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南城 三四郎

column
いつまで使う?電子メール | その他

いつまで使う?電子メール

 現代のビジネスシーンにおけるコミュニケーションツールといえば、筆頭はやはり電子メールだろう。コストがかからず、相手の時間も拘束せず、あとからやり取りの履歴を追えるといったメリットはビジネスにおいて非常に有益である。  だが、電子メールがビジネスで利用されるようになって約30年がたち、ビジネス環境もだいぶ変わってきた。日頃、電子メールのやり取りをしていて、正直、使いにくい、と思う点が目につくようになってきた。少なくとも、人対人のコミュニケーションで用いるツールとしてはかなり問題が多いのではないか、と思うのである。いくつか例を挙げると、 1.関係のないメールが多すぎる  登録した覚えないメールマガジンや、情報共有という名目でCCに入れられたメールが多く、とにかく処理に時間がかかる。  総務省の調査によれば、主要通信事業者が送受信している電子メールの約50%は迷惑メールだそうだ。 2.受信したメールを振り分けるのが面倒  様々な業務のメールが同じ受信トレイに入ってくるので、適切に振り分けないとどんどん埋もれてしまう。また、日々新たな振り分け設定をするのが非常に面倒だ。 3.多人数でのやり取りがやりにくい  CCでの情報共有に頼らざるを得ず、メールの量がますます増える。 4.相手がメールを読んだかわからない  送った後に相手に届いたか、実際に読んでもらえたかわからない。メールを送った後に「今、お送りしたメールの件ですが……」と電話をかけて確認したりすることもしばしばである。  など、一通ずつ丁寧に処理していたのでは、時間がかかって仕方がない。コミュニケーションのスピードという点に関して電子メールはかなりイケてないツールであると感じる。 B2BやB2Cのコミュニケーションや、サービス、アプリケーションからの通知などの用途に関しては、これからも電子メールが主体であるり続けるであろう。だが、やり取りの頻度が高く、スピード感が求められる社内のコミュニケーションやプロジェクトメンバー間でのコミュニケーションは、ビジネスチャットでのやりとりが中心となり、必要であれば即オンラインミーティングを行うなど、目的や用途に応じて、適切なコミュニケーションツールを選択していく必要がある。もはや、社内での電子メールの利用を禁止する、という企業も出てきているぐらいだから、早々に電子メールにのみに頼ったコミュニケーションから脱却しなければならない。  コロナ禍の中で、リモートワークの利用が拡大することにより、電話、メール、ビジネスチャット、オンライン会議などさまざまなコミュニケーションツールを利用する機会が増えている。それぞれのコミュニケーションツールの特性をきちんと把握し、目的用途に応じたツールを選択し、それを使いこなせるようになることが、現在のビジネスコミュニケーションにおいては必須のスキルなのである。

新しいスタイルへの対応 | その他

新しいスタイルへの対応

 ようやく、東京都の緊急事態宣言が解除された。安倍首相が「戦後最大の危機に直面している」と述べた日本経済も、徐々に歯車が回り始めていく中、多くの企業が頭を悩ませているのが「働き方の新しいスタイル」への対応であろう。  専門家会議の提言では、新規感染者数が限定的となった地域においても、再度感染が拡大する可能性があり、長丁場に備え、感染拡大を予防する新しい生活様式に移行していくことを求めている。厚生労働省の公表した「新しい生活様式」の実践例は、この専門家会議の提言を受け、「働き方の新しいスタイル」として、具体的に、テレワークやローテーション勤務、時差通勤、会議のオンライン化、名刺交換のオンライン化などの取り組みが挙げられている。  この「働き方の新しいスタイル」について、"コロナ前"の時点で、導入している企業と、全く導入していない(あるいは一部導入にとどまる)企業は、圧倒的に後者の方が多かっただろう。それが、この緊急事態宣言の間に、凄まじい勢いで導入が進んでいる。Zoom社によれば、昨年末に1,000万人程度だった1日あたりの会議参加者数は5月には3億人にまで急増したとのこと。ほんの2~3ヶ月前までは「オンライン飲み会」なる言葉がメディアを賑わすほどになるとはだれが想像しただろうか。  このような状況で、最大の課題は、単にリモートワークや会議のオンライン化を推し進めることではない。これまでに多くの企業が経験したことのない働き方に急速にシフトすると同時に、社員のモチベーションが高い状態を維持し、"コロナ前"と同等以上の成果を上げなければならない、ということにある。  特に、直接コミュニケーションの減少は大きな問題だ。社員の業務の遂行状況、健康、メンタルの状況について、相互に把握すること困難になることで、特定の人に負荷が集中してしまったり、逆に稼働が少ない社員が出てきたりする。また、働き方が変わる、ということは、必要とされるスキルやマインドも変わるということであり、それらが従業員のパフォーマンスに大きく影響する。従来のパフォーマンスを発揮することができなくなる社員も少なくないだろう。  少なくとも当面の間は、完全に"コロナ前"の働き方に戻ることはない。とすると、この新しい働き方のスタイルで、社員はモチベーションを高め、維持できる状態になければならない。状況が大きく変化した今だからこそ、モチベーションサーベイや360度診断といったツールを活用し、組織と個人の状況を正確に把握することが重要だ。能力を発揮する人材は、何によって動機づけられているのか、また逆に、パフォーマンスを発揮できない人はどのようなデモチベート要因があるのか、といった要因分析から見えてくるものは今後の施策展開の検討において、極めて重要なヒントとなる。  社員一人ひとりが持つ能力を発揮し、目標を達成できるモチベーションを維持し続けられる環境を提供することで組織の経営戦略が実現されることは、コロナの前も後も変わらない。いくら便利なシステムやサービスを導入し、環境だけを整えても、そこで働く人々のモチベーションが考慮されなければ、画竜点睛を欠くということになるだろう。

