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人材開発

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タレントマネジメントの導入 | 人材アセスメント

タレントマネジメントの導入

 最近、クライアントの担当者との会話で、タレントマネジメントについての話題になることが増えた。このタレントマネジメントは、多様な人材が在籍する大手企業を中心に導入が進んでいるが、タレントマネジメントを行う理由とは何だろうか。  タレントマネジメントは、自社のタレント(社員)に、自身が保有している能力やスキルを最大限に発揮してもらうことにより企業成長につなげていく取組みで、採用~配置、育成、評価等々の人事施策を戦略的に行うことを指す。人材の流動化が激しいアメリカで、優秀な人材の定着を目的として1990年代に考案されたと言われている。  かつて日本は大量採用が主流で、企業はできるだけ多くのポテンシャル人材を獲得することに注力していた。入社すれば定年までその企業に在籍する終身雇用制度が一般的であったため、入社後にじっくりと時間をかけて企業が求める人材へと育成していく余裕があった。  しかし現在は、労働人口の減少により、企業が求める経験やスキル、素養を備えた人材を採用することが必要になってきている。このタレントマネジメントを活用すれば、募集するポジションの人材要件や配属先のタレントの傾向を確認できるため、採用活動を今までより円滑に行うことができる。また、個々人のスキルや思考、価値観を把握することで、誰をどのポジションに配属すれば生産性が上がるのかが分かり、最適な人材配置が可能になる。  また、雇用形態や働く環境の多様化も導入理由の一つだ。今は転職することが普通になり、ひとつの企業のために働くという考え方が薄れ、業務委託やフリーランス、あるいは副業なども普及してきた。企業はいっそう自社の方向性や経営ビジョンに共感し、成長を支えてくれる人材を確保することが必須となっている。そこで人的資本となる社員の思考や価値観を把握し、企業が求める人材の発掘や定着に生かすため、タレントマネジメントに注目が集まるようになっているのだ。  一方、タレントマネジメントシステムを導入してもうまく機能しない、期待した効果が得られないと悩む企業も少なくない。 タレントマネジメントを行う際に注意しなければならないことは何だろうか。何よりも重要なのは、「タレントマネジメント」を自社に取り入れることによって何をしたいのかを明確にしておくことだ。社員をデータベースで管理するからと情報だけ蓄積しても、活用しなければ宝の持ち腐れとなってしまう。また、その目的を理解できなければ、個人情報を集めるということに不信感を持つ社員、なかなか情報を提供しない社員も出てくるだろう。そのため、タレントマネジメントの目的をできる限り開示して、社員にアナウンスする必要がある。自社の組織課題を整理した上で、取得した情報を何に活用するのか、データを蓄積し、どのように管理していくのかを考え、それによって何を成し遂げたいのかを明らかにする。そして人事、現場、特に経営陣としっかりと事前にコンセンサスを取り、計画的に実施していくことが大切だ。

人材育成の本気度 | 人材開発

人材育成の本気度

 選抜型の、次期経営リーダーを育成する教育施策を数多く提供してきた。  基本は経営リテラシーを学ぶための半年間の連続研修の形式。各研修の事前に基本知識の学習と課題に対して自身の考えをまとめる作業を課し、研修当日は議論とアウトプットに集中。事後には、研修テーマを自身の組織や自社を題材にして考察したレポート提出を都度課す。連続研修の最後には経営に対する施策提言を組みこみ、社長以下全役員のタフクエスチョンに晒され、経営目線から評価されるイベントで終わる。  この最後のイベントの狙いは、もちろん優れた施策提案があればその実施について経営陣が合意しすぐに開始できるようにすることだが、多くは実践できる施策への期待というよりも、優秀な候補人材をさらに成長へむけブーストすることである。ゆえに、多様なタフクェッション(=厳しい質問や指摘)が、経営のリアリティに気付かせるための教育的な叱責として繰り出されなければならない。そこに、聞き手である社長以下経営陣の姿勢と力量が大きく問われことになる。  ゆえに、このイベントは、決して締めくくりのセレモニーではなく、一連の経営リーダー育成施策の成否を分ける勘所である。ときに、提言の未熟さにいらだちおもわず頭ごなしに切り捨ててしまう社長が著しく受講者のモチベーションを棄損してしまったり、経営難の渦中にあるせいか受講者から提案される案に前のめりに食いついて、会社への不安感を抱かせてしまったりといった逆効果の逸話も聞く。時間と労力と費用を投下し経営人材育成に臨んできた取り組みが、最後の最後で失敗してしまったら元も子もない。  成功させるために大事なことは、経営実践で必要な視座と視野を分からせるための厳しい指摘と、さらなる動機付けの両面を、きちんと踏まえた発言が経営陣からなされることである。経営陣が真剣に問い質すその言葉によって、自分たちの提言がなぜ至らないのかを胎落ちさせる。その問いや問う姿勢に、経営者の器というものが受講者に垣間見えることこそが意義深い。  ある会社で、経営会議の時間の前半を割いて、若手選抜研修の最後の経営提言発表をしたことがあった。各グループの発表ごとに経営陣からの質問、指摘、意見が予想以上にあって、予定の終了時間になってもまだ半分しか終わっていない。経営会議の後半では重要な決議事項が目白押しなので、打ち切らざるを得ない。残りの発表内容は資料回付で役員が閲覧し後日コメントをフィードバックするようにしたい、と事務局が終らせようとする。  と、間髪を入れず社長が「いや、それは違うんじゃないか。彼らがこんなに一所懸命に考え準備して我々に提起したいというのだから、我々はそれに応える義務があるのではないか。最後まで、じっくりやろう。経営会議の議論はそのあとだ。夜は長いし」と言った。  時間切れか、、、と悄然としていた受講生たちも、その言葉に、一様に笑顔で顔をあげ目を輝かせる。育成施策の巧拙もさることながら、経営者の本気度に勝る育成のエンジンはないのだ、と思わせる一瞬であった。

