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コラム

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LP再生 | その他

LP再生

 日本の企業にはローパフォーマー社員(以下LP社員)が多すぎます。企業業績に貢献が少ない、またはほとんどない社員が驚くほど多く在籍しているのです。LP社員がどの程度存在しているかは、勝手な推定では5%程度ではないかと思います。この5%という数字は非常にインパクトのある数字です。人件費の5%が過剰であるとも言えるのです。費用の中で極めて大きな比重を占める人件費のなんと5%も無駄なのです。  LP社員の問題は非常に根深く罪深いものです。入社してから月日がたつに従いLP社員は顕在化し始めます。新卒採用をしている企業は特にそうですが、採用時には企業の職務に向いていると想定して終身雇用契約をしています。しかし現実には向かない人もいます。また大卒から60歳までの38年間、ずっと高いモチベーション、コンディションを保つことも難しいです。なかには何らかの原因で長期にモチベーションが上がらない社員も発生するのです。  このLPの発生は本人が原因であることもありますが、企業側人事管理側にも問題があります。それは人事評価が甘くLP社員がLP社員であることをストレートに通知していないのです。そのためLP社員は入社後長期間、ほんとの意味で再生する指導を受けていないことが多く、結果50歳くらいで企業がリストラするときに初めて深刻なLPであることに気づかされるのです。  米国ではPIP(パフォーマンス・インプルーブメント・プログラム)という、社員のパフォーマンス改善プログラムが普及しています。様々な評価や専門のカウンセラーによるカウンセリング、教育の受講などをプログラム化して半年や一年間のような一定期間でパフォーマンスの向上を目指すのです。LP社員の場合には再生が主たる目的ですので、これで再生すれば本人も会社もハッピーです。しかし再生できないとなった場合には他社への転職を勧めることになります。  日本企業はLP社員に対して明確にLP社員であることを告げていません。仮にLP社員であることを告げても再生のチャンスやきっかけを与えていません。今後LP社員問題はさらに注目を浴びることになると思いますが、日本でのPIPは再生できないことを証明するための施策になってしまう可能性が否めません。LP社員にPIPを提供して、結果改善しなければ退職勧奨して再就職支援サービスを受け他社に転職させるという構図です。悪く言うと再就職支援サービスを受けさせるための証拠固めという感じでしょうか。  日本におけるLP問題の本質は、“再生”にあります。長期雇用を前提としている以上、社員の活用を最大限に行うためには、厳格な評価をし、再生のためのPIPを根付かせなくてはならないのです。今後PIPはより注目を浴びるでしょうが、再就職支援サービスの露払いのサービスに成り下がってはいけないのです。 以上

マネージャーの意思に始まる | その他

マネージャーの意思に始まる

 誰でもが同じように評価でき、評価される側も納得感のある評価制度を設計することは難しい。  しくみを精緻に作りこもうとして、ともすれば複雑な計算式による評価が、どうも実態と離れた運用となり「評価のための評価」となってしまうことがある。あるいは、抽象度の高い評価項目に対して、基準が分からず曖昧でつけにくいと、現場の管理職者から文句がでたりもする。  いま主流になってきている絶対評価は、基準に即した評価ということだから、基準がはっきりしなければ始まらない。目標管理であれば、目標の達成水準が大事だし、能力評価や行動評価でも何をもって標準的か、標準より高いレベルか、低いレベルかを判断するか評価者を悩ませる。しかし、その答えを評価制度を作った人事部に求めるのは筋違いだろう。  目標の達成水準とは、管理者自身が「この部下には、ここまではやってほしい」と思うレベルである。さらに、ここまでいけば120%だし、この状態なら不十分で80%だと心づもる。「この部下には」、つまり等級や熟練度や給与に相応なレベルということも勘案して、である。その、自分が意思する達成水準を、期首に部下本人とにぎることがMBO(目標管理)の基本だろう。  能力や行動の評価も同じことだ。「この部下には、こういう行動をとって欲しい」という意思を、評価項目に即して具体的に描き、伝えておく。あとは、期中の具体行動をもって評価し、みづからつけた評点についての基準と根拠の説明責任を果たす。説明責任が果たせなければならないのは、もちろん、部下本人の納得感のためでもあるが、それ以上に経営に対する説明と宣言でもある。  目標にしろ能力や行動にしろ、評価運用時の「基準」とは、マネジメントの意思そのものだからだ。自部門では、誰に、何を、どのレベルでやらせることによって、組織目標を達成するという意思の表明である。そこは管理職者自身が、やりたいように自由に、裁量性をもって行えばいいのである。ただし、説明責任を果たせることを絶対条件として。  その意思が独りよがりでないかを確認をするのが、二次評価者の役割だし、意思する「基準」が他と比べてレベルがあっているかどうかは、一次評価者同士の評価会議で、目標達成水準や評価根拠の妥当性を相互検証すればいい。たとえば、いかに抽象的な能力評価項目であっても、この等級でこういった行動なら、「3」じゃなくて「2」だな、といった評価会議での検証・共有が蓄積していくことで、自社のリアルな評価基準が浸透していくことになる。  だから評価制度は、管理職者が意思を持って運用しやすいしくみであることが最重要な要件である。そして、評価者たちがみな、裁量性と説明責任を意識した評価運用をする。評価会議等を通じたその組織的実践が、各社固有の評価品質を高めていくはずである。  各社の人事部の方々を集めて評価セミナーをやることがある。そこではいつも、MBOで目標を立てるのは、上司か部下のいづれかを聞いてみる。すると、たいていは部下が立てる社の方が多い。もちろん、最終決定は上司なのだろうけれども、やはり、部下の目標は上司が設定することを原理原則にして、目標設定というマネジメント意思の表明を突きつけるべきではないか。

