吉岡 宏敏 |11 |執筆者|㈱トランストラクチャ

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吉岡 宏敏

column
コミュニケーションに「こころ」はいらない | その他

コミュニケーションに「こころ」はいらない

縁あって、平田オリザさんの話を聞いた。 平田さんは、劇団を主宰するとともに、現代演劇の理論化とそれを活用したコミュニケーション教育で知られる。16歳のとき自転車で世界一周したことは有名だが、近年は、大学の教員も歴任し、管直人政権下では内閣官房参与の任にあった。 そのなかで、大阪大学で共同研究している「ロボット演劇」の話があった。ロボットが劇を演じ、人が観客として鑑賞する。そのお披露目では、ロボットの演技で、観客は涙を流したという。感情も意思もないロボットも、演じることで人を感動させられたということだ。 ロボット演劇が成立するとしたら、演技つまり“コミュニケーションの型”が的確でさえあれば、自身の感情や思い、価値観とは無関係に、人を動かすことができるということではないか。これは、企業組織のなかのコミュニケーションを考える際にも示唆的である。 以前、ある仕事で複数の企業の管理職者たちに、「リーダーシップの持論」をインタビューしたことがある。主旨は、部下育成に優れるリーダーとおぼしき方々を選定し、「人を育てるリーダーとは何か、どう行動しているか」を聞いて、類型化することだった。どの方の話も自身の実践の中で培われた方法論で興味深いものだったが、ある女性管理職の方の言葉が印象的だった。 彼女は、管理職を「どう効果的に演じるか」について語り、また、部下にも「あなたの役割を演じるんだ、とまず考えなさい。あなた自身と役割は別のものだから」と指導していると言った。 そのとき「管理職を効果的に演じる」といわれてみて、リーダー達がそれぞれに実践している行動を改めて振り返ると、確かに、みな芝居がかっていた。それが、リーダーシップ・コミュニケーションという型(=演技)ということだ。 さらに彼女のスタンスは、管理職でなくても、若い社員であっても業務の役割があり、組織の一員という役割もあるのだから割り切れ、ということである。そして、役を演じろと。 ロボット演劇の話は、コミュニケーションに「こころ」はいらないという極端な仮説である。コミュニケーションとはそういうものだ、とは短絡できないが、ただ、コミュニケーションに「こころ」は必須ではないという指摘は、大事なことだろう。「こころ」とは、あるがままの自分とか、本当の自分の思いであり、それを考えるあまり、組織のなかで不具合や葛藤が起こってくることもある。 若年層に頻出しているメンタル失調やそれに伴う離職者が多いことには、こうした不具合も原因しているのではないか。自分を見つめなおしたり、あるがままの自分であるべき、といった内省は、会社で働く上で必要がない。会社の一員としての「役」を、いかに意識的に演じるか、という姿勢があればいい。 平田さんの演劇教育は、企業研修にも応用可能である。タフな社員を育成するために、新入社員の時から、「役」を演じる面白さ、楽しさを教える施策として、展開してみようと思う。 以上 参照 コミュニケーションに「こころ」は必要 という立場でコラムの執筆があります。 (リンク先はこちらです↓) https://www.transtructure.com/column/20100809/

麻薬的残業の正体 | その他

麻薬的残業の正体

「なかなか残業が減らせない」という声が、多くの人事担当の方々から聞かれる。業務効率の向上はもちろん、過重労働の軽減やワークライフバランスを考慮した働き方の要請からも長時間労働をなくしていかねばならないが、その実現は簡単ではない。 その理由には、「当社の仕事は“特殊”だから」という、“共通”したものや、「お客さんに合わせざるを得ないから」、「なによりもまず業績回復」といった組織の状況があげられるが、従業員の側にある要因の指摘としてしばしば聞かれるのが、目先の仕事に没頭してしまう自発的かつ習慣的残業。好きで残業しているとしか思えない、いわば、「麻薬的残業」である。 ITエンジニアやクリエイティブワークといった顧客とともにモノを作り上げていくタイプの仕事に多い、「時間をつぎ込むだけ品質が上げられる」との想いで、際限なく残業を続ける人々の存在である。彼らは、強制されてではなく自ら進んでやっているように見えるし、かつてのWorkaholic世代であった上司からみれば「まあ仕方がない」とも思える。ライフの充実のために残業するな、と命じても、家に早く帰ってもやることがないとまで言われれば、それはそれである種のワーククライフバランスか、と納得したりする。 麻薬的残業の麻薬性は、目の前の仕事の面白さや分かりやすい顧客満足の手ごたえにある。たとえば多様なプロジェクトワークのなかで顧客との同志的な感覚や達成の高揚感を感じる。顧客満足の向上は、自分の価値の向上にも思える。結果、日々の仕事に耽溺し、多大な時間を投下するということになる。 この限りでは、たしかに理解はできる。やりがいを感じて働いている分、よしとしたい、と言えなくもない。問題はこの働き方がメリハリなく習慣化していることである。仕事の緊急度や求められるアウトプット品質のレベルにかかわらず常にだらだらと残業を続けることをやめられない。その常習性が問題だ。 そこには、不安からの逃避という心理があるのではないのか。仕事の分かりやすい面白さにのめり込むことで、本来の仕事のあり方や自身のキャリアやビジョンの不安から、意識的にか無意識的にか目を閉ざしているのかもしれない。そのことが、将来の仕事やキャリアのための自己投資の時間確保を阻害し、成長への不安をまた醸成するという悪循環。 だとすれば、これは個人の側だけの問題ではなく、やはり組織の問題だろう。麻薬的残業の足元にある不安は、組織の将来の不安に起因するはずだからだ。 背景にある組織の不安仮説としては、自社のビジネスモデルへの不安、そこにもとずく人材像の不安、あるいは組織の在り方の不安。つまり、会社の事業の将来が見えない、仕事の将来が見えないということが、自分自身のキャリアや成長目標を見えなくしている。どんな能力開発に投資すべきかが分からない。そうしたビジョンやメッセージが伝わってこない組織が、自分の価値を見失わせ、目先の仕事に逃避する。 いわば「ビジョンなき繁忙」が生み出すメリハリのない麻薬的残業。タイムマネジメントの実践には、この観点も忘れてはならないだろう。