「その他 」の記事一覧(15 ページ目)|コラム|株式会社トランストラクチャ

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世の中や自分に有益な残業 | その他

世の中や自分に有益な残業

政府の「働き方改革実現会議」の初会合が先月末に開かれた。「非正規雇用の処遇改善」「賃金引き上げと労働生産性の向上」「テレワーク、副業・兼業といった柔軟な働き方」など、多岐にわたる働き方にかかわるテーマをひとつ、ひとつ議論していくことになるが、その中でも主要なテーマのひとつと言えるのが、「長時間労働の是正」だ。 諸外国に比べて我が国の労働時間が長い現状を是正し、短縮していくことが議論される。ワークライフバランスも考えて、働きすぎないようにしようという事自体、否定されるべきものではない。2015年度に過労死とされた人は96人に及び、過酷な労働環境を改善することは、喫緊の課題であることは間違いない。ただし、気になるのは、労働時間を短縮する手段として、時間外労働時間の上限を定め、その上限を超えた場合の罰則の導入も今回検討されていくという点だ。一律的な時間外時間制限の導入は、本当に、国全体として望ましい結果をもたらすことになるのだろうか。 先日の衆議院予算委員会で、某議員の質問内容への答弁を作成するため、関係省庁の職員は、夜中まで待機し、その後、残業して翌日の答弁資料を作り上げたという報道があった。働き方改革を議論するはずの国政の現場も、公務員の過激な残業があって、成り立っているのが現実だ。公務員にも時間外労働時間制限を設けたら、国会だって機能しなくなることになる。公務員に限らず、報道に係るマスコミ業界なども残業時間制限で区切ってできる仕事ではないだろう。あるいは、じっくり時間をかけて仕込み、魅力的な料理を提供する高級レストランの料理人などもその部類に入るのかも知れない。時間外労働時間に制限をかけることは、ワークライフバランスの改善や仕事の生産性の向上など、当然、期待されるメリットもあるが、仕事によっては、世の中が期待するアウトプットの品質レベルが維持できなくなってしまうリスクも十分、認識しなければならない。 より重要なことは、「労働時間を短縮することが望ましい」と考える労働者ばかりではないという事だ。本人の意思として、「もっと長く働きたい」という人もいる。残業しないと生活できないという状況については最低賃金の引き上げなどで、早急に改善していかなければいけないが、そういった話ではなく、できるだけ長く働いて「早くたくさん稼ぎたい」あるいは、「早くスキルを身に付け成長したい」と考えている労働者も多数、存在しているのだ。今回の改革で、より積極的に働いていきたいというマインドを持つ人々のモチベーションを下げてしまうことにならないよう十分な配慮が必要だろう。人々の仕事に対する向き合い方、価値の置き方も、様々で一律ではないということだ。 一概に並列的な議論するべきではないが、かつて、知識の暗記を重視した「詰め込み教育」を改め、1980年代に「ゆとり教育」がスタートし、学習時間と内容が大きく減らされたが、その後、国際学力テストで我が国の順位が大きく落ちてしまった事を思い出す。(その後、「脱ゆとり教育」への変更の流れの中で、順位も回復していると聞く。) 常態化した長時間労働を是正し、ワークライフバランスを改善させ、ゆとりある社会を作ることは、大変重要なテーマではあるが、その一方で、グローバルな競争がこれだけ激化している中、わが国の労働パフォーマンスを落としてしまうことは絶対に避けなければならない。世の中にとっても、労働者にとっても有益な残業があると、いう認識を持ち、もっと積極的に働いて社会に貢献しようという気概のある人々のモチベーションを低下させぬよう、今後の会議の行方を注視していきたい。