社員の幸福感の高め方 | モチベーションサーベイ

社員の幸福感の高め方

 幸福感の高い人はどのような人だろうか?一般的には配偶者のいる人や非喫煙者、心身が健康である人はそうでない人と比べると幸福感が高いと言われています。また、興味深い調査として、幼少時にシルバニアファミリーで遊んでいた女性とそうでない女性を比べたものがあります。この調査では、大人(20~25歳)になった時点での幸福度は、シルバニアファミリーで遊んでいた女性のほうが高いという結果が出ています。  しかし、当コラムを読んでくださっている皆さんが興味をもたれるのは、「幸福感」という概念は、ビジネスの中でどのように活かすことができるのか?特に、「生産性」や「業績」といった代表的な成果指標に対してどの程度の影響を与えるものなのかといったことではないでしょうか。  欧米の研究を見ると、幸福感の高い社員は、生産性が高く、売り上げも多く、リーダーとしても優れ、高い業績を上げる。また、病欠も離職も少なく、仕事のストレスに負けることもないという報告があります。幸福な気持ちで業務に取り組むと、時間の使い方が効率的になり、仕事の質を下げることなく生産スピードを向上させることができるそうです。その結果、幸せな気持ちで物事に取り組んだ人は、そうでない人と比べて生産性が12%向上するという調査結果も発表されています。ちなみに、不幸は生産性を10%低下させるそうです。  では、企業にとって良いことづくめの幸福感は、何から影響を受けているのだろうか。幸福感の高めかたが分からないと施策を講じられませんが、この領域の研究は国内外を通してまだ始まったばかりです。  国内における先駆け的な研究は、2012年に内田・城戸が人材育成学会にて発表した『ポジティブ組織行動論の試み-仕事での「幸福感」と組織内要因-』であると言えます。内田らはこの中で、約300名のビジネスパーソンから集めた定量データを分析し、幸福感を高める5つの組織内要因を明らかにしています。この5つは、「マイビジョンへの挑戦」、「自己効力感」、「地位と給与の満足」、「仕事の社会的評価」、「努力と評価の関連」と名付けられた因子であり、これらが幸福感に対して統計的に有意であることを示しています。  自分の実現したいビジョンをもち、得意分野を活かしながら挑戦的に仕事ができていること。自由裁量の度合いが高く、自分の能力を活用しながら自信をもって仕事を進められていること。現在の地位や役割と、得られる給与等の報酬に満足していること。自分の仕事が社会的にも組織内においても評価されていること。そして、自分の努力が上司などから人事的に評価されること。つまり努力と評価のつながりが認識できることが「幸福感」を高めるのです。  2回のコラムで取り上げた「幸福感」は、組織内で伝播する特性をもっています。自分が職場で幸せであると思えるほど、共に仕事をする仲間だけでなく顧客に対しても、より多くのポジティブ感情を伝えるようになります。そして、最終的には、職場全体がポジティブな状態へと変わってゆき、大きなビジネス成果を生み出すのです。ポジティブ感情のドミノ効果と呼ばれるこの現象は、組織に対して大きな変化を起こすための小さな一歩の必要性を示唆しています。  職場の幸福度について興味をもたれた方、詳しく知りたい方はお気軽にご連絡ください。 以上

