「人事制度設計 」の記事一覧(2 ページ目)|コラム|株式会社トランストラクチャ

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人事制度設計

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強引な「管理職定年」と「女性管理職の抜擢」 | 人事制度設計

強引な「管理職定年」と「女性管理職の抜擢」

 この7月、2015年からコンビを組んで仕事をしてきた女性編集者が「管理職定年」(56歳)となり、課長級(次長兼務)の役職を解かれた。部下は、5人からゼロになる。今後は、60歳の定年まで一般職になるという。本人は清々したといった雰囲気ではあったが、さびしそうにも見えた。  新卒時の入社の難易度は業界最上位の3社の下に位置するグループ(20社ほど)の現在の会社に20代前半から勤務してきた。抜群に優秀なタイプではないかもしれないが、他社を含め、30~50代の編集者120人ほどの中では仕事力は上位2割に入る、と思えた。部下からは慕われているように見えた。それだけに、年齢で役職を解かれることに疑問を感じた。  日本の企業は、正社員に占める管理職の比率が高い傾向がある。私が取材を通じて知る大企業や中堅企業は、管理職が全社員の約4割を占める。前述の女性編集者が勤務する出版社は3割5分ほどという。本来は、2割以下にとどめるべきだろう。それを踏まえるとこの出版社が数を減らし、人件費の管理を厳格にすることは正しい。  だが、それ相当の力がある社員を「56歳になったから」として役職を外すのは損失ではないか。今後、「管理職定年」を53歳にする予定のようだ。数をできるだけ減らしたいのだろう。  そもそも、なぜ、必要以上にいるのか。大きな理由は、職能資格制度と降格がない(できない)ことにある。職能資格制度を厳格に運用すると、40代半ば以降では同世代の少なくとも半数は管理職になる。しかも、いわゆる降格は職能資格制度運用上も法律上も困難だ。例えば、ITデジタルが進み、オンラインの会議すら仕切ることができない部長がなぜか、降格にはならない。それどころか、本部長に昇格するケースすらある。  結果として、社内に課長や部長があふれかえる。次長、副部長、部長代理、課長補佐、課長代理と役職をつけて、社内外に向けて管理職に見せようとする。その多くは部下のいない管理職であり、一般職(非管理職)と仕事の内容はさほど変わらない。これでも年収はおそらく、一般職の最上位の等級の社員よりも数百万円は高いだろう。  このあたりの構造が改善されることなく、「管理職定年」と称して一定の年齢に達すると、ヒラ社員にするのは本末転倒ではないだろうか。せめて今後は、年齢を基準に一律に役職を解くのではなく、その社員の評価や実績に応じて柔軟に運用するべきだろう。  例えば、冒頭の女性編集者のようなタイプは56歳以降、1年ごとに「定年」にするか否かを決めてもいい。あるいは、管理職数が多いならばリストラを40代以降に限定にするのではなく、20代から始めてもいい。  企業取材を通じて感じるのは、日本企業の場合、社員の人事の扱いが硬直的で、柔軟性に著しく欠けることだ。少子化が進めば、おのずと働き手の数も減る。少なくなる社員をいかに有効活用するか、その視点を持ちたい。  なお、この出版社は2016年にある問題が起きた。副編集長(課長級)の経験がない一般職の女性を突然、編集長(部長級)にしたのだ。抜擢人事と言えるのかもしれないが、通常、このような処遇は業界ではありえない。いきなり、ヒラ社員を部長にするのだ。案の定、大失敗に終わる。  この編集長は部下たちをほぼ毎日怒鳴り、当たり散らす。無理もない。はじめて部下を持ったのだ。しかも、10人も。半年以内に、部下たちは企業内労組に「パワハラを受けている」と苦情を持ち込む。労組の役員と編集長の上司である局長が話し合い、喧嘩両成敗となる。部下10人のうち4人は人事異動で他部署へ、編集長は更迭となった。今もタブーとなっているようだ。  人事の扱いが硬直的で、柔軟性に著しく欠ける企業はこういう理解に苦しむ処遇を唐突にする場合がある。これを機に、管理職を始め、人事のあり方を見つめ直したい。

