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森 大哉

column
どんなパッケージがあるのですか? | 人事制度運用支援

どんなパッケージがあるのですか?

 採用担当をやっている友人が話してくれたエピソード。外資系の開発会社で経験あるシステムエンジニアが採用面接に訪れた時のことだそうだ。志望動機やプログラミングスキルなど、ひととおりの質問の後、そちらから何か質問は、と尋ねてみると、「御社にはどのようなパッケージがあるのですか。」という問いが返ってきた。  パッケージとは一体何のことか、と確認すると、当たり前のことだが、という前置き付で、退職を余儀なくされた際に受け取る、割増退職金、在籍猶予期間、再就職支援など一連のサービスセットのことをいうのだ、との返答だった。この人は、入社する前から退職のことを考えていた。いや、パッケージなるものが整っている会社でないと、怖くて働けない、と言うのだ。  若手社員の離職は、多くの会社に一様な問題になってきた。辞める理由にいろいろあるが、その多くは「うちの会社では将来のキャリア展望が持てない」ということだ。そう考えて、より良いキャリア展望が持てるように人事制度を改変したり、社員に改めて人事制度の内容を周知徹底したりするような企業が増えている。雇い主のほうは、キャリアの道筋が見えるようにさまざまな努力をし、社員の定着を図る。だが、雇われる側は、もはや社内でのキャリア展望を求めていないと見える時がある。かっこよく言えば、社内でのキャリアゴールなど眼中になく、労働市場全体を俯瞰した、転職前提のキャリアプランを考えているのかも知れない。  我が国より先を行っていると言われる米国と中国のIT業界、その労働市場について、それぞれの国のビジネスマンを捕まえて聞いてみた。おおざっぱなところでは、両国の慣習はよく似ていた。  システムエンジニアとしての収入のピークは30~35歳、それを過ぎると、技術知識と経験だけでは収入を伸ばすことができない。同じ会社でその先に進むとすれば、プロジェクトマネージャーの仕事に就き、さらにその先、管理職に進んでいくことが求められる。しかしながら、マネージャーポストには限りがある。そこで、エンジニア諸氏は、30歳を過ぎると、自分で会社を立てて人を雇い、大きな会社の下請けに入って中小企業経営者としての道を歩む。さもなければ、別の業界のシステム部員として再就職する。リスクを抱えるか収入の伸びをあきらめるかといった選択だ。 周りにたくさんのロールモデルがあるのだろう、彼らは、若い頃から労働市場全体の動きに注意を払いながら、現実的なキャリアプランを練っているのだ。  雇用に関するこうした動きは、早晩、我が国にも忍び込んでくるに違いない。たとえば、我が国の高等教育(大学の教育)では、2030年に必要なIT専門人材の4分の3足らずしか満たすことができないだろうという予測がある。不足分は当然、外国の労働力に頼らざるを得ないのだから、我が国の雇用慣習への影響も避けられない、ということだ。そして、このことは、ただIT業界に留まることではないだろう。  我が国の経営者の多くは、「人を大切にする」という表現で、雇用の安定・確保にこだわってきた。会社の中に、さまざまなキャリアの選択肢を準備して、心配しなくてもよい、長く働いてください、というメッセージを送ることができるよう、さまざまな努力をしてきた。ところが、社員のほうがそんなことは求めていませんよ、という社会になりつつある。言われなくてもずいぶん前からわかっていますよ、というコメントが聞こえてくるようだが、私たちが思うより、ずっと早いスピードで、強いマグニチュードで、雇用の地殻変動は進んでいるのではないかという気がする。これからの人事管理を、断層のこちら側で設計するか、あちら側で設計するか、腹の決め時が来ている。