「言葉にする」ための教養 | 人材開発

「言葉にする」ための教養

 美や感性を表現する仕事、写真家や画家、デザイナーといったクリエイティブな職業のスキルのアセスメント(=ポテンシャル把握)は、「言葉にできるかどうか」でなされるという。たとえばこんな試験で、プロフェッショナル予備軍が選別される。   1.有名無名を問わず、自分が好きな作品を50~100点選び出せ。   2.そのそれぞれについて、その理由を記述せよ。  なぜ好きなのか。なにがどうなっているから魅力的なのか。なぜ美しいのか。それをきちんと言葉にできていれば、マネすることができる。良し悪しの理由がわかっていれば、あとはやってみるだけだからだ。テクニカルスキルが問われるのはそのあとだ。言葉にできることは、プロとして「クリエティビティの再現性」を獲得する第一歩ということである。  リーダーシップトレーニングのエクササイズに、「持論を書く」というものがある。管理職たちは、それぞれに経験のなかで、自分なりのマネジメントスタイルや部下をうまく動かす経験則を得ているものだが、それはおうおうにして暗黙知にとどまる。持論として書いてみることによって、それは方法論として形式知化する。つまり、人に教えられるようになる。神戸大学教授の金井さんは、リーダーたちの持論はTPOV(=Teachable Point of View)の宝庫だといった。  言葉にするということは、自分の見ているもの、自分の感じていること、自分がやっていること、を客観化することである。それが、方法論化につながり、再現性やTPOVを可能にする。しかし、その言葉が、個々人の独りよがりの見方ややり方であったらそうした効用には至らない。普遍性を踏まえかつ独自性ある言葉でなければ評価されないし有用でもない。  写真には写真の文法があり、絵画には絵画のスキームがある。リーダーシップにはセオリーがある。絵画の美を、普遍性をもった言葉で語るためには、スキームを知らなければならないし、確立されたリーダーシップ理論を学習しそのうえで自身の経験を意味付けることで、リーダーたち個々人の持論は有効性をもつようになる。  近年、経営リテラシーのなかで「真善美」が語られるようになってきた。ビジネスは、不断の価値創造の取り組みだが、VUCAの時代には、既存の価値の横展開や再利用では通用しない。原点から社会への価値創出を考えなければならない。原点とはつまり社会における自社の有用性の追求。だから真善美からの検討は避けられない。経営リーダーたちはいま、真善美について自分なりの言葉にすることが求められているのだ。  それには、スキームがいる。世界や人間や社会の認識と在りように関して繰り広げられてきた論議の数々、知の格闘の歴史といえる蓄積抜きには、社会に対峙する普遍的な言葉たり得ない。リベラルアーツとは、自分なりのかつ普遍性をもった言葉を書き出すために不可欠のスキームなのである。