異なる期間 | その他

異なる期間

 日本企業の将来は手放しで明るいものではありません。国内市場は総じて縮小傾向にあり、競合に打ち勝っていくことが生き残りのために重要になります。またより成長するためには海外へ進出を加速させることも考えなくてはなりません。市場環境の変化とともに労働市場でも劇的な変化が始まっています。少子高齢化が進行し、社員の平均年齢が徐々に高くなってきます。高齢社員が多くなり若年社員が少ないということですが、これは企業の活性化の維持という観点や、高齢化した社員でより高いパフォーマンスを挙げなくてはならないという、過去の人事問題にはない非常に深刻で重大な問題が起こるのです。厳しい市場環境で成長しなければならないが、同時に高齢化、働き手の不足に対応しなければならないのです。 現在多くの企業で、50歳台の社員が多く30歳、20歳台の社員が極端に少ない人員構成が見られます。そのため発生している問題は、高年齢化による人件費の向上や管理職社員の必要人数以上の増加などが深刻です。また若手社員の不足についても非常に深刻であり、ここまで若手社員が少ないと到底直ちに解消できる問題ではありません。  現在起きている高齢化の問題を正しく認識しなければなりませんが、この問題は時間の経過とともにより深刻さを増していきます。将来の予測を行うと、先ほどの高齢化が進行している企業では今後約20年近く高齢化問題に悩まされることが定量的にわかります。  このような歪な人員構成となった原因はいくつか想定できます。その一つが経営責任と雇用責任の期間が異なることにあるでしょう。経営者は通常4年から6年程度の経営責任を負います。企業の雇用責任は大学新卒社員を一人雇用すると65歳まで実に43年間の雇用責任が発生します。この期間が異なることが人員構成の問題を発生させる一つの原因なのです。時の経営者の経営的判断が雇用責任の期間と合わないために経営的にOKでも人事的にはNOであることが発生するからです。   代表的であるのは新卒の採用人数でしょう。正社員は企業のノウハウや技術、文化を継承していく幹部人材であるので、本来的には緩やかな台形型の人員構成が望ましいです。したがって業績が悪いときに新卒社員採用を抑制するのは、短期的コストカットという観点からは経営的に正しいのですが、企業の中長期の成長を維持向上するための人材基盤という観点では正しくありません。逆に短期の業績がよいからといって新卒社員を大量採用する経営者もいます。これも一年の収入が多いからといって43年ローンを多く組むことがナンセンスであるように、雇用責任という観点ではナンセンスです。  経営者、人事は短期的な最適化を求めることの視点も重要ですが、それに偏重し過ぎると、後の企業や経営者、人事が非常に困るのです。継続的に発展する企業を造ることも経営者の重要な役割であり、短期の経営責任と長期の雇用責任の両方を担っていることを再認識しなければならないということです。 以上

企業の安楽死 | その他

企業の安楽死

 全ての企業が、ゴーイング・コンサーンであるべきなのか。  なくなった方がいいような反社会的な企業は論外としても、業績不振でどうあがいても立ちいかず瀕死の状態が長く続いている企業や、一時代を経てその役割を終えている企業もある。場合によっては、意志して企業をいったん終息させたほうがよいかもしれない。  そうした「企業の安楽死プログラム」を逆説的につくって、関わっていた企業組織論専門誌に掲載しようと思ったことがある。といってもそれは、容易ではない。企業は、ステークホルダーズに支えられた社会的存在だから、経営者の勝手にはできない。投資家や顧客に対する手立てはいろいろ考えられるものの、従業員の存在がある以上、会社がなくなって従業員がいきなり生活できなくなったら“安楽”とはいえない。  そんなことを夢想しては、経営学や組織論の論客と議論したけれどもどうもうまく方法論化できない。そんな奇をてらったプログラム仮説作成はあきらめようとしていたら、なんと、実業のほうが危機的状況を迎え、自分の会社の安楽死を検討せざるを得ない状況となったのだった。  状況はこうだ。20年くらい前、社員数200人売上100億円の会社がバブル崩壊後に、3分の1の規模に縮小。しかもバブル崩壊直前に分不相応に立派な自社ビルを建てていたため、その負債で半永久的に黒字化は不可能という羽目に陥っていた。瀕死の状態で会社を死守し、消耗戦のなかで金利を支払っていくことの展望のなさから、真剣に「安楽死」計画を練ることにした。  ベンチャー事業としての存在理由、いわば魂(=事業コンセプト)は捨てたくないし、仲間たちが路頭に迷ってしまっては、安楽死ではなく悲惨な会社の最期になってしまう。かくて、不良債権ごと会社を消滅させながら、事業と人を生きながらえさせる計画をたてたのだった。「社員全員雇用の条件をつけた、営業権譲渡」と「訴訟覚悟の会社清算の実行」というシナリオである。  そのためには、単年度黒字化が必須である。現状赤字であり、営業権は、事業展望とともに買い手がつくわけだから、その証としての単年度収益の確保は、絶対条件だった。あまり詳しくは書けないけれども、メインバンクとももろもろ謀りながら、アクロバティックではあるが、実態としての事業の黒字化を実現し、その発展としての事業計画をもって、いくつかの会社の経営陣に対しての“営業”を行った。  いま我々の研修事業で提供している「上級プレゼンテーション研修」のコンテンツであるところの“タフ・クエスッチョン”の最大級版を浴びせられる場面を何度も経験したなかで、ようやくある会社の社長が、買ってくれることになった。売却価格の妥当性は当事者としてはなんとも言えないものの、なにより全員雇用や訴訟案件としてのリスクも含んでまるごと受け入れたその社長の判断には、大胆にして思い切りのよい経営判断として感謝し感服をしたものだった。  しかもその会社にとって、購入した事業はもともとのその会社のドメイン範囲外のものだった。その会社の一員となって何か月かたったとき、社長に、なぜ買う気になったのかを聞くと、「知らない領域の事業だし、聞いても良くわからなかった。採算性も不確かだし。とくに、事業展開の今後の広がりは、何を言っているか意味不明。でも、君たちがそれを確信持っていろいろ語っているのが、なんか面白くてね、その構想自体にも興味が湧いたんだ」と笑った。  経営者の意思決定とは、教科書的な意思決定の常識とは全く別物なのだと、このとき知った。つまり、そこに有効な「企業の安楽死プログラム」を作り得たからではなくて、ある一人の、独自の経営意思と出会えたことによって、私のいた会社の安楽死は実現したのだった。

