「その他 」の記事一覧(17 ページ目)|コラム|株式会社トランストラクチャ

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「管理」という誤訳 | その他

「管理」という誤訳

 Managementを「管理」と訳すからいけないのである。  マネジメントは「経営」であって、管理ではない。だから、マネジャーは管理職ではなく、経営職である。そのことは、多くの人が分かっているけれども、言葉のもつ力は強い。「管理」というラベルがついているために、ついつい、課長という管理職者は課の経営ではなく、まず管理をしてしまう。役所のような手続きに気を配り、木を見て森を見ないようなマネジメントをしてしまったりする。  だから、管理職階層の名称を経営職層としている会社は正しい。正しいラベルをつけておけば、ときに人事部の方々から管理職研修で要請される「管理職は、非管理職のプレーヤーとはちがい、経営サイドの一員であることを分からせてほしい」といったこともなくなるだろう。名は体を表すのだから、その名称は極めて重要である。  誤訳の最たるものが、「目標管理」ではないか。目標管理がドラッカーの言ったMBO(Management by objectives)の翻訳だとしたら、この誤訳の弊害は甚大である。まず、目標管理という言葉は、「目標を管理する」と読める。部下たちの目標を管理することを目的化してしまい、目標の設定と達成度の把握だけに注力してしまったりする。  原語を知っていれば、逐語的に訳して、「目標による管理」と理解する。これは幾分ましではあるけれども、まだ組織目標を分解して達成を図るという組織のオペレーションや個々人の業務管理のニュアンスに留まる。「目標による経営」と言ってはじめて、マネジャーが部門経営の意思と責任をもって、組織成果と人材活用の最大化をめざし、人々の目標という“ツール”を工夫凝らして駆使することになる。  もちろん、ラベルはどうあれ、そうした含意を理解していればいいだけのことだから、マネジャー昇格時にきっちり教えておけばいい。ただ、繰り返しリマインドしないと、管理という言葉のパワー(言霊?)に侵されかねないから、評価者研修や管理職研修では、目標管理(MBO)の意味を必ず強調し再確認することをお勧めする。  ついでにいえば、そもそもドラッカーは「Management by objectives and self-control」と言った。目標を設定し、自律的な業務遂行を促すということである。いちいち指示しなくても、部下が自分でやるべきことをやっていく、そういうマネジメントのことである。つまりそれにより、マネジャーが楽にならなければならない。  ともすれば、管理的な観点で正しい目標設定に腐心するあまり、目標管理制度の運用で多大な時間と労力がかかったりする。それでも、それにより部下が自律的主体的に動いてくれればいいわけだから、そうした目標たりえているかが一番問うべきポイントだろう。あるいは、決め事やルールに縛られないマネジャーの裁量性と説明責任による目標管理制度の自在な運用が、もっとさまざまに、あってもいいのではないか。  Manageとは、意思をもって、いろいろ工夫して、やりとげる――をもともとの語義とするのだから。

By Communication | その他

By Communication

 目標管理制度は難しい。  目標さえ適切に設定できれば、あとは、達成できたかどうかを見るだけだから、評価に迷いはないのだけれども、このそもそもの目標の設定が悩ましいのだ。適正な目標の設定は、 1. 組織目標の分解  2. 難易度設定(=等級相応の目標)  3. 目標の表現  が3つのポイントとされるが、これがなかなかできない。  組織目標に連動していなければならない(1.)のに、「自身のダイエット」が目標化されるなんて笑い話が現実にあったりする。また、等級が違うのに同じ目標だったりする(2.)ことも多い。とくに、多くの会社で共通してできていないのが、3.の表現の妥当性。目標表現の基本は、「To be」、つまり目指す状態を示さなければならないのに、「To do」が目標として書かれている。プロセスや行動といった手段だけが書かれ、その結果のゴールが示されていないのである。  ゴールとして達成した状態、その達成水準が示されていれば、期末でできたかできなかったかの判断に悩むことはない。そうできるように、目標=目指すゴール、とそのためにやるべき行動、を切り分けて考えよ、ということだ。要は、「手段を目的化するな」ということである。  「To be」表現の重要性は、とくに定性目標でクローズアップされる。たとえば、モチベーション高い組織状況ならES調査結果、効率的な働き方の定着なら、時間外労働時間数など何らかの定量指標が達成水準と設定されるならいいけれども、そういった指標がない目標もある。だからたとえば、部下育成なら、どのような状態(=レベル)にするかの記述が不可欠になる。若手営業担当が部下なら、独力で顧客訪問ができる、独力で顧客ニーズ把握ができる、独力で提案ができるレベル、といった書き分けということだ。  では、目標として、「コミュニケーションのよい状態」というゴール設定はありうるか。  まず、コミュニケーションの良い状態とはなにか。それが特定できなければならない。口数の多い組織、一体感ある組織、和気藹々組織、阿吽の呼吸組織、、等々とあいまいではあるができなくはないかもしれない。しかしそもそもの問題は、コミュニケーションとは、「手段であって目的ではない」ということだ。だから、この目標は成立しない。コミュニケーションもまた、目的と手段が混同され使われがちな言葉である。  人事部の方々から、社内のコミュニケーションを良くする研修をしたいとの御要請をいただくことがある。しかし、コミュニケーションは手段であるから、大事なことは、コミュニケーションをよくすることで解決しなければならない組織課題はなにか、ということである。その課題の内容により、どの種のコミュニケーション機能をつかうか、あるいは、誰に、どのようなコミュンケ―ションスキルを身につけさせるかは変わってくるし、もしかすると解決手段はコミュニケーションではないのかもしれない。  手段としてのコミュニケーションには、明確なさまざまな機能がある。相互理解や伝達、意思疎通、共感形成といった情報の交換・交流だけではなく、行動促進や交渉、さらには情報の創造という機能もある。創出的なディスカッションはよく経験することだし、コミュニケーションするなかで意味が生まれることもある。そのためのスキルを教えることもできる。統合した会社のビジョン作成セッションや風土改革には、複数のコミュニケーション機能を組み活用したりする。  そうしたコミュニケーションのどの機能を使って、あるいはスキルを磨いて、どのような組織状態を実現するのか。組織のコミュニケーション課題とはつまり、「For Communication」ではなく「By Communication」なのである。