居残り勉強は非か? | その他

居残り勉強は非か?

 「若いころは、寝る間も惜しんで、仕事に打ち込んだ」「自宅には本や資料がないから、会社で居残り勉強の毎日だった」というのは、わりと良く聞く話だ。きちんと統計を取ったわけではないが、感覚的に40代以上の世代にそういう人が多いように感じる。 かつてはそのような勉強の仕方が奨励されていたり、そうしなければ1人前になれない、というような空気が確かにあった。  私自身も社会人になったばかりのころを振り返ってみると、会社のリソースを拝借してずいぶんと勉強させてもらったものだ。当時はOA化の掛け声のもとにPCが職場に導入されるようになってきたころで、入社したばかりの私の机の上には、これまで触ったこともないPCが置かれていた。実際の業務で使うのはワープロソフトぐらいであったが、これをうまく使えば面倒な仕事も楽々こなせるのではないか、と毎晩、会社に残って情報処理の学習をしつつ、業務での活用方法にとどまらず、どんな可能性があるのか、それこそ寝食を忘れて没頭していた時期があった。  だが、時代は変わり、今では自身の学習のためでも会社に残っていると、「業務もないのにダラダラ残っている」だとか、「会社のリソースを私物化している」とかで、服務規律、コンプライアンス違反に問われたりする。居残り勉強は是か非か?と問われれば、現在では間違いなく“非”なのだ。  さらに、現在のように、ビジネスの変化が激しい状況では、時間をかけて習得した知識・スキルが一瞬で陳腐化するリスクを考慮しなければならない。そして、今やっていることが活かせるシーンが今後も続くのか、ということを認識しておかなければならない。今まで以上に自身が学習すべきテーマを絞り込み、限られた時間の中で効率的に学習するというスキルが重要になるだろう。 自身を振り返ってみて、良いイメージのある経験が、やれルール違反だ、非効率だ、などといわれてしまうのには少々隔世の感があるが、今や会社に残って寝食を忘れてひとつのことに打ち込む、というような学び方は、要領の悪いダメ社員のレッテルを貼られてしまうのかもしれない。