水を飲まない馬 | 人材開発

水を飲まない馬

 正月に里に帰るでしょ、田舎だから親戚が集まるんですよ。こたつで蜜柑食べながらテレビ見てるときにね、「このCM作ったとは俺ばい。」って教えてやると、みんなが目を丸くして「嘘じゃろう!すごかね!」って驚く。それが面白くて今の会社で仕事しとるんですよ。・・TVコマーシャルの制作をしている友人が、にやにや笑いながら、ぼそっと語る。  企業で働く人々に出世欲が無くなったという。パーソル総合研究所の調査によれば、アジア太平洋地域の14の国、地域の主要都市で働く人々の中で、管理職になりたい、という人の比率が、日本は14番目だったとのことだ。また、日本生産性本部の調査によれば、「どのポストまで昇進したいか」という質問に対する答えで最も多かったのが、「専門職」の17.3%、その次が「どうでもよい」の16%だ。  終身雇用のわが国企業では、管理職人材をそれ専用に雇ってくるということをしないから、内部昇進によって管理職を生み出す。プレーヤーたる実務者の中から優秀な者選び出して、マネージャーたる管理職に昇進させるという方法が長く採られてきた。このシステムの下では、いきおい、「良い成果を上げたら褒美として管理職に上げてやろう」というセリフで実務者層の士気を上げてきた。いわば論功行賞としての昇進である。「昇進」をがんばりの動機付けにしていたということだ。  昔は、これでも会社がうまく回っていたのだろう。今の企業組織の基礎が出来上がった大量生産、高度成長時代には、会社の業務は大いに標準化され、社員の一人ひとりは今日何をすればよいか、よくわかっていた。だから、管理職がこと細かな指示をしなくても、組織として成果を上げることができていた。加えて、管理職の給料はそれなりに高く、名誉もあった。 ところが、今の時代、買い手の志向が多様化して、売るモノ、提供するサービスが複雑化した。そして管理職は、部下の一人ひとりに細かい指示を与えなければならなくなった。管理職に昇進した「トッププレーヤー」にとっては、全く違う職種に乗り換えたようなものだ。 よくやった、と褒められて、管理職に昇進したとたん、君はなぜきちんと部下を指導しないか、と責められる。だが、部下を指示指導する訓練など受けていない。これはどうしたものか、と混乱する。これまでより広範で重い責任、慣れない人事評価、ワークよりライフのほうに興味がある部下たち、残業代で部下には抜かれてしまう程度の月収・・・魅力の無いところばかりが目立ってしまう。もはや、昇進なんて「どうでもよい」訳だ。  「昇進」よりは「キャリアアップ」やろうね、と件のCMクリエーターは言う。彼にとっては、「昇進」という言葉には責任だけが重くなって好きな仕事ができないネガティブな印象があり、「キャリアアップ」という言葉には、自分の腕一本で成果を上げ、より面白い仕事を得られるといった、ポジティブな印象があるのだろう。  これを聞くと、「管理職への昇進」を動機付けの主たる因子に置いて能力を発揮させよう、成果を上げさせようとする従来型の仕組みには、限界があるように思える。キャリアゴールは一流専門職であり、それに向かって切磋琢磨しろ、と言ったほうが、より強い動機付けになるような企業が数多くあるのではないだろうか。社員ががんばろうとする意識の源泉に何があるのか、「昇進」に代わる魅力的な誘因は何なのか、時代の変化をよく見定め、人事制度の全体を見直す必要がある。古いイギリスの諺に曰く、馬を水辺に引っ張っていくことはできても、水を飲ませることはできないのだ。

「型破り」と「形無し」の違い | 人材開発

「型破り」と「形無し」の違い

 タイトルの「型破り」と「形無し」の違いを知ったのは、18代目中村勘三郎の言葉からだ。元々は無着成恭(むちゃく せいきょう)という僧侶が、子ども電話相談番組で「型破りと形無しの違いはなんですか?」という質問に対して、型がある人間が型を破ると「型破り」、型がない人間が型を破ったら「形無し」。と回答した内容となる。  歌舞伎の世界、芸事の世界では幼少期のころから徹底的に基礎を叩き込む。おそらく、その弛まぬ習練によって作り上げた基礎があるからこそ、「型破り」は見るものを魅了するのだろう。洗練された「型」の先にしか「型破り」は存在しないのである。  この「型」は人事制度においても存在する。会社1社1社に経営理念があり、事業規模も業種も様々ではあるが、人事制度に共通する点はないのかと問うと、そうではない。  例を挙げると、同業種、事業規模が同等の企業であれば、組織構成は類似し、給与水準は採用競争力の観点から同水準となる。また、社員に求める知識、スキルも同等であることを想定すると、教育体系は相似し、実施しなければならない研修も似るだろう。  では、人事制度の「型」をどの様に構築すればよいのか。それは適切なプロセスに沿って、人事制度を構築することになる。例えば、以下の様なプロセスで行う。 1.現状把握のための多角的な分析の実施 2.分析に基づいた問題・課題の抽出 3.人事制度設計方針及び領域別施策の検討 4.人事制度設計の構築  「ひらめき」や「勘」ではなく、事実に基づき、適切なプロセスに沿って人事制度を検討していくことを推奨する。抽出した問題や課題は企業によって様々ではあるものの、業種、事業規模、現在の人事制度及び人事制度の運用状態などの観点から分析をすると、傾向があることに気が付く。その傾向から方針・施策を検討することで人事制度の「型」に行き着くのである。  人事制度を構築する上でも、この「型」は非常に重要となる。この「型」がなければ、会社の風土や慣習、経営理念に沿ったオリジナリティの高い人事制度を構築しても、それが正しいどうかの判断がつかない。「型」は新旧の人事制度の比較だけでなく、構築した人事制度が正しいか否かを判断するためにも重要な役割を果たすのである。  一方で、他社の人事制度改定の成功事例から、自社に合った人事制度を導入したいと考える企業もあるだろう。インターネットで検索をすれば、他社の成功事例を目にする。オリジナリティに富んだ、様々な人事制度が存在している。ここで注意をしなければならないのは、成功した企業の事例が絶対の正解とはならない点である。成功した企業の事例を後から分析し、成功要因を抽出することは出来ても、再現性があるかどうかに疑問が残る。成功した企業と自社の状況が異なる以上、同じことを実行し、同じ様に成功するとは限らないのではないだろうか。  改めて伝えると、人事制度設計において重要な事は、適切なプロセスを徹底的に実行していくことである。他社の成功事例をそのまま自社に導入する「形無し」人事制度ではなく、現状の問題や課題を改善するための方針、施策に基づいて人事制度の「型」を固めた上で、社員の従業員満足度や勤続意向を向上させるための「型破り」な人事制度を構築していく。  オリジナリティのある人事制度、洗練された人事制度を構築するために、まずは「型」から固めなければならないのである。

未来への舵取り<br />管理職になりたがらない若手や早期離職してしまう若手に向けての提言 | 人材開発

未来への舵取り管理職になりたがらない若手や早期離職してしまう若手に向けての提言

未来を担う若手諸君へ。  先輩として50代を迎え、数々の経験を積んできた私から、管理職への抵抗や早期離職への理由に向き合う上で重要な視点を共有したいと思います。キャリアの岐路での選択は一つのステージに過ぎません。その先に広がる未来への舵取りについて、ぜひ考えてみてはいかがでしょうか。 1. 「成功」の定義を見直す  若手の皆さんの中には、管理職になることが唯一の成功だと考える者もいれば、それに抵抗を感じる者もいる。しかし、成功とは人それぞれ異なるものであり、それが必ずしも役職や給与に結びつくものではないことを理解することが大切だ。キャリアの成功は、自分自身の価値観や目標に基づいて定義されるものであり、他者の期待に応えるだけでなく、自分の意義や喜びも含まれている。 2. 職場の文化と自己調整力  若手の皆さんが管理職を避ける理由の一つに、職場の文化との不一致が挙げられることがある。しかし、組織は変化するものであり、現在の状況が永遠に将来も続くわけではない。まずは自分が働きやすい環境を模索し、同時に変化に対応する柔軟性を育むことが重要だ。職場の文化に馴染まない場合でも、自分の強みを活かし、ポジティブな影響を与える方法を模索することがキャリアの成功に繋がる。 3. 専門性とリーダーシップのバランス  若手の皆さんが管理職に上がることで専門性を失うのではないかという不安があるかもしれない。しかし、管理職としてのスキルは専門性と同様に重要であり、そのバランスが真のリーダーシップを生む。自らの専門性を磨きながらも、新しい役割に挑戦し、組織全体を俯瞰する視点を養うことが、将来のキャリアにおいて大いに役立つだろう。 4. 資格やスキルの積み重ね  将来的なキャリアにおいて、資格やスキルの積み重ねは重要な要素となる。管理職になることが目標であれば、マネージメントやリーダーシップに関する資格やトレーニングを積極的に受講することを検討しよう。逆に、専門性を強化したい場合は、関連するスキルや資格の取得を進めることが重要だ。これらはキャリアの柔軟性を高め、新たなチャンスに備える力となる。 5. キャリアの中・長期ビジョンを描く  キャリアは一つのポジションや職種に縛られず、中・長期的なビジョンを描くことが重要だ。目の前の仕事だけでなく、将来的にどのような役割を果たし、どのような影響を与えたいかを明確にしよう。その上で、現実的なステップを踏むことで、キャリアを着実に築いていくことが可能だ。  未来を見据えたキャリアの選択には様々な選択肢が広がっています。管理職になることが重要だと感じるならば、そのステップを踏む準備を進めつつ、自らの価値観やビジョンを大切にして欲しいと思います。一方で、他のキャリアパスを選ぶこともまた一つの成功だと理解し、その中で充実感を追求して欲しいと思います。決して、管理職になると時間外手当がなくなるからとか、今すぐにやりたい仕事ができないからという短絡的な理由で判断をして欲しくないと思います。  今は、若手でも皆さんも確実に歳はとります。マネジメント経験もなく、もしくは専門性もない自身の40代、50代を想像してみて下さい。いや、決してそうなって欲しくないです。 今回の提言が皆さんのキャリア形成において、少しでも参考になれば幸いです。未来への舵取りは、今、この瞬間から始まります。

信頼回復への鍵は人事の再構築!不正行為防止の具体策とは! | 人事制度

信頼回復への鍵は人事の再構築!不正行為防止の具体策とは!

