「人材開発 」の記事一覧(6 ページ目)|コラム|株式会社トランストラクチャ

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人材開発

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次世代リーダー | 人材開発

次世代リーダー

 “次世代リーダー”という言葉を意識している企業には、様々な背景があるのだろう。 以前の経営環境が大きく変化して、新しい発想や管理手法で経営をリードしなくてはならない企業などでは“次世代”という言葉はよく理解できる。技術の進化により以前のビジネスモデルが通用しなくなるような業界などでよく見られる。近年ではネットの発達によって、流通や広告などのビジネスモデルが大きく変化したが、これを牽引している人材の多くは旧環境の人材ではない。旧モデル化の人材と新モデル化の人材の別な層があるために、新たな層の中でリーダー育成が必要となり、それを急ぐために次世代リーダーの選抜と育成が必要となるのだ。  上記のような“真性”の次世代リーダーは、市場や業界の大きな変革期における重要で適正な経営課題である。しかし最近の“次世代リーダー”の議論はこのような真性のものだけでなく、不純、不適正なものが混じっているように感じることがある。それは、現在の管理職社員が十分なパフォーマンスを出しておらず、役員候補もいないために、その下の層に期待するというものである。要は今の管理職社員では不十分であり、主力の管理職としても、ましてや経営者として期待しないと言っているようなものである。このようなタイプの企業は、社員の年齢構成が歪であることが共通してみられる現象だ。中長期にわたる人材管理がうまく機能していないことが、“次世代リーダー”という言葉に置き換えられているともいえる。  企業の安定した継続性は、人事的に言えば必要人材を持続的に提供することといえる。正社員一人採用すると大卒であれば38年間(プラス再雇用5年間)の拘束がある。特に企業のコアスキルや文化を継承する総合職社員などは短期の業績で採用の増減など行ってはならない。また業績によって育成施策も影響してはならない。こうなると必要な人材を持続的に提供できないからである。短期的な業績コントロールと中長期の経営の持続性を混同しているともいえる。  業績の良い特に大量の新卒採用を行い、悪くなるとストップする。業績の良い時には教育をするが、悪い時にはしない。このような施策は企業の持続性がないばかりか、社員に対して雇用責任を果たしていないとも解釈されてしまう。長年間育成施策を講じてこなかった今の大量の中高年社員からは優秀な経営者や管理職が多くは出現しないと予測し“次世代”に期待をすることが、強い違和感をもたせるのである。  悪くとらえると中長期の雇用責任を特定の世代に果たしていない上に、これからも継続的な育成を行わないと解釈もできる。本来は常に企業の文化やコアスキルを継承し、優秀な人材を多く出現させることが重要であるが、今いないから特別な施策で育成するという感覚が、人事マネジメント的には短期的視点に偏っているように感じる。  “次世代リーダー”育成を否定しているのではないが、これは環境の激変などを除いては、継続的恒常的施策であり、単に通常の教育研修の一部であるという認識が必要ではないだろうか。