百人の賢人 | 人材開発

百人の賢人

 哲学者で数学者でもあるバートランド・ラッセルは、1920年代、日本や中国で講演活動を行った。1920年代の中国といえば、清朝が滅んだ後、中国国民党と中国共産党が共に立ち、諸外国と対抗する混乱の時代であった。ラッセルが北京大学の学生に向けて講演を行ったとき、学生の一人から質問が発せられた。「我が国は2億人余の国民を擁する大国であるのに、現在はこのような混乱状態だ。我が国はこのまま無くなってしまうのだろうか。」  これに対して、ラッセルは答えたという。「君の国に、行く末を真剣に思う100人の賢人が居れば、君の国は必ずや栄えていくことだろう。」  選りすぐられたリーダーが居れば、それがごく少人数であっても、組織はその目的を果たすことができる。これは1920年代の中国に限らない。現代の企業組織においても同じようなことが言えるだろう。こうしたリーダーたちは、組織の方向と未来の姿を明確に描き、これを具体的な言葉で表し、「普通の人々」にわかりやすく伝え、魅了し、彼らの一人ひとりがその実現に貢献できるよう、仕事を組み立て、標準化し、訓練し、士気を鼓舞する。そして、そのようなことを、諦めず粘り強く行うのだ。  問題は、そんなことのできるリーダーが簡単に見つかるのか、ということだ。毎年の人事評価の結果を吟味しながら、成績の良いエリート社員を選んで手厚い研修を行うか。利益貢献に大きなインセンティブをぶら下げてリーダーシップをひっぱり出すか。ヘッドハンターの会社に高いリテイナーフィーを支払って、適当な誰かが見つかるまでひたすら待つか・・。どれもあまりピンとこない。  ひと昔ほど前のことではあるが、旧来型のいわゆる「メンバーシップ型」の雇用と人事管理でやっている会社の経営者と話したことがある。大卒の社員はだれでも四十の声を聞くと管理職に昇進できる、給料は年を経るごとに上がっていく、そんなあなたの会社では、なかなかリーダーは育たないでしょう、と突っ込んだ。  思いがけない答えが返ってきた。育ちますよ、と言う。 「うちの会社は、経営者も一緒になって、新卒学生の中から優秀な者を選りすぐって採用してきます。大卒の社員は三十になると一斉に係長に上げます。四十になると課長にします。給料は、同期ならばよっぽどのことがない限り皆同じです。・・そうするとね、30人の同期入社の社員のうち、ひとりかふたり、必ず、『これじゃいかん』と考える者が出てくるのです。」  「これじゃいかん、というのは給料の話ではありません。会社のビジョンが、会社の戦略が、会社の能力が、これじゃいかん、と。将来を憂えているわけです。周りの社員の仕事ぶりが不甲斐なく見えるということもあるのかも知れません。」  「こうした社員は、悩み、考え、行動し、牽引します。30人のうちひとりかふたり、真のリーダーが生まれれば、うちのような単純なビジネスの会社は何とか経営していけるものですよ。」  会社への帰属意識、そこから生じる強い問題意識、そして仕事への情熱は、会社を引っ張るポテンシャルを形成する。そして、こうした要素は、高い報酬だけからでは引っ張り出せないのかも知れない。職務・成果型人事制度の効用は真正面から検討していかなければならない課題だが、それだけではないのだろう、と思う。  新宿副都心に程近いある大学のキャンパスに、ラッセルのエピソードに因んで、「百人創新」と記した扁額が掲げられている。私たちは、知恵を絞って百人の賢人を生み出し、新しい時代を切り開いていかなければならない。

合理性と情緒 | その他

合理性と情緒

 その事業は、創業社長が50年前に始めて以来、手塩にかけて育て上げた事業だった。しかし、時代の変遷の中で需要が激減し、健全な利益を上げることができなくなっていた。会社は、思いつく限りのコストダウンを試み、共通費の配賦も特別扱いにして、何とかこの歴史的な事業を存続させようとしてきた。しかし状況は限界に来ていた。最終的に会社は、この事業からの撤退の意思を固めたが、それに至るまでには紆余曲折があった。  数年前に遡る。企画部は、何か月もかけて客観的なデータを積み上げ、この事業の将来の損益シミュレーションを念入りに作成した。事業部の赤字は、会社損益に、致命的とは言わないまでも大きな影響を及ぼすことは明白であった。利益を計上している他の事業の中にも厳しい環境変化に晒されているものがあり、多額の投資を必要としていたから、この事業の将来的赤字を野放しにすることは、到底できなかった。そして、論理的な検討の結果として、この事業からの撤退を経営会議に上程した。  事業部は抵抗した。この事業は当社のブランドの要である。少数とはいえ長く愛顧をいただいているユーザーにどう釈明するのか。この事業の技術やノウハウが他の事業の基礎になって、大きな利益につながっているではないか。何よりも、この事業を支えてきた社員たちの気持ちをどう考えているのか・・。この事業部には、この事業でなければ活かせない特殊な技能を持つ社員が数十名いた。総合職社員は、他の事業部門に配置換えすることが可能だが、専門職社員には行き場がない。事業部長は、声高に訴えた。事業を続けられるならば、皆で賞与を全額返上してもよい、皆、それくらいの覚悟でこの事業に臨んでいる、と。  役員会は、度重なる議論の結果、会社の健全な成長と利益創出に照準を定め、合理性を重視して判断を下した。すなわち、不採算事業から撤退すること、そして、浮いた資金を成長事業に投下することだ。もちろん、当該事業部所属の社員に対してできる限り不利益の無い取り扱いを準備するよう指示した。配置転換により雇用を守ること、退職を希望する者には割増退職金を支給し再就職の支援を行うこと、専門職社員であっても、一定の訓練を施して極力会社に残れるよう努力すること。  人事部は、一連の特別処遇措置を決め、社員の一人ひとりと丁寧な面談を実施した。事業から撤退する理由、顧客への説明とアフターサービスの段取り、会社が準備する特別処遇等を、時間をかけて説明し、社員の言い分に耳を傾けた。面談は、人によっては、4回から5回に及んだ。専門職をはじめとする事業部社員の中には、やり場のない不満や怒りを人事部にぶつける者もいた。人事部は、それでも、耳を傾けた。緊張を要する長いコミュニケーションの結果、専門職含む社員の3分の2が、特別処遇措置を受けて会社を去る道を選んだ。  数多くの議論、確執、言い争い、密室での相談、根回しがあったが、結果として事業撤退は組織決定され、粛々と進められた。事業部の社員たちは、会社に残ることと特別処遇措置を受けて退職することとを比較衡量し、各々にとって最も合理的な判断をした。振り返ってみると、この事が前に進んだのは、単に、会社の判断や、会社が準備した施策が合理的であったためだけではないと感じた。社員が納得する判断を導き出した背景において、ある種の触媒がその役割を果たしたのではないか。それは、合理性とは別のファクター、つまり、社員の情緒についての深い理解と、それに基づく情緒的配慮の数々であった。