 昨今、企業の不正行為が社会問題となっています。不正は企業の信頼を揺るがし、組織の健全性を損なうだけでなく、社会全体にも悪影響を及ぼします。このような不正が起こる背景には何があるのか。また不正を防ぐために人事としてできることについて考察してみたいと思います。  A社では、長年にわたり堅実な経営を築いており、業界でも名が知れるほど拡大しましたが、不正行為の発覚によってその信頼は揺らぎました。このような不正が起こる背景には、組織文化の欠如や報酬制度の偏りなどが挙げられます。経営陣が目先の成績に重点を置き、倫理観や社会的責任を軽視した経営方針が、不正行為を招いたのです。また、人材配置においても、適切なポジションに適切な人材を配置することが怠られ、モチベーション低下や不正行為への誘因となりました。  信頼回復と不正防止には、まず組織文化の再構築が不可欠です。経営陣が倫理観と社会的責任を実践する姿勢を示すことで、従業員に模範となる行動を醸成します。透明性を高め、情報の公正な共有を行うことで、不正行為を未然に防ぐ土壌を築くことが重要です。  最も着目すべきは過度なノルマです。それによる行き過ぎた昇降格制度にあります。評価制度において、数字至上主義的な短期的な成績だけ求める評価でなく、長期的な企業価値や社会的貢献を評価する仕組みを構築が必要です。成果主義だけでなく、倫理的な行動を評価し報酬に反映させることで、不正への動機付けを低減します。また不正行為に頼らずとも働きが評価される環境を整備することも重要になります。  適切な人材の配置には、個人の適性と組織のニーズを考慮した人事評価が欠かせません。適材適所の配置によって従業員のモチベーションを高め、不正行為のリスクを軽減することができます。  教育とトレーニングの強化も効果的です。従業員に対して倫理的な行動やコンプライアンスの重要性を理解させる教育を実施することで、不正行為への意識を高めることができます。リスクマネジメントのトレーニングによって、不正リスクを見極める力を養うことも重要です。  組織全体での協力と監視体制の強化が不可欠です。従業員が不正行為を報告しやすい環境を整えるためには、経営陣が不正行為を許容しない姿勢を示すことが不可欠です。内部監査や監督機関の強化によって、不正行為の早期発見と是正を図ることが重要です。  不正行為の防止には経営と人事の連携が不可欠であることを示しました。人事としてできることがこれだけあったのだと気づかれたと思います。信頼を築く組織への挑戦は容易ではありません。しかし、適切な人事施策を講じることができてさえいれば、A社も不正を未然に防止できて、ここまで大きく社会的信頼性を失うことはなかったのではないかと考えざるをえません。

二刀流人材 | 人材アセスメント

二刀流人材

 有名な方なので、詳細な説明をする必要はないと思いますが、投打二刀流の大リーガーの大谷翔平さんについて少しだけ説明させてください。プロフェッショナルな世界というのは、ある特定の領域を極め、研ぎ澄まされた才覚をもった人材が更なる努力を重ね、しのぎを削っております。だからこそ、その領域でトップレベルに君臨することに最大限の価値があり、賞賛されます。大谷翔平さんは、本来1つしか勝ち得ないトップレベルの領域を2つもっていることで、注目を集め、また唯一無二の存在として君臨しています。まさに「二刀流のプロ」と言えます。単純に2倍頑張れば、実現できるわけでなく、いずれも追及しつつ、相互の刀を磨きあっているかのようにさえ思えます。二刀流を実現するための技術を持っているに違いありません。  この二刀流の技術はビジネスの中でも大変参考にすべきと思います。スキルや適性などの特徴面から対極にある相容れないであろう概念を組み合わせることで、新たなる価値や相互の機能および全体の効果の最大化を果たせるのではと思います。単なる人事ローテーションやジェネラリストとは一線を画す必要があります。対極にある相容れない領域を2つ極めるという点が重要です。  最大の効用は万能さが高まる点です。人事領域おいていうならば、人事制度などのハード面の仕組みしかつくれなかった人が、組織開発など働く人と人との関係性を高め、組織を活性化させるソフト面の施策までできるようになるようなことです。守るために攻める、攻めるために守るなど、この柔軟性は魅力的であり、対極となる相容れない二つの価値観を受け入れることの謙虚さ、視野の広さ、視座の高さなども磨かれるはずです。人間性も高まるかもしれません。  失敗しがちな人事の施策の特徴として、この対極にある相容れない領域に対する取り組みのバランスの悪さがあげられます。人事システムは作ったのだが、活用ができなかった。新しいビジネスを担う人材を適切に採用はしたのだが、外部環境に転職したほうが活躍できる人材の退職勧奨ができなかったなどです。この二刀流を極めたときにこそ、真の目的を達成が最も効果的に得られるはずです。  また大切なことは役割分担ではなく二刀流人材であるということです。どうしても効率さを追求すると組織を分け、担当を分けるなど体制をとるのが一般的ではあります。ただおそらく対極にある相容れない人材どうしだからこそ、連携の難しさが生まれてしまいます。二刀流人材がたくさん存在することで、この心配はとても少なくなります。二刀流人材が行う施策は効果的であり、組織のパフォーマンスが最短で高まるということです。そしてそうそう容易には実現はできないであろう二刀流を極めるこのわくわくするチャレンジングな体験は、エンゲージメントを追求していくひとつのトレンドにさえなるかもしれません。

