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column

ほしいものが、ほしいわ

 このキャッチコピーを覚えているだろうか。成熟時代のマーケティングを象徴する広告として、80年代末期に書かれたものである。

 当時、躍進を遂げていた西武百貨店は「おいしい生活」というコピーをかかげ、百貨店はモノを売るのではなく、生活提案産業だと謳った。たとえば食器は、食事をするための道具であるけれども、さまざま使い方を見せることで購買を促進できる。その使い方を、新しい暮らし方や格好いいライフスタイルとして見せたのが、その時のマーケティングだった。

 部屋は狭いし、十分な収入があるわけではなくても、そこには、豊かな“気分”がある。そうした気分を味わうための道具として、さまざまなモノを売る。現実は変えられないