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column

リタイアメントを誰が決めるのか

有楽町の駅に程近い蕎麦屋で、同窓会の帰りかと思しき3人の熟年ビジネスマンが漬物をつつきながら熱心に話し込んでいた。定年後の再雇用について話が弾んでいるようだ。

「おまえの会社にも、定年後にもう一度雇ってくれる制度があるんだろう?」
「いまは法律でそうなっているから、どこの会社にもそういう制度があるよ。」
「週に2日だけ、とか、午後3時まで、とか、パートタイムでもいいの?」
「そりゃ会社によって違うだろ。」

「どっちにしても役職には付かないし、給料も半分だし、ゆったり仕事すればいいでしょ。」
「退職金も定年のときにもらっちゃうしね。」
「大した仕事は無くても毎日会社に出てきて皆の顔見たほうが、健康にはいいらしいよ。」

定年後再雇用は、まるで福利厚生制度のようだ。

70歳までの雇用義務化も遠い話ではないように思える。そんな中で、定年という制度は、企業で働く人びとにどのように映っているのだろうか。60歳であれ、65歳であれ、会社の「定年」が職業人生からの厳粛なる「リタイアメント」なのだという感覚は、先のエピソードを見てもわかるとおり、根強く残っている。その先の再雇用は、言わば付け足しだ。考えてみれば、高度成長時代に発達して半世紀以上続いてきた定年制度と長期雇用制度だ。年金支給の開始年齢が上がろうと、人生80年時代と言われようと、こうした感覚がシニアビジネスマンたちに色濃く沁みついているのは無理からぬことかも知れない。

だが、これからの時代、会社のルールのままにリタイアメントが決まる、というのがいちばん幸福なことかどうか疑わしい。そもそも、一般的な定年年齢である60歳の時点では、体力的にはまだまだ元気で働ける場合が多いだろう。再雇用制度を利用して定年後も数年働き、その後いったん仕事から完全に「足を洗う」のだが、余暇を過ごして1年も経たないうちに、「このままでは頭が空っぽになってしまう」といった不安に苛まれる。何かオレにできることはないか、高齢でも世に貢献できることはないかと仕事を探し始める。70歳を迎えてもなお、身体も心も働くことを欲しているという例は数多く耳にする。

ならば初めから、自分の仕事人生の設計を自分でやるに越したことはない。初めて勤める会社でビジネスマンとしての基礎体力を養い、専門性に磨きをかけ、次のチャンスを掴んで転職をしたら必死で働いて目覚ましい経済貢献・社会貢献をし、その後は体力の低下に合わせて少しずつ仕事のペースを緩めながら後進にノウハウを伝える。自らの役目が終わったと見るならば、定年を待たずにリタイアしてもよい。求められるなら死ぬまで働いたってよい。自分の人生だから、そのプランを自分で考え出さなければならない。キャリアまるごと会社任せにして言われるままに働き、一定の年齢で会社に言われるままに働き終えて、自動的に職業人生終了、という時代は遠からず無くなるだろう。

一体、「定年退職」は「リタイアメント」と同じことなのだろうか。正しいリタイアメントの時期は会社が決めてくれるのだろうか。それとも別の誰かが決めてくれるのだろうか。さにあらず、リタイアメントは自分で決めるのだ。そういう時代が目の前に来ている。蕎麦屋のシニアビジネスマンを数多く抱える人事部長は、したがって、そこのところを皆によく知らせ、意識改革を図らなければならない。やる気があって社業に貢献してくれる限りは相当の報酬を支払ってがんばってもらう。役割が終われば自らリタイアメントの判断をしてもらう。だから、一人ひとりの社業への貢献度がどれ程なのか、またはその役割を終えつつあるのかを、つぶさに評価してフィードバックするのは、これからの人事部の大切な責務だ。

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