人の成長に必要なこと | 人材開発

人の成長に必要なこと

 皆さんは人の成長には何が必要だと思いますか。  いろいろな答えが浮かびますが、私の答えは、「様々な人と会話をすること」、「会話を通して相手の良さ、自分の良さに気づくこと」の2つです。  なぜ、その2つなのかですが、そう答えた理由は、これまでの自身の経験に基づいています。 私は30代前半で、企業人事の管理職から人事コンサルタントになりました。今でこそ、人事コンサルティング会社のシニアマネージャーという肩書で仕事をしていますが、転職間もないころは、人事コンサルタントの仕事をうまく自分のものにできずに苦しんでいました。上司からは、何度も会議室に呼び出され、「このまま成長の兆しが見えない場合は、この仕事を続けていくのは難しい、別の仕事を考えたほうが君のためだ」と、何度も言われて、途方にくれていたことをよく覚えています。  あるとき、私は東北の建設会社で人事制度見直しの提案を行う機会がありました。その当時、私の上司は多くの案件を抱えていたこともあり、私への最後のチャンスの意味も含めて、この提案を担当させたのだと思います。現地でのプレゼンテーションは、提案内容をしっかり伝えることで精一杯だったせいか、あまり印象に残っていません。しかしプレゼンテーションを終えた後、先方の社長・役員から、プレゼンテーションの内容について、質問を受けて回答したことは鮮明に覚えています。なぜなら、その受け答えについては、自分でもはっきりとこれまでとは違って自信を持って回答でき、お客様に納得いただけたという手ごたえを感じることができたからです。  なぜこのとき私は、自信をもって受け答えができたのでしょうか。  実は、この提案までに、コンサルタントとして思うような活躍ができていない状況を打破するには、どうすればよいのか、ずっと思案していました。しかし、自分だけで考えてもなかなか明快な答えはでてきません。そこで、「学校の先生は授業を通して生徒に教わる」という話を思い出し、それなら「コンサルタントはお客様との関係づくりで成長できる」のではないかと考えました。そこで、その時担当していた他のお客様と、会話をする機会を積極的に増やすことにしました。そして、お客様が望むことは何かを可能な限りキャッチアップしました。会話の際には、情報のキャッチアップだけでなく、会話自体のコントロールの仕方(話の切り出し方、会話の間の取り方、声の強さ、相手の思考を支援する質問内容、会話を今何分しているかといった時間管理等)を、意識して行ったことを覚えています。 改めて振り返ると、この活動を通して、「情報」・「思考」・「受け答え」といった、ビジネスで重要となる要素を、会話という真剣勝負の機会で鍛錬できたことが、提案後の受け答えがしっかりできた理由だと思います。  提案が終わり、空港で上司と反省会を行いました。これまでは反省会ではダメな点を指摘されることがほとんどでしたが、この時は、プレゼンテーションと受け答えについて、特に受け答えがとても素晴らしかったとほめてもらえました。私が今もコンサルタントを続けていられるのは、試行錯誤しながらも周囲との会話からコンサルタントとしてどうあるべきかを学び、実践したことと、その結果、上司にほめてもらうというポジティブなレビューを受けて、自身の強みに気づけたからです。  もう20年以上前の話になりますが、その時に感じた「受け答えの妙が自分の強みになるかもしれない」という思いを信じて、その後も継続して一つ一つの会話を大切な成長機会としてとらえ、自分の仕事の型を確立することができました。今では、お客様からどのような問いかけがあっても、およそ望ましい答えを外さないで的確に話をする自信を持っています。  私は、現在、教育研修の仕事をしています。私の研修では、これまでの自分の経験を踏まえて、研修成果を感じてもらえるように、可能な限り、受講生と直接会話をする機会を設定しています。具体的には30分~1時間ほどの時間枠を使って、受講生一人ずつと個別の面談を行っています。そこでは、会話を通じて受講生の思いの強化や、思考の整理を支援すること、本人の強みにつながる良い点は何かを、なるべく具体的に伝えることを心がけています。多くの方との個別面談は大変ですねと言われますが、当時の私のように、面談の場で伝えたことが、その人の成長につながるかもしれないと思いながら、一つ一つの面談を大事に行っています。