パイロットフィッシュ | 人材アセスメント

パイロットフィッシュ

 職場で何か新しいことや面倒な取り組みをはじめる際に、なぜかいつも声がかかる人物がいた。中小企業の間接部門に所属していた彼は、取り立てて優秀な社員というイメージではなかったが、30代前半という若さもあったろう、どんなプロジェクトも気力と体力で突っ走っていくような男だった。  いろいろなプロジェクトに先陣を切って投入される彼であったが、なぜか、途中で他の社員にバトンタッチすることが多かった。本業が忙しくなって呼び戻されたり、どういうわけだか、プロジェクト終盤に差し掛かってくると失速し、勢いだけでは押し切れなくなるところがあった。とはいえ、あともう少しというところでプロジェクトを外される彼の気持ちを考えると、さぞ悔しかったに違いない。はたから見ていて気の毒に思うこともしばしばあった。  そんな彼のことを、仲間の間では(今にして思うと、大変失礼な言い方なのだが)”パイロットフィッシュ”と呼んでいた。  熱帯魚を飼育した経験のある方ならご存知と思うが、新しい水槽を立ち上る際に、新しい水を入れて直ぐに高価で繊細な熱帯魚を入れるようなことはしない。新しい水槽には、熱帯魚の排泄物やえさの食べ残しを分解するバクテリアが存在しないので、水質の変化に弱い繊細な魚を投入するとすぐに弱ったり死んでしまったりするのだ。 そこで登場するのがパイロットフィッシュだ。そういう名前の魚なのではなく、有益なバクテリアの繁殖を早めるために、まっさらな水槽に先陣を切って投入される魚のことを言う。無事にバクテリアが繁殖し、水質が安定すると、パイロットフィッシュの役割は終わりとなる。はじめは魚にとって過酷な環境なので、時には死んでしまうこともある。したがって、丈夫で安価な種類の魚がチョイスされるのだ。  職場で新しい取り組みを始めようとすると、誰しも苦労するものだ。誰もやりたがらない面倒なプロジェクトに次から次へと飛び込んでいく彼の姿が、アクアリウムのパイロットフィッシュと重なって見えたのだ。  先日、そんな彼と何年振りかに会う機会があった。聞けば今でも同じように、いろいろなプロジェクトを次から次へと渡り歩いているらしい。そこで、どうしても気になっていた、かつての疑問をぶつけてみた。あんなに何度も途中でプロジェクトを外されて、どうして腐らずにやっていられるのか、と聞くと、「何もないところからスタートして、造り上げていくっていう感覚がなんかいいんだよね。道筋ができると俺の中ではもう終わりっていうか、そこからなら誰でもできちゃうし」  なるほど、本当に彼は職場のパイロットフィッシュだったのである。 彼をプロジェクトにアサインしていた上司はその適性を的確にとらえていたのであった。 (ちなみに、パイロットフィッシュの語源は飛行機のテストパイロットから来ている。)

能力を発揮できるか? | その他

能力を発揮できるか?

 面接では非常に好印象だったが、実際に仕事をしてみると、どうも期待していたような成果が挙げられない、ということがある。 自社に適した人材か否かを大抵は複数の面接を経て評価しているにも関わらず、なぜこのような期待値とのずれが生じるのか?  面接官が応募者の情報を十分に引き出すことができなかった、応募者のプレゼン能力が高く自社が望む能力を有しているように見えてしまった、など、様々な理由があるだろうが、 そもそも、人がある能力を発揮する、という際に、その能力の発揮度合いは環境に依存する、という特性があることを理解しておく必要がある。  例えば、何年も活躍をしていた一流のサッカー選手がチームを移籍したら、その実力を発揮できず、ベンチ要員になってしまう、ということがある。チームの戦略やメンバーとのコミュニケーション、チームの中での自分の立ち位置などが異なることで、本来の能力を発揮できなくなるのである。  人の能力は、置かれている環境などの特定の状況の中で習得し、その状況の中で発揮される。一言でリーダーシップ能力といっても、プロジェクトチームか、部門全体か、それとも会社全体でのリーダーシップなのか、どの階層で能力を発揮してきたのか、によって異なるのである。プロジェクトチームでリーダーシップを発揮してきた人物を、リーダーシップ能力があるから、と言って、部門長にしてみたら必ずしも優れたリーダーシップを発揮できるとは限らない、ということはイメージできるだろう。  人の能力発揮の特性として、このような環境依存性がある以上、面接や筆記テスト、適正診断だけでなく、実際にその人材が自社で業務を行う際に、必要としている能力を必要なレベルで発揮できるかどうかを見極める必要がある。そのための手法としてインバスケット演習は効果的である。  インバスケット演習は多数の案件を限られた時間内でどのように処理するか、そのプロセスと処理内容を解析することで、意思決定能力、業務管理能力などを評価するもので、主に管理職登用、昇進昇格試験などで用いられるが、演習を自社の環境に合わせてカスタマイズすれば、採用の応募者が自社の環境でどのように能力を発揮できるか、実際に採用する前に、実際に近い形で能力発揮の度合いを見ることができるのである。  ちなみに、能力の環境依存性は必ずしもネガティブな方向に作用するとは限らない。これまであまり能力を発揮できていなかった人材が会社やチームが変わることで思いもよらない力を発揮する、というケースもある。 自社の各階層で人材アセスメントを定期的に実施することで、人材の能力特性を把握し、会社全体の能力開発の課題を明確化することができるだろう。  最後に宣伝だが、トランストラクチャは、この7月にWeb上で実施できるインバスケット演習サービス「スマートアセスメント」をリリースした。従来の紙面演習と比較して、診断対象者が集合する必要がなくなり、実施しやすくなったこと、紙面演習では評価できなかった回答を記述するまでのプロセスを操作ログから診ることができるなど、従来のサービスと比較してメリットが多くある。是非、活用をご検討いただきたい。

