「その他 」の記事一覧(8 ページ目)|コラム|株式会社トランストラクチャ

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「空気」の功罪 | その他

「空気」の功罪

 自分にとって当たり前のことが、実はまったく当たり前ではないということがある。  「何であなたがた日本人は、君が代を、前奏なしで斉唱できるのですか。」  私がまだ学生だった頃、同じゼミにいたアジア系の留学生からそのような質問を受けたとき、私は全くもって答えることができなかった。それまで私は特に疑問に思うこともなく、無意識に、前奏なしの国歌斉唱を何十年も実践し続けてきていたのである。  元旦になれば、示し合わせたわけでもないのに、ぞろぞろと地元の氏神様の神社に向かって人が集まりはじめ、太い長蛇の列ができる。これはいったい何なんだろうか。初めてこの光景を目にした外国人の方は驚き、何か底知れぬ恐怖のようなものを覚えるらしい。  これらは、暗黙のルールや習慣というべきものだろうか。ご存知の方もいるかもしれないが、文化人類学者E.T.ホール氏が言った「ハイコンテクスト文化」というべき状態が形作られているわけである。やや閉鎖的な集団の中で、長年をかけて、一種独特な「空気」のようなものが出来上がる。このような「空気」は、集団とメンバーにとってつねにあるのが当たり前で、ふだん意識もされないが、圧倒的に重要で必要不可欠なものだ。まさに「空気」のようなものだ。  集団やそのメンバーを突き動かす真の主体とは、実は集団や個々人そのものではなく、むしろそれらを包み込み、促す、この「空気」なのではなかろうか。このような「空気」に従った行動は、ときには凄まじいエネルギーに転化する。まるでモンスーンのように。  例えば、日本三大奇祭の一つ「諏訪の御柱祭り」では、山中から神社の御柱用に樅の大木を切り出し何㎞も引きずって諏訪神社に奉納するが、一人の人間がどれだけ頑張っても、大木は動かない。当たり前だが、関わっている人間が一斉に息を合わせ、力を合わせなければ、大木は動かない。では大勢の曳き手が、どのようにして一斉に力を発揮して、大木を動かすことができるのだろうか。ある曳き手は、次のような実に不思議な言葉を残している。  「御柱が動いたときに、動かせば、動く。」  字面を見たら全く以て非論理的な言い方である。しかし理解できる方にはできるだろう。周囲の力の入れ方、息遣い、微妙な動きなどを総合的に勘案して、各自が力を込めるタイミングを見計らい、一気に力を込める。まさに「空気」を読んで動き・動かすのである。  いま祭りの例を挙げたが、会社組織も似たようなものだろう。多くの場合、会社の「空気」は、日常に紛れ、「読み合い」の中に息を潜めている。しかし僅かな微風も、或る時、一気に合流すればモンスーンにもなりえるだろう。これが変革や成果に結びつくなら、「空気」とはむしろ望ましいものだろう。しかし多くの大祭がそうであるように、ときには個々のメンバーの痛ましい犠牲を生み出しもする。組織そのものを自壊に導くこともあるだろう。  自分にとって、われわれにとって、当たり前のことは、本当に当たり前のことなのだろうか。自問自答することは、単に「空気」に流されないために、われわれが心得ておかなければならないことだ。