水を飲まない馬 | 人材開発

水を飲まない馬

 正月に里に帰るでしょ、田舎だから親戚が集まるんですよ。こたつで蜜柑食べながらテレビ見てるときにね、「このCM作ったとは俺ばい。」って教えてやると、みんなが目を丸くして「嘘じゃろう!すごかね!」って驚く。それが面白くて今の会社で仕事しとるんですよ。・・TVコマーシャルの制作をしている友人が、にやにや笑いながら、ぼそっと語る。  企業で働く人々に出世欲が無くなったという。パーソル総合研究所の調査によれば、アジア太平洋地域の14の国、地域の主要都市で働く人々の中で、管理職になりたい、という人の比率が、日本は14番目だったとのことだ。また、日本生産性本部の調査によれば、「どのポストまで昇進したいか」という質問に対する答えで最も多かったのが、「専門職」の17.3%、その次が「どうでもよい」の16%だ。  終身雇用のわが国企業では、管理職人材をそれ専用に雇ってくるということをしないから、内部昇進によって管理職を生み出す。プレーヤーたる実務者の中から優秀な者選び出して、マネージャーたる管理職に昇進させるという方法が長く採られてきた。このシステムの下では、いきおい、「良い成果を上げたら褒美として管理職に上げてやろう」というセリフで実務者層の士気を上げてきた。いわば論功行賞としての昇進である。「昇進」をがんばりの動機付けにしていたということだ。  昔は、これでも会社がうまく回っていたのだろう。今の企業組織の基礎が出来上がった大量生産、高度成長時代には、会社の業務は大いに標準化され、社員の一人ひとりは今日何をすればよいか、よくわかっていた。だから、管理職がこと細かな指示をしなくても、組織として成果を上げることができていた。加えて、管理職の給料はそれなりに高く、名誉もあった。 ところが、今の時代、買い手の志向が多様化して、売るモノ、提供するサービスが複雑化した。そして管理職は、部下の一人ひとりに細かい指示を与えなければならなくなった。管理職に昇進した「トッププレーヤー」にとっては、全く違う職種に乗り換えたようなものだ。 よくやった、と褒められて、管理職に昇進したとたん、君はなぜきちんと部下を指導しないか、と責められる。だが、部下を指示指導する訓練など受けていない。これはどうしたものか、と混乱する。これまでより広範で重い責任、慣れない人事評価、ワークよりライフのほうに興味がある部下たち、残業代で部下には抜かれてしまう程度の月収・・・魅力の無いところばかりが目立ってしまう。もはや、昇進なんて「どうでもよい」訳だ。  「昇進」よりは「キャリアアップ」やろうね、と件のCMクリエーターは言う。彼にとっては、「昇進」という言葉には責任だけが重くなって好きな仕事ができないネガティブな印象があり、「キャリアアップ」という言葉には、自分の腕一本で成果を上げ、より面白い仕事を得られるといった、ポジティブな印象があるのだろう。  これを聞くと、「管理職への昇進」を動機付けの主たる因子に置いて能力を発揮させよう、成果を上げさせようとする従来型の仕組みには、限界があるように思える。キャリアゴールは一流専門職であり、それに向かって切磋琢磨しろ、と言ったほうが、より強い動機付けになるような企業が数多くあるのではないだろうか。社員ががんばろうとする意識の源泉に何があるのか、「昇進」に代わる魅力的な誘因は何なのか、時代の変化をよく見定め、人事制度の全体を見直す必要がある。古いイギリスの諺に曰く、馬を水辺に引っ張っていくことはできても、水を飲ませることはできないのだ。

