「日本庭園と組織構造」 ―石の位置を変えると、すべてが変わる話
京都・龍安寺の石庭には、15個の石が一度にすべて見えないように配置されているという。
どこから見ても、必ず一つの石が「見えない」。
だがそれが逆に、庭に「奥行き」と「想像」を生む。そこに日本庭園の深さがある。
これは、組織構造にも似ている。
人事制度や組織設計を考えるとき、つい「完全な構造」「欠けのない制度」を目指したくなる。
でも、本当に人が活きる組織には、どこか「見えない石」がある。
すべてが説明できるわけではないが、なぜかうまく機能する。
そういう「余白」こそが、組織に深みと呼吸を与えるのではないだろうか。
人事の仕事をしていると、構造設計に対する「誤解」によく出会う。
「要員を増やしたら回るでしょ」
「とりあえずポジションをつくろう」
「課長が多すぎるから減らせばいい」
これらは部屋の間取りだけで家の快適さを決めようとするようなものだ。本当に大事なのは、
「どこに」「どんな人を」「どう配置するか」。
つまり、石庭でいえば「石をどこに置くか」である。
庭園の美しさは、石の個数ではなく、「石と石の間にある空間」で決まる。
それは組織でも同じだ。
例えば――
・優秀な部下を、上司が「活かしきれない」構造
・部門間に「壁」がある構造
・中堅社員が「漂流」する構造
これはすべて、「配置の失敗」だ。
どれも石そのものではなく、「置き方」の問題である。
逆に、全体が生き生きと動く組織は、「余白」がある。
役職に意味があり、立ち位置に物語があり、個のスキルに応じた「置かれ方」がある。
それはまるで、絶妙な間隔で置かれた庭の石のようだ。
そして、もう一つ忘れてはならないのが「視点」だ。
庭をどう見るかは、立つ場所によって変わる。
同じ配置でも、視座が変われば、石の意味も変わる。
組織でも、上層部から見た構造と、現場社員から見た構造は別物だ。
役割や階層を「機能」として配置したつもりでも、現場から見れば「障壁」になっていることもある。
だからこそ、人事の仕事には「複数の視座」が欠かせない。
私たちはしばしば「人が足りない」という声を聞く。
だが、それは「石が足りない」問題ではなく、「石をどう置くか」の問題かもしれない。
一人ひとりの社員は、石そのもの。動かせば、見える景色が変わる。
構造改革とは、「石の総入れ替え」ではない。
一つの石を3センチずらすことで、全体の見え方が変わることがある。
それが人事の「設計力」だ。
人をただ「足す」のではなく、「活かす」。
その視点を持てるかどうかで、組織の風景はまるで違うものになる。
そして何より、人をどう配置するかは、単なるオペレーションではない。
その人をどう活かしたいかという、組織の意思の現れでもある。
石は、ただ置かれているのではない。
そこには、誰かの「意思」が宿っている。
だからこそ、組織設計には、美学と哲学が必要なのだ。
人をどう置くか。それは、人をどう見ているか、の表明でもある。
コラムを読んだら投票を!
コラムをお読みいただきありがとうございます。 今後、さらに興味深いコラムの提供やセミナーテーマの参考とさせていただきますので、ご感想の選択をお願い致します。
※投票いただくと、これまでの感想をグラフで見ることができます。
このコラムの平均評価
投票いただくとこのコラムの評価が表示されます。
- 大変興味深い
- 興味深い
- ふつう
- つまらない
- 大変つまらない
このコラムの感想
- 大変興味深い
- 興味深い
- ふつう
- つまらない
- 大変つまらない