社員の幸福感が経営にもたらすもの | その他

社員の幸福感が経営にもたらすもの

 皆さんは「幸福」と聞くと何を思い浮かべますか?お金、地位、健康…人によって幸福の捉え方は様々です。では、皆さんは幸福ですか?と聞かれたら、何と答えるのでしょうか。  ご存知のように、近年様々な国・機関・団体で、幸福に関する調査が行われています。例えば、国連は「World Happiness Report」を作成しており、2013年の調査結果を見ると、1位デンマーク、2位ノルウェー、3位スイスとなっており、日本は43位です。また、OECDが発表している「Better Life Index」における日本の順位は21位(2013年)です。調査によってその視点や対象が違うため一概に言えないものの、日本の順位は高いとは言えません。  このような幸福に関する調査が数多く行われるようになった背景には、調査対象者が感じている「幸福感」が、その人の人生だけでなく、地域社会や経済活動に対しても、良い影響を与えているということが分かってきたからです。  幸福感に関する研究は、従来ポジティブ心理学の領域でなされていましたが、現在は組織行動論の領域に取り入れられはじめ、「ポジティブ組織行動論(Positive Organizational Behavior)」として、ビジネスで活かすための研究が進んでいます。研究の視点としては「幸福感とは何か」「幸福と成功との関係」「幸福感は何に影響を与えているのか」「何が幸福感を高めるのか」などが挙げられますが、今回のコラムでは「幸福感とは何か」「幸福と成功との関係」について触れさせていただきます。  幸福感は、さきにも述べたように人によって感じ方が異なるため、測定することは簡単なようで難しいと言われています。心理学者による幸福感の研究ではSWLS(ディーナーらの人生満足度尺度)が多く使われていますが、一方で欧米人と日本人といった特性による違いを考慮する必要があるといった考えもあります。これに対し、内田・城戸(2012、2013)は、日本のビジネスパーソンを対象とした幸福感の調査・研究を行い、幸福感は「自分の人生を順調とみなし満足していること」、「自分の将来に対して希望をもっていること」、「周囲の人たちと良好な人間関係を築いていること」から構成されることを明らかにしています。つまり、過去から現在までの時間軸の中で蓄積されてきた満足感や、将来に対する期待や希望。そして、周囲の人との良好な対人関係が日本のビジネスパーソンの幸福感を構成しているというわけです。  では、その幸福感と成功はどのような関係にあるのでしょうか。「何かしら成功したから幸福なのだ」と思われている人も多くいらっしゃいますが、心理学と脳科学の研究によって、幸せは「成功に先行する」のであり、単なる成功の結果ではないということが明らかになっています。  仮に、成功が幸せをもたらすのであれば、期初にたてた目標を達成した社員、昇進した社員など、何らかの目標を達成した人達はみな幸せになっているはずです。しかし実際には、勝利を勝ち取るたびに、成功のゴールポストはさらに前方へと押しやられていきます。悲しいことですが、こうして私たちの幸せは、地平の彼方にどんどん遠ざかっていくのです。  これに対し、幸福だから成功するという「ハピネス・アドバンテージ(幸福優位性)」の考え方は、前向きで受け入れられやすく、私たちの組織への応用展開が可能と言われています。今後は、幸福感によるビジネス上の効果と言われる「欠勤が少なくなる」「離職率が下がる」「生産性が高まる」「高業績をあげる」などを得るための取り組みが、企業内で広がってくるものと思われます。  幸福感がもたらす具体的な効果や、何が社員の幸福感を高めるのかについては、次回のコラムにてご紹介をさせていただきます。 以上