ツケを払わないリーダー | その他

ツケを払わないリーダー

 「ほんとに情けなくて」と、知人がなげいて話したのはこんなことだった。  上司が部下の若者を、蕎麦でも食っていかないか、と誘った。その上司にしては滅多にないことなので、たまにはご馳走になろうかな、とついていった。すると連れていかれたのは駅前の立ち食いソバ屋。券売機で自分の分だけ買うと、並んで食べ、数分で別れた。「ホント、あれが上司って信じらないっすよ、ケチもいい加減にしろって感じっすよ」とその若者から翌日憤懣をぶちまけられたのだという。  ここまでのことはなかなかないが、上司が部下におごるという「常識」はもはや通用しないのかもしれない。終業後の付き合い自体が部下にうっとうしがられ、上司としてもさほど高くない管理職報酬から自腹をきってまでおごるのも業腹だ。なにより、ワークライフバランスとは仕事と仕事以外の切り分けであり、仕事以外で部下に対してそんな支出をする必要性はない。しかし一方で、これはリーダーシップの劣化かもしれないのではないか。  昔、一緒に食事をしたりたまに呑んだりするときに、必ずおごってくれる上司がいた。さすがに恐縮して、あるとき固辞し、たまには払わせてくれと頼んだのだが、彼は「これでいいんだから、素直におごられていろ。昔のツケの支払いなのだから」と言った。  彼も若かったころ上司におごられていて、その上司からは、「私がおごった分は、私に返さずに君に部下ができたときに彼らにおごることで返せばいい。そういうことになっているんだ、組織ってものは」と諭されたというのだ。だから、ツケの支払い。昇格し部下を持った時に、そのように借りを返しているということなのだ。これも一種の、リーダーシップカスケード(=リーダーの連鎖的育成)だろう。  冒頭の立ち食いソバの上司もきっと若いころには、上司におごられただろうに、管理職になってから自分は一切しない。なぜか。それはきっと、人を束ねて仕事をしているという自覚が希薄なのではないか。職務分掌に書かれた役割を果たすだけであって、人を動かす立場であることの自覚も覚悟も薄いのではないか。  まぁ、おごる上司が必ず人間力があるというわけでもないし、今日的にはむしろ倹約家でコンプラ的にも褒められるふるまいなのかもしれない。ただ、綿々と続くリーダーシップの連鎖が途切れることは残念に思う。  「その上司も上司だけど、その若い部下も実に情けない」と冒頭の話をした知人は続けた。だって、「たった330円なんですよ! それをおごってくれないなんて!」と気色ばって憤懣をぶちまけてるけど、それをいうなら、そんな金額でそこまで怒るのあまりにみみっちいから、と。

試合前、休む勇気 | その他

試合前、休む勇気

 近所に、往年の世界チャンピオンが経営するボクシングジムがある。興行ポスターが所狭しと貼り付けられた階段を下り、ガラスドアを開けて中に入ると、思いのほか明るい照明の下に公式サイズのリングが備えてある。傍らのサンドバッグの行列を通り抜けると、所属プロボクサーの写真や数々の賞状に交じって、一枚の模造紙が貼ってあるのに気づく。そこには、あまり上手とはいえない大きな文字で、「試合前、休む勇気」と書いてある。 プロボクサーは、試合が近づくと、体重を規定の数値まで落とさなければならない。厳しい練習と共に過酷な減量に挑む。ただでもつらい期間なのに、試合が近づくにつれて恐怖がつのる。相手はオレより強いかも知れない。連続パンチを浴びて、ノックアウトされるかも知れない。歯が折れたり、網膜が剥がれたりするかも知れない。何よりも、みじめな負け方をしたら、潮が引くようにファンが遠ざかってしまうかもしれない。 こんな恐怖を払しょくするために、試合直前に必要以上の量の練習をしてしまうボクサーは多いのだそうだ。ぎりぎりまでの減量に猛練習を重ね合せると、必要最低限の体力まで落としてしまう。こうなると、試合当日にはフラフラになって、思うように技を使えないまま相手に試合をコントロールされてしまう。だから、試合前には休まなければならない。怖いけれども、しっかり休む。休むことが試合当日のパフォーマンスを引き出す。 プロのスポーツ選手とは比べられないけれど、私たちの仕事も、多かれ少なかれ結果で判断される時代が来た。期首の目標設定では可能な限り定量的な目標を掲げ、その達成度で成果を測定する。いくら時間を使おうと、夜遅くまで悩み続けようと、良い結果を残さなければ評価されない。 だからと言って、休みなく仕事さえすれば結果が出るというものでもない。15分間必死で考えて出てこないアイデアは、2時間かけても出てこないだろう。時間をかければかけるほど、核心のアイデアに余計な飾りがついて、かえって解り難いものになってしまうかも知れない。結果に執着する人ほど、時間をかけずにはいられないのだろうが、成果が出ないことへの不安を払しょくするための時間ならば、効果は逆に出てしまうだろう。 実際、オフィスワーカーの休憩時間と生産性に大きな繋がりがあることについては、数々の研究がそれを証明している。米国にJames A. Levineという医学の教授がいて、この人によれば、ヒトの身体はもともと動き回るようにできているから、長時間じっとして考えたり机上の作業をしたりすることは、自然の摂理に逆らうことになるそうだ。デスクワークを適度に中断してまったく別のことをするのが、生産性に繋がるらしい。この研究者の言葉を借りれば、15分に1回は休息をとって身体を動かさなければ、集中は続かないという。たった15分だ。 そして、休息を犠牲にし続けた末には、心身の健康を害するという結果が待っている。酷い場合には長期間仕事を休んだり、積み重ねた経験を諦めてまったく別の職種に転職したりしなければならないことさえある。これでは明日の結果を出すどころか、ビジネスマンとしてのキャリア全体を損なうことになりかねない。 忙しい時こそ、少し立ち止まって考えよう。無理をしていないか、無駄な時間を使っていないか。仕事の計画を立て、限られた時間に集中して仕事をし、アウトプットを出しているか。やるべき時と休むべき時をきちんと判断し、自分なりのルーティンを作っているか。ちゃんと休むことがパフォーマンスに繋がるはずだ。「勇気をもってしっかり休もう。」元世界チャンピオンのこのアドバイスは、心に刻んでおくべき至言だ。