Train The Trainer  ~ OJTに方法あり ~ | その他

Train The Trainer  ~ OJTに方法あり ~

 企業経営のグローバル化やデジタル化が進行する中で、人材育成は人事課題のトッププライオリティーに位置付けられる。実際、人事管理上の重要課題は何かという問いに、社員の能力開発であると答える企業は非常に多い。だが、経営計画を実現するための具体的な人材育成施策を緻密に組み立てている会社は、少ないように思える。  一般に、人材育成には「育つ」と「育てる」のふたつの方法がある。一定の領域の仕事を与えて、それを遂行するための試行錯誤の中で自然に職務能力を身につけさせる過程を、「育つ」環境を与える方法と呼ぶなら、特定の能力を向上させるべく教育プログラムを設計し、これを実施することで能力向上を図ることは、「育てる」方法と呼ぶことができる。「育つ」環境を与える方法は、人員配置、ローテーション、目標設定などがこれに当たる。「育てる」施策は、教育、研修、訓練等の諸プログラムだと言えるだろう。  「育つ」環境を与える方法は、実践性が特徴だ。だが制御が効きづらい。育成が完了するまでどれほど時間がかかるのか、つまるところ本人任せだ。「育てる」方法は合目的でコントロールしやすい。だが、実践性を欠く。いくら金と時間をかけて研修をしても、「喉元過ぎれば」で忘れてしまう。一長一短がある。  両者の間にあって良い所取りをするのがOJTだといえるだろう。部下の能力を向上させようとする強い意思と具体的目的をもって特定の業務を与え、その遂行の過程で教育・指導を行い、仕事を体得させるのがOn the Job Trainingだ。「何か仕事をやらせておけば、経験を積んで、そのうち勝手に仕事を覚えるだろう」というふうにOJTを定義している向きも数多くある。しかしながら、それは当たらない。OJTは、あくまで具体的な育成目的を持ってするものであり、業務遂行を通じて意図的に能力開発を行う「プログラム」でなければならない。  さて、こうしたことを実現するために、若年の社員にベテランの指導員を付けて指導させたり、日報や週報を書かせて自ら仕事を覚えるような自覚を促したりする施策が、多くの企業で取られている。ところが、たいてい、これではうまくいかない。OJTにおいては、もっと能動的に部下の行動に介入していくことが求められる。OJTにはそれなりの「やり方」というものがあるのだ。  たとえば、OJTにとりかかる前に、その仕事についての旺盛なやる気を引き出す。嫌々取り組むのでは、何かを学び取ることはない。そして、やる気を持たせるためには、業務指示の冒頭、その仕事の目的や意義を明らかにしてやることが重要だ。何のために、この仕事をするのか。この仕事の意義は何なのか。「・・だからこの仕事は君をおいて他には任せられない」と持ち掛ければ、やる気は倍増だろう。  いったんやる気を引き出したならば、次は細かい指示とフォローだ。極めて具体的かつ詳細に、成果に辿り着くためのプロセスと方法を指示する。経験の浅い者には、特に、手取り足取りが必要だ。そして、本人が仕事を開始したら、適当に早いタイミングでその仕事振りをチェックする。頻繁にチェックする。「仕事は先輩の背中を見て覚えろ」というのは、ずいぶん前の時代の話だ。  ひととおり仕事が終わったならば、丁寧な反省会を行うのがよい。うまく行ったこと、行かなかったこと。一般的にはAという方法を取るべきだが、今回は特殊性があったからBという方法をとったのだ、などと、体系的理解を促進する。  他にもOJTのやり方にはいくつものポイントがある。だから、効果的なOJTには、OJTを施す側、つまり、管理職をはじめとする指導者の側のトレーニングが必須だ。「トレーナートレーニング」とでも呼ぼうか。  OJTの成否は組織の力を左右する。そして、OJTには「やり方」がある。トレーナートレーニングは、本気で取り組むべき課題だ。