気分が悪い | その他

気分が悪い

 360度評価は対象者からみると気分の悪い仕組みでしょう。直接の上司以外の人から評価されることに、いろいろな抵抗を感じるからです。部下に評価されたくないであるとか、評価者としてのトレーニングを受けていない社員は適正な評価ができないとか、好き嫌いが評価に反映されるとか、その結果部下に強く指導しづらいなどのような話が非常に多いのです。そういう意味では特に経営者や管理職など評価をする上司側から見ると、気分が悪い、気持ちが悪い仕組みなのでしょう。  しかしこの360度評価は今までの評価に比較して実に多くの有用な情報を提供してくれます。様々な関与者から評価をされることによって、被評価者の強み弱みがよくわかります。これを配置や任用、教育に使用するときわめて効果的です。もちろん上司の評価を主評価として他の関与者の評価を参考情報という位置付けで処遇(昇格や昇給)の評価に使用することも有効であることは言うまでもありません。  日本企業ではこの360度評価はストレートに処遇に結びつける評価として使用することはあまり多くありません。逆に処遇に結びつけず、配置や任用や教育に使用することを前面に出すことによって、気持ち悪い部分を緩和し導入している企業が多いでしょう。  日本企業は長期雇用であるために、社内の人間関係は長期にわたり継続します。組織内があまりぎすぎすしないようにという感覚から処遇に関する評価はどんなにがんばっても甘めについてしまうのです。これは長期雇用の特徴であるために、どんなに厳格な評価をしようと経営や人事が努力しても、処遇の逆算で評価をしてしまう傾向にあるのです。  しかし激変する環境下における人事ニーズはこの甘い評価をそのままにしておくことは許されません。そのため処遇の評価を徹底して適正化することの道を選ぶか、処遇の評価と360度評価のような活用育成のための情報収集を平行して行うという道のいずれかを選択しなければならないでしょう。いずれにせよ今後は今以上に360度評価が活用されていくでしょう。当社では2015年2月に多くの実績のある360度評価サービスの事業譲渡を受け本格的にこのサービスを提供し始めました。今までも提携企業と360度評価を行ってきましたが、より高いレベルでのサービス提供が必要であることと、様々な人事関連分析や人事施策、教育施策とのサービスとして連携が重要と認識し、当社ブランドでのサービスとして提供しております。  当社の経営会議で360度評価の重要性を話し全員の賛同を得ました。その後に当社内での360度評価の実施の提案がなされました。会議参加者ほぼ全員が気分の悪さを感じたことがすぐに分かりました。しかし“経営者、管理職は高い視点で度量を持ってこのサービス受けるべきである”というサービス説明に賛同し、これから多くのクライアントに提供していくことを話した後でしたので誰も反対できません。結果当社でも経営者含めて行いますが、このときの反応が象徴的なのです。人事のコンサルティングを行っている当社であってもこの気分の悪さを強烈に感じますので、経営者や人事の強力なリーダーシップ下で推進しなければ導入ができないでしょう。人事がより強くなりその結果企業が成長することを実行するためには、この気分の悪さがブレーキになってはいけないと強く感じたということです。 以上