モルトケの法則 | その他

モルトケの法則

先日、知り合いの経営者と新規事業を立ち上げる時に、その組織をどう構築するのが良いか、という興味深い話になりました。その経営者は、まず新規事業担当者を自ら任命し、任命された担当者に部下を社内から選ばせるのですが、その際に必ずモルトケの法則を紹介して考えさせるとのことでした。 このモルトケは旧ドイツ帝国の英雄であり、鉄血宰相ビスマルクの下で参謀総長を勤め上げ、隣国のフランス、オーストリア、デンマークとの戦いにことごとく勝利を収め、ヨーロッパ諸国から恐れられた人物です。 そして、モルトケは部下登用の考え方についての法則を示した事で有名です。その法則とは、組織のトップとしてどのような部下を任命すべきかについての法則です。部下の「能力」と「意欲」という要素とその高低で、4つの分類をしてその優先順位により登用すべきと唱えたのです。 【1位】能力は高い、意欲の低い部下 →命令に従順であり、確実に業務を遂行する。 【2位】能力は低い、意欲の低い部下 →業務上扱いやすい。 【3位】能力は高い、意欲の高い部下 →上司と対立する可能性があり扱いにくい。 【4位】能力は低い、意欲の高い部下 →意欲だけが空回りしてしまう可能性あり。 この法則によると、社員の意欲は低い方が良いのかと見えます。普通の考え方では3位の、能力も意欲も高い人が1位ではないのかと思いますが、モルトケは上記の理由により、1番目のタイプの部下がもっとも組織に必要であるとしました。結果、モルトケはこの法則によってドイツ軍を組織し数々の勝利を勝ち取ったのです。   会社内でも良くある話しですが、最下位の【4位】能力は低いが意欲は高い部下とは、つまり、やる気だけが取り柄な人です。 一般的に、意欲やバイタリティ溢れる人は、高く評価されがちです。でも、こういうタイプがなぜダメかと言うと、意欲の高さが能力の低さをカムフラージュしてしまうからです。 しかも、周囲の人も、その人を頑張っていると評価をしてしまい、実力とは関係なしに何となく評価されがちなのです。 仕事ができない人でも努力をしていると評価したい気持ちに陥りがちです。だって「彼は頑張っているから」です。しかし、本来の成果をキチンと見極めずに、頑張っているからというだけで、評価し登用してしまう事に問題があるのです。 やる気があることは決して悪いものではないと思いますが、やる気と仕事に対する能力に相関はありません。 組織のトップがやる気やバイタリティに騙され、間違った登用をすれば組織は衰退してしまうということです。 現代は、モルトケの時代より組織・人事の状況や、人材のスキルの保有度、能力、行動の傾向、パーソナリティ、価値観やリーダーシップを把握できるツールが揃っています。 このツールを駆使して、また人事データや社員に対する意識調査の結果により、組織・人材の状況についての客観的な把握と多様な切り口による分析をすることによって、合理的な施策展開をしていくこと必要と考えます。 なぜなら、企業の経営計画の達成と成長は、経営に必要とされるスキルを保有する人材が必要なだけ配置され、かつ継続的に生み出す仕組みであること、そして人材が期待される行動や意識をもって活躍・成長し続けることによって実現できるからです。                                                    以上