異なる期間 | その他

異なる期間

 日本企業の将来は手放しで明るいものではありません。国内市場は総じて縮小傾向にあり、競合に打ち勝っていくことが生き残りのために重要になります。またより成長するためには海外へ進出を加速させることも考えなくてはなりません。市場環境の変化とともに労働市場でも劇的な変化が始まっています。少子高齢化が進行し、社員の平均年齢が徐々に高くなってきます。高齢社員が多くなり若年社員が少ないということですが、これは企業の活性化の維持という観点や、高齢化した社員でより高いパフォーマンスを挙げなくてはならないという、過去の人事問題にはない非常に深刻で重大な問題が起こるのです。厳しい市場環境で成長しなければならないが、同時に高齢化、働き手の不足に対応しなければならないのです。 現在多くの企業で、50歳台の社員が多く30歳、20歳台の社員が極端に少ない人員構成が見られます。そのため発生している問題は、高年齢化による人件費の向上や管理職社員の必要人数以上の増加などが深刻です。また若手社員の不足についても非常に深刻であり、ここまで若手社員が少ないと到底直ちに解消できる問題ではありません。  現在起きている高齢化の問題を正しく認識しなければなりませんが、この問題は時間の経過とともにより深刻さを増していきます。将来の予測を行うと、先ほどの高齢化が進行している企業では今後約20年近く高齢化問題に悩まされることが定量的にわかります。  このような歪な人員構成となった原因はいくつか想定できます。その一つが経営責任と雇用責任の期間が異なることにあるでしょう。経営者は通常4年から6年程度の経営責任を負います。企業の雇用責任は大学新卒社員を一人雇用すると65歳まで実に43年間の雇用責任が発生します。この期間が異なることが人員構成の問題を発生させる一つの原因なのです。時の経営者の経営的判断が雇用責任の期間と合わないために経営的にOKでも人事的にはNOであることが発生するからです。   代表的であるのは新卒の採用人数でしょう。正社員は企業のノウハウや技術、文化を継承していく幹部人材であるので、本来的には緩やかな台形型の人員構成が望ましいです。したがって業績が悪いときに新卒社員採用を抑制するのは、短期的コストカットという観点からは経営的に正しいのですが、企業の中長期の成長を維持向上するための人材基盤という観点では正しくありません。逆に短期の業績がよいからといって新卒社員を大量採用する経営者もいます。これも一年の収入が多いからといって43年ローンを多く組むことがナンセンスであるように、雇用責任という観点ではナンセンスです。  経営者、人事は短期的な最適化を求めることの視点も重要ですが、それに偏重し過ぎると、後の企業や経営者、人事が非常に困るのです。継続的に発展する企業を造ることも経営者の重要な役割であり、短期の経営責任と長期の雇用責任の両方を担っていることを再認識しなければならないということです。 以上