大人のコンプライアンス | その他

大人のコンプライアンス

 コンプライアンスの訳語は法令順守とされるが、法令順守ができていることは、コンプライアンスのミニマムレベルにすぎない。 前都知事をめぐって異様に繰り返し聞かれたセリフ「違法ではないが、不適切」ではないが、法令は守っているがコンプライアンス上はアウトという事態は少なくない。「法を犯していないのだから問題ないじゃないか」は、ものごとの軽重や良し悪しに関する社会的な視点を欠いた子供の理屈である。コンプライアンスとは、「規範」に従うことであり、その規範とは法律以外の社内諸規定はもちろん、公正、秩序、倫理といった社会の規範にまで及ぶからだ。 よく知られるように、コンプライアンスで守るべき規範のピラミッド構造では、底辺に(1)法規範が置かれ、次に(2)社内規範、次いで(3)企業倫理規範、頂点に(4)経営理念・ビジョンが置かれる。つまり、「(1)合法的行動」、社内の「(2)リスク管理行動」は大前提。法を守り会社のルールを守るのは当たり前で、そのうえで社会の規範たる「(3)模範的行動」が強く求められ、さらにその会社としての「(4)理想的行動」を目指さねばならないということである。 しかもその行動は、自社のすべてのステークホルダーズとの関係において問われる。CSRの世界では「CSR調達」という言葉があり、材料調達先企業を含むサプライチェーン全体でCSRがなされなければならないとされるが、そこでいうCSRの防衛的側面はコンプライアンスの堅持だ。自社のリスク管理のみならず各ステークホルダーズのリスク、つまりは「社会のリスクマネジメント」責任までが問われ、社会の模範たる行動が要請される。 まさにコンプラピラミッドの第3レベル、企業倫理規範に基づく模範的行動、つまり、社会の一員であり社会の秩序を保つ「大人の企業」としての振る舞いが求められているのだ。しかし、法規範や社内規範は明文化されているから明快であるが、そのように定まっていないなかで行動判断しなければならないこともある。だから大事なことは、判断基準たりうる企業倫理規範があるか、そしてそれが順守できるように社内に浸透しているか、ということになる。 しかし「わが社の企業倫理はなにか」と問われ、即答できるひとがどれだけいるか。倫理などというものは、常識的に考えればわかるというむきもあるかもしれないが、「常識」は個々人で異なる。そのちょっとした常識の違いの結果が、利益追求や損失回避を目的とした行動判断のなかで倫理的逸脱=企業の不祥事となるから厄介なのである。当たり前の常識とか人々の良心に頼るリスクを無視しないことこそがコンプライアンスの要諦であり、まずは、個々人の「外」に、準拠すべき規範を可視化しなければならない。自社の企業倫理規範を定める、ないしは明文化するということである。 では企業倫理をどう定めるか。難しいのは、経営ビジョンや理念と違って、企業倫理は固有に独立的には作れないことだ。組織の持続的発展のための組織倫理はもちろん、たとえば市場倫理、職業倫理やさらには地球で暮らす人類としての世界倫理など他のさまざまな社会の倫理を踏まえなければならないし、またそれらは、時代とともに一定ではない。変化する社会の価値観にずれることのない、現代の企業倫理を定め続ける必要がある。 しかしだからこそ、自社の企業倫理の定めがいがあるというものではないか。すでに多国籍企業のように国を超えた企業体もあり、一企業として、正しい企業倫理を定めることの社会にとっての意味はきわめて大きい。必ずしも「大人」でない国や民族や人々が存在し、グローバルにもローカルにも、倫理という規範が盤石でなくなっているのだから。

人事のコピーワーク | その他

人事のコピーワーク

 人事用語は味気ない。味気ないだけではなく、意味が矮小化される言葉ではないかとつねづね思う。一人一人意思や思いをもった人と人が組織をなしている中での統制機能=人事というものの本来持つべき消息があまりにもないのだ。  たとえば、管理職、一般職といった職群名称からは、リーダーシップといった大事な機能が匂ってこない。配置、異動、要員計画という言葉は、その機能を端的に示しているけれども、そこには、「モノ的なヒト」のイメージがある。もっと、モチベーションや意欲、成長の愉しみや協働のよろこびを喚起するような名称=コピーワークがあってもよいではないか。  といったことを思うようになったのは、人事にまつわる英語表現に触れてからだ。グローバルで事業展開をしている米国本社の組織人事コンサルティングファームにいたときに、サービス領域を整理する枠組みがあった。その会社は、多くのコンサルファームを買収しつづけていたので、サービスアイテムが多種多様に増え続けていて、いつもいろいろな整理の仕方に挑戦しては、また、すぐに別の整理に変えたりしていた。  そのなかである時期2年間くらい使われていて、秀逸だと思った整理フレームが、Human Capital Lifecycle と名付けられた4フェイズだった。それは、 (1) Attract&Assess (2) Develop (3) Engage&Align (4) Transition とラべリングされていた。  要は、人々を選び、育て、配置し、代謝する一連の流れを言っているのだが、その表現がすばらしい。採用でも昇格審査でも、評価し選ぶには、本人に対する意味づけをもってまずは惹きつけることを前提にするといった気配のある「Attract&Assess」。また、「Develop」というシンプルな英語には、他動詞と自動詞があるから、そこには、育成と成長の両義性がそもそも漂っている。  特に唸らされるのは、パフォーマンスマネジメントのフェイズを「Engage&Align」と表現する感覚だ。意味することは、人々を適正に配置し、ビジョンや方針を提示し、モチベーションを高め、成果を出させることだが、そこで経営がやるべきことの本質をこの一言で言いきっている。最後の「Transition」は、広くキャリア・チェンジを示し、その一つとして、社外のキャリアへの転換=退職し転職する、を含んでいることも、確かに、“人材のライフサイクル”だと納得する。  人事に関する限りは、そもそも英語表現のほうがイメージ豊かなのかもしれない。昇進よりも、Promotion、後継者育成よりも、Leadership pipelineとかLeadership cascade、と言ったほうが、そのニュアンスは実態的でヒトを扱う(=人事)の風情があるのではないか。  だからといって、人事用語を英語にしようと提案したいのではない。そんなことを言うと、いやいやそんなカタカナ用語は、受け入れがたい、という声が聞こえてくる。ちなみに今でも、「研修でカタカナ用語は、できるだけ使わないでほしい」、「経営に対するプレゼンでは英語表現はNG」といったご要請は少なくないのだ。  日本語をもって、意味豊かな人事用語をコピーライティングしてみたらよいのである。日本語とは、あるいは日本人の感覚は本来繊細である。たとえば、英語では「To be」の一種類の言葉でも、日本語は、モノに対しては、「ある」、生き物に対しては「いる」と、截然と使い分けるように。