恥ずかしいを乗り越えさせる | その他

恥ずかしいを乗り越えさせる

 ”聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥”、 “恥の上塗り”など、日本には恥に関する故事ことわざが多くある。よく日本人はシャイな人が多い、とか日本は恥の文化だ、などといわれているが、”恥ずかしい”は日本人だけのものではない。西洋でも“Better to ask the way than to go astray. “(道に迷うより、道を聞いた方が良い)ということわざがあることからわかるように、万国共通、人に聞くのは多かれ少なかれ恥ずかしいことなのだ。  人に聞くという行為を恥ずかしいと思うのは、聞いた相手に「なんだ、こんなことも知らないのか」と思われてしまうのではないか?という気持ちが働いていると考えられる。自分の欠点や誤りを自覚して体裁が悪く感じるのである。だが、聞かれた人のほとんどはそんなことは思っていない、多くの場合、自分の思い込みに過ぎないのである。  人に意見を“述べる”ときも同様だ。集合研修などで、講師が受講者に発表してもらおうと挙手を求めることがある。ときには何人かパラパラと手が上がることはあるだろうが、大抵は、一斉に視線を手元のテキストに落とし、講師と目線を合わせないようにして、モジモジし始めたりするものである。せっかくの研修の場である、自分の考えを述べ、皆からフィードバックをもらった方が絶対にためになるのは誰でもわかっている。学ぶために研修に参加しているにも関わらず、恥ずかしいと思う気持ちが強いと、行動が制限されてしまうのである。  この”恥ずかしい”を乗り越えさせるには、”恥ずかしい”のハードルを下げるしかない。学生の時に部活で大勢の人の集まる場で、大声で自己紹介をさせられたり、一発芸や歌を歌わせられたりしたものだが、これはもう強烈に恥ずかしい体験だった。なぜ、こんなことをやらなければならないのか全く理解できなかったが、繰り返しやっているうちに、だんだんと恥ずかしいと思う気持ちが弱くなっていくのを感じたものだ。このようなやり方をどう捉えるかはいろいろな意見があるだろうが、確実に言えるのは、”恥ずかしい”というのは慣れればどうということはない、ということだ。  大勢の前で自分の意見を述べたり、プレゼンテーションしたりするのを恥ずかしい、と思う気持ちは多かれ少なかれ誰にでもある。そこで手を上げられるかどうかで、その後の成長には大きな差が生まれるのであれば、そういう時こそ手を挙げられる人物になって欲しい。そのためには、常日頃から、そういった機会を与え続けることが重要だ。最初は、しどろもどろになったり、どもってしまったりすることもあるだろうが。その経験こそが恥ずかしさを乗り越える力となるのだ。最近の若手社員はシャイだ、とか積極性が足りない、とか嘆くのは自分がそういった機会を与えることができていないのだ、ということを認識すべきである。

怪我の功名? | その他

怪我の功名?

昨年末にちょっとした怪我をして、しばらく自宅から外出できなかった。年に1,2度、風邪を引いて休むことはあるが、今までの職業人生で、1週間以上連続してオフィスに出なかった記憶はなく、おそらくは、今回が、未出社の最長期間という事になる。傷口を縫合した後数日は、流石に終日、ひたすら寝ていたが、怪我の場合、病気と異なり、体力自体は割と早く回復して来るようで、日を追うごとに、布団の中でじっとしていることは難しくなって来る。かといって、傷口がしっかり閉じていないうちに、外出すれば事態を悪化させることになると医者から言われ、年内の予定は、基本的にキャンセルせざるを得なかった。 そこで昨年最後の10日間は、在宅で、怪我の治癒を進めつつも、体力の回復に合わせて、徐々に、自宅で仕事を再開し、メールや電話を使っての社内のメンバーとやり取りや、いくつかのミーティングにもリモートで参加した。今まで当社でも部分的に在宅勤務は認めて来たし、ウェブ会議システムを使ったリモートミーティングも行っているので、今回が、初めてのリモートワークの機会という訳ではないが、約10日間もの間、継続して、職場のメンバーとはまったく顔を合わさぬまま、仕事をしたのは初めてであり、結果として疑似的ではあるが、リモートワークをそれなりに実体験する機会となった。 この経験を通じて感じる事ができたのは、「これは行けそうだ」、というリモートワークに対する確かな手ごたえだ。すでに、世の中にはリモートワーカーだけで構成されている企業もあるようで、そうした先進的企業からすれば、「何をいまさら・・」と思われるかも知れないが、私が関与しているクライアントの中で、リモートワークを本格的に実践している企業はごく限られているし、TV会議やウェブ会議でさえも、そもそもそうした設備がなかったり、あったとしても積極的に開催されていない企業も少なくないのが実態である。 多くの企業が、リモートワークの有効性や必要性を認識しつつも、必ずしも積極的な実施に至っていない背景には、セキュリティ上の不安やオフィス外で働く社員のマネジメントの難しさ等があると言われているが、既にテクノロジーの進歩がセキュリティ上の問題の多くを解決しつつあるし、実際、部下がオフィスに居さえすれば、マネジメントできるという話でもないのだから、それらは、本質的なリモートワーク浸透の障害とは言えない。むしろ、リモートワークが浸透しない本当の理由は、「仕事はオフィスに集まって、顔を突き合わせてやらないとうまくいかないものだ」という固定観念に縛られている事なのではないかと 思っている。 また、「慣れ」の問題もあるだろう。10日間、疑似的なリモートワークを続けることによって、正直、最初はリアルに会ってコミュニケーションしたほうが早くて確実と思っていた部分もあったが、継続的にリモートでコミュニケーションしているうちに、徐々に慣れて来るもので、業務の品質や生産性に深刻な問題があるとは、振り返って、感じる事はなかった。 働き方改革が進行する中、就業時間を短縮しつつ、アウトプットは維持・増大、という難しい課題に我々は直面しているが、やはり、その有効な解の一つに、リモートワークは数えられるのではないか。一日24時間の中で、オフィスと自宅を往復する通勤時間が不要になる分だけでも相当なメリットがあるはずだ。一気に切り替えるのではなく、週1~2回から始めることも可能だろう。世界経済も今年は厳しくなるという見通しの中、いずれにせよ、我々は、自らの脳の中を検証し、固定観念を見つけては壊し、一つ一つ新しい働き方を実践していかねばならないのだ。