人事評価の新トレンド | 人事制度設計

人事評価の新トレンド

我が国では、人事評価を年1回、ないし、半年に1回行っている企業が大半を占めているが、米国では、数年前から、年次評価や半期の中間評価をやめ、社員にリアルタイムでより頻繁にフィードバックを行う企業が増えている。 この背景には、期初に目標を置き、期末にその達成度を確認・評価するという従来の目標管理制度がうまく機能していない実態がある。ビジネス環境が日々刻々と変化する中では、期初に立てた目標は、1年後の期末には、陳腐化してしまう事があるし、何か月も前に起こった事象に対して、後から上司と部下双方でその時を思い出しながら、まとめてフィードバックや改善施策を議論しても遅きに失してしまうという事もある。 年に1回、AとかBとか各社員をレーティングすることもやめて、代わりに、上司が部下へ頻繁にフィードバックを行う。部下の個々のアクションに対して、「先週のクレーム処理は完璧だった」「あのプレゼンは、正確でなかった」「この業務は期限内の終了しなかった」と言った率直なフィードバックを行い、課題解決に向けた方策を双方で議論する。直近の部下の行動やパフォーマンスについて速やかに議論を行い、上司と部下とのコミュニケーションを増やすことで、双方の認識がズレたまま、漫然と業務を遂行し続ける事を防いだり、課題を解決するための行動をより速やかに導くことを目指している。 1年まとめてじっくりパフォーマンスの評定をするより、日々の行動の都度、フィードバックを行うことを重視する人事評価のトレンドは、今後も、社会の変化のスピードがさらに加速すると言われている中で、ますます、浸透していくと考えられるが、この仕組みを導入している企業の現場では、まだ、必ずしもスムーズに事が運んでいるわけではない。実際、現場の管理職には、多くの負荷が掛かっていて、毎月、何十回も部下とのフィードバックのミーティングを行う時間を確保することだけでも大変であり、また、部下に対し、ストレートにフィードバックする事で、感情的なストレスを抱えることもある。こうした取り組みが定着していくためには、上司、部下ともに、一定の試行錯誤の時間が必要なことは確かだろう。 今後、このようなフィードバックを効率的に行うためには、管理職の負荷軽減と部下とのコミュニケーション力の向上がカギとなる。それを推進するには、なによりITツールの活用が不可欠となる。目標設定や社員の進捗状況をリアルタイムで評価するツールや、会議やイベントの終了後に関与した社員にその評価を求める多面評価システムなどがそれにあたる。例えば、大きな会議が終了した後、出席した上司や同僚が席に戻るとパソコンにメールが送られてきて即、その会議の内容や進め方についてのアンケートを求められ、その結果は、即、会議を主催した当事者にフィードバックされるといった具合である。 従来のように、1年まとめてじっくり評価しようとしても、当初の目標設定がずれたり、上司の認識が異なるまま評価され、不満を抱えたまま、翌年を過ごすより、一つの業務の節目ごとに、ほぼリアルタイムで周囲からフィードバックを受け、頻繁に、今後どうするべきかを上司とともに建設的に考えていく事ができれば、社員の評価に対する不満は減り、モチベーションは向上していくことになるだろう。 我が国においても、以上のようなITツールが充実するに従い、こうした頻繁なフィードバックをベースとした評価システムへと移行していく事になるのではないだろうか。