人事の品格 | その他

人事の品格

 近年の労働市場は以前に比較して徐々に発展し続けています。よく言えば適切な労働流動化が進んでいるともいえますが、そうともいえない寂しい状況も多く目にします。ある企業の人事部の若手社員が、急に退職したいと言い出したそうです。退職そのものについては、特に引き留める理由はなかったのですが、その社員は退職理由も言わず引継も早々に、なにも挨拶もせずやめていったそうです。人事部長は、最近の若年社員は“リセット”的な退職をする社員が多いと嘆いていました。在職中にはいろいろと指導されたり、研修を受けて世話になった人も多いのに対して、その人間関係がなにもなかったかの如く一気に絶ってしまうような印象を受けるというのです。転職した社員のその後についてはよくわかりませんが、他の競合会社の人事に転職したそうです。こんな退職行動しかできない人がよく他社の人事管理や雇用管理の仕事ができるなというのが、その人事部長の率直な感想でした。人事部に所属しておきながら、非常識な転職を何とも思わずにしてしまうことの無頓着さが理解できないのです。そういう意味で人事に携わる人にはより人間を理解し、俗な言い方をすれば“自己を律する”“気を遣う”ことができなければ、本当の意味で人事管理などを全うできないのではないかと言っていました。まったく同感です。  この話に多少関連する他社の話です。ある企業で人事部長を中途で採用しようとしていました。伸び盛りの会社で、社員数も増えてきており、人事管理を高度化する事が必要となってきたからです。採用活動の結果有力な候補が2名残ったそうです。2名の候補者の中で特に入社意欲が強い1名の候補者を採用することになったそうです。当然会社としては常識的な範囲での入社時期や処遇を提示します。その候補者も基本的にはその条件に合意していたはずですが、オファーを受けたとたんに強気の交渉が始まります。本人にしてみれば候補者が自分だけとわかり、採用段階で自分により都合のよい条件を引き出そうと思っていたのでしょう。例えば基本的には定時で帰ること条件にしてほしいとか、できるだけ在宅勤務を認めてほしいなどというものです。また給与もオファーされた金額に若干の上乗せを要求します。制度的には例外的な処理をしなければならないことがわかっていながらです。しかもここまでに至る面接などは本人の都合でリスケジュールやキャンセル、夜遅い面接や遅刻などもあり、採用の責任者はすこし辟易していたそうです。候補者本人はこのことをワークライフバランスなどと表現し正当化しようとする感覚、発言が多かったそうです。結局人物的な観点で採用には至らなかったと聞きましたが、管理担当役員は人事をプロとしながらこのような発言行動は理解できなかったようです。  この変動する環境の中で人事を生業にする限りにおいて、スタンスや意識、行動を常に自己チェックし、常識的であることがいかに重要かを理解しなくてはならないのではないでしょうか。人を扱う専門家が自らを律することができないという状況は冗談にもならない価値観的危機を感じます。ビジネスマンとして、人事のプロとしての品格が問われているのです。 以上

自分の可視化 | その他

自分の可視化

 行動を変えるには、まず自分を知らなければならない。だから、自身の行動や性格、思考のクセ、対人関係のスタイルなどを可視化するツールを、研修でよく活用する。  360度診断では、自分の行動が周囲の人たちからどう見られているかが分かる。パーソナリティ診断では、コミュニケーションや判断、好き嫌いの特徴やビジネス行動の得意不得意を知る。言動のスタイルを4分類して、自分がどのスタイルにあたり、他のスタイルの人たちとの接し方を学んだりするのは、コミュニケーションスキル研修の常套手段だ。  スタイル分類はいろいろな流派があるけれども、理論的出自は共通なのでスタイル名称は異なるものの意味していることがあまり変わらないから、一度知ると、結構共通言語的に使える。そのトラディショナルなものを初めて体験したときは、驚愕したものだった。  先にチェックリストに答えることで、自分が知らないうちにスタイル分けがされている。同じスタイルでグルーピングされて、演習をやるのだけれども、その振る舞いやアウトプットが、自分たちのスタイルを教えられた後で振り返ると、その特性をあまりにも如実に示していたからだった。  ちなみに私のグループは、例えば営業相手の顧客タイプでいえば、「結論から言え」、「世間話はいらない」、「余計な挨拶は不要」、「長々と理由は言うな」という“単刀直入すぐに決めたい”派。その特性は知らないまま、演習をするという仕掛けで、演習のお題は、(1)自分達を一言でいうと何か (2)自分たちの好きなもの とか他愛ない事柄を話し合って決めるといったものだった。  まず、われわれのグループは、いちばん早く演習が終わっている、というのが後で知る特徴のひとつ。他のたとえば“社交派”グループは声高にうるさく熱く議論をしているし、“親密派”は無駄話ばかりして時間超過といったわかりやすさ。さらにわがグループでは、(1)自分達を一言でいえば、「唯我独尊」だったし、(2)好きなものは「ドイツ製品」という見事にスタイル特性に符合するアウトプットだったのである。  こういった自分の特性の可視化は、それを知ることで、自覚的に行動を変えることができる。360度診断の結果から、なぜ周囲はそう感じているのかを考え、行動改善を図る。資質的にチームワークが苦手ならそういう自分を意識して行動する。スタイル特性を知れば、その活かし方、留意点を踏まえ、ビジネス行動を意図する、といった具合。  たいていはこんな風に行動に生かせるのだけれども、どうやら、自己認識ができても変えられない特性もありそうだということもわかってきた。それは、「対人感受性」。これが、低い人は、なかなか行動変容は難しい。そもそも感受しないのだから、気を付けようがないということもあるけれども、それ以前にその点に気を付けようという気にならないらしい。  あるとき、コミュニケーション不全者だけを集めた研修をしたことがある。2日間、手を変え品を変え対人行動のアセスメントを行い、厳しいフィードバックをした。多くは、以降の行動改善に結びついたけれども、もっとも重篤な受講者は変わらなかった。いわば、筋金入りの確信犯として、行動を変えようとしないのだった。  対人感受性が極度に低いから、対人問題そのものがその人にとっては存在しないのである。つまり、自分にとって、大きな問題ではない。自分の可視化に意味があるのは、それが、自身の問題認識に結びつく限りにおいてだろう。とすればまず、組織として他者とともに仕事し成果を上げていくことに必要な振る舞いは何か、その基本中の基本の問題意識の喚起から始めなければ、コミュニケーション不全の根絶はできないのかもしれない。 以上