あきらめる傾聴 | 人材開発

あきらめる傾聴

 会社の運営のカギを握る管理職層、配下の社員たちとの良いコミュニケーションに欠かせないのが「傾聴」のスキルだと言われる。傾聴とは、単に情報を受け取るという意味で「聞く」のではなく、相手に肯定的関心を寄せ、内容の真意をはっきりさせながら、相手が伝えたいことをちゃんと理解することだ、と先生は教える。  英語では「I’m all ears(体じゅう耳)」と言うのだそうだ。先生が言うには、このスキルを使えば部下とのコミュニケーションはとても効果的なものとなり、意思疎通はより深くなり、仕事は円滑に進み、厚い信頼関係が育まれる。傾聴がうまく行われれば、話し手にも良いことがある。自分の言っていることを上手く整理できるのだそうだ。 しかし、効果的な傾聴には、それなりのテクニックが必要だ、と先生は言う。正しい傾聴を行うには、相手の言うことをいちいち解釈せず、心を空(カラ)にしてそのまま飲み込むことが必須。だから、しっかりとアイコンタクトを取り、よく頷き、時には相手の言ったことをオウム返しにし、間を見計らって、「君の言いたいことはこういうことだね」と要約してみせる。そのうちに部下のほうでは「私の言うことをよく聞いてくれる」という気分になり、より心を開いて本当のことを打ち明けてくれる。  米国のある有名企業でも、マネジメント研修の中に「傾聴訓練」というプログラムがあって、その始めのパートでは、部下のコメントをただオウム返しにする練習をするらしい。「課長、今日はちょっと体調が悪いのです…」という部下に、「それはいかんなあ、病院に行って診てもらいなさい」と答えるのは間違い。正しい反応は「そうか、体調が悪いのか…」とそのまま返すことだと先生は言う。  そうは言っても…と思う。仕事場で交わされるコミュニケーションはそんな悠長なものではない。がんばって傾聴しよう、とは思うけれど、やたらに話が長くて何がポイントだかわからない部下もいれば、こちらが尋ねることにストレートに応えない部下もいる。ある程度の落としどころを示して相手の意見を聞くと、妙に否定したり、批判したりしてくる者もいる。…腹が立つ。  仕事の締め切りが迫っていたり、いくつも電話がかかってきたり、落ち着いて話のできる状況ではない場合もある。まして、多様性が大事だと叫ばれる世の中だ。言語や文化が違っていて、何を言っているのだか、皆目わからない相手もいる。…困惑する。  そんな現実を考えると、「話はわかるけれど、傾聴など絵空事ではないか」と思う。しかし、良いコミュニケーションが必要なのは間違いない。うまくいかないたびに腹を立てたりイライラしたりして、結局こちらの言いたいことを押し付けるような会話になってしまったら、信頼関係を損ねることはあっても、厚くすることはできない。例の「心理的安全性」というのを築くことも覚束ない。  では、どうすればよいのか。おそらく、傾聴の障害はどうせ現れる、ということを、予めよく承知したうえで、コミュニケーションに当たることが大切なのだろう。話が長くて何を言っているかわからない部下がいたら、「…そうくるよね」と、日本語がカタコトで何を言っているかわからない部下がいたら、「…そりゃそうだよね」と、思う。思えば、腹が立つことはない。時間が無ければ、またの機会に話せばよい。  なんだか、傾聴などどうせうまくいかないさ、と諦めているように聞こえる。だが、調べてみると、諦める、という言葉の語源は「明らかに観る」ということだそうだ。コミュニケーションの相手の性質を客観的に観察して明らかにしながら話し合うことで、少なくとも腹を立てたりイライラしたりすることを防ぐことができる。傾聴という素晴らしいコミュニケーションスキルの出発点は、この辺りかも知れない。