あきらめる傾聴 | 人材開発

あきらめる傾聴

 会社の運営のカギを握る管理職層、配下の社員たちとの良いコミュニケーションに欠かせないのが「傾聴」のスキルだと言われる。傾聴とは、単に情報を受け取るという意味で「聞く」のではなく、相手に肯定的関心を寄せ、内容の真意をはっきりさせながら、相手が伝えたいことをちゃんと理解することだ、と先生は教える。  英語では「I’m all ears(体じゅう耳)」と言うのだそうだ。先生が言うには、このスキルを使えば部下とのコミュニケーションはとても効果的なものとなり、意思疎通はより深くなり、仕事は円滑に進み、厚い信頼関係が育まれる。傾聴がうまく行われれば、話し手にも良いことがある。自分の言っていることを上手く整理できるのだそうだ。 しかし、効果的な傾聴には、それなりのテクニックが必要だ、と先生は言う。正しい傾聴を行うには、相手の言うことをいちいち解釈せず、心を空(カラ)にしてそのまま飲み込むことが必須。だから、しっかりとアイコンタクトを取り、よく頷き、時には相手の言ったことをオウム返しにし、間を見計らって、「君の言いたいことはこういうことだね」と要約してみせる。そのうちに部下のほうでは「私の言うことをよく聞いてくれる」という気分になり、より心を開いて本当のことを打ち明けてくれる。  米国のある有名企業でも、マネジメント研修の中に「傾聴訓練」というプログラムがあって、その始めのパートでは、部下のコメントをただオウム返しにする練習をするらしい。「課長、今日はちょっと体調が悪いのです…」という部下に、「それはいかんなあ、病院に行って診てもらいなさい」と答えるのは間違い。正しい反応は「そうか、体調が悪いのか…」とそのまま返すことだと先生は言う。  そうは言っても…と思う。仕事場で交わされるコミュニケーションはそんな悠長なものではない。がんばって傾聴しよう、とは思うけれど、やたらに話が長くて何がポイントだかわからない部下もいれば、こちらが尋ねることにストレートに応えない部下もいる。ある程度の落としどころを示して相手の意見を聞くと、妙に否定したり、批判したりしてくる者もいる。…腹が立つ。  仕事の締め切りが迫っていたり、いくつも電話がかかってきたり、落ち着いて話のできる状況ではない場合もある。まして、多様性が大事だと叫ばれる世の中だ。言語や文化が違っていて、何を言っているのだか、皆目わからない相手もいる。…困惑する。  そんな現実を考えると、「話はわかるけれど、傾聴など絵空事ではないか」と思う。しかし、良いコミュニケーションが必要なのは間違いない。うまくいかないたびに腹を立てたりイライラしたりして、結局こちらの言いたいことを押し付けるような会話になってしまったら、信頼関係を損ねることはあっても、厚くすることはできない。例の「心理的安全性」というのを築くことも覚束ない。  では、どうすればよいのか。おそらく、傾聴の障害はどうせ現れる、ということを、予めよく承知したうえで、コミュニケーションに当たることが大切なのだろう。話が長くて何を言っているかわからない部下がいたら、「…そうくるよね」と、日本語がカタコトで何を言っているかわからない部下がいたら、「…そりゃそうだよね」と、思う。思えば、腹が立つことはない。時間が無ければ、またの機会に話せばよい。  なんだか、傾聴などどうせうまくいかないさ、と諦めているように聞こえる。だが、調べてみると、諦める、という言葉の語源は「明らかに観る」ということだそうだ。コミュニケーションの相手の性質を客観的に観察して明らかにしながら話し合うことで、少なくとも腹を立てたりイライラしたりすることを防ぐことができる。傾聴という素晴らしいコミュニケーションスキルの出発点は、この辺りかも知れない。

まれに重篤な副作用を起こすことがあります | 人材開発

まれに重篤な副作用を起こすことがあります

 DXとは一体何のことだろうか。日々のニュースや記事の中で、政府の広報文書の中で、または職場の会話の中で、あまりにも数多く使われるこの用語、きちんと定義できる人はどれほどいるだろうか。このような流行り言葉で、政治家や学者がもっともらしく使う一群の言葉を「Buzz Words」と呼ぶのだそうだ。時代のトレンドを示す重要な概念をたった一語で伝えることができる、また、それを通じて、産業界や国民を一つの共通の方向に導くことができる魔法の言葉だ。だが、このような言葉を使うときには、その本当の意味を正しく認識しておくことが不可欠だ。 「DX」を引き合いに出して考えてみよう。DXとは、言わずと知れた「Digital Transformation」の略語だ。ICTを戦略的に活用し、圧倒的に高い付加価値を創造すべく、従来のビジネスモデルを画期的・抜本的に変更することを言う。ならば、DX人材とは何か。DX人材の育成とはどのようなことを言うのか。  DX人材を考えるとき、「D」の側面と「X」の側面の両方を意識する必要がある。「D」の側面は、先進のICTに関する知識と技能だ。これは、しかし、必要条件であって十分条件とは言えない。そこで、「X」の側面を考える。これは、ビジネスモデルを抜本的に変えることのできるセンスや志だ。だから、DX人材を育てるには、ICTの教育に加えて、経営全般に関わる知識、並々ならぬ好奇心、進んでリスクを負う気概などを醸成していく必要がある。人事評価を含む会社の環境を整えることも必要だろう。  翻って、巷で実際に行われているDX教育とは何か。ほとんどの場合、特定のソフトウェアの利用教育や、新しい開発言語の教育といったものに留まる。シニア層にパソコンの起動の仕方を教えてDX教育と称する企業すらある。新聞紙上には、DX人材〇千人を育成、といった見出しが躍るが、会社のビジネスモデルを抜本的に変えようとする人材が〇千人も要るのだろうか。PC教育を〇千人に実施してDX推進企業だというのは、株主を欺くことにならないか。 ご存知のとおり、他にも、あまたのBuzz Wordsがある。DXの尻馬に乗ったような、GX、SXは何を表すのか。DXの「X」とCXの「X」は同じことか。リスキリングという言葉の元々の目的を私たちは知っているだろうか。HRBPとは本来、どんな仕事か。1on1と個人面談はどこが違うのか。人的資本経営というが、その本当の意味は何なのか。社員の働きの価値が低下したら減損会計の対象となるのか。ジョブ型とは何を表す言葉だろうか。雇用の在り方を言っているのか、給料の仕組みを言っているのか・・。  経営者や人事部員は、人事管理に関する世の動静に敏感であるべきだ。そして、DXのようなBuzz Wordsは、このような議論を効率的に進めるための重要かつ効果的な道具ではある。これらの用語を駆使しつつ、周囲の人々を巻き込んで、自社の経営が時流に乗り遅れないようしっかりと行動する必要がある。この意味では、Buzz Wordsは、小さくて飲みやすく、効き目の確かな新薬のようなものに思える。 しかし、Buzz Wordsを安易に大量に服用することはあまりにも危ない。その言葉の正しい定義や、それが生まれた時代背景をよく知らず、自分流に解釈してわかった気分になる。つまり、思考停止の状態に陥るのだ。これはかなり強い副作用だ。会社を間違った方向に誘導しかねない。万が一、「うちもDXをひとつ入れといたほうがいいんじゃないか。」といった表現で社長から指示が下りてきたら、その会社はかなり重篤な状態だと思ったほうがよい。すぐに社長向けDX研修を企画しよう。