目標と投下 | その他

目標と投下

 多くの企業で目標管理について基本的な間違えがあると感じる。それは“目標”と“投下”という点である。  社員個人の目標は、各人のミッションに合わせていくつかの目標を設定することになる。例えば“個人の売上目標5億円”と同時に“部内の営業成績管理の精度を向上する”“部下の育成強化(部下の目標達成を100以上)”などのように複数の目標を設定することが多い。3つの目標すべてが100%の達成であれば、合計100の評価になるように、目標に“ウエイト”を設定するのが一般的である。上記の例であれば最初の目標が最も重要であるから60、2番目と3番目はそれぞれ20とし、合計を100とするのだ。  非管理職社員はこの目標達成のために、時間という資源を投下する。全く超過勤務がないことを想定した月150時間投下を前提とした目標と月30時間の超過勤務をする場合(月180時間)の場合では目標は異なるはずである。投下量が150と180では20%も異なるが、目標が同じであるのはおかしいからだ。合理的に考えれば前者はウエイトの合計が100に対して後者は120でなければならない。多くの企業では目標管理の考え方の中に投下量と目標の関係が不明確になっている。  さらに目標管理と超過勤務管理が全く連動していないことも重要な点である。超過勤務0を前提とした目標である社員が超過勤務なしで100%達成した場合と、0を前提としつつも毎月20時間の超過勤務をして目標100%達成した場合で評価が同じであるのは問題だ。目標業績が同じでも、超過勤務をした社員のほうが、収入が多いことになる。もっと言えば時間生産性が低い社員のほうが、収入が多いことにある。  加えて次のような問題も発生する。仮に月給30万円の社員(賞与4か月とした場合年収480万円)の場合、20時間の超過勤務をした社員は毎月の約5万円の超過勤務手当、年収で約60万円多く受け取ることになる。この社員はもともと超過勤務0ベース、目標を100%達成したとする。同じ目標で超過勤務を0ベースで、目標を120%達成した好業績の社員を想定しよう。この社員は評価がよいので賞与が多くなるだろう。一回の賞与は標準で60万円である。評価がよいので、70万円から80万円くらいは分配されるだろう。好業績の見返りとして年間20万~40万円のプラスとなる。  しかし前者の社員の超過勤務手当の増加分に届かない。結果としては超過金勤務をして通常の業績の社員と超勤務0で好業績社員の年収が逆転してしまう。目標管理における超過勤務業績による分配が過小な企業が多いため、思ったような“メリハリ”がつかないのである。  近年生産性向上の議論が多くの企業で課題となっている。そのため目標と投下についての議論も顕著に多くなってきた。より生産性を上げるためには、目標管理を改造して、目標と投下、目標管理と超過勤務管理の見直しが必要だということだ。 以上