何をもって「優秀」と呼ぶか…という謎 | その他

何をもって「優秀」と呼ぶか…という謎

 何をもって「優秀」と呼ぶか…。これは、多くの企業で謎である。誰もがはっきりとはわかっていない中で、「優秀な人」がつくられていく。「なんとなく、あの人、いいよね!」という感覚的なとらえ方で、その人を判断する傾向が多くの職場にあるのは否定しがたい。  これがうわさのレベルならともかく、人事評価においても該当することがあるから怖い。たとえば、「あの社員が懸命にがんばっているから、A評価をつけよう」とか、「彼は協調性がないから、E評価にする」というものである。  これらは、私が会社員の頃、上司(部長・40代後半)が口にしていたものだ。私が取材者として様々な企業に出入りしても、同じような言葉を役員や管理職が話すことがある。  たとえば、2014年夏、コンサルティング会社(社員数150人)の社長(50代)と食事をしたとき、「彼は優秀」と30代の男性社員を盛んにほめていた。その根拠は「京都大の理系の学部を卒業しているから…」なのだという。  2015年の冬、京大出身の男性社員は退職した。解雇に近い状態だったようだ。聞く限りでは、仕事の実績が社長の期待に沿うものではなかったという。  ここ20数年、これに近い話をよく聞く。特に社員数が500~600人以下の規模になると、増える。社員数300人以下になると、頻繁に耳にする。  これらの話の5~7割近くに共通しているのは、次のものである。 1.中途採用試験を経て入社し、3年以内に起きる 2.採用時に、会社とその社員との間に密な話し合いがない  =「この人、なんとなく、優秀だよね」という感覚で採用した可能性が高い   3.社員が面接試験のときに「面接の達人」であった  =自己PRに長けていて、学歴や職歴が一定のレベルを超えている  =受け答えがよく、「聡明」な印象を与える 4.入社し、半年以内に、採用した部署の担当役員、本部長、部長などが、社員の仕事の水準が低すぎることに「絶望」に近い心理になっている 5.ほかの部署などで、社員を引き取りたいという声がない  =社内で身を置く場がなく、「持て余し者」となる 6.辞めていくとき、社員は「なぜ、自分が辞めていかざるを得ないのか」を正確にわかっていない  1~6の流れを追っていくと、その社員が「優秀ではなかった」といえば、それまでなのかもしれない。しかし、「優秀」とは何を意味するのだろう。「優秀ではない」とは何を指すのか。  これらについて、本人、所属部署の担当役員、本部長、部長、人事部などの関係者の中で徹底して話し合いがなされ、「最低限度のコンセンサス」がない。少なくとも私が取材をしていると、「優秀」「優秀ではない」、「辞めていかざるを得ない」レベルや基準があいまいだ。  まして、最近は、管理職のプレイング・マネージャー化が進んでいる。部長とはいえ、営業部ならば、プレイヤーとしてノルマを持つ。しかも、部内でその額は最も多い場合もある。これでは、部下の育成や指導など、いわゆるマネジメントがおろそかになる。  このような中、「優秀」「優秀ではない」「辞めていかざるを得ない」などのレベルや基準は、一段と見えないものになる。多くの管理職ははっきりとはわかっていない可能性が高い。それで、人事評価をしていく。  何をもって「優秀」と呼ぶか。この謎は、ますます深まりつつある。これで、いいのだろうか…。