プレイングマネージャー禁止論 | 人事制度設計

プレイングマネージャー禁止論

 「生産性の動向2015年度版(日本生産性本部)」によると、2014年の我が国の労働生産性は約73,000ドルで、OECD加盟34カ国の中21位、主要先進7カ国で最も低い水準が2005年より続いている。我が国の企業の生産性が低い水準で留まっている背景に何があるのだろうか。  コンサルティングの現場、肌で感じている事をいくつか挙げてみよう。例えば、「業務の分担」の問題。多くの企業で、正社員が非正社員と同様の業務を行っている状況が少なからず見受けられる。非正社員より労働コストの高い正社員が、非正社員と同様の業務を行い続ければ、生産性が低下するのは当然である。そこにメスをいれることができていないのは、誰が、どのレベルの業務を行うべきかというモノサシが現場で確立されないまま、放置されているという事だろう。  次に、「不要な残業」が行われ、それが見過ごされているという現実。なぜ、残業が必要なのか、どのくらいの追加時間が必用なのか、誰もよくわかっていない。残業をマネジメントするための環境が整っていないので、本来は就業時間内に当然完了すべき業務が残業時間に回されたりしても、気付かなかったり、否定することができない。適切な残業基準ができれば、就業時間内に仕事をかたずけてしまおうという意識が高まり、業務の生産性は高まっていくはずである。  もう一つは、「不適切な意思決定プロセス」である。意思決定に無関係な人物まで会議に召集されたり、せっかく会議を招集したのに、延々議論の末、結論をださなかったり、逆に、しかるべき時に、意思決定の場が設けられず、何度も先送りされたり・・。こうした不適切な意思決定プロセスのために、関与者の多くの作業と時間が無駄に使われていることを深刻に受け止めなければならない。  さらには、部下と上司の間で、「適切なコミュニケーションがされないこと」で、無駄な作業ややり直し作業が発生したり、現場における「業務の標準化やシステム化への主体的取り組みマインドの低さ」なども、我が国の生産性向上を阻害する要因といえるだろう。  実際のところ、大多数の企業では、それらを問題として認識している。が、現場の管理職がその他の業務で忙しすぎて、結果、本格的に手が付けられていないというのが実情なのではないか。本来、管理職は日々の実務を行わず、配下の実務者のアウトプットを最大化するためのマネジメントを行うことがミッションであるはずだが、我が国では、バブル経済崩壊以降、長きにわたり、合理化推進の旗印のもと、組織の頭数を抑えるために、管 理職をいわゆるプレイングマネジャーと位置づけ、非管理職が行うべき実務まで、管理職に多大に追わせてきたことで、管理職本来のミッションが機能不全に陥ってしまっている面があるのではないか。また、当の管理職も、非管理職時代から慣れ親しんだ実務を引き続き行うことを会社から許容されている事で、本来のマネジメントはほどほどでよいという免罪符を与えられた感覚になっているのではないか。  厳格に管理職と非管理職のミッションを切り分け、管理職から一切のプレイヤー的業務を取り上げ、四六時中、配下の組織パフォーマンスを高めるためのマネジメント業務にだけ集中させるぐらいの覚悟で、生産性向上に正面から取り組める環境を整えていかなければ、我が国の生産性問題は本質的に解決されないだろう。