上司は振り返る力・観察する力を高めたい | 人材アセスメント

上司は振り返る力・観察する力を高めたい

 ある日のこと、上司A氏は人事からメールされてきた部下の人材アセスメントのレポートに目を通していた。ある部下のレポートにはこう記してあった。 「基本的な志向は周囲と業務に関する情報を共有し、協働的に目の前の仕事をすすめることと考えられる。・・・」 このコメントを読んだときにA氏は違和感を覚えた。それは、彼は「情報共有?情報は自分の業績UPのために使っているような・・」「誰かと協働?結構暴走するけど・・」「あれっ?」という明らかな違和感であった。  実はこれ、私が過去の報告会など見受けた出席者のリアクションであるが、このような違和感を覚えたかたも少なからずいらっしゃるのではないだろうか。 人材アセスメントのレポートの内容と皆さんの実感との間に齟齬がある主な原因は、下記の3つがあるように思える。   ・外部評価上の課題   ・その企業独自の専門性の有無   ・業績評価と行動評価の混同  1つ目は、外部から評価できることには限りがあるということである。アセスメントでは姿勢、対人、思考、業務遂行の4つの能力について評価するが、アセスメントで行われる職務シミュレーションでは、どうしても意思決定のプロセスなどの思考面の観察が中心になる。とくに対人面においては観察できる範囲があるため、そういった点では、部下の日常に関する情報は上司のほうが多くもっているはずである。そのため、アセスメントのような外部評価との齟齬が生まれるのかもしれない。  2つ目は、部下のもつ企業独自の専門性の高低が部下に対する評価に無意識に入りこむことである。専門性を評価することは必要なことだが、アセスメントでは個人のもつ専門性は一切考慮されないため、専門性の評価を切離した外部からの評価は、自身の日常的な実感との違和感を覚えるのかもしれない。  3つ目は、よくあることだが、売上や利益の予算を達成できるから、マネジメント能力もあるという誤解である。売上、利益予算の達成度に対する評価はあくまで業績評価であり、業績を得るにいたるプロセスは行動評価を行う。そこを切り分けて評価していないと、「業績をあげる人=マネジメント能力が高い人=アセスメントの評価の高い人」という考えをもってしまう。そのため、出てきたアセスメント結果に対して違和感を覚えるのかもしれない。  人材アセスメントは、社内人材で判定し切れないであろう能力を外部の視点で観察、評価し、現状分析や将来への提言をレポートの形で示す。評定・レポートを部下の指導、育成に生かすのは上司である。  だからこそ、上司は、アセスメント結果を読み、自分の部下の日常の行動に、レポートにあるような行動がなかったかを誠実に振り返る。振り返ることができなければ、改めて部下との関わりかたを変えてみて、観察できるようにしてみるのである。 アセスメント結果と部下の日常の行動への認識との距離を縮め、自身の心に抱く違和感を小さくしていくために、部下の成長支援のために、上司の任たる者こそ、振り返る力、観察する力を高めたい。

いいわけ文化がイノベーションを阻害する | モチベーションサーベイ

いいわけ文化がイノベーションを阻害する

 新製品や新サービスが次々に生まれる会社と、何か閉塞感のある会社は何が違うのだろうか。 数多くの企業研修に立ち会わせていただいていて分かったことがある。言い訳が多い会社では新商品は生まれにくい。  「忙しいから」「上が決められないから」「若手が育っていないから」「予算が厳しいから」そんな言葉が飛び交っている会社は要注意だ。  いやいや、成功している会社は時間や予算に余裕があって、素晴らしい経営陣と主体的に動いてくれる若手がいるんでしょう?と思うかもしれない。でもちょっと待ってほしい。そこで思考停止に陥るかどうかが分かれ道だ。  言い訳が多い会社の特徴として、管理職が「部下に失敗をさせないこと」に注力している点が挙げられる。きちんとマネジメントをすべく、きっちり計画を立て、分からないことがあれば親切に教えてあげる。部下に過重労働させるわけにはいかないから自分が誰よりも働く。誰よりも頑張っているからこそ、何か問題が起きたときに上司に叱られるのは理不尽に感じる。「自分はしっかり仕事していたのに」「自分は悪くないのに」と考えてしまう。  上司に「なぜ失敗したんだ?同じ失敗を繰り返すな」と注意をされた部下はもうチャレンジをすることはない。「上司に文句を言われないように仕事をする」スタイルになっていく。 きちんとマネジメントすることが悪いのではない。ただし全てのことを失敗しないように進めようとするのは危険だ。確実に成功するチャレンジなどない。失敗のリスクがあることこそがチャレンジと言えるのだ。  チャレンジを推奨する文化がある会社では、失敗が起きたときに「誰が悪いのか」は焦点にならない。だから言い訳をする必要もない。周りの人は失敗を責めるのではなく、どうにか自分が手助けできないかと考える。失敗を失敗で終わらせない。その失敗から学んだことをどのように活かし、次のチャレンジに繋げるかが重視される。失敗したときに周りが助けてくれた、失敗を乗り越えて成功をつかんだ経験を持つ人は強い。次のチャレンジも迷うことはない。  若手がチャレンジしないことを嘆くよりも、まずは自分から、そして周りの人の行動を変えることから始めるべきだ。