マイクロマネジメント | その他

マイクロマネジメント

 部下に業務を指示したが、どうもうまく進められていない、求める品質に達していない。結局、上司が自分で引き取ってやってしまう。というのは割とよくある話だ。上司の言い訳としては、「自分でやったほうが早い」、「品質が低くてこれでは納品できない」など、いろいろあるだろうが、要は、部下にその業務遂行能力がないと思い込んでいる、部下のことを信頼していない、ということである。  上司が部下を信頼できなくなると、こんなことを始めることがある。毎朝、その日の業務について、部下と打ち合わせを行い、今日やらなければいけないことひとつひとつについて、手順を細部まで確認する。打ち合わせの締めには、部下がちゃんと理解したか心配なので、再度、手順を復唱させたりする。さらには、適宜、作業の進捗状況を報告させ、そこで問題があれば、対応方法を細かに指示する。1日が終われば、何がどこまで終わったか、予定通りにいかなかったのは何が原因か、などこれまた細かに確認し、では、明日どうするか、といった具合だ。  このような管理手法を「マイクロマネジメント」という。上司からすると、部下に対して細かに指示しており、業務を適切にマネジメントしているような気になるのだが、部下からすると堪ったものではない。自分の意見や感情は封殺され、言われたままに仕事をしなければならない。その結果、指示されたことがちゃんとできても、それは上司のおかげ、もし失敗しても、それもまた上司のせいとなり、部下は主体的に行動することがなくなり、仕事に対する責任感も持たなくなってしまう。これは一種の「過干渉」だ。過干渉は子育ての世界では、親が一方的に自分の価値観を子供に押し付け、子の欲求を抑圧することだ。その結果、主体性の欠如、他責思考といった傾向がみられるようになる。過干渉は、精神的な虐待と位置付けられているほど、罪深いものなのである。  Googleの元人事トップ、ラズロ・ボック氏は、著書「ワーク・ルールズ!」の中で「リーダーが犯す過ちは管理しすぎることだ」と述べている。また、アジア開発銀行のオリヴィエ・セラット氏のこんな言葉を引用している。「マイクロマネジメントはミスマネジメントだ・・・人々がマイクロマネジメントに走るのは、組織のパフォーマンスに関する不安を緩和するためだ、つまり、他人の行動を絶えず監督し管理していると気が楽になるのだ―」  ちなみに、冒頭のエピソードは、いずれも私が新米マネージャーの頃の失敗談だ。初めて部下ができ、とにかく、部下をしっかり育てなければ、と気負っていたこともあり、いろいろな取り組みをしたものだ。きっかけは部下の些細な失敗であった。その失敗に過剰に反応し、自信を失った私はマイクロマネジメントに陥ってしまったのである。つまりは、マイクロマネジメントとは、部下のことを信頼していないだけではなく、上司自身の自信のなさの表れなのである。