評語の標語化 | 人事制度設計

評語の標語化

 評価票の無機質さは、なんとかならないものか。なにより学校の通信簿のような「評語」が大人げない。  コメントはいろいろ書かれているものの自身の評価結果が味気ない評語の羅列で示されている。成績としての良し悪しだけはわかるが、業務遂行や行動におけるリアルなレベルは伝わらないし、だからどうする、が見えない。ゆえに、上司コメントや面談による指導が評価という行為には不可欠とならざるをえない。  評語とは、 1. 批評の言葉。評言。 2. 成績の評価を示す言葉。優・良・可の類。 と辞書にあるが、人事の世界ではもっぱら後者の意味でつかわれる。評語=SABCDとか54321などの評点レベルの表現語、である。ついでに言うと、数字評語は、成績レベルとしては直感的だし、平均処理といったわかりやすい集計処理ができるけれども、アルファベットはいただけない、と常々思う。  評語だけではレベルがわからないから、評価制度ではたいていその説明がついている。それもまた味気ない。たとえば、 S / 5 期待を大きく上回る A / 4 期待を上回る B / 3 期待どおり C / 2 期待を下回る D / 1 期待を大きく下回る といった表現で、味気ないだけでなく、そもそも、4と5、2と1の違いである「大きく」とはなにか。あいまいである。なので、評価者研修では、「期待とは、等級に求められる水準であり、5は、上位等級レベル」だとか、「問題があれば、2。支障があれば、1」などと解説する。  解説がいるくらいなら、評語自体をメッセージ化してしまったらどうか。それならば、見てすぐに自分のステータスがわかる。たとえば、こんな具合に。 ■上位等級レベル。昇格準備  ←S / 5 期待を大きく上回る  ■卒業レベル。要上位課題確認 ←A / 4 期待を上回る   ■等級相応。要ストレッチ   ←B / 3 期待どおり ■問題あり。要確認      ←C / 2 期待を下回る ■業務支障。降格危機     ←D / 1 期待を大きく下回る   いわば、評語の標語化である。標語とは、「主義・主張,運動の目的などを簡潔に示した短い語句。モットー。スローガン」であるから、ここであげた即興例なんかより、もっと自在に、もっと独自表現で、自社にとっての評語表現をメッセージ込めて作ればよい。  評語の一つ目の意味は、「批評の言葉。評言」である。当社にとって、5レベルの優れた人をどう評するか、が標語としての評語作成の出発点である。大げさに言えばそこに、会社の理念や組織哲学が表出するはずであり、味わいのある評価票がうまれるのではないか。  何を評価するかの観点は、多種多様だし、その表現もまたいくらでもある。企業固有でかつ琴線にふれるような文学的表現があってもいいとも思う。最近読んだ本のなかに、人を評する言葉としてこうあった。  佇まいの凛冽、志操の高潔、言動の超俗。

偶数段階評価 | 人事制度設計

偶数段階評価

 日本人は幼いころからの学校教育の影響か、何かを評価するときに五段階で行うことが好きなようです。この五段階とは、例えばS、A,B,C,Dや5、4、3、2、1のようなもので、長年慣れ親しんできています。この感覚が企業の人事にもそのまま持ち込まれているように感じます。  この5段階評価は、特徴的であるのはBや3などの“ふつう”という概念です。平均的、まあ合格レベル的な感覚ではないでしょうか。なぜ特徴的であるかというと、非常に難しい概念であるからです。それは“ふつう”の上下の境界線が決まらなければ“ふつう”が決まらないからです。要は“ふつう”という概念は、二つの境界線を設定しなければ成立しないのです。AとB、BとCの境界線の間が“ふつう”ということだからです。Bの概念には厳密に言えば求められている基準に対して多少上回っていることと、多少下回っていることが混在している、非常にわかりづらい構造なのです。  人事管理の評価でもこの日本的な慣行は一般的で、評価を“ふつう”を中心とした5段階にする傾向が非常に強くあります。もっと言えば慣れ親しんでいる5段階で評価することになんら疑いを持っていないのです。  企業の人材管理で非常に重要であるのは、企業が求めるレベルの人材が適正数在籍しているかということです。これを制度的に言えば、昇格が最も重要と言うことになります。昇格を判断するためには、現在の等級の基準をクリアしているかが問題であります。従ってBとか普通という概念ではなく、大学を卒業すると同じように、等級を卒業するために、昇格基準を越えているかいないかが問題なのです。従って極論すれば“越えている”“越えていない”を判断することが基本的な機能として必須になるのです。これは究極には“○”か“×”かということですが、○にも段階があるでしょうし、×も同じですからそれぞれ2つに分割したら4段階評価ということになるでしょう。  要は人材管理の非常に重要な機能の昇格の判断には今までの5段階評価は合理性が全くないということなのです。基準をクリアしているかいないかが昇格の候補者であり、それがはっきりわかる評価方法に変えなければ機能しないのです。  社員の能力の評価は、昔風の5段階ではなく、クリアしているかいないかが明示できる偶数段階評価が必要になるのです。たまに昔から親しんでいる奇数段階評価でないと社員が理解できないと言う企業もありますが、大学卒業は単位が取れるかとれないかで判断される訳であり、なにも小中高校の感覚でなければ評価しづらいというのもどうかと思います。実務的にもBや普通のある概念は難しさを倍以上にします。評価の目線が合わないと言っているのであれば、合いやすいように偶数段階評価にすれば、合わない部分はたちどころに半分以下になるでしょう。 以上

