経営方針と経営計画が主要な組織に個別の方針や目標として分割されるのであって、社員が勝手に経営方針を咀嚼して自分の目標を立てるなどは時間の無駄でしょう。積極的に会社や部門の計画や目標に関与する姿勢は極めて重要だと思いますが、それは目標管理の中で達成するものではありません。  さらに続けます。目標は経営にとって重要な達成したい事項ですので、その属性が定量なのか定性なのかに過度にこだわる必要は全くありません。なんとなく定量は正しいが定性は正しくないようなイメージや、定量こそ目標で定性はそのサブ的なものであるような解釈をしている企業がありますが、目標は目標であって数で測定できるか否かで大きな区別をする必然性は何もないのです。またいくつかの目標に“難易度”を設定することがあります。これがまたいい加減な指標です。難易度は等級・グレードをまたぐような目標の場合に、上位や下位等級との平均給与差などを使用して決定するのが理論的です。一般的には難易度の解釈も曖昧なことが多く、さらには“係数”の考え方も根拠が不明の企業も散見されます。  他にも多くの論点はありますが、現在の日本企業の目標管理は問題が多すぎです。もっとシンプルにわかりやすく説明可能な形態に直ちに改造するべきです。

期間とレベル | その他

期間とレベル

 多くの人事制度改革のコンサルティングを行ってきましたが、制度の検討期間が長くなればなるほど、改革のレベルは低下する傾向にあるのではないかと感じます。企業によって人事制度を改革する背景や目的は異なりますが、外部のコンサルティング会社を入れてまで、制度を改革しようとするのですから、今までの制度より相当優れたものでなければなりません。優れているというのは、経営目標や計画を達成するための有効な部品としての優秀性と言うことです。そのため新しい人事制度は、経営への貢献という観点で合理的に設計されなければなりません。日本企業では成果主義的要素は入りつつも、現在でも年功序列的制度です。また等級・グレード制度なども経営に連動し手いるとは言い難く、単に簡単な人物イメージの表記にとどまっています。また業績貢献が低い社員の雇用を大事にしており、さらに給与レベルも高かったりします。現状はあまり合理的な制度設計に運用になっていないため、様々な問題が発生しているのです。現在の人事制度の見直しは、年功序列、終身雇用色は薄くし、経営との連動性を重視する事となり、多くは改訂ではなく改革というほうが妥当でしょう。  改革とは、制度そのものの内容の改革はもちろんですが、最も重要なのは、経営者、管理職、人事部門が持っている今までの緩い人事管理感覚からの脱却といえるでしょう。制度設計当初は、経営課題から人事制度を検討する意識が強いため、合理的で構造的な設計になります。しかし当初設計した内容から、検討する時間の経過とともに変化していく企業が散見されます。検討期間が長くなれば、現実の人事からのギャップを心配したり、長年慣れ親しんできた人事管理感覚から脱却できづらくなってきます。通常人事制度の設計は3ヶ月から6ヶ月程度の期間をかけることが多いですが、この期間が途中で延びる場合や当初から6ヶ月以上の場合の多くは、改革レベルが当初掲げていたものよりも、だいぶ後退してしまう傾向が強くあります。自分が経営者の時に、自分が人事の担当の時に改革することを躊躇しているのかもしれません。特に年功序列、終身雇用を継続してきた企業では、先輩後輩や同期という意識が存在しています。具体的な顔を思うと、今までのようなあまり差のない、ある意味曖昧で緩い人事管理のほうが、社員全体からの印象は悪くないのです。実際は人件費が高騰し経営を圧迫していたり、人事管理によって業績が上がらないという事態になっているのですが、現状から変えることに一歩が踏み出せなくなるのです。  業績が一気に低下するような状況では、人事制度は合理的なものに直ちに改革しなければ企業が存続できません。しかし業績が大きく低迷していないときに人事制度改革を行う企業では、短期間であるべき制度に改革できる企業と、長い検討期間を経て結果として行うべき改革が実現できない企業に分かれるようです。  人事部門は、制度の改革によって、短期的な効果とともに長期的な成長基盤の提供ということであることを再確認しなければなりません。また人事制度改革は、最も大きなコストである人件費のコントロールと、経営目標、計画達成のための原動力でなければならないことも、再認識が必要でしょう。決して先輩後輩や同期の顔がちらつき、改革が手ぬるくなることがないようにしなければ人事部門の存在そのものが問われてしまいます。現時点で波風を立てないことが、将来の経営に大きなないマイナスになることを強く認識し、直面しなければなりません。逆の言い方をすれば経営者、人事部門は毅然とした姿勢で、自信を持ち、短期間で大胆に合理的な制度への改革を断行するべきということであり、そういう経営者や人事部門担当者は後の経営や社員から賞賛と感謝がされるのではないでしょうか。

