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column

立川談志さん

 まだ元気だったころの立川談志さんをよく上野で見かけた。

 もう閉店してしまったけれども、上野広小路にあった深夜まで営業している小さな蕎麦屋「さら科」で、夜、呑みつつ蕎麦を手繰っていると、バンダナ巻いた談志師匠が、「オヤジ、生きてるか!?」と入ってきた。客の邪魔にならないよう、厨房よりの小上りにちょこんと腰かけると、親しげに店主と話してる、そのテンポのよさ。高座の噺を聞いているようだった。

 いつもは不愛想な店主も嬉しそうで、なにやら写真集を取り出しては、その贔屓にしてるカメラマンのことを話し始めた。ちらと「戦争がはじまる」というタイトルが見える。反骨のカメラマン、福島菊次郎さんの新刊だった。「へえ、そうかい、てえしたもんだな」と合いの手いれながら、愉しげなやり取りがひとしきり続いたと思ったら、唐突に、「じゃあ、またな!」と蕎麦を食べることもなく、出て行った。

 恰好よかった。あったかくて、そして小気味よかった。この一瞬、ここに身を置いていた巡り合わせに感謝した。いま思えば、亡くなったあとに夥しい本や追悼番組で語られた家元立川談志の素顔そのものだったし、晩年、噺が語られる時になくてはならないとよく言っていた「江戸の風」が、たしかにそこを吹き抜けたのだった。

 なにより、様(さま)になっていたのである。様になるとは、外見や立ち居振る舞いの格好がついていることだ。それは、外側をいくらまねてもなかなかできなくて、経験や取り組みの蓄積だけが可能にする。新入社員のスーツ姿が様になるには、社会人職業人としての物事への取り組み方がわかってきてからだろうし、プロフェッショナルとしての様の裏側には、社会人であれ、芸人であれ、情熱をこめてストイックに打ち込んできた歴史があるはずだ。きっとそこには、技術だったり、製品だったり、ユーザーだったり、対象への深い想い入れや愛情があり、それがその人なりのプレゼンスとして立ち昇るのだろう。

 当時、黒門町(文楽)や稲荷町(彦六)の名人たちはもういなかったが、上野界隈には、男振りよい談志が出没していたのだった。縁あってこの地に越してきてよかった、と思ったものである。よく通ったことで有名なのは鰻の「伊豆榮」だが、談志さんにはやはり蕎麦屋が似合う。「池之端藪」や「連玉庵」、少し足を延ばせば、「並木藪」と風情ある蕎麦屋は多いけれども、そんな老舗ではなくて、偏屈親父がやってる小さな「さら科」にいる談志こそが素晴らしい画だった。

 最晩年、掠れて出ない声を張り上げて、嬉々として好きで好きでたまらない主人公=佐平次を演じた「居残り」で見せる笑顔が、そこに輝いていたからだ。

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