恥ずかしいを乗り越えさせる | その他

恥ずかしいを乗り越えさせる

 ”聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥”、 “恥の上塗り”など、日本には恥に関する故事ことわざが多くある。よく日本人はシャイな人が多い、とか日本は恥の文化だ、などといわれているが、”恥ずかしい”は日本人だけのものではない。西洋でも“Better to ask the way than to go astray. “(道に迷うより、道を聞いた方が良い)ということわざがあることからわかるように、万国共通、人に聞くのは多かれ少なかれ恥ずかしいことなのだ。  人に聞くという行為を恥ずかしいと思うのは、聞いた相手に「なんだ、こんなことも知らないのか」と思われてしまうのではないか?という気持ちが働いていると考えられる。自分の欠点や誤りを自覚して体裁が悪く感じるのである。だが、聞かれた人のほとんどはそんなことは思っていない、多くの場合、自分の思い込みに過ぎないのである。  人に意見を“述べる”ときも同様だ。集合研修などで、講師が受講者に発表してもらおうと挙手を求めることがある。ときには何人かパラパラと手が上がることはあるだろうが、大抵は、一斉に視線を手元のテキストに落とし、講師と目線を合わせないようにして、モジモジし始めたりするものである。せっかくの研修の場である、自分の考えを述べ、皆からフィードバックをもらった方が絶対にためになるのは誰でもわかっている。学ぶために研修に参加しているにも関わらず、恥ずかしいと思う気持ちが強いと、行動が制限されてしまうのである。  この”恥ずかしい”を乗り越えさせるには、”恥ずかしい”のハードルを下げるしかない。学生の時に部活で大勢の人の集まる場で、大声で自己紹介をさせられたり、一発芸や歌を歌わせられたりしたものだが、これはもう強烈に恥ずかしい体験だった。なぜ、こんなことをやらなければならないのか全く理解できなかったが、繰り返しやっているうちに、だんだんと恥ずかしいと思う気持ちが弱くなっていくのを感じたものだ。このようなやり方をどう捉えるかはいろいろな意見があるだろうが、確実に言えるのは、”恥ずかしい”というのは慣れればどうということはない、ということだ。  大勢の前で自分の意見を述べたり、プレゼンテーションしたりするのを恥ずかしい、と思う気持ちは多かれ少なかれ誰にでもある。そこで手を上げられるかどうかで、その後の成長には大きな差が生まれるのであれば、そういう時こそ手を挙げられる人物になって欲しい。そのためには、常日頃から、そういった機会を与え続けることが重要だ。最初は、しどろもどろになったり、どもってしまったりすることもあるだろうが。その経験こそが恥ずかしさを乗り越える力となるのだ。最近の若手社員はシャイだ、とか積極性が足りない、とか嘆くのは自分がそういった機会を与えることができていないのだ、ということを認識すべきである。

抽象的思考力を鍛える | 人材開発

抽象的思考力を鍛える

 会議の場などで、「説明が抽象的すぎてわからない。もっと具体的に話せ!」と指摘を受けた経験のある方は多いだろう。この抽象的な表現というのはコミュニケーションの場において、ネガティブな意味で使われるため、仕事の上でも、“抽象的”はダメで“具体的”でなければならない、と勘違いをしている人は少なくない。ところが、実際のところ仕事のできる人間というのは、漏れなくこの物事を抽象化して捉える能力が高い。なぜなら、仕事というのは常に何かしらの意思決定が必要であり、そのためには抽象的思考力が必要不可欠だからである。  抽象的思考力とは、重要なポイントだけを抜き出し、不要な部分は捨てて物事を把握する、すなわち物事の本質を捉える能力である。例えば、料理をする際に、「フライパンに材料をのせて中火で3分焼く」、というように手順で覚えていると、次に同じような料理を行う際に、食材の分量によっては焦げてしまったり、生焼けになったりするかもしれないが、「材料に火が通るまで焼く」と覚えていれば、そのような失敗はしない。  この抽象的思考力は、人間の学習において大きな役割を果たしているといわれている一方で、その仕組みはよくわかっておらず、機械学習においても再現することができていない。過去に起こった事象から、これから起こるだろう事象の結果を予測するのが機械学習だが、人間の知能には遠くおよばないのが実際なのである。いやいや、囲碁や将棋では、もう人間は人工知能に勝てないじゃないか、という人もいるかもしれないが、機械学習のアルゴリズムは、基本的には大量のデータから傾向を探る、という手法であり、ある分野の学習をするためには、人間よりもはるかに膨大なデータを必要とする。また、ある分野での学習を別の分野で活かすことも苦手だ。つまり、機械学習は人間の学習能力のうちの、ある一部分で人間を上回る能力を発揮しているが、人間以上の知能を有しているわけではない。電卓が人間の計算能力を上回る能力を発揮しているが、人工知能とは呼ばないことと同様である。  今後、様々な作業が人工知能に置き換わっていくことが予想されている中で、この抽象的思考力こそ、人が鍛えるべき能力と言える。抽象的思考力は単に経験を積むだけでは鍛えられない。地道なトレーニングが必要だ。ただやみくもに考えればよい、というわけではなく、要は何なのか、を文章にしたり、図式化して考えたりする、ということを習慣づける必要がある。要点を箇条書きにする、ということも立派なトレーニングになるし、会議の議事録作成は、仕事の理解と抽象的思考力の両方が強化できるので、新人には特におすすめだ。中途採用において、業界の異なる人が活躍できるかは、その人が自身の職務経験や業務の知識を抽象化して捉え、それを汎用的に活用できる能力を持っているかがポイントとなる。これからの採用においては、面接の際には経験や実績でも、言語能力や計算能力でもなく、抽象的思考力を見るべきだろう。  冒頭の会議の例では、物事を正しく抽象化できていないからこそ、わかりやすい具体的な説明ができない、と考えるべきだ。正しくは、「具体的に話せ!」ではなく、「抽象化できているか?」なのである。