Page One | 人事制度

Page One

 「新年度から導入する新しい人事制度について説明します。」 人事制度を大幅改定する時には、社員の納得を得るために丁寧に説明する必要がある。美しく編集したパワーポイントの資料を指し示しながら、人事部長の説明が続く。 「最初のページは新しい制度の概要を示しています…」  最初のページには、たいてい、「新制度方針」や「新制度概要」が記される。新しく導入する制度の根本的な考え方や、眼目となる部分について述べる重要なページだ。    X社の「新人事制度概要」にはこんなことが書いてあった。 ‐わが社は人を大切にする会社。社員の雇用を絶対に守るという方針は変わらない。 ‐わが社は、「主力製品に資源を集中し、我が国最高レベルの技術力を磨く」という戦略を 掲げた。新人事制度はこれを支えるものだ。 ‐だから、新人事制度を通じて社員の専門能力を高め、卓越した競争力を構築する。 ‐社員の一人ひとりが、自分のキャリアを自律的に組み立てていくことが制度の眼目だ。 ‐人材育成には最も力を入れることとし、積極的なローテーションを実施する。 ‐個々人のライフイベントに寄り添い、多様な働き方を可能にする。残業の削減を徹底。 ‐職場や仕事の異動がないコースと、あるコースとを設け、自由に選択できるようにする。 ‐給与は競合他社に負けない水準とし、職務に応じた、メリハリのある処遇を実現する。 ‐希望する者は、70歳まで働ける制度にする…云々  戦略を支える良い人事制度だ。しかも、現代のキーワードが数多く織り込まれているではないか。きっと、働きやすくて良い会社になるぞ・・と感じる。しかし、待てよ。よく考えてみるとわかりにくい所があるではないか。 積極的にローテーションをしながら他社を凌駕する高い専門性が養えるのだろうか? ライフサイクルに応じた手厚い休業制度で空いた穴は、誰がカバーするのだろう? 事業領域を絞る戦略なのに、皆が自分のキャリアを勝手に組み立てて 、辻褄が合うのか? 社員のほとんどが転勤しないコースを選んだら、仕事は回るのかなあ? 我が国最高レベルの技術力に、60歳超えの高齢者が貢献できるだろうか? 去年並みの賞与出るかなあ…?  Y社の「新人事制度概要」には少し違うことが書いてある。 ‐当社の、人を大切にするという方針は変わらない。 ‐わが社は、主力製品に資源を集中し、社員の専門能力を徹底的に伸ばして他社を凌駕する。 ‐社員の一人ひとりが、自分のキャリアを自律的に組み立てていくことが制度の眼目だ。 ‐多様な能力開発の仕組みを整え、社員の志を支える。自らのキャリアプランに沿う仕事を選べばよい。 ‐就くべき仕事が見つからない者、専門性が会社の戦略に馴染まない者、45歳を超えて志す能力を身に着けられない者には、リスキリングの機会を与える。 ‐それでも貢献の場が見いだせない場合には、社外のキャリアを追求できるよう、会社が全力で支援する。 ‐給与は職務と成果に応じて支給する。 ‐プランどおりのキャリアを進み、社業に貢献できる限り、何歳まで働いてもよい。リタイアメントは自分で決める。  人事制度の設計において、背骨になる考え方は重要だ。時代を代表するさまざまなキーワードを研究することは意義のあることだが、会社の進むべき道をはっきり意識して制度の方針を説き起こしていくプロセスは、もっと大切だ。 「釈然としないが、まあ、いいっか!」と、X社では、いつものとおりの日常が回っていくだろう。Y社では、人が去り、そして、人が集まるだろう。 以上