低すぎる価値 | その他

低すぎる価値

 企業の人事制度の設計をしていると、しばしば“管理職の価値”が低すぎると感じることがある。本部長、部長、課長などの管理職社員は、企業の方針や計画達成の欠かすことのできない重要な人材である。自分に与えられた人やお金などの資源を有効に活用して、競合会社と戦い、社内の各部署と調整し、方針目標を達成するというとてつもなく難しい仕事だ。特に最近は経営環境の変化が激しい。そうなると管理職の仕事はさらに難しさを増す。環境が変化すると、組織の価値、業務モデル、人の配置、指導方法など常に見直しが必要だ。マネジメントは同じことの繰り返しではなく変化を要求されることになる。近年の管理職の仕事は非常に難易度が高いのだ。  また管理職は組織の中では孤独である。目標達成のために部下をコントロールしなくてはならない。経営目標の重要な一端を担っているため、経営的な視点、スタンスで仕事に臨まなくてはならない。部下を指揮命令する“使う側”である。部下も会社の方針や目標をよく理解して、積極的に協業してくれるのであれば苦労はないが、日々様々な場面で“使う側”と“使われる側”とのギャップに悩まされ、そして自分の組織の中では決してその苦労を共有できない。  さらに管理職はリスキーである。方針目標達成を重視すればするほど、部下に対して厳しさを要求することになる。思うように成果の出ない部下に対して、命令、指導することになるが、少しでも行き過ぎと部下が感じたら、アウトになってしまう。法律、ハラスメントなどの十分な知識と、極めて強い自制心がなければ、身分を失うことになる。  一般の社員に比較してこれだけ難しく、孤独で、リスキーな仕事をしているのが管理職である。多くの企業では部長、課長などの役職に就くと“管理職手当”を支給する。これは管理職としての職掌の重さに報いるためである。部長で5万~10万くらい、課長で3万~5万くらいが一般的である。安すぎではないだろうか。一般の社員の倍とは言わないが、もっと大きな差があってよい。現在大手企業の課長の年収が800万円だとしたら。価値的には1200~1500万円くらいでよいかもしれない。日本の企業の人事制度の中で、管理職はひどく安く値付けされているが、今後は管理職の給与を重点的に大幅に増加させる必要があると感じるのだ。 以上

2:6:2の法則 | その他

2:6:2の法則

人事評価では、「2:6:2の法則」によりハイパフォーマーやローパフォーマーを識別する法則があります。 社員を評価する場合、20%を「優秀な人(ハイパフォーマーHP)、60%を「普通の人(アベレージパフォーマ-AP)、20%を「目標の成果を出せない人(ローパフォーマーLP)」というセグメントのことです。 この中のLPとは、組織において業績の芳しくない人材、能力やスキルが不足している社員を『パフォーマンスの低い人』という意味でLPと呼びます。能力を最大限発揮して組織に大きく貢献するHPの対義語にあたる存在で、業績の悪化や伸び悩み、他の社員への悪影響などを生む原因となり、ぶら下がり社員などとも言われます。 組織にLPがいる場合、切り捨てるべきだという乱暴な意見もありますが、果たしてそうでしょうか。 「LPの20%を退職に追いやることで、残り80%の社員のモチベーションが低下する」 ということがあります。 それは、上位20%のHP社員も、中位60%のAP社員も、常に「下位に落ちるリスク」があり、「下位20%になったら、退職しないといけないかもしれない」となると、組織のために働く意欲は低下するだろうし、転職を検討するなど人材流出のリスクも出てきます。 個人的な理由や市場環境の悪化などで、思うように成果が挙がらないことは誰にでも起こりうることですが、「会社はこういう状況でも、長期的なスパンで育成を考えてくれている」とあらかじめ確約されていれば、組織のために働くモチベーションは高まるはず。 パフォーマンスが上がらないからと退職を勧告されれば、社員たちは、「会社はいざというときに社員を簡単に切ってしまう。自分も会社に尽くす必要はない。」だったら「仕事はそこそこにして、自分の趣味や余暇に時間を使ったほうがいい」という思考が働くようになるでしょう。 また仮に、上位2割の優秀なHPがいなくなった場合、残り8割に優劣の差が生じて再び2:6:2の割合にセグメントされると言われています。LPの2割がいなくなることで、組織の生産性は向上するというイメージをお持ちの方もいると思いますが、結局は再びLPが生まれ、生産性が低い下位ができるのです。組織化された会社ではよく見られる傾向です。 また、「HP2割」「AP6割」「LP2割」で構成されていた営業部を、「HPだけのチーム」「APだけのチーム」「LPだけのチーム」に再編成したところ、APとLPのチームから、HPチームをしのぐトップセールスを記録するメンバーが複数誕生したという例も聞きます。LPの成績も、時期や役割によって変わる可能性が大きいことを示しています。 チームを編成する場合、多くの部署が存在する組織などは、各部署の「AP」のみを選抜してプロジェクトを任せたり、各部署の「LP」のみで会議を実施するなどで、それぞれのセグメントで力を向上させる施策から実行に移すのも有効です。 人材育成においては、AP層はもちろんのこと、モチベーションが低下しているかも知れないLP層に、より高い関心を持ち、彼らが業績に貢献できる仕組みを整えることを意識しておくことが必要です。 それには、組織全体の人材の構成を、まずはきちんと分析し、適宜、組織に最適な人材育成に乗り出すことが重要なのです。 社員がLPになる原因はさまざまでしょう。「採用時に見誤った」で済ますのではなく、またパフォーマンスが低いというだけで、その存在や役割をマイナスにとらえるのではなく、社員一人一人と向き合い、それぞれの原因を探ることが大切です。 個人の能力の差だけでなく、仕事への姿勢や意欲、周囲との関係からなぜLPに留まっているかを本人と上司や人事部で認識しなくてはなりません。 そして、AP社員のレベルまで引き上げる研修・教育などを実施すべきであり、またHPが有するスキルや行動特性を意識させれば、組織全体の強化につなげていくことができます。 LPの能力や意欲を向上させることは、会社の利益につながることを忘れてはいけないのです。 以上