マズローの罪 | その他

マズローの罪

 入社2年目や3年目社員の研修で決まって要請されることがある。それは、「初任配属が希望と違うかもしれないけれども、目の前の仕事を全力でやることが次のキャリアにつながる」というメッセージを伝えてほしいということだ。  現場の仕事が予想以上にしんどいとか上司と相性が悪くて評価されていないとかの状況に加え、同期の彼は希望通りの配属なのに自分は違う。やりたい仕事がやれていない、どうすれば今後、そうした「自分のやりたい仕事」つけるのか、といった想いを持つ若手社員が多いということである。    そもそも社会に出たばかりで、自分のやりたい仕事が明確であるのだろうか? 子供のころや学生時代に何かのきっかけや社会的問題意識から、明確な目指す職業ゴールを持つ人もいるだろうが、多くは、仕事経験の中で、向き不向きや自分は何を面白いと思うのかを“発見”していくのではないか。 まだほとんど仕事経験がないときの自分のやりたいことなど単なるイメージにすぎないのに、それにとらわれて迷ってしまう。ましてや、大学のキャリア教育で、自分の将来のキャリアをデザインしたりするから、自分がやるべきこと、やりたいことを言語化し、それにこだわってしまう。 自己実現の呪縛である。よく知られるマズローの欲求階層は、最上位に自己実現欲求を置く。この整理は、人はなぜ働くか、という問いの答としては明快ではあるけれども、実現するべき自己がまずあるかのような誤解もうむ。経験や関係のなかで、自己がアイデンティファイされていくという事情をともすれば見落としてしまう。  キャリアデザインでは、よく「やりたいこと」と「できること」を棚卸しし、その重なりが強みだ、と言ったりする。しかし、この二つは独立しているのではなくて、経験を経ての「できること」つまり能力の向上や広がりが、次の「やりたいこと」を生み出していくことのダイナミズムこそがキャリア発展の醍醐味である。  こうした若手社員研修では、目の前の仕事をただやるのではなくて、その意味(会社にとっての、社会にとっての、自分にとっての)を考え、全力を尽くすこと。そのことの意義を、具体的に気付かせることに腐心する。だから最初の配属がどうあれ、無能な上司であろうが、そこを成長の場にできるかどうかは本人次第と分からせる。  とはいっても、最初の配属先がその人の将来を決める、といった調査結果もある。そのときどんな上司につくかが、その後の進路を左右するようなクリティカルな経験といった面もあるかもしれない。社会に出たばかりの若者にとって、上司の影響力がきわめて大きいこともまた事実だろう。  できる管理職者だなぁと日ごろから思い、おそらく部下にとって良い上司と目されるあるメーカーの課長に、この、新入社員の自己実現呪縛の話をしたら、彼はきっぱりとこう言った。  「そんなこと簡単だよ。これが君のやりたい仕事だ、といって業務をわたせばいい」

改革のパターン | その他

改革のパターン

 改革を断行できる経営者はあまり多くありません。改革自体が過去の経営を一部否定することと、社員の削減や処遇の見直しという重い仕事を実際に行わなくてはならないからです。改革を行うには経営者は相当な腹を決めなければなかなか実行できるものではありません。  改革が必要な企業で改革に対しての行動にはいくつかのパターンがあります。まず改革を行わなくてはならないことはよく理解しているが、改革をしないという“戦意喪失”的パターンです。自分が経営者の間はできれば改革はしたくないということです。環境が好転しない限り状況が悪化するケースが多いですが、自分の任期中は行わないのです。次に大胆な改革をぶちあげますが、計画を検討する中で次第にトーンダウンするパターンでしょう。“敵前逃亡”的パターンと言えるでしょう。改革の重要性や方向性はより理解しており、それを行う構えを見せるのですが、構えで終わってしまうのです。改革の検討段階で社外社内からいろいろな抵抗にあいます。この抵抗の強さや抵抗を覆すパワーを考えると、次第に妥協的改革案になり、果てはほとんど何も行わない改革となってしまうのです。このパターンに似ていますが、抜本的な改革はしないけれども、社内外の強烈な抵抗をうまく制御して、決定的な対立がなく、その組織内の許容的範囲で改革を行うパターンもあります。“予定調和”パターンと言えるでしょう。このパターンの企業の多くは、改革のあるべき姿はわかっていますが、過去の経営や現状への配慮も同じだけの比重で考える傾向にあります。非常に頭の良い先の見えるキーマンが先導して行うパターンです。確かに抜本的ではありませんが、制約の中で最大限の成果を上げようとするものです。そして改革を徹底して断行する“正面突破”パターンがあります。このパターンは環境的に改革をしなければ生きていけない企業が多いですが、将来を見据えて徹底して改革を断行するという企業もあります。正確な環境判断と今後の経営のあるべき姿から一気に改革を断行するのです。  改革を断行し成功する企業はいくつか共通することがあります。一つは強力なリーダーがいるということです。このリーダーは現状の正確な把握と将来に対するビジョンがあります。またある程度人望がなければなりません。次に方法論に固執しないということです。実行するための方法論について詳細な意見は言わずに他に任せるのです。また強力なブレーンがいるということも共通しています。そして最後にこれが最も重要ですが、改革が失敗したら自らの身を処す覚悟ができているということです。  これから日本企業の人事は今まで経験してこなかった変革期を迎えます。高齢化やグローバル競争、環境変化に対応して成長を持続しなくてはなりません。そのための人事基盤はあまりにも脆弱で非合理的です。また過去の遺物も多くあります。どこかで大きな構造転換が必要になるでしょう。改革がうまくいくためには“リーダーシップ”と“覚悟”がいかに重要であるかを再認識しなければなりません。  以上