戦略的人事か、人事的戦略か | 人事アナリシスレポート®

戦略的人事か、人事的戦略か

 便利な道具は人を怠け者にする。毎日文章ソフトを用いて仕事するから、漢字の表記が浮かばない。でも大丈夫、とグーグル先生に尋ねるが、簡単に得た知識はあたまに残らない。そもそも漢字は、ビジネスに必要なのか、という疑問さえ浮かぶ。  人事の仕事でも同じことが起こるだろう。タレントマネジメントシステムの開発は目白押しだ。「来期新設する5つのポストへの人材配置は、最適な人材の組み合わせをシステムが選択して教えてくれる」という時代が早晩やってくるだろう。そうなると、人事異動の勘などというものは退化してしまうし、社員の履歴を諳んじて人事パズルの妙を心得ているような前時代的人事マンは、その居場所を失うに違いない。  ならば、人事マンの仕事はこれにて終了、と考えてよいものだろうか・・。  事業戦略を人事に落とし込んでいくという考え方は、自然な流れだ。市場や競合の状況を睨みながら、どんな製品をどんな価格でどれだけ市場に送り込んでいくべきか、優秀な企画マンたちが事業戦略を練り上げ、それに沿った陣容を要求する。たとえば、「この高付加価値の新製品を高価格で販売しよう、そのためには、高度技術知識に裏付けられた魅力的な提案営業をできる人材が最低50人必要だ」という具合に。人事部門はこれを受けて、何とか陣容を整えようとがんばる。まして、最適な人員配置をスピーディーに、タイムリーに行えるよう、先進の情報技術が後押しをしてくれると聞いているものだから、全社あげて「さあ、今すぐ新戦略を展開しよう!」ということになる。  ところが、である。我が国においては、事業戦略の大転換に即応する人事は、やりにくい。簡単に従業員を解雇することができないからだ。用の済んだ人々に退出願って、新たな能力を備えた人々に参戦いただく、というようなアクロバットは不可能だ。法的にも、文化的にも、倫理的にも難しい。だからと言って、新しい能力を持った人材を採用して人員純増とすれば、人件費が嵩んで利益を食ってしまう・・。 だとすると、発想を逆さにして、人事の現状から戦略を導き出す、というのも「あり」かも知れない。「今の会社の陣容に照らせば、もっとベーシックな製品を、ベテラン営業マンの力を活用してドブ板営業で売りまくったほうが、よほど大きな利益を稼げますよ。」というような意見があれば、聞くに値する。  もとより、人材の都合だけで事業戦略を決めるなど本末転倒だ。しかしながら、人事の目を通じて事業戦略を論じることは重要だと言える。提案営業派の企画マンとドブ板営業派の人事マンとが喧々諤々の議論を戦わせた末に最も現実的で有効な事業戦略が練りあがる、ということがあるに違いない。  これからの人事マンの仕事は、戦略的人事か、人事的戦略か。いずれにしても、事業の戦略を語る力がなければ、役に立たないだろう。人事マンは、もはや代書屋ではない、電卓屋でもない。手配師でも、評論家でもない。これからの人事マンは、戦略家でなければならないのだ。こう考えれば、どんなに情報技術が発達する世の中であっても、人事マンの価値は、益々大きなものになっていくと言える。そして、人事をつかさどる者に求められる資質は、環境や市場を読む能力から始まって、製品技術や管理会計の知識、人情と浪花節のセンスに至るまで、とてつもなく深くて幅広いものになっていくに違いない。AIがどんなに進歩しても、人事マンの仕事が楽になるとは思わないほうがよい。

変わったヤツだね、あいつ | 人事制度

変わったヤツだね、あいつ

 東京に本社を置くその会社は、600人ほどの従業員を擁する大手企業傘下のシステム開発会社だ。管理職と専門職の複線型人事制度を設けている。この専門職というのをどう位置付けたらよいのか、ずいぶん長く議論してきたが明らかな結論が見えてこない。曰く・・ 「40代後半にもなって、ポストが無いという理由で管理職に昇格できない人材を遇するには、専門職という立場がどうしても必要だ。」 「いや、ちょっと待て。専門職というのは、他人に無い高い専門性を持つ人材を処遇するためのものだ。単に優秀な総合職社員を格付けるものとは違うのではないか。」 「優秀ではあるが管理職には向かないという人もいる。こういう人も、それなりに処遇しなければ辞めてしまうだろう。」 「ところで、管理職に昇格させてみたがうまく成果の出ない人材は管理職ポストから外したいのだけれど、格付けを一般社員まで落とす訳にもいかない。専門職に移ってもらえば収まりが良いな・・。」 そうこうするうちに、若くて優秀な専門人材と管理職リタイア組が混ぜこぜになった、妙な人材集団が出来上がった。多くの若手社員から声が上がる。 「いったいこの専門職というのは何なのだろうか? うちの専門職に何かの専門家はいるのですか? 年功序列の大義名分に過ぎないのでは?」  さて、同じICT系の会社だけれど、地方都市に本拠を置く新興の会社がある。まだ200人ばかりの会社だが、クルマの先進情報技術を武器に急成長を遂げている。前述の会社と同じような複線型制度を設けているが、少し違った景色が見える。 ここで働く人は、全員が非常に高い専門技術を持っている。例えば、この会社のコーダー(コーティングを仕事とする職種)は、ふつうのプログラマーの5人分から10人分もの仕事をするのだそうだ。彼らは、あたかも日本語とコーディング言語のバイリンガルだ。部下に帰国子女がいれば、辞書を引きつつ汗かきながら英語で会話をしなくても倍のスピードで仕事が片付くのと似て、注文主が「こんなシステムがあるといいな」と夢を語れば、たちどころにコンピューターと話をつけてくれるのだそうだ。 コーダー職以外にも、AIのアルゴリズムを考える人、巨大なデータセンターを切り盛りする人など、数多くの専門家が腕を振るう。綺羅星のごとき人材たちが数多く働く専門家集団だ。 ここでは、専門家としてのウデの良さでグレードが決まる。誰もが、自らの専門分野で、もっともっとウデを磨きたいと考えている。だから、ポスト不足の悩みなどない。そもそも管理職という仕事への憧憬が無いのだ。若い技術者たちが仲間のうわさ話をする。「あいつ、次のワンオンワンで管理職コース希望するんだってさ、変わったヤツだね・・」  根拠の無い直観だが、二番目に述べたような会社がにょきにょきと姿を現しているように思う。その半面、数多くの人事部門で、一番目に述べた会社のような議論が依然として交わされている。技術の急激な発展があり、産業構造やビジネスモデルの地殻変動が起こる。そして、わが国の人事管理は、その後を周回遅れで追いかけているように見える。  ところで、人事制度を刷新するとき、経営者は社員にそのいきさつを語る。米国の経営者の多くは、『私はこんど、このような制度を導入することを決心しました。』と言う。日本の経営者の多くは、『わが社では、こんど、このような制度を導入することになりました。』と言う。両者の表現には微妙なニュアンスの違いを感じる。 マスコミがそのことについて盛んに論評し、業界の多くがそれに賛同し、有識者の協力を得、従業員の皆さんの大方のご理解が得られ、十分に環境が整い、機が熟したときに、日本の人事管理は漸く、一歩、前に進むのだろう。熾烈なグローバル競争の中で、遅きに失することがないとよいが。