不揃いなハードル | その他

不揃いなハードル

 社員の業績評価を“目標管理”という手法で行う企業は実に多い。経営の目標を個人の目標に分解することで、社員の経営目標に対する意識を高めるとともに、目標達成のための推進力にするという考え方である。この考え方は実に多くの企業で、なかば当然のように採用されている手法である。管理職から一般社員に至るまで、目標を設定してその目標の達成度で業績を測定するという考え方が、構造的に理解しやすく、経営目標の達成が促進されると考えられているからである。  現実はどうであろうか。全社員に対して目標管理がうまく機能している企業はほとんどないのではないだろうか。どの企業でも“目標の設定が適切でない”、“目標の達成度を測定しづらい”という状況だ。この機能の極めて重要な要件をクリアできていないのである。設定した目標が適切でない、公平でない、さらに目標の達成度を測定することがうまくできないということなのである。目標管理の望ましく機能するレベルを100とすれば、多くの企業の目標管理制度のレベルは、50〜70くらいの感じである。業績、成果を重視する人事制度の重要な部品としての目標管理のレベルが、機能していないレベルであるともいえるのである。そろそろ一律の“目標管理”から脱却しなければならないのではないだろうか。  目標管理がうまく機能していない原因はいくつかあるが、そのうちの主要な原因の一つに、目標の設定の精度があげられる。そもそも目標管理は、企業の目標→組織の目標→個人の目標というように、樹形図的に目標が階層化されることを前提としている、そのため個人の目標は、“個人のレベルにあっていること”、“個人の責任権限の範囲で目標をコントロールできること”、“ある程度の精度で測定が可能であること”の条件を満たさなければならない。日本企業の人事管理スタイルでは、全社員がこの3つを満たすことは非常に困難である。まず等級・グレード制度が“職務”と連動していないので、各社員のレベルに合った目標レベルを設定することが困難である。特に非管理職社員についてはこの傾向が強い。また組織目標の達成は、組織、チームで行うことが多く、個人の業務が独立して集積しているのではないことが多い。そのため一般の社員の目標設定は、ひどくあいまいで統一性がない。果ては目標を社員個人に設定させる企業もある。社員が企業、組織目標を理解し、自分の等級・グレードレベルをよく理解し、邪念がない状態で目標設定するのであればまだわかるが、個人に設定させた目標はあまりにもバラバラである。さらにその目標に対して上司が検証し追加修正削除し、決定するプロセスが決定的に弱いのである。社員がそれぞれ設定した、バラバラのハードル競争をしているようなもので、これで仮に“測定”がうまくいっても、本来的に公平な競争が成り立っていない。  個人に目標設定させる悪習がなぜこれだけ流行し、それが機能しないことが証明されているのに、なぜかこの手法から脱却できていない。個人が目標を考え、目標案を作成することは、社員の経営に対する理解度を高める意味では否定はしない。しかしあくまでも会社目標を達成するための、樹形図的な目標設定であるのであれば、管理職が強い権限で統制するべきであろう。十分に機能しない今の目標管理を続けることが正しいとは言えない状況であることは間違いなく、再構築が必要なのではないか。 以上

泥酔するサブマリン | その他

泥酔するサブマリン

 まず、生ビールを注いだジョッキが目の前に置かれる。レモンスライスを一枚とコーヒーについてくるミルクピッチャーを用意。ミルクピッチャーにテキーラを注いで、レモンスライスの上に置く。それをそのまま、そぉっと生ビールの表面に浮かべ、静かに手を放すと、ゆっくりとゆれながら、レモンに乗ったテキーラ入りピッチャーがジョッキの中を沈んでいくーー。  「サブマリンっていうんだけど、まあ呑ってよ」と隣でささやく声。代官山ハリウッドランチマーケットならびの洒落た飲み屋の片隅で、初めて口にする飲み物をすすりながら、聖林公司社長・ゲン垂水さんのインタビューは、始まったのだった。70年代から80年代にかけて、既存商業資本とは無縁に、輸入古着や雑貨を売る新しい店舗業態が渋谷、原宿を中心とした路地裏につぎつぎ生まれた。ハリウッドランチマーケットをつくったゲン垂水さんは、そうした路地裏の企業家を代表するひとりだった。  当時、渋谷から原宿へ向かう道には、長谷川義太郎さんが文化屋雑貨店を開き、同種の、既成概念をこえた店舗ビジネスがぞくぞくと街に生まれた。パリコレに代表されるファッションシーンが作り出す流行だけではない、ファッション文化震源地が街に多発したのだった。その担い手も享受者も、街の若者ということが新しい路地裏のビジネスであり、そこがまた街の活力を高めるという時代だった。 街が呼吸し、そこから流行が生まれる。その契機となったのが、渋谷パルコの誕生だったのだと思う。1973年の渋谷パルコオープン以前、渋谷公園通りは、一本裏の通りにはラブホテルが立ち並ぶ、駅から離れたさびしい一角だった。渋谷パルコはそこを極彩色の風景に変え、渋谷を変貌させた。 よく知られるように、パルコは初のファッションビル業態である。パルコという「場」を用意し、テナントを集め、情報を発信し、人々を呼び込むというビジネスモデルは、パルコ専務だった増田通二さんが初めて作ったものだった。その魅力的な才人ぶりは、以前、このコラムに書いた。 オルガナイザーだった増田さんの構想は、いまでいえば、プラットフォームビジネスであり、しかもその範囲は店舗空間を超えて地域にまで及んでいた。その鍵になるのは、鮮烈なメッセージや斬新な情報の発信と考えた増田さんは、刺激的な広告や雑誌発行やアートの消費を、つぎつぎと仕掛け続けたのだった。 そこにおける増田さんのクリエティビティの秀逸さもさることながら、その貢献は、渋谷パルコを契機とする当時の文化シーンがさまざまに揺籃し、当時なかった新しい街のビジネスが多く生まれたことである。それが面白くて、「路地裏の企業家たち」へのインタビューをしていたころのことを、渋谷パルコが8月に閉店したと聞いて感慨深く思い出す。 ハリウッドランチマーケットの垂水さんのインタビューでは、サブマリンを飲みすぎて、沈没した。たしか、アメリカ放浪から帰ってきた垂水さんが、縁あって渋谷パルコのポスターのモデルをやったと聞いた。もしかすると、そこで増田さんの面白い逸話が聞けたのかもしれないが、すべては泥酔のかなたである。 渋谷パルコは、2019年にオフィスと商業施設の複合ビルとしてリニューアルするそうだが、よくある再開発は渋谷パルコ「文化」とはきっと別物だろう。だから、その終焉を悼んで、その当時の輝きを偲んで、30数年ぶりのサブマリンを痛飲したい。