自分の可視化 | その他

自分の可視化

 行動を変えるには、まず自分を知らなければならない。だから、自身の行動や性格、思考のクセ、対人関係のスタイルなどを可視化するツールを、研修でよく活用する。  360度診断では、自分の行動が周囲の人たちからどう見られているかが分かる。パーソナリティ診断では、コミュニケーションや判断、好き嫌いの特徴やビジネス行動の得意不得意を知る。言動のスタイルを4分類して、自分がどのスタイルにあたり、他のスタイルの人たちとの接し方を学んだりするのは、コミュニケーションスキル研修の常套手段だ。  スタイル分類はいろいろな流派があるけれども、理論的出自は共通なのでスタイル名称は異なるものの意味していることがあまり変わらないから、一度知ると、結構共通言語的に使える。そのトラディショナルなものを初めて体験したときは、驚愕したものだった。  先にチェックリストに答えることで、自分が知らないうちにスタイル分けがされている。同じスタイルでグルーピングされて、演習をやるのだけれども、その振る舞いやアウトプットが、自分たちのスタイルを教えられた後で振り返ると、その特性をあまりにも如実に示していたからだった。  ちなみに私のグループは、例えば営業相手の顧客タイプでいえば、「結論から言え」、「世間話はいらない」、「余計な挨拶は不要」、「長々と理由は言うな」という“単刀直入すぐに決めたい”派。その特性は知らないまま、演習をするという仕掛けで、演習のお題は、(1)自分達を一言でいうと何か (2)自分たちの好きなもの とか他愛ない事柄を話し合って決めるといったものだった。  まず、われわれのグループは、いちばん早く演習が終わっている、というのが後で知る特徴のひとつ。他のたとえば“社交派”グループは声高にうるさく熱く議論をしているし、“親密派”は無駄話ばかりして時間超過といったわかりやすさ。さらにわがグループでは、(1)自分達を一言でいえば、「唯我独尊」だったし、(2)好きなものは「ドイツ製品」という見事にスタイル特性に符合するアウトプットだったのである。  こういった自分の特性の可視化は、それを知ることで、自覚的に行動を変えることができる。360度診断の結果から、なぜ周囲はそう感じているのかを考え、行動改善を図る。資質的にチームワークが苦手ならそういう自分を意識して行動する。スタイル特性を知れば、その活かし方、留意点を踏まえ、ビジネス行動を意図する、といった具合。  たいていはこんな風に行動に生かせるのだけれども、どうやら、自己認識ができても変えられない特性もありそうだということもわかってきた。それは、「対人感受性」。これが、低い人は、なかなか行動変容は難しい。そもそも感受しないのだから、気を付けようがないということもあるけれども、それ以前にその点に気を付けようという気にならないらしい。  あるとき、コミュニケーション不全者だけを集めた研修をしたことがある。2日間、手を変え品を変え対人行動のアセスメントを行い、厳しいフィードバックをした。多くは、以降の行動改善に結びついたけれども、もっとも重篤な受講者は変わらなかった。いわば、筋金入りの確信犯として、行動を変えようとしないのだった。  対人感受性が極度に低いから、対人問題そのものがその人にとっては存在しないのである。つまり、自分にとって、大きな問題ではない。自分の可視化に意味があるのは、それが、自身の問題認識に結びつく限りにおいてだろう。とすればまず、組織として他者とともに仕事し成果を上げていくことに必要な振る舞いは何か、その基本中の基本の問題意識の喚起から始めなければ、コミュニケーション不全の根絶はできないのかもしれない。 以上