次期役員育成の方法 | 人材開発

次期役員育成の方法

 役員の選抜方法の見直しや役員の育成のしかたが人事施策として多くの会社で議論されるようになったのは、つい最近、この3~4年くらいのことではないか。それまで役員育成というテーマは、人事部門の担当外であって、制度化されない経営マター、人事管理上のブラックボックスだったからである。  「本当は、まず役員教育から始めないといけないのだけどね、、、」といった言葉は、それができないもどかしさをにじませた人事担当の方々から、しばしば聞かされたものである。役員昇格基準も明確でなく、経営陣の衆目の一致する「役員にふさわしい」人材が上級管理職の中から任命されるのがふつうであり、ともすれば、管理職としての「あがり」処遇の気配がある場合もあった。  結果、「職能の頂点」としての力量はあるが、「経営者」としてはものたりない、営業や技術といった職種一筋で役員になった経営陣では経営会議が成立しない、つまり経営リテラシーが足りない。とくに、経営環境変化の中で、戦略の立案と実行こそが経営リーダーの役割であるのに、その任が果たせない。こうした反省と危機感が、近年の役員育成施策見直しトレンドの背景にある。  役員の見極めと育成といえば、候補者を見極める手法をどうするか、必要な経営リテラシーや経営力をどう育成するか、を方法論化することだが、最も重要なのは、その前提=自社のあるべき役員の要件とはなにか、を可視化することである。  そもそも役員要件は明確ではない。人事制度で規定する人材定義には役員は含まれないし、別に役員の人材基準が言語化されていることも少ないから、そこを明確化しなければ、見極めのための基準も、育成施策により埋めるべきギャップを図る基準もありえない。要件として定めていなくても、事業特性や企業風土、経営方針を踏まえて、どの会社にもきっと経営陣の暗黙知として共有された基準があるはずで、それを言語化すればいい。  具体的には社長以下経営陣の方々から、インタビューやセッションを通じて、「あるべき役員の要件」をスキルや行動や経験や姿勢等々の視点で仮設し抽出し整理し、新たに設計することである。その際にいちばん大事なことは、その要件は、「現状視点」ではなく「未来視点」であることだ。今後10年間の経営をリードするリーダーの要件は、いままでの要件とは異なるはずだからである。  ちょうど5年前、ある会社で要請された役員育成施策は、そうしたリアルな事情がきわめてはっきりしていた。その会社は、ある業界で長年トップの座であったが、数年前に2位に転落し現在にいたる。その状況を脱しなければならない状況下の役員育成。つまり、業界1位を維持し続ける経営と、1位の座を奪還する経営では、そのリーダーの要件は異なるから、それに合わせて役員の選抜育成施策を一新せねばならないということだった。  問われているのは「今まで」ではなく、「これからの」要件である。次期役員の選定は、過去の成功体験やいま確信している自身の見解から「あいつは、次の役員の器だ」と自信をもって語る現状の役員たちの判断だけに任せるわけにはいかないのである。

スキルの実装 | 人材開発

スキルの実装

 企業の研修・トレーニングの中には教育効果が十分ではないものが多いのではないかと疑っている。研修・トレーニングは企業の方針や経営計画達成に必要な知識、スキル、マインドを実装させるために行う。企業がコストをかけて行うものであるので、当然経営として何らかの成果にプラスの効果があるものでなくてはならない。実施後に教育した知識、スキル、マインドのレベルが向上し、それが業務に生かされ、成果の向上とならなくてはならない。そうなると研修・トレーニングの項目や内容が真に重要な経営ニーズであり、かつ社員に不足していることが前提だ。要は教育ニーズが経営の求めるニーズであり、またそれが不足していることが明確であって、はじめて効果が出るのだ。そうなると経営が求める人材像からキーとなる知識、スキル、マインドを把握することと同時に社員のレベルを正確に測定する必要がある。  ニーズが特定されると、それを身に付けさせるための研修・トレーニングを企画、実施することになる。実際に行われている研修・トレーニングは総じて時間、コストの投下が少なすぎると感じる。営利企業が時間とコストをかけて実施するのであるから、できるだけ効率的効果的に行いたいという背景があり、そのため業務をせず研修・トレーニングを長期間受けさせることが困難であるので、どうしても短期間になってしまいがちである。  極めて重要であるのは、研修・トレーニングが目的的かということである。具体的な知識、スキル、マインドの向上なくして、経営方針、計画達成が困難であれば、必要な教育への投下は当然である。またその教育方法も参加する社員の大半が確実に向上するものでなくてはならない。適度な投下と効果的な手法があって初めて効果が見込めるのだ。  例えば“部門計画立案”、“論理的思考”、“プレゼンテーション”などの具体的な研修・トレーニングで、参加者の多くに実装することを保証するためには、一つ一つの項目に対する時間投下は相当なものであろう。プレゼンテーションスキルの向上を実務で役立たせるレベルで教育しようとすると、少なくとも何度も何度もプレゼンのシミュレーションを行い、個別に指導し、職場に持ち帰り実務で使い、更にフォローアップし、必要であれば再度教育するくらいしなければ、スキルの実装にならない。“訓練”が必要なのだ。そうなると研修・トレーニングの考え方もだいぶ変わるだろう。すでに目標のレベルに達した社員には教育投資はいらなくなる。十分なレベルに達していない社員には継続して教育が必要であり、社員ごとに教育投下が異なることになる。  プレゼンスキルが対象者全員に対する一日か二日の集合研修で、経営に影響を与えるくらいの効果が出るのであろうか。多くの研修は投下に対する効果を自信を持って言えないため、中途半端になっていないだろうか。そのため参加者全員のスキルアップを保証するための必要投下を説得する力がなく、結果短期間で形式的、啓発的なものになっているようにも感じる。  企業に必要な知識、スキル、マインドを身に付けさせるための計画やその教育方法はもっと、分析的であり目的的でなくてはならないし、どうも全員一律に集合研修という発想も当てはまらない。やらないよりマシである教育ではなく、確実に経営貢献する施策でなければならない。業績が低下するとやめてしまう教育は本当に必要だったのか。教育の存在意義が問われ続けており、それを証明しなくてはならないタイミングなのである。