時代遅れの二次評価 | 人事制度設計

時代遅れの二次評価

 多くの企業では人事評価を行う上で、数回に渡り評価の見直しを行うことが普通に行われています。直属の上司がつける評価を一次評価とし、より上位の社員役員による再評価を二次評価、三次評価として運用している企業が実に多くあります。長期雇用、年功序列の人事管理の中では、この二次評価、三次評価はそれなりに機能を果たしてきましたが、実力、成果主義の人事管理を指向しようとすると、とたんにこの二次、三次評価はマイナス以外の何者でもなくなります。  かつての人事管理は、長期に安定して勤務することが非常に重要であり、そのため社員の大多数がある程度満足する評価でなければなりませんでした。評価自体も口当たりの良い甘い傾向であることが当然ですし、また二次評価以降でも組織間のバランスなどの視点から、全社的に多くの社員が満足するバランスをとるための評価調整がなされるのです。もっと言えば社員個々の評価について厳格に管理するという視点はそもそもなく、多くの社員が満足するバランス作りが必要だったのです。したがって一部の優秀な社員と大半のまあ優秀な社員と、ほんの少数の優秀でない社員という暗黙のバランスを指向していたとも言えます。二次評価以降はこの全体バランスという視点で調整することが主たる役割であり、上位の管理職や役員からみて、うまいバランスであるかを検討する場として、それなりの意味があったのです。  しかし経営、人事を取り巻く環境は、大きく変わりました。企業の成長のためにハイパフォーマーをできるだけ育成しなければなりません。労働市場の発達はメリハリのない企業にとっては人材流出のリスクが高まっています。また人件費にも限りがあります。有効な配分をしなければなりません。環境は全員を最後まで雇用することを前提としない、労働市場的にも社内的にも実力主義的人事管理を求めているのです。この環境の変化に対して現在の人事制度はあまりにも旧式です。実力成果主義人事を行うための人事制度に切り替えなくてはならないのですが、未だに実質年功給的な昇給があったり、適正な人員構成実現という観点の昇格になっていない、賞与などの配分に論理性がないなど様々な問題が発生し、新たニーズに対応できていないのが実際でしょう。  実力、成果主義人事制度のもとでは、社員に対する評価は常に“絶対”でなくてはなりません。そうでなければ社員の理解を得ることができないからです。そのためには昔の評価制度風に言えば、一次評価のみが重要であるということです。要は評価を適正に行うためには、直接の業務指示者が正確な評価を行うことに尽きるということです。直接の上司でなければ実際の能力や貢献がわからないからです。この一次評価の品質をいかに上げるかが極めて重要で、一次評価の品質が低い企業は、二次評価以降の評価で品質がよくなることはありません。一次評価の結果を上位者により変更することは、一次評価者、被評価者の理解賛同を得られずらく、混乱し不満に思うだけでしょう。実力、成果主義的人事では二次評価はその存在がそのものに意味がありませんし、逆にマイナスなのです。  よく“一次評価者のレベルが低く、二次評価で修正しなければならない”などという声も聞きます。そのために二次評価をするのだと。しかしそんな社員を管理職として遇し、また適正な評価ができないことを黙認してはいけません。今後の人事管理では二次評価という言葉自体も存在しないということです。 以上