人事の品格 | その他

人事の品格

 近年の労働市場は以前に比較して徐々に発展し続けています。よく言えば適切な労働流動化が進んでいるともいえますが、そうともいえない寂しい状況も多く目にします。ある企業の人事部の若手社員が、急に退職したいと言い出したそうです。退職そのものについては、特に引き留める理由はなかったのですが、その社員は退職理由も言わず引継も早々に、なにも挨拶もせずやめていったそうです。人事部長は、最近の若年社員は“リセット”的な退職をする社員が多いと嘆いていました。在職中にはいろいろと指導されたり、研修を受けて世話になった人も多いのに対して、その人間関係がなにもなかったかの如く一気に絶ってしまうような印象を受けるというのです。転職した社員のその後についてはよくわかりませんが、他の競合会社の人事に転職したそうです。こんな退職行動しかできない人がよく他社の人事管理や雇用管理の仕事ができるなというのが、その人事部長の率直な感想でした。人事部に所属しておきながら、非常識な転職を何とも思わずにしてしまうことの無頓着さが理解できないのです。そういう意味で人事に携わる人にはより人間を理解し、俗な言い方をすれば“自己を律する”“気を遣う”ことができなければ、本当の意味で人事管理などを全うできないのではないかと言っていました。まったく同感です。  この話に多少関連する他社の話です。ある企業で人事部長を中途で採用しようとしていました。伸び盛りの会社で、社員数も増えてきており、人事管理を高度化する事が必要となってきたからです。採用活動の結果有力な候補が2名残ったそうです。2名の候補者の中で特に入社意欲が強い1名の候補者を採用することになったそうです。当然会社としては常識的な範囲での入社時期や処遇を提示します。その候補者も基本的にはその条件に合意していたはずですが、オファーを受けたとたんに強気の交渉が始まります。本人にしてみれば候補者が自分だけとわかり、採用段階で自分により都合のよい条件を引き出そうと思っていたのでしょう。例えば基本的には定時で帰ること条件にしてほしいとか、できるだけ在宅勤務を認めてほしいなどというものです。また給与もオファーされた金額に若干の上乗せを要求します。制度的には例外的な処理をしなければならないことがわかっていながらです。しかもここまでに至る面接などは本人の都合でリスケジュールやキャンセル、夜遅い面接や遅刻などもあり、採用の責任者はすこし辟易していたそうです。候補者本人はこのことをワークライフバランスなどと表現し正当化しようとする感覚、発言が多かったそうです。結局人物的な観点で採用には至らなかったと聞きましたが、管理担当役員は人事をプロとしながらこのような発言行動は理解できなかったようです。  この変動する環境の中で人事を生業にする限りにおいて、スタンスや意識、行動を常に自己チェックし、常識的であることがいかに重要かを理解しなくてはならないのではないでしょうか。人を扱う専門家が自らを律することができないという状況は冗談にもならない価値観的危機を感じます。ビジネスマンとして、人事のプロとしての品格が問われているのです。 以上

気分が悪い | その他

気分が悪い

 360度評価は対象者からみると気分の悪い仕組みでしょう。直接の上司以外の人から評価されることに、いろいろな抵抗を感じるからです。部下に評価されたくないであるとか、評価者としてのトレーニングを受けていない社員は適正な評価ができないとか、好き嫌いが評価に反映されるとか、その結果部下に強く指導しづらいなどのような話が非常に多いのです。そういう意味では特に経営者や管理職など評価をする上司側から見ると、気分が悪い、気持ちが悪い仕組みなのでしょう。  しかしこの360度評価は今までの評価に比較して実に多くの有用な情報を提供してくれます。様々な関与者から評価をされることによって、被評価者の強み弱みがよくわかります。これを配置や任用、教育に使用するときわめて効果的です。もちろん上司の評価を主評価として他の関与者の評価を参考情報という位置付けで処遇(昇格や昇給)の評価に使用することも有効であることは言うまでもありません。  日本企業ではこの360度評価はストレートに処遇に結びつける評価として使用することはあまり多くありません。逆に処遇に結びつけず、配置や任用や教育に使用することを前面に出すことによって、気持ち悪い部分を緩和し導入している企業が多いでしょう。  日本企業は長期雇用であるために、社内の人間関係は長期にわたり継続します。組織内があまりぎすぎすしないようにという感覚から処遇に関する評価はどんなにがんばっても甘めについてしまうのです。これは長期雇用の特徴であるために、どんなに厳格な評価をしようと経営や人事が努力しても、処遇の逆算で評価をしてしまう傾向にあるのです。  しかし激変する環境下における人事ニーズはこの甘い評価をそのままにしておくことは許されません。そのため処遇の評価を徹底して適正化することの道を選ぶか、処遇の評価と360度評価のような活用育成のための情報収集を平行して行うという道のいずれかを選択しなければならないでしょう。いずれにせよ今後は今以上に360度評価が活用されていくでしょう。当社では2015年2月に多くの実績のある360度評価サービスの事業譲渡を受け本格的にこのサービスを提供し始めました。今までも提携企業と360度評価を行ってきましたが、より高いレベルでのサービス提供が必要であることと、様々な人事関連分析や人事施策、教育施策とのサービスとして連携が重要と認識し、当社ブランドでのサービスとして提供しております。  当社の経営会議で360度評価の重要性を話し全員の賛同を得ました。その後に当社内での360度評価の実施の提案がなされました。会議参加者ほぼ全員が気分の悪さを感じたことがすぐに分かりました。しかし“経営者、管理職は高い視点で度量を持ってこのサービス受けるべきである”というサービス説明に賛同し、これから多くのクライアントに提供していくことを話した後でしたので誰も反対できません。結果当社でも経営者含めて行いますが、このときの反応が象徴的なのです。人事のコンサルティングを行っている当社であってもこの気分の悪さを強烈に感じますので、経営者や人事の強力なリーダーシップ下で推進しなければ導入ができないでしょう。人事がより強くなりその結果企業が成長することを実行するためには、この気分の悪さがブレーキになってはいけないと強く感じたということです。 以上