百本ノック | その他

百本ノック

 成果・業績を重視した人事制度へ改定を行う企業が多くある。新たに人事制度を改定する企業では、制度の基本的なコンセプトの中に、“成果・業績の重視”、“貢献した社員により多くの配分”といった成果・業績・実力を重視した文言が圧倒的に多い。そのためには、企業が必要な人材を明確にすることと、成果、業績、実力によって大きな配分の差が発生できる処遇の仕組みが構築されなければならない。さらに社員の成果、業績、実力を正確に“測定する”ことが必須となるのである。  人事制度設計時では、この“パフォーマンスに応じた配分差”を今までよりも大きくすることが重要であると認識されており、そのための仕組みを詳細に設計することになる。設計時点で評価制度に求められる絶対的な要件は“測定”の機能であるのだ。パフォーマンスの適切な測定があるからこそ、新しい人事制度は機能するのである。この適正な測定を実現するためには、評価の制度の整備も重要であることは間違いないが、より重要であるのは、実際に評価する管理職の評価スキルである。長期雇用を前提とした日本企業では、パフォーマンスをストレートに反映した評価を行うことに、管理職は積極的ではない。マイルドな評価を行うことで、本心は組織の平穏や安定を指向しているのだ。成果、実力に対する適正な評価を行うことに価値を置いていないともいえるのである。  新しい人事制度がうまく機能するためには、実際に評価する経営者、管理職の評価スキル・マインドを格段に向上、大きな変革をしなければならない。そのためには、役員や組織の評価を厳格に行うことが必要であることは言うまでもないが、それを前提としても管理職の経営・人事管理のスキル・マインドの改革が必須であろう。  もう少し限定的に言えば、役員、管理職の人事制度、特に評価のスキル・マインドを変容させなければならない。そのためにはいくつか有効な手法はあるが、伝統的には“評価者研修”を行うことが有効と思われている。しかし一般的に行われている評価者研修は本当に有効なのであろうか。口が悪い人は“偽薬”というように、評価のレベルを上げるための研修であるのに、研修をしても実際には効果は限定的で持続性がない。治療方法としてほとんど有効性は認められないのである。実際に一般的に行われている評価者研修は、評価制度の説明や、評価者のマインド、悪い評価の例、評価のフィードバックの方法などが中心である。新たな制度では成果や実力を“測定する”ことが絶対的条件として求められているが、果ては“評価は育成である”といった本質と違うストーリで展開するものまであるのだ。これは“測定”は厳しくてやりづらいので、“育成”という言葉を使えば、まだマイルドだという感覚であるが、本質がずれている。  “測定”を徹底するのであれば、役員、管理職は、実際の部下を新しい人事制度に沿って徹底して“測定”するスキルやマインドを身につけなくてはならない。自分が行った評価が“測定”という観点で正しいのかを、何度も実施検証を繰り返すことが必要なのかもしれない。評価者研修は、新たな評価表で自分の部下を評価し、新制度の趣旨に合っているか、企業の経営者や管理職から“適正”であると評価される品質の高い評価ができることに注力するべきである。ひたすら評価を行い、ひたすら評価の品質を問う、百本ノックのような研修が有効なのかもしれない。 以上