教え方を教える | 人材開発

教え方を教える

 「共育」という言葉に最初に出会ったのは、2006年「資生堂『共育』宣言」だった。資生堂としては、従業員の成長と会社の成長の重なりという企業が人を育てることの原点を改めて確認するメッセージであったが、それよりも、教育を共育と表現したときに見えてくるシンプルな気づきが、新鮮だった。  なるほど、教え教えられることで、人々は共に育つのだ。教えることによって、教える側も成長するという事情がストレートに喚起される言葉だったからである。  近年、学習手段による学習効果の違いを説明する論として良く聞かれる「ラーニング・ピラミッド」では、もっとも効果が低い方法が「講義を聞く」、次いで「読む」、「視聴する」、「実演してもらう」、「議論する」、「練習する」という順で、学習の定着効果は向上し、もっとも効果的な学習方法は、「教える」とされる。  そんな“理論”を知らなくても、教えるためには、自身の知識を整理し、分かりやすい教える順番を考えなければならないから、結局自分の勉強になることは、誰しも経験のあることだろう。どの会社でも、若手社員がOJTトレーナーや先輩指導員、メンターとして、新入社員を指導するのは、教える彼ら自身の教育も狙いとしている。ただ、この共育事情がたいていは若手社員まででとどまっているのは残念である。  上位階層の従業員が下位階層の後輩を教育するために、「教え方を教える」といったコンセプトの階層別研修があってもよいのではないか。たとえば、仕事は一人前でできるようになった5年目くらいの後輩が目の前の業務に埋没するあまり、疲弊したり、疑問を感じたり、漠然と将来に悩んでいるようなときに、どう指導し、動機付けるか。人が、仕事に前向きに対峙できるための要件の、最大のものは「有意義感」である。だからたとえば、その仕事にどんな意味があるのか、を教えられるようにする。  とすれば、後輩が担っているどんな業務でも、それが、会社全体、事業全体にとってどのような意味があるのか。あるいは、社会に対する自社の価値提供として何を担っているのか。また、自身のキャリアの将来にとって今この仕事をやりぬくことの意味は何か、等々をきちんと教えられるようにするという研修である。そのためには、全社視点や社会視点、あるいはキャリア視点で自社事業と業務を再整理する作業を研修ですることになるから、そのこと自体の本人にとっての教育効果は明らかだろう。  “自分の次の課長の”育成法を教える課長研修は何回か実施させていただいているし、シニア人材が自身の持つ知識や技術を伝承できるようにする研修があっていい。そうした「教え方を教える」研修の一番のポイントは、教えるスキルのインプットではない。そのことももちろん不可欠だが、大事なことは、「自分は“何を”教えるか」、「自分は何を“教えたい”のか」を考えさせることである。ともすれば、言葉になっていない自分固有の方法やスキルを顕在化させることであり、自分の意思や想いを、他者に伝えるべき価値があるかどうか評価することである。  教えることの学習効果とは、経験から学んだことを評価し体系化することである。それが組織の活きたナレッジであり、共育というコンセプトは、昨今喧伝される組織学習やナレッジカンパニーの原点なのである。