社員の幸福感が経営にもたらすもの | その他

社員の幸福感が経営にもたらすもの

 皆さんは「幸福」と聞くと何を思い浮かべますか?お金、地位、健康…人によって幸福の捉え方は様々です。では、皆さんは幸福ですか?と聞かれたら、何と答えるのでしょうか。  ご存知のように、近年様々な国・機関・団体で、幸福に関する調査が行われています。例えば、国連は「World Happiness Report」を作成しており、2013年の調査結果を見ると、1位デンマーク、2位ノルウェー、3位スイスとなっており、日本は43位です。また、OECDが発表している「Better Life Index」における日本の順位は21位(2013年)です。調査によってその視点や対象が違うため一概に言えないものの、日本の順位は高いとは言えません。  このような幸福に関する調査が数多く行われるようになった背景には、調査対象者が感じている「幸福感」が、その人の人生だけでなく、地域社会や経済活動に対しても、良い影響を与えているということが分かってきたからです。  幸福感に関する研究は、従来ポジティブ心理学の領域でなされていましたが、現在は組織行動論の領域に取り入れられはじめ、「ポジティブ組織行動論(Positive Organizational Behavior)」として、ビジネスで活かすための研究が進んでいます。研究の視点としては「幸福感とは何か」「幸福と成功との関係」「幸福感は何に影響を与えているのか」「何が幸福感を高めるのか」などが挙げられますが、今回のコラムでは「幸福感とは何か」「幸福と成功との関係」について触れさせていただきます。  幸福感は、さきにも述べたように人によって感じ方が異なるため、測定することは簡単なようで難しいと言われています。心理学者による幸福感の研究ではSWLS(ディーナーらの人生満足度尺度)が多く使われていますが、一方で欧米人と日本人といった特性による違いを考慮する必要があるといった考えもあります。これに対し、内田・城戸(2012、2013)は、日本のビジネスパーソンを対象とした幸福感の調査・研究を行い、幸福感は「自分の人生を順調とみなし満足していること」、「自分の将来に対して希望をもっていること」、「周囲の人たちと良好な人間関係を築いていること」から構成されることを明らかにしています。つまり、過去から現在までの時間軸の中で蓄積されてきた満足感や、将来に対する期待や希望。そして、周囲の人との良好な対人関係が日本のビジネスパーソンの幸福感を構成しているというわけです。  では、その幸福感と成功はどのような関係にあるのでしょうか。「何かしら成功したから幸福なのだ」と思われている人も多くいらっしゃいますが、心理学と脳科学の研究によって、幸せは「成功に先行する」のであり、単なる成功の結果ではないということが明らかになっています。  仮に、成功が幸せをもたらすのであれば、期初にたてた目標を達成した社員、昇進した社員など、何らかの目標を達成した人達はみな幸せになっているはずです。しかし実際には、勝利を勝ち取るたびに、成功のゴールポストはさらに前方へと押しやられていきます。悲しいことですが、こうして私たちの幸せは、地平の彼方にどんどん遠ざかっていくのです。  これに対し、幸福だから成功するという「ハピネス・アドバンテージ(幸福優位性)」の考え方は、前向きで受け入れられやすく、私たちの組織への応用展開が可能と言われています。今後は、幸福感によるビジネス上の効果と言われる「欠勤が少なくなる」「離職率が下がる」「生産性が高まる」「高業績をあげる」などを得るための取り組みが、企業内で広がってくるものと思われます。  幸福感がもたらす具体的な効果や、何が社員の幸福感を高めるのかについては、次回のコラムにてご紹介をさせていただきます。 以上