あなたは、ボーナスを受け取る資格があるか | その他

あなたは、ボーナスを受け取る資格があるか

 今の時期、ボーナスが支給される。社員らは一喜一憂するが、いざ手にすると不満が出るものだ。「なぜ、この額なのだろう」「どうして、もっと増えないのだろうか」…。  私も会社員の頃、これに近い思いをもった。11年前に会社を離れ、フリーランスとして仕事をするようになってからは、つくづく甘い考えだと思う。 「ボーナスの支給額が少ない」と嘆く以前に、それに見合う働きや実績を残したのかどうかこそが、問われないといけない。 このあたりを徹底して突き詰めて考えている社員は相当に少ないのではないだろうか。数千人にひとりいるか否か、だろう。おそらく、受け取るのが当たり前と思っている人のほうがはるかに多いのではないか。 役員や人事部員などは、この時期、それぞれの社員に、少なくとも次のことを考えさせるように誘いたい。 「ボーナスを受け取る資格が、自分にはあるか」 「支給額の分を本当に稼いでいるか」 会議で意見を述べさせてもいいし、レポートを書くことを命じてもいい。こんなことを毎年、繰り返すだけでも、意識は少しずつ変わっていくはずだ。担当する仕事や成果、実績、さらに部署や会社の業績などについて敏感になるだろう。  そもそも、多くの会社はなぜ、「ボーナスを受け取る資格があるか」と社員に自問自答させていないのだろうか。いくつかの理由があるのだろうが、1つは社長や役員がいわゆるサラリーマン経営者であることが考えられる。取材で感じるのだが、サラリーマン経営者と創業経営者の経営へのこだわりは相当に違う。創業経営者は、厳しい人が多い。  さらにいえば、社員から逆恨みをされることを警戒する役員や人事部員などもいるのではないだろうか。多くの社員は、賞与を受け取ることを当然と思っている。その人たちに「ボーナスを受け取る資格があるか」と言おうものならば、総スカンになるかもしれない。 そんなことを思っているならば、きわめて好ましくない。賞与は、当たり前のごとく、支給されるものではない。 これまでの長い月日で、会社がビジネスモデルを懸命につくり、試行錯誤を重ね、改良を加えた結果、利益を出せるようになったのである。それは、会社員ひとりでは絶対につくれない。現時点で少々、稼いでいるかといって、たかが知れている。賞与を全社員に支給できるようになるのには、会社の血みどろの「歴史」が必要だったのだ。 この「歴史」のありがたみを、社員ひとりずつに感じさせるようにしたい。 社長や役員、人事部員などはどうか、社員を前に語ってもらいたい。今に至るまでにいかに苦しみ、それを乗り越えたか、と…。 私はフリーランスになり、痛感した。給料分を稼ぐことは、こんなに苦しいことであったのか、と。11年前のことを思い起こすと、「もう、あんな経験はしたくない」と言いたくなる。 経験論で言おう。稼ぐ仕組みも仕掛けもない中、つまりは、丸裸でスタートし、数十万円の給料分を稼ぎ続けるのは、平均的な会社員では難しいはずである。 まして、その数か月分になるボーナスは、大多数の会社員には到底、稼ぐことはできないものだと思う。そのボーナスを支給するのだから、社長や役員、人事部員は機械的に、ルーティンワークとして対応してはいけない。 むしろ、「会社が血みどろになり、つくりあげた仕掛けや仕組みのお陰」であることをあえて強調するべきなのだ。「ウザい」と思う社員もいるかもしれない。それでも、踏み込んで語ってほしい。社員の意識を変えていく、大きなきっかけになるはずである。 社員の意識は、企業の最強の資産なのだから…。

描写 | その他

描写

 3年ほど前ある情報システムの企業に訪問しました。訪問したタイミングは新しい人事制度を導入した1年後くらいでした。制度を導入したのですが、効果が実感できないということです。 この企業は顧客からシステム開発を受注する企業であり、業績は大きな成長はないものの、大口の顧客からの安定した受注で堅調でした。しかし新任の社長はより高い成長を目指す方針で、既存の顧客だけでなく、新しい顧客の開拓に力を注ぐということになったそうです。既存の顧客に対するシステム設計開発、運用のノウハウは、他の企業に対しても展開が可能なもので、十分に競合優位性があると判断しています。そのために“ソリューション営業部”という新設の部を設置して、新たな顧客開拓に着手しました。また長らく大口の顧客からの安定した受注があったため、社員の意識も、常に新しいビジネスチャンスを考え新たな顧客開拓を積極的に行うというものではありません。新社長はこの社内の雰囲気、風土、社員の意識を変えることが重要と考え、15年ぶりに人事制度の改定を進めたということです。 この企業の人事制度改革がうまくいかなかったのは、新しい人事制度が、実際の企業のビジネスモデルを忠実に“描写”していないことであると思われます。新たな制度は非常にきれいにできていました。人事の方針として、“新たなビジネスを自律的に創出する人材”を掲げ、“常に環境変化に対応してビジネスを本質的に考える”“失敗しても積極的にチャレンジする”という文言が並んでいます。  実際にこの企業ではビジネスのほとんど大半が、既存顧客からの受注であり、この顧客に対する安定したサービス提供に大半の社員が関与しています。確かに既存顧客に対しても、顧客リレーションを強化したり、周辺システムへの積極的な提案などを行えば、売上の伸長はあるかもしれませんが、それでもこのようなアカウントマネジメント的業務はほんの一部の社員しか関わりません。大半の社員にとって重要なのは、顧客に対し既存の得意分野で誠実、柔軟に対応するマインドやスキルなのです。新たな“ソリューション営業”は今までのビジネスのモデルとは大きく異なります。新たなサービスや新たな顧客を開拓するのは、現在のビジネスを安定して行うことと全く異なるマインドやスキルが求められますが、全体としてはほんの一部なのです。 単純に言えばほんの少数の社員に対する意識や能力の在り方を、全体の人事制度の中心に据えたことが、実態と合わない制度となってしまった最大の原因でした。既存のビジネスを担当している社員に対して、“失敗を恐れずにチャレンジ”であるとか“常に新しいビジネスの創造”、“自律的に行動している”という評価をしようとしても、まったく現実とかけ離れているということです。大半の社員にとっては、失敗は致命的ですし、新しいビジネスネタを探すのではなく目の前のサービスに注力するべきですし、過度に“自律的”である必要はないのです。実態と遊離した考え方で処遇されることに構造的な問題があるのです。 人事制度で美辞麗句が並んでいるものには、現実と遊離しているコンセプト先行で作られているものが多いと感じます。経営の実態を描写することが基本であるということが重要ということです。 以上