偶数段階評価 | 人事制度設計

偶数段階評価

 日本人は幼いころからの学校教育の影響か、何かを評価するときに五段階で行うことが好きなようです。この五段階とは、例えばS、A,B,C,Dや5、4、3、2、1のようなもので、長年慣れ親しんできています。この感覚が企業の人事にもそのまま持ち込まれているように感じます。  この5段階評価は、特徴的であるのはBや3などの“ふつう”という概念です。平均的、まあ合格レベル的な感覚ではないでしょうか。なぜ特徴的であるかというと、非常に難しい概念であるからです。それは“ふつう”の上下の境界線が決まらなければ“ふつう”が決まらないからです。要は“ふつう”という概念は、二つの境界線を設定しなければ成立しないのです。AとB、BとCの境界線の間が“ふつう”ということだからです。Bの概念には厳密に言えば求められている基準に対して多少上回っていることと、多少下回っていることが混在している、非常にわかりづらい構造なのです。  人事管理の評価でもこの日本的な慣行は一般的で、評価を“ふつう”を中心とした5段階にする傾向が非常に強くあります。もっと言えば慣れ親しんでいる5段階で評価することになんら疑いを持っていないのです。  企業の人材管理で非常に重要であるのは、企業が求めるレベルの人材が適正数在籍しているかということです。これを制度的に言えば、昇格が最も重要と言うことになります。昇格を判断するためには、現在の等級の基準をクリアしているかが問題であります。従ってBとか普通という概念ではなく、大学を卒業すると同じように、等級を卒業するために、昇格基準を越えているかいないかが問題なのです。従って極論すれば“越えている”“越えていない”を判断することが基本的な機能として必須になるのです。これは究極には“○”か“×”かということですが、○にも段階があるでしょうし、×も同じですからそれぞれ2つに分割したら4段階評価ということになるでしょう。  要は人材管理の非常に重要な機能の昇格の判断には今までの5段階評価は合理性が全くないということなのです。基準をクリアしているかいないかが昇格の候補者であり、それがはっきりわかる評価方法に変えなければ機能しないのです。  社員の能力の評価は、昔風の5段階ではなく、クリアしているかいないかが明示できる偶数段階評価が必要になるのです。たまに昔から親しんでいる奇数段階評価でないと社員が理解できないと言う企業もありますが、大学卒業は単位が取れるかとれないかで判断される訳であり、なにも小中高校の感覚でなければ評価しづらいというのもどうかと思います。実務的にもBや普通のある概念は難しさを倍以上にします。評価の目線が合わないと言っているのであれば、合いやすいように偶数段階評価にすれば、合わない部分はたちどころに半分以下になるでしょう。 以上