居残り勉強は非か? | その他

居残り勉強は非か?

 「若いころは、寝る間も惜しんで、仕事に打ち込んだ」「自宅には本や資料がないから、会社で居残り勉強の毎日だった」というのは、わりと良く聞く話だ。きちんと統計を取ったわけではないが、感覚的に40代以上の世代にそういう人が多いように感じる。 かつてはそのような勉強の仕方が奨励されていたり、そうしなければ1人前になれない、というような空気が確かにあった。  私自身も社会人になったばかりのころを振り返ってみると、会社のリソースを拝借してずいぶんと勉強させてもらったものだ。当時はOA化の掛け声のもとにPCが職場に導入されるようになってきたころで、入社したばかりの私の机の上には、これまで触ったこともないPCが置かれていた。実際の業務で使うのはワープロソフトぐらいであったが、これをうまく使えば面倒な仕事も楽々こなせるのではないか、と毎晩、会社に残って情報処理の学習をしつつ、業務での活用方法にとどまらず、どんな可能性があるのか、それこそ寝食を忘れて没頭していた時期があった。  だが、時代は変わり、今では自身の学習のためでも会社に残っていると、「業務もないのにダラダラ残っている」だとか、「会社のリソースを私物化している」とかで、服務規律、コンプライアンス違反に問われたりする。居残り勉強は是か非か?と問われれば、現在では間違いなく“非”なのだ。  さらに、現在のように、ビジネスの変化が激しい状況では、時間をかけて習得した知識・スキルが一瞬で陳腐化するリスクを考慮しなければならない。そして、今やっていることが活かせるシーンが今後も続くのか、ということを認識しておかなければならない。今まで以上に自身が学習すべきテーマを絞り込み、限られた時間の中で効率的に学習するというスキルが重要になるだろう。 自身を振り返ってみて、良いイメージのある経験が、やれルール違反だ、非効率だ、などといわれてしまうのには少々隔世の感があるが、今や会社に残って寝食を忘れてひとつのことに打ち込む、というような学び方は、要領の悪いダメ社員のレッテルを貼られてしまうのかもしれない。

2035年 | その他

2035年

 64歳の部長が部下の若手社員にWeb会議で話をしている。営業部の業績の説明と、この若手社員の担当するクライアントへの新たな指示をするためである。ちなみに若手と言っても52歳である。営業1部は全員で25名。定年再雇用社員は10名、正社員は15名である。正社員の年齢構成は60歳以上65歳未満が8名、50歳台が4名、40歳台が2名、30代はわずか1名で20代はいない。部長は若手社員に一通りの話をした後にこう続けた。”君はまだ若手の社員だが、あと10年くらいすると管理職になる可能性もある。そろそろ実務だけではなく、マネジメントも意識して業務に取り組んでくれ“  今から十数年後の2035年には、職場は上記のような状況になっているだろう。日本の大手企業の多くは、国内市場の縮小と少子高齢化、超流動的な労働市場により、驚くほどの高齢化が予測される。70歳ないしは75歳までの雇用義務化は避けられないだろう。75歳まで雇用しなければならないとすると、人事管理の考え方を一変させるくらいの激震だ。標準的なライフプランを想定した“年齢”を軸とする人事管理から、年齢に関係のない“実力”軸の管理へと急速に舵を切ることになる。また過去20年間新卒を中心とした若手社員の採用抑制の影響が圧倒的に大きくなる。会社のノウハウや文化を継承する中堅社員がいないということだ。  これに拍車をかけるのは労働市場であろう。より流動的になる労働市場により、他の会社より魅力に劣る企業からは驚くほど人材が流出する。20、30歳台の社員がほとんど離職する会社も出てくるだろう。また日本国内市場を基盤としている企業は、業績の低下に苦しみ続ける。ビジネスボリュームの低下と反比例して、生き残りをかけた熾烈な競争が激化し単価が下落する。社員の処遇をより良くすることが困難となる。今後企業を取り巻く環境は、平成の延長線上の環境ではなくなるのである。  少子高齢化、歪な人員構成、長期の継続的な業績低下が予測される中で、個別の企業が力強く成長するためには、サービス、商品、技術、ビジネスモデルの革新はもちろんであるが、人事管理も重要なキーとなる。環境が連続的変化でないと予測されている以上、人事管理も過去の延長線上の発想では機能しない。しかし近年の多くの企業の人事管理の改革は、受け身的な印象が強い。現在発生している問題への対処というスタンスであり、間違いなく起こる大きな変化を先取りしたものと言えない。  法律や常識という観点では、人事管理は過去を継承しなければならない。しかし今後の変化は過去の継承を重視するスタンスでは対応できるものではなさそうだ。今までの変化と全く異なる次元の変化が急速に到来しつつあることを改めて認識する必要があるのではないだろうか。 以上