藤田田さん | その他

藤田田さん

日本マクドナルドの創始者だった藤田田さんと定期的に会っていたことがある。といっても裏方に過ぎなくて、同社の広報誌に掲載するため、各界の識者との対談をコーディネイトしていたからだ。誰と会っても、臆することなく語る藤田さんの商売哲学は、独自の視点と商売の論理に裏打ちされたゆるぎないインパクトがあった。なにより、その強烈な主張にたいていのゲストがたじろいでしまう様は、見ていて痛快だった。 ある新進気鋭の学者は、アカデミックな観点からの消費論を展開すべく意気込んで対談に臨んだけれども、藤田さんの堅固な商売感覚に対してまさに蟷螂の斧。用意してきた論点や主張は、「それって、いくら儲かります?」という切り替えしに沈んだ。終了後、帰りのエレベータの中で肩をおとし、「何言っても、あれだ。ぜんぜん聞いてくれないんだものなぁ」とぼやいていたものだった。 ある人材派遣会社の社長には、「あんたは鵜匠ですな」と言い放ち、むっとしている相手に一切構わず、とうとうと自説を語ったこともある。ときに、意気投合する相手もいて、そうしたときの盛り上がりは半端ではなかった。当時、社会経済システムをテーマにした話題作を発表していたある小説家とは、日本の植民地支配や共産主義をめぐって、とてもここには書けないような発言を連発しては、「そうそう!」、「まったくそのとおり!」、「世論は、間違っているけど、実は〜〜〜」、「ですよね〜!」と、対談時間は大幅に押したものだった。 まさに天衣無縫の振る舞いで、政治家であれ、企業の社長であれ、高名なジャーナリストであれ、まったく同じように、聞きたいことを聞き、言いたいことを言う。そこには、いつも、一貫した現場の商売論と無邪気なまでの好奇心があった。全店の数字をリアルタイムで把握して、店舗に足を運び、従業員に話しかけるという日々。いつも、ネクタイピンもカフスボタンもマクドナルドマークだし、さまざまなキャンペーンを自ら発想し、指示していた。あるとき、広告の仕上がり見本にあるコピーの「春です、得です」を見た藤田さんは、「得です、ではだめだ。お得です、にしなさい」と広告のコピーさえも、直接変えてしまうのだった。 当時人気の時代劇で“裏の仕事人”役だったある役者には、「毎回結構な謝礼をもらうけど、あれは、どこに貯めているのですか。家族の眼もあるし、あまり使っているように見えないし」と、真剣に、劇中人物への質問をした。返答に窮して、あいまいなことを言うのをさらに追及して困らせていたものだった。こうした無邪気な好奇心は、誰に対しても向けられ、だからこそ、ストレートな物言いや強烈な商売論に辟易としながらも、しだいに藤田さんの筋金いりの商人ぶりが無邪気な好奇心と表裏一体であることが相手にもわかってきて、対談の終わりはいつもよい雰囲気だった。 そして、対談が終わると藤田さんはいつも、お礼としてマクドナルドの店舗で使える無料券の束を手渡すのだった。どのゲストにも例外なく、堂々と。