改革のパターン | その他

改革のパターン

 改革を断行できる経営者はあまり多くありません。改革自体が過去の経営を一部否定することと、社員の削減や処遇の見直しという重い仕事を実際に行わなくてはならないからです。改革を行うには経営者は相当な腹を決めなければなかなか実行できるものではありません。  改革が必要な企業で改革に対しての行動にはいくつかのパターンがあります。まず改革を行わなくてはならないことはよく理解しているが、改革をしないという“戦意喪失”的パターンです。自分が経営者の間はできれば改革はしたくないということです。環境が好転しない限り状況が悪化するケースが多いですが、自分の任期中は行わないのです。次に大胆な改革をぶちあげますが、計画を検討する中で次第にトーンダウンするパターンでしょう。“敵前逃亡”的パターンと言えるでしょう。改革の重要性や方向性はより理解しており、それを行う構えを見せるのですが、構えで終わってしまうのです。改革の検討段階で社外社内からいろいろな抵抗にあいます。この抵抗の強さや抵抗を覆すパワーを考えると、次第に妥協的改革案になり、果てはほとんど何も行わない改革となってしまうのです。このパターンに似ていますが、抜本的な改革はしないけれども、社内外の強烈な抵抗をうまく制御して、決定的な対立がなく、その組織内の許容的範囲で改革を行うパターンもあります。“予定調和”パターンと言えるでしょう。このパターンの企業の多くは、改革のあるべき姿はわかっていますが、過去の経営や現状への配慮も同じだけの比重で考える傾向にあります。非常に頭の良い先の見えるキーマンが先導して行うパターンです。確かに抜本的ではありませんが、制約の中で最大限の成果を上げようとするものです。そして改革を徹底して断行する“正面突破”パターンがあります。このパターンは環境的に改革をしなければ生きていけない企業が多いですが、将来を見据えて徹底して改革を断行するという企業もあります。正確な環境判断と今後の経営のあるべき姿から一気に改革を断行するのです。  改革を断行し成功する企業はいくつか共通することがあります。一つは強力なリーダーがいるということです。このリーダーは現状の正確な把握と将来に対するビジョンがあります。またある程度人望がなければなりません。次に方法論に固執しないということです。実行するための方法論について詳細な意見は言わずに他に任せるのです。また強力なブレーンがいるということも共通しています。そして最後にこれが最も重要ですが、改革が失敗したら自らの身を処す覚悟ができているということです。  これから日本企業の人事は今まで経験してこなかった変革期を迎えます。高齢化やグローバル競争、環境変化に対応して成長を持続しなくてはなりません。そのための人事基盤はあまりにも脆弱で非合理的です。また過去の遺物も多くあります。どこかで大きな構造転換が必要になるでしょう。改革がうまくいくためには“リーダーシップ”と“覚悟”がいかに重要であるかを再認識しなければなりません。  以上

マズローの罪 | その他

マズローの罪

 入社2年目や3年目社員の研修で決まって要請されることがある。それは、「初任配属が希望と違うかもしれないけれども、目の前の仕事を全力でやることが次のキャリアにつながる」というメッセージを伝えてほしいということだ。  現場の仕事が予想以上にしんどいとか上司と相性が悪くて評価されていないとかの状況に加え、同期の彼は希望通りの配属なのに自分は違う。やりたい仕事がやれていない、どうすれば今後、そうした「自分のやりたい仕事」つけるのか、といった想いを持つ若手社員が多いということである。    そもそも社会に出たばかりで、自分のやりたい仕事が明確であるのだろうか? 子供のころや学生時代に何かのきっかけや社会的問題意識から、明確な目指す職業ゴールを持つ人もいるだろうが、多くは、仕事経験の中で、向き不向きや自分は何を面白いと思うのかを“発見”していくのではないか。 まだほとんど仕事経験がないときの自分のやりたいことなど単なるイメージにすぎないのに、それにとらわれて迷ってしまう。ましてや、大学のキャリア教育で、自分の将来のキャリアをデザインしたりするから、自分がやるべきこと、やりたいことを言語化し、それにこだわってしまう。 自己実現の呪縛である。よく知られるマズローの欲求階層は、最上位に自己実現欲求を置く。この整理は、人はなぜ働くか、という問いの答としては明快ではあるけれども、実現するべき自己がまずあるかのような誤解もうむ。経験や関係のなかで、自己がアイデンティファイされていくという事情をともすれば見落としてしまう。  キャリアデザインでは、よく「やりたいこと」と「できること」を棚卸しし、その重なりが強みだ、と言ったりする。しかし、この二つは独立しているのではなくて、経験を経ての「できること」つまり能力の向上や広がりが、次の「やりたいこと」を生み出していくことのダイナミズムこそがキャリア発展の醍醐味である。  こうした若手社員研修では、目の前の仕事をただやるのではなくて、その意味(会社にとっての、社会にとっての、自分にとっての)を考え、全力を尽くすこと。そのことの意義を、具体的に気付かせることに腐心する。だから最初の配属がどうあれ、無能な上司であろうが、そこを成長の場にできるかどうかは本人次第と分からせる。  とはいっても、最初の配属先がその人の将来を決める、といった調査結果もある。そのときどんな上司につくかが、その後の進路を左右するようなクリティカルな経験といった面もあるかもしれない。社会に出たばかりの若者にとって、上司の影響力がきわめて大きいこともまた事実だろう。  できる管理職者だなぁと日ごろから思い、おそらく部下にとって良い上司と目されるあるメーカーの課長に、この、新入社員の自己実現呪縛の話をしたら、彼はきっぱりとこう言った。  「そんなこと簡単だよ。これが君のやりたい仕事だ、といって業務をわたせばいい」