シャドウイングのすすめ | 人材開発

シャドウイングのすすめ

 シャドウイングといっても、ネイティブの発話を聞くそばからそのまま口に出していく(=影のように)英語練習法のことではない。仕事の実態を知るために行うキャリア教育としてのジョブシャドウイングだ。  やり方は、仕事する社会人に半日とか1日間、中学生、高校生や大学生が一人、影のようについて一緒に行動する。それにより、普段見えない仕事の実態や、人が働くということのリアリティを理解できるという効用がある。インターンシップが職業体験であるのに対し、ジョブシャドウイングは、単なる観察である。観察だからこそ、知り、感得することに集中できるし、一対一の関係のなかで、その働く本人の思いや考え方を仕事の合間や事後に聞くことができる。  米国では定着した教育手法であるが、日本でも、キャリア教育として取り組む中学校や高等学校が増えてきた。何人かの人事担当の方々からも、年々、各地の学校からの要請があると聞いた。中高教育なかで浸透しつつあるようだが、むしろ、大学と企業の間で、こうしたシャドウイングの仕組みができるべきではないか。  職業選択の前提となる仕事観やキャリア意識がないから、といって、1、2年生からの「キャリア形成支援」の取り組みが大学では盛んであるが、それに意味があるとは思えない。キャリアの方向性など、仕事を何年か経験してから初めて見えてくるものだ。学生がキャリアデザインするといった矛盾に満ちたキャリア教育や就職予備校めいた指導のおかげで、面接で、「クラブ活動でのリーダーシップの発揮」などをPRする学生ばかりになる。  キャリア形成とは、授業として教えるものではない。大事なことは、自分が興味ある仕事、あるいは、あまり知らないいろいろな仕事の実態やそこで人が何を想い働いているという有様を感得することだ。そのことが職業選択の視界を広げる。それができるジョブシャドウイングのしくみがあれば、ほかに特別なキャリア教育はいらないのではないか。もはや死語のようになってしまった感があるが、学生の本分は勉強である。大学4年間のほとんどの時間を、学問というものに没頭させる経験こそが、将来、長く仕事していくなかで、ボディブローのように効くキャリア形成支援のはずである。  シャドウイングをすすめる理由は、もうひとつある。シャドウイングされる側に対する教育効果があるからだ。それが、CSRを実践することだから、ではない。シャドウイングされる人自身が、改めて自分の仕事の意味や意義に気づくという効用である。キャリアアンカーで知られるエドガー・シャインは、一方で「プロセス・ファシリテーション」というコンサルティング手法を提唱しているが、そのポイントは、「外部の、第三者による素朴な問い」が、組織の構成員たちの暗黙知を顕在化させる効果をもつということだ。  シャドウイングする社外かつ職業社会というものの外部者である学生が発する問いに答える経験は、自身の仕事を再発見する貴重な機会に違いない。キャリアの節目にあるような入社3年目や5年目あたりの若手社員層が学生にシャドウイングされるといった施策は、会社内でよく行うキャリアデザイン研修よりも効き目があるはずである。  エグゼクティブ・コーチングにも、シャドウイングがある。コーチングのプロセスは、1.360度インタビューなどの診断にはじまり、2.解決すべき課題を合意し、3.方策を検討し、4.その実行を定期的に検証・検討しながら促進するというものだが、この4.のフェイズで、コーチが一日“影になって”観察し、フィードバックすることをシャドウイングという。これはなかなか不思議な光景で、かつて外資系企業の日本支社長のコーチングで、影として一緒に会議に出たときの人々の不審な表情をいまでも思い出す。  コーチングにおけるシャドウイングもまた、本人だけでは気づかないことを、顕在化するための方法である。組織もそうだが人も、日々の経験や慣れや繰り返しが地層のように蓄積し、それが判断や思考の前提になりがちである。その“当たり前”という前提を「Why」で揺さぶることが時に必要なのだとしたら、自分自身で行うのが難しいそれを、第三者がやってくれるシャドウイングの効用はもっと注目されていいのではないか。