企業の安楽死 | その他

企業の安楽死

 全ての企業が、ゴーイング・コンサーンであるべきなのか。  なくなった方がいいような反社会的な企業は論外としても、業績不振でどうあがいても立ちいかず瀕死の状態が長く続いている企業や、一時代を経てその役割を終えている企業もある。場合によっては、意志して企業をいったん終息させたほうがよいかもしれない。  そうした「企業の安楽死プログラム」を逆説的につくって、関わっていた企業組織論専門誌に掲載しようと思ったことがある。といってもそれは、容易ではない。企業は、ステークホルダーズに支えられた社会的存在だから、経営者の勝手にはできない。投資家や顧客に対する手立てはいろいろ考えられるものの、従業員の存在がある以上、会社がなくなって従業員がいきなり生活できなくなったら“安楽”とはいえない。  そんなことを夢想しては、経営学や組織論の論客と議論したけれどもどうもうまく方法論化できない。そんな奇をてらったプログラム仮説作成はあきらめようとしていたら、なんと、実業のほうが危機的状況を迎え、自分の会社の安楽死を検討せざるを得ない状況となったのだった。  状況はこうだ。20年くらい前、社員数200人売上100億円の会社がバブル崩壊後に、3分の1の規模に縮小。しかもバブル崩壊直前に分不相応に立派な自社ビルを建てていたため、その負債で半永久的に黒字化は不可能という羽目に陥っていた。瀕死の状態で会社を死守し、消耗戦のなかで金利を支払っていくことの展望のなさから、真剣に「安楽死」計画を練ることにした。  ベンチャー事業としての存在理由、いわば魂(=事業コンセプト)は捨てたくないし、仲間たちが路頭に迷ってしまっては、安楽死ではなく悲惨な会社の最期になってしまう。かくて、不良債権ごと会社を消滅させながら、事業と人を生きながらえさせる計画をたてたのだった。「社員全員雇用の条件をつけた、営業権譲渡」と「訴訟覚悟の会社清算の実行」というシナリオである。  そのためには、単年度黒字化が必須である。現状赤字であり、営業権は、事業展望とともに買い手がつくわけだから、その証としての単年度収益の確保は、絶対条件だった。あまり詳しくは書けないけれども、メインバンクとももろもろ謀りながら、アクロバティックではあるが、実態としての事業の黒字化を実現し、その発展としての事業計画をもって、いくつかの会社の経営陣に対しての“営業”を行った。  いま我々の研修事業で提供している「上級プレゼンテーション研修」のコンテンツであるところの“タフ・クエスッチョン”の最大級版を浴びせられる場面を何度も経験したなかで、ようやくある会社の社長が、買ってくれることになった。売却価格の妥当性は当事者としてはなんとも言えないものの、なにより全員雇用や訴訟案件としてのリスクも含んでまるごと受け入れたその社長の判断には、大胆にして思い切りのよい経営判断として感謝し感服をしたものだった。  しかもその会社にとって、購入した事業はもともとのその会社のドメイン範囲外のものだった。その会社の一員となって何か月かたったとき、社長に、なぜ買う気になったのかを聞くと、「知らない領域の事業だし、聞いても良くわからなかった。採算性も不確かだし。とくに、事業展開の今後の広がりは、何を言っているか意味不明。でも、君たちがそれを確信持っていろいろ語っているのが、なんか面白くてね、その構想自体にも興味が湧いたんだ」と笑った。  経営者の意思決定とは、教科書的な意思決定の常識とは全く別物なのだと、このとき知った。つまり、そこに有効な「企業の安楽死プログラム」を作り得たからではなくて、ある一人の、独自の経営意思と出会えたことによって、私のいた会社の安楽死は実現したのだった。