自己流の迫力 | その他

自己流の迫力

 独自の工夫でなんともユニークな人事施策を講じる会社に出会うことがある。  T工業は、外部講師を招いての小難しい研修はやらないのだと言う。各部門が、他部門の人々に知っておいて欲しい事項を4択のクイズにして、イントラのアンケート機能を使って皆に配る。これを受けた社員たちは期限までにこれに答える。翌週には出題者から正解が送られてくる。選択肢のうちひとつは冗談のようなのが入っているから、皆、面白がってこれに答えている。多くの人が間違える問題は、会社として弱みだ。だから、こういうのがあると、会議の後などに20分ほど時間を割いて、出題部門の部門長が小さな研修を行う。さて、そうこうするうちに、多忙を言い訳にクイズに答えない者が出てくる。すると、今度は課対抗クイズ大会だ。1年間に出された問題の中から選りすぐったものを用いて、早押しクイズの代表戦。優勝の課には金一封が出るから、誰かが勉強をさぼっていると非難集中だ。  S産業では、管理職が必ず1年でクビになる。正しく表わすならば、すべての管理職ポストは1年任期なのだ。役員会は新年度の2か月ほど前には次の方針・計画と組織を定め、最適な人員配置を考えて、内示する。今年の管理職のすべてが再任されるとは限らない。あくまで来年度の計画に最適な人が配置されるのだ。再任されず、他部門の管理職にも起用されなければ、ばっさり、実務層に格下げだ。だから、管理職の緊張感は並々のものではない。そんなことだと職場はよほどギスギスした雰囲気だろうと想像するが、そうでもない。実務層に退いても、次のチャンスがあるからだ。自分ならこんなチャネルを開拓する、自分ならこんな物流システムを作る、といった「提案」をする仕組みもある。能動的に経営計画に関与し、可能ならば自分が働くポストを自分で作る訳だ。  R商事の新卒新入社員研修は手が込んでいる。2週間缶詰の導入研修だ。会議室に模擬の営業所をしつらえ、模擬の受注端末を置く。隣の会議室から、顧客を装う営業社員が注文の電話をかけてくる。第一段階の演習では、優しくて紳士的なお客さんから電話がかかる。だから、予め読んだマニュアルどおりしっかりと対応できる。第二段階のお客さんは少し厳しい口調に変わる。構えを正して事に当たらねばならない。これが最終の第七段階ともなると、怒鳴りちらすようなお客さんで、言っていることもよく解らない(もちろん、営業社員の演技)。だが、どの新入社員も、これに怖じることなく、冷静に対応する。段階的に厳しくなるので、受け答えが確実に上手になるのだ。こうして、初任配属の新入社員でも自信をもって対応することができる。実務に配置されてからびっくりして退職するような者はひとりもいない。  こうしたユニークな方策を考え出す会社は、業種も規模も異なり、抱える問題もさまざまだ。だが、これらの会社が共通して持っているものがあると感じる。社員が、自分たちの言葉で問題を捉え、自分たちの工夫で解決策を練ろうとする姿勢と努力だ。こうして編み出される施策は、地味だけれど結構ヘビーデューティーで、時として迫力がある。抜けていること、漏れていることもいろいろあるだろう。思わぬリスクを抱えてしまうことだってある。しかしそれでも、問題を自らのこととして捉え、自ら解決しようとする姿勢は立派だ。そして、彼らは、滅多に尋ねない。「よその会社はどうしているのですか?」と。