ハイパフォーマの要件 | 人材育成方針策定

ハイパフォーマの要件

 人材開発の仕事で、360度診断を使うことが多い。  よく、「部下からの評価などあてにならない」、「考課したことないから基準がバラバラ」、「好き嫌いが入り込む」といった理由をあげ、360度診断を否定する声も聞くが、それは当たらない。確かに、「マネジメントとは何か」を知らない部下が、自分の基準で主観的に付ける上司の「点数」は、うのみにできない。しかし、360度診断は、点数の高低をみるものではない。集計された周囲評価の項目間のバラつき方とその自他ギャップに意味がある。  個々人がつける点数水準はどうあれ、項目間の差を集積した周囲者評価のカタチ(=項目ごとの点数の折れ線グラフ表示)によって、できている(と周囲が感じる)項目とできていない(と周囲が感じる)項目が特定できる。加えて、本人の自己評価のカタチを重ねてみることで、行動課題がさまざま浮かび上がるという仕掛けである。  たとえば、周囲評価の(相対的に)低い項目と自他ギャップの大きい項目にまず着目する。対象者の全体傾向としてみるのであれば、それがその層の育成課題を検討する材料となり、個々人でいえば、本人みずから、その理由を内省し、行動変容へのきっかけとするといった研修内での使い方が一般的だ。  多くの会社で360度診断をやっていて、実に興味深いのは、ハイパフォーマに決まってみられる“外形”があることだ。まず、周囲評価のカタチと自己評価のカタチが相似している人は、だいたいできる営業マンだったり、優秀なマネジャーだったりする。つまり、自己認識がちゃんとできている。  さらに成果を上げている人に特徴的な外形は、自他が相似したうえで、自己評価のカタチは、周囲より大きな振幅になっている。つまり、できている項目は、自身ではもっとできているという高い点だし、できていない項目の自己評価の点は極端に低い。出来不出来のメリハリが、周囲評価よりも効いているのだ。  自己認識が正しいうえで、強い自信と強い課題感の表れと思えば、それが優秀さを示すひとつの要件として納得できるのではないか。このことは会社が違ってもほぼ例外なくあてはまる特徴だが、加えて、ハイパフォーマ分析(=パイパフォーマを特定してもらい彼らに共通する特徴を抽出する分析)を行えば、その会社ならでは優秀人材の要件も分かるから、こうした診断から見えてくることは、能力や行動の課題以外にもさまざまある。  毎年、管理職評価用に診断を実施していたある金融機関では、なかなか含蓄深い特徴がみられた。360度診断は周囲評価としてひとつにまとめてしまう場合と、上司、同僚、部下といった評価者属性ごとに結果をわけて表示する場合がある。この会社では、上司、同僚、総合職部下、一般職部下の4つに分けて周囲評価集計を表示していた。  傾向としては、同僚評価はとくにそうだが、総じて甘い評価で、上司評価以外はあまりメリハリがつきにくい(銀行でしばしば見られる傾向ではある)。そのなかで、ハイパフォーマに共通する特徴がひとつあった。それは、上司評価のカタチと一般職部下のカタチがそっくりだったということである。  これは2つの意味で示唆的である。  まず第一に、上司の目にも、一般職部下の目にも同じに映るような、分け隔てない振る舞いが、ハイパフォーマの特徴だという点。常に、誰に対しても変わらぬ行動、とくにヒエラルキー的役割分担の堅固な組織における振る舞いとして、なるほど、と思わせる。  もう一点、注目したいのは、一般職の方々の観察眼の鋭さである。同僚や総合職部下といった周囲者が、防衛的だからか、互助的なのか、中心化傾向で変化に乏しい評点をつけているなかで、上司同様のエッジが効いた評価をしている。いかにも情緒的でないきっぱりしたメリハリが見える。一般職の方々の雇用環境や仕事スタンス、価値観など、この的確な視線の理由としていろいろ推察できることもまた、360度診断ならではの醍醐味である。