5年後 | その他

5年後

 日本企業の5年後はどうなっているだろうか。  現在より少子高齢化は着実に進んでいる。高齢化により内需は次第に縮小することになるだろう。さらにオリンピックによる一時的な需要が無くなることになる。税金、社会保障費負担が増すことも確実である。5年後には急速に企業業績の低下が予想されるのだ。そのため現在の日本企業の経営は非常に重要な局面に立たされていると言える。グローバル展開を進め、日本市場が縮小しても力強く成長することを指向しなければならない。国内市場を対象にしている企業は、新たな需要を生み出す商品・サービスの開発投入を急ぐか、競合企業に対しての優位性を高めなければ生き残れない。残り数年で経営の革新をしなければ、今の延長線では魅力的な企業として存続できないばかりか、存続そのものが危機に立たされることにもなりかねない。この状況に対して経営の重要な部品たる人事は十分に対応しているだろうか。今後の環境を予測して、計画的かつ抜本的な改革を行っている企業もあるが、強く意識していない企業も多いと感じる。  5年後急速に業績が低下すると、多くの企業は中高年社員をターゲットとした人員削減をかつてない規模で実施することが予想される。バブル崩壊後のリストラ時に“団塊の世代”の人員削減が行われたが、この規模を大きく上回る大リストラ時代が来るのだ。この背景には日本企業の人事管理が、いまだ年功的であることが大きく影響している。多くの企業の人事制度は“実力・成果主義”を標榜しているが、実際に実力・成果をストレートに反映しきれていない。換言すれば年齢との関係性を断ち切れない状態にあるのだ。そのため年齢が上昇すると人件費が上昇する、管理職が多すぎるなどの問題が放置されているともいえる。業績が悪くなると、人材育成投資を削減するので、この20年間十分な教育がなされたとも言えない。生産性の低い、処遇の高い大量の中高年社員を抱えきれなくなった時に、大規模人員削減を実施することになるだろう。  今後の厳しい環境をチャンスととらえるためにも、人事は思い切った施策を早急に実施する必要がある。社員の能力の向上は待ったなしであろう。新たなビジネスチャンスの獲得、競合優位性の向上のための人材育成を急ピッチで行わなくてはならない。また過去の延長線での制度改定ではなく、5年後、それ以降の環境を予測した“実力主義”の人事制度に早急に転換しなくてはならない。“評価があまい”、“給与を下げるとかわいそう”などと言っている場合ではないのだ。  企業の人事は岐路に立っている。5年後が一つの転換点とすると、今手を打たなければ間に合わないということを再度認識する必要がある。 以上

一言で言え! | その他

一言で言え!

コンセプチャルスキルといえば、ロバート・カッツが提唱した管理職に必要な3つのスキルカテゴリーのひとつで、かつ最重要とされる。日本語では、概念化能力。物事を俯瞰して概念的・抽象的に把握し、本質をとらえる力を意味するというと、なにやら仰々しいが、要は、「要は、〜〜〜〜である」と一言で言える能力ということである。 しかしこれが難しい。一方で、管理職者に必要な能力として、分析能力というものがある。物事を分解して問題を特定し、原因を検討して、その構造を明らかにする。問題解決に際しては、この分析能力も大事だが、それだけだと、ともすれば、分析は見事でありながら、本来の問題解決とは無縁の答えになったりする。 概念化能力の伴わない分析能力の弊害とは、譬えて言えば、問題の事象を分解し、細かく分析をした結果を、もう一度組み立ててみると、あれ、これはもうぜんぜん違う問題じゃないか、といった事態。管理職の方々が、こんなこと指示したっけ? と部下のアウトプットを見て首をひねる時も、得てしてこのようなことが起こっていたりする。つまり、それが目の前の課題であれ、あるいは事業判断の局面であれ、いきなり分析的、要素対応的に対峙してしまい「要は何なんだ」という本質が見えなくなってしまうということである。 顧客や上司に求められ、なんらかの企画提案をするときの失敗の多くは、こうした概念化力の欠如による。その典型例は、相手から「そもそも、欲しい提案と違うけど、何しに来たの?」という気配漂うやるせない失敗の状況。顧客や上司は、課題やニーズをいろいろ言うが、それらは、ほんとうに困っていることなのか、単なる思い付きなのか、レベル感バラバラである。それらの言葉に対して、分析能力だけを発揮したときに悲劇は起こる。 ときに、自分がやりたいこと、実現したいことが、顧客自身や上司自身にわかっていないことさえある。心理カウンセリングの世界には、本人が語る相談目的と「主訴」は異なるという原則がある。同様に、顧客や上司が、自身の真のニーズに気づいていないことだってある。ポイントは、語られる話の全貌や背景となる会社状況を、俯瞰し、本質を仮設すること。顧客の個々の言葉にまどわされず、要は何がしたいのか、何を解決すべきなのか、を把握できさえすれば、少なくとも的外れな企画提案は起こりえない。 では、概念化能力を高めることはできるのか。つねに視点をあげる、WHYをしつこく問う、つねにコミュニケーションのメタレベルを意識する、あるいはコンセプトメイキングのフレームワークを学ぶとか、方法はいろいろあるだろう。一番簡単な方法は、どんな問題も課題もニーズも、常に「一言で言えば、どういうことか」と考え、なにがなんでも、言葉にしてみるということではないか。それを、徹底することで、きっとコンセプトというものが見えてくる。 うだうだ説明する部下にいらだち、「要は何なんだ!? 一言で言え!」とどなる上司は、正しい部下育成を行っているのである。