「人事制度設計 」の記事一覧(2 ページ目)|コラム|株式会社トランストラクチャ

©️ Transtructure Co.,Ltd.All Rights Reserved.

MENU

©️ Transtructure Co.,Ltd.All Rights Reserved.

人事制度設計

column
プレイングマネージャー禁止論 | 人事制度設計

プレイングマネージャー禁止論

 「生産性の動向2015年度版(日本生産性本部)」によると、2014年の我が国の労働生産性は約73,000ドルで、OECD加盟34カ国の中21位、主要先進7カ国で最も低い水準が2005年より続いている。我が国の企業の生産性が低い水準で留まっている背景に何があるのだろうか。  コンサルティングの現場、肌で感じている事をいくつか挙げてみよう。例えば、「業務の分担」の問題。多くの企業で、正社員が非正社員と同様の業務を行っている状況が少なからず見受けられる。非正社員より労働コストの高い正社員が、非正社員と同様の業務を行い続ければ、生産性が低下するのは当然である。そこにメスをいれることができていないのは、誰が、どのレベルの業務を行うべきかというモノサシが現場で確立されないまま、放置されているという事だろう。  次に、「不要な残業」が行われ、それが見過ごされているという現実。なぜ、残業が必要なのか、どのくらいの追加時間が必用なのか、誰もよくわかっていない。残業をマネジメントするための環境が整っていないので、本来は就業時間内に当然完了すべき業務が残業時間に回されたりしても、気付かなかったり、否定することができない。適切な残業基準ができれば、就業時間内に仕事をかたずけてしまおうという意識が高まり、業務の生産性は高まっていくはずである。  もう一つは、「不適切な意思決定プロセス」である。意思決定に無関係な人物まで会議に召集されたり、せっかく会議を招集したのに、延々議論の末、結論をださなかったり、逆に、しかるべき時に、意思決定の場が設けられず、何度も先送りされたり・・。こうした不適切な意思決定プロセスのために、関与者の多くの作業と時間が無駄に使われていることを深刻に受け止めなければならない。  さらには、部下と上司の間で、「適切なコミュニケーションがされないこと」で、無駄な作業ややり直し作業が発生したり、現場における「業務の標準化やシステム化への主体的取り組みマインドの低さ」なども、我が国の生産性向上を阻害する要因といえるだろう。  実際のところ、大多数の企業では、それらを問題として認識している。が、現場の管理職がその他の業務で忙しすぎて、結果、本格的に手が付けられていないというのが実情なのではないか。本来、管理職は日々の実務を行わず、配下の実務者のアウトプットを最大化するためのマネジメントを行うことがミッションであるはずだが、我が国では、バブル経済崩壊以降、長きにわたり、合理化推進の旗印のもと、組織の頭数を抑えるために、管 理職をいわゆるプレイングマネジャーと位置づけ、非管理職が行うべき実務まで、管理職に多大に追わせてきたことで、管理職本来のミッションが機能不全に陥ってしまっている面があるのではないか。また、当の管理職も、非管理職時代から慣れ親しんだ実務を引き続き行うことを会社から許容されている事で、本来のマネジメントはほどほどでよいという免罪符を与えられた感覚になっているのではないか。  厳格に管理職と非管理職のミッションを切り分け、管理職から一切のプレイヤー的業務を取り上げ、四六時中、配下の組織パフォーマンスを高めるためのマネジメント業務にだけ集中させるぐらいの覚悟で、生産性向上に正面から取り組める環境を整えていかなければ、我が国の生産性問題は本質的に解決されないだろう。

時代遅れの二次評価 | 人事制度設計

時代遅れの二次評価

 多くの企業では人事評価を行う上で、数回に渡り評価の見直しを行うことが普通に行われています。直属の上司がつける評価を一次評価とし、より上位の社員役員による再評価を二次評価、三次評価として運用している企業が実に多くあります。長期雇用、年功序列の人事管理の中では、この二次評価、三次評価はそれなりに機能を果たしてきましたが、実力、成果主義の人事管理を指向しようとすると、とたんにこの二次、三次評価はマイナス以外の何者でもなくなります。  かつての人事管理は、長期に安定して勤務することが非常に重要であり、そのため社員の大多数がある程度満足する評価でなければなりませんでした。評価自体も口当たりの良い甘い傾向であることが当然ですし、また二次評価以降でも組織間のバランスなどの視点から、全社的に多くの社員が満足するバランスをとるための評価調整がなされるのです。もっと言えば社員個々の評価について厳格に管理するという視点はそもそもなく、多くの社員が満足するバランス作りが必要だったのです。したがって一部の優秀な社員と大半のまあ優秀な社員と、ほんの少数の優秀でない社員という暗黙のバランスを指向していたとも言えます。二次評価以降はこの全体バランスという視点で調整することが主たる役割であり、上位の管理職や役員からみて、うまいバランスであるかを検討する場として、それなりの意味があったのです。  しかし経営、人事を取り巻く環境は、大きく変わりました。企業の成長のためにハイパフォーマーをできるだけ育成しなければなりません。労働市場の発達はメリハリのない企業にとっては人材流出のリスクが高まっています。また人件費にも限りがあります。有効な配分をしなければなりません。環境は全員を最後まで雇用することを前提としない、労働市場的にも社内的にも実力主義的人事管理を求めているのです。この環境の変化に対して現在の人事制度はあまりにも旧式です。実力成果主義人事を行うための人事制度に切り替えなくてはならないのですが、未だに実質年功給的な昇給があったり、適正な人員構成実現という観点の昇格になっていない、賞与などの配分に論理性がないなど様々な問題が発生し、新たニーズに対応できていないのが実際でしょう。  実力、成果主義人事制度のもとでは、社員に対する評価は常に“絶対”でなくてはなりません。そうでなければ社員の理解を得ることができないからです。そのためには昔の評価制度風に言えば、一次評価のみが重要であるということです。要は評価を適正に行うためには、直接の業務指示者が正確な評価を行うことに尽きるということです。直接の上司でなければ実際の能力や貢献がわからないからです。この一次評価の品質をいかに上げるかが極めて重要で、一次評価の品質が低い企業は、二次評価以降の評価で品質がよくなることはありません。一次評価の結果を上位者により変更することは、一次評価者、被評価者の理解賛同を得られずらく、混乱し不満に思うだけでしょう。実力、成果主義的人事では二次評価はその存在がそのものに意味がありませんし、逆にマイナスなのです。  よく“一次評価者のレベルが低く、二次評価で修正しなければならない”などという声も聞きます。そのために二次評価をするのだと。しかしそんな社員を管理職として遇し、また適正な評価ができないことを黙認してはいけません。今後の人事管理では二次評価という言葉自体も存在しないということです。 以上