50歳管理職登用 | 人材開発

50歳管理職登用

 今後65歳までの雇用義務化や70歳までに延長される可能性があることから考えると、ビジネスパーソンの人生は今までに比較すると激変することになるでしょう。終身雇用のように長期雇用を前提とした場合には、極論すると2つのタイプの人事管理スタイルのどちらかになると予想されます。一つのタイプは年齢に関係のない人事管理スタイルです。年齢に関係なく実力によってポジションや職務を決めるというものです。プロ野球のように活躍しているときは年俸が高く、実績を残せなくなると年俸が下がるようなエレベーター式の人事制度ということです。このような実力主義的人事管理スタイルは、企業にとって人材の短期的な有効活用という観点ではメリットのある方法でしょう。デメリットとしては、かつて活躍した社員が降格したり給与がダウンするといった現象が多くなり、モチベーションの維持や雇用の安定、技術の伝承という観点で問題が発生することになります。  このような実力主義に対して、年功序列的な人事管理スタイルがもう一つの考え方です。大学を卒業して65歳まで勤務するということは43年間の在籍ということになりますが、企業の階層をピラミッドにするためにはあまり若い年齢で管理職にすることができなくなります。現在では40歳前後で管理職に登用する企業が多いですが、43年勤務を前提とした場合には、50歳前後で管理職登用くらいのスピードが理論上適正になるはずです。逆に50歳登用くらいのスピードでなければ、企業内に管理職だらけになってしまうのです。  そもそも管理職への登用はビジネスパーソンにとってひとつの成功の象徴的事象であると同時に、人事上も重要な管理事項です。管理職登用の理想的な年齢を聞くと、経営者や人事部門は40歳前後や優秀であれば30歳前半で登用したいという答えが多くあります。この感覚は企業の成長力が高い状況であれば成立する考え方ですが、成長が鈍化した場合には、40歳管理職登用は全く合理性のない感覚にしかすぎません。また、優秀であれば30歳前半で登用できるようにしたいということ自体は非常によいことですので否定するべき話ではありませんが、若くして登用する社員がいるのであれば、管理職の平均登用年齢を維持するためには、遅く登用する社員がいなければバランスしません。要は平均登用年齢と登用の分散をどのように考えるかという構造的な問題だということです。  年齢に関係のないマネジメントスタイルか、ある程度年齢を意識したマネジメントスタイルかはビジネスモデルや企業のおかれている環境によって、どちらが適合しやすいかということでしょう。習熟に長い年月のかかる高度な技術を基盤とした製造業であれば安定した雇用や技術の伝承を重視しますので、必然的に遅い管理職登用型の人事制度になっていくでしょう。一方で、環境変化の激しい小売、サービス、情報産業などは短期の人事パフォーマンスを重視する傾向にあると同時に、労働市場での流動性も高いので年齢に関係のない実力主義的マネジメントスタイルが適合します。  企業が大きくなればなるほど社会的責任が大きくなりますので、終身雇用や安定した処遇が強く求められるようになります。そのため日本企業全体という観点でみると50歳管理職型のようなスタイルに次第に変容していくとも考えられます。50歳管理職登用というのは一見あり得ないという感覚がありますが、理論上は一つの適正なスタイルだということで、一笑に付すことができない重要な論点です。