脱線予防 | その他

脱線予防

 高い能力があれば、経営幹部になれるかといえば、そうではない。  マネジメントスキルがあり、リーダーシップ行動も実践し、必要な経営リテラシーを充分に持ち合わせていても、大事な局面で感情に流された判断をしたり、自身の名誉へのこだわりで失敗したりすることがある。そうした、優秀でありながら経営幹部として道を誤ってしまうような個人特性を、エグゼクティブ・ディレイラ―という。つまり、エグゼクティブとしてのキャリアから脱線(=derail)する要因。  具体的には、依存的、論争的、尊大、目立ちたがり、回避的、奇抜、不感知的、衝動的、完璧主義、リスク嫌い、感情的、といった性格・行動特性があげられる。もちろん、こうした傾向は多かれ少なかれ、誰しもが持ち合わせているから、問題になるのは、その度合いが強すぎる場合である。ともすればそれが、抑えきれず表出し、経営者としての道を誤らせることがある。  だから、そうしたディレイラ―が低いことを確認することが、役員選抜のひとつのポイントになる。経営者としてのスキルレベルの測定は、「アセスメントセンター方式」によるアセスメントが有効である。シミュレーション環境のなかで、意思決定や行動をさせアセスメントすることで、思考面、対人面、資質面の必要スキルレベルを細かく評点化することができる。しかし、その中では、エグゼクティブ・ディレイラ―の測定はできない。  評価されているとわかっているのだから、アセスメントの場ではうまく立ち振る舞おうとするのが当然である。その能力が高いと診断されたとしても、実際の現場でその能力をちゃんと発揮しようとするかはそもそも保証できない。それは、能力の有無とは別の、真摯さや実直さによる。ましてや問題ある(とたいていは本人も気づいている)個人特性は、診断の場では見せないように演じるはずだからである。  性格診断のような心理テストも十分ではない。やってみればわかるように、項目に答えているうちに、ある程度は“演じる”こともできてきたりするからだ。役員によるインタビューや役員による日常の評価でもその検出は難しい。なぜなら、上司に対しては、「うまく振る舞おうとする」。  ディレイラ―のレベルを診るのは、本人の周囲者、とくに部下の声を聴くのが有効である。インタビューや360度診断によって、部下がその人をどう見ているかを把握する。さきに列挙したような、ネガティブな個人特性は、日常の部下指導のなかで、滲み出るものだし、部下は実に敏感に感じ取っているものなのである。  では、エグゼクティブ・ディレイラ―を持っていれば、経営者失格なのか。しばしば天才的な経営者には、ときに、ここであげているような人間的な欠陥もあわせ語られる伝説がある。ディレイラ―がありながら、脱線しない経営者特性はなにか。  先日、あるホールディングスの社長に「社長たるもの」の要件を聞いた。これは社長になってから日々思うのだが、と前置きしながら彼は、なにより経営のサステナビリティを第一に考えることの重要性を強調し、「社長である“自分”を律すること」と言った。社長こそが(自身が退いた後につながる)経営の継続性を体現しなければならない。それができる自己制御能力・姿勢・意思が社長に備わるのでありさえすれば、ディレイラ―は大した問題ではないのかもしれない。

新世代が正しい | その他

新世代が正しい

 ここ数年の若手社員に対する評価として、まじめでそつなく振る舞う人が多くて扱いやすいけれども、本音がなかなか見えない、といった声を聞くことがある。いわく「期待されていることをやればいいという態度が、実にさめている感じで、何考えているかわからなくてね」と。  しかしそもそも、働く場で本音を出すことが必要なのだろうか。こういった指摘の前提には、同じ会社で働くかぎりは、本音をぶつけ合いたいという旧世代の“常識”がある。家族主義経営を標榜しないまでも、どこか、職場の仲間同士は、腹を割った人間的な付き合いも含んだ協働関係でありたいと願っている。それは、快適な環境という面もあるだろうが、一方で「本当の自分」を出さねばならないことがストレスになり、メンタル失調に結果するかもしれない。  役割等級という言葉があるように、企業組織とは、個々人が必要な役割を果たすことが求められる場である。だから、職能給でなく職務給、つまり職務(=役割)に報酬が払われる。人事考課で問われるのは、役割を果たせたかどうか、であって、全人格評価ではまったくない。管理職であれ、中堅社員であれ、また新入社員であれ、役割を果たす。要は、きちんと役を演じることを通じて、結果をだせばいい。本音(めいたもの)を出す、出さないもまた、役の演じ方のひとつにすぎないのではないか。その意味で、優秀な管理職者は、優秀な役者ということもできる。  それでは殺伐とするではないか、という指摘は当たらない。同じ組織目標達成に向けて、真剣に役割を果そうする態度が相互信頼をもたらすはずだし、そこに共感や凝集性が生まれる。そこでさらに、本音の表出など必要ないし、その効用があるとも思えない。もし、本音をぶつけ合うことでパフォーマンスがあがることがあるとすれば、それは、そもそもの役割や目標の設定がおかしかったということである。  かつて企業は、船のメタファーで語られた。であれば、社員同士、一蓮托生で突き進むわけだから、まるごとの人間関係の要請も分かる。しかし、今、企業のメタファーはあきらかに船ではない。多様な人々が交通し、かなり多くの時間を共有し、そのビジョンやミッションにもとづく役割を演じる「場」といったイメージだろう。だからこそ、凝集性の要となる、会社のビジョン、ミッション、バリューがきわめて重要であり、だからこそ近年多くの企業が、自社の存在理由を改めて問い、こうした自社のコンセプトの明確化と発信に腐心しているのである。  ときに、新入社員たちが本音を言えないのは、会社の一兵卒としての緊張からだと、本音を言いあえる場を用意することもあるが、そもそも彼らはそんなことを望んではいないだろう。また、きっとそこでは、そつなく、“期待される本音”を話すに違いない。よく言われるように、傷つくのを恐れ、人間関係全般で、役を演じるようなふるまいが新世代の特性なのかもしれないが、そのことは、まだ古い企業観にとらわれている旧世代よりは、いまの企業組織での働き方の適性が高いともいえる。  「最近の若い者は〜〜」として語られる世代間ギャップの多くは、新世代の方が正しい。なぜなら、新しい世代は、未来人の先行モデルだからである。