空虚(うつろ)なリーダー | その他

空虚(うつろ)なリーダー

 外来語には意味がよく解らないものがある。リーダーシップという言葉もそのひとつだ。あまりにも日常的に使う言葉なのでよく考えたこともなかったが、この「シップ」というのは何のことだろうか。フレンドシップ、パートナーシップ、リレーションシップなど、お尻にシップの付く言葉は多いけれど、どれも同じことなのだろうか。調べてみると、「心意気」とか「スキル」とかいう意味だそうだ。心意気とスキルではずいぶん違うなあと思うが、要するに日本語に直接訳せる言葉ではないということらしい。  数多く出版されているリーダーシップ本を紐解いてみると、確かにリーダーとして持っているべきスキルや心構えが解説してある。組織のメンバーとのコミュニケーションの仕方、多くの人を惹きつけるスピーチの仕方、メンバーに解りやすいビジョンの打ち立て方、リーダーとして持つべき不退転の態度等々。リーダーを志す多くのビジネスマンがこうした書籍を漁り、リーダーに求められる心意気とスキルを勉強しているわけだ。だが、先人が示した心意気やスキルさえ知れば、リーダーになれるのだろうか。どうも疑わしい。  昔の話だが、新卒社員の離職率に悩むある会社で、これを抑えようとした総務部の若手平社員が、上長や他部門の担当者を巻き込んで新人研修を行い、離職率を著しく低減させた例があった。彼は部長に進言して2日の導入研修を2週に拡大し、営業部やシステム部など他部門の社員に呼び掛けて「実務の疑似体験コース」を企画し、協力してこれを実施したのだ。彼は準備を含む3か月の奮闘の中で、上長の意思決定を促し、他部門の管理職を説得し、部門を問わず数多くの仲間の惜しみない協力を取り付けた。彼は管理職ではないから、皆に命令を発する権限は何ら持ち合わせていなかった。あまり勉強家ではないから、おそらくリーダーシップの本など読んだこともなかったはずだ。しかし、このとき、彼は明らかにリーダーだった。  リーダーシップ本を熱心に読むがリーダーにほど遠い人と、本を読んだことはないがリーダーになる人。何が違うのだろうか。件の平社員のストーリーで、彼に違っていたところは、「新卒社員の離職率を何とかして抑えたい」という強い志を持ったことだ。理由は皆目わからないが、彼は確かにそのような志を持った。だからリーダーであり得たのだと思う。要するに、「私は他の人々の力を借りてでもこのことを成し遂げたい」という「このこと」が大切で、例の「・・・シップ」はそれを実現するためのサプリメントのようなものだということだ。「このこと」を伴わないのに「シップ」の方ばかりを研究しているリーダーは、中身の無い空虚なリーダーだということになる。  最近、頼りになる中間管理職層を作りたいと切望している経営者は多い。そうした経営者は、管理職たちにリーダーシップ研修を受けさせる。しかしながら、権限を発動して組織を管理する管理職と、リーダーシップを発揮して組織を導くリーダーとを混同してはならない。もちろん、優秀な管理職は優秀なリーダーであって欲しいのだが、課長たちを捕まえてリーダーシップの研修を受けさせ、一般的なノウハウを覚えこませるだけでは、そのような人材は生まれない。大切なことは、社員に何らかの志を持たせるような、リスクを背負ってでも成し遂げたいと感じる何かを発見できるような環境を準備すること、そして、それに挑戦する機会を与えてやることではないだろうか。