パンドラの箱 | その他

パンドラの箱

 メンタルヘルスの予防的施策の一つであるストレス診断は、個々の従業員の「心の健康診断」として役立つだけでなく、組織の病理を鮮烈に描出することができる。さまざまなストレス因子が個々人に影響する度合が診られるということは、それを全社的に分析すれば、部門ごとのストレス環境の状態がわかるということになる。  しかも鮮烈に、つまり、そこで検出される組織の問題は、実態的できわめて生々しい。組織診断と言えば、モラールサーベイや従業員満足度調査がよく使われるが、答える側の“警戒と配慮”や本人に自覚できている不満に限られるといった限界があるけれども、自身の健康を診る心理学的テストであるストレス診断では、よりプリミティブな回答が得られるからだ。  たとえば、「自尊心の毀損」という因子によるストレス状況にある従業員が多い部門とは、いったいどういう組織状況なのか。加えて、「リーダーとの関係」にも共通して起因しているとしたら、極めて問題あるリーダーシップが推測できる。また、「組織市民性の低さ」というストレス因子は、同僚が困っていても助けない、というチームワーク状況を示すから、そういう不健全な部門が特定できる。  長時間労働、キャリア展望、雇用条件、リーダーシップ、人間関係等々、多様で詳細なストレス因子をはかる診断ツールを使えば、怖いほど組織がどう病んでいるかが分かる。それは、そのままマネジメント問題としての病理であり、明快で鮮烈なだけに、開けたことを後悔するようなパンドラの箱でもある。  以前、6000人の全従業員でこの診断を使ったことがある。30の部ごとに組織状況の分析を行い、各部のストレス因子状態を部長にフィードバック。状態の悪い部から順次、原因の検討と改善施策を個別に強制し、指導し、実行していくという施策をとった。ストレスマネジメントは、モチベーションマネジメントと表裏であり、当然、業績にも影響するから、これはパフォーマンスマネジメントの施策にほかならない。実際、この会社では部ごとの分析結果と部業績との関係をまず検証している。  通常、メンタルヘルスの診断は、福利厚生担当の所轄だったり、健康管理の一環にとどまり、部門のマネジメント診断にまでは至らないけれども、組織診断としての活用がもっとされてもいいのではないか。それだけ経営施策としての効用が大きい。このケースでは、組織診断としての意義に着目した常務取締役が、むしろ個々人のストレス診断を副次的効用として、実施を決断したものだった。  ただし、この施策は劇薬である。組織のリーダーが突きつけられる結果の深刻さは、360度診断の比ではない。経営者が知ってしまったら、全社的な、踏み込んだ手を打たざるを得ない。  こうしたパンドラの箱を開けてみたいという勇気ある方は、ぜひご一報を。もっとも強烈な診断ツールをご紹介します。

二重構造の労働市場 | 雇用施策・その他

二重構造の労働市場

 近年日本の雇用管理上、大きな変化が起きたのは、おそらくバブル崩壊後のリストラブームの時でしょう。バブル崩壊前までは、終身雇用が普通であったのが、これ以降終身雇用は以前に比べて重要視されなくなりました。多くの企業が心ならずも大量の正社員の整理をしなくてはならなかったからです。この大手企業正社員の大量整理という現象は、ネガティブにとらえられますが、一方で日本の歪な労働市場構造に大きな衝撃を与えたという意味では、ポジティブな評価もできます。  そもそも日本の労働市場は、大まかには大企業労働市場と中堅中小労働市場から成ります。市場規模としては中堅中小労働市場のほうが圧倒的に大きいのです。大企業労働市場は、新卒社員を雇用して年功序列的な人事制度で終身雇用です。そのため平均勤続年数が非常に長いのです。中堅中小企業労働市場は、常に人材不足と言われてきました。これは質的にも量的にもです。また経営環境の変化に対して迅速に対応する必要があり、かつ人件費の管理も厳格であることから、必要な人材を雇用し必要でない人材は社外に流出するのが普通の感覚です。したがって自己都合で退職する社員の比率も高く、平均勤続年数は大企業労働市場の半分程度と極めて短いのです。  中堅中小企業の人事管理は、一般に言われているような“日本的”な人事管理ではありません。確かに正社員は“期間の定めのなき雇用”ですが、大企業のように全員を定年まで雇用することに対して、大きな価値を持っていないのです。企業が力強く成長するためには、信賞必罰を実現しなければなりません。また人件費の適正化も大企業よりもシビアですので、実力主義的な人事管理がなされています。日本の人事管理は“終身雇用”“年功序列”と言いますが、これは日本の労働市場の一部であり、全体では実力主義的であり、雇用も流動化しています。ちなみに中堅中小企業労働市場の平均勤続年数は、米国の平均勤続年数とほぼ同じなのです。  日本の労働市場的な問題の一つは、優秀な新卒社員のほとんどが大企業労働市場に入ることです。中堅中小企業では中途採用でしか優秀な人材の確保は難しいのです。さらに大企業に入社した新卒社員は終身雇用的意識が強く、企業側も甘い人事管理を行うために、優秀なビジネスマンを育成することができていません。競争も甘く、社内での教育も十分でないために、本来企業が求める人材レベルを満たしている人材ばかりではありません。特に近年では、長らく業績不振で人事育成に対する投資を怠ってきているために、その傾向が顕著です。当然の結果なのですが、多くの企業で、“人材が育っていない”と嘆いているのです。  大企業のリストラのポジティブな面は、大企業の優秀ではあるが活躍場所のない人材を、人材を渇望している中堅中小企業に送出できるということです。またこういった人材移動が多発することによって、大企業側も中堅中小企業の厳しい人事管理の実態を目の当たりにすることもできます。重要であるのは、このような労働移動は大企業が危機的な状況に陥って行うのではなく、活躍場所のない社員や、大企業ではパフォーマンスが発揮できなかった社員などを、業績とは関係なく、中堅中小労働市場に定常的に送出することです。大企業はとかく雇用調整を嫌いますが、環境変化に柔軟に対応するために、また雇用した社員の将来の職業人としてのキャリアを考えると、全員を定年まで雇用することなどは、現在ではナンセンスです。“雇用調整は社会貢献”であるくらいのスタンスに立って、業績がよい時からより積極的な雇用施策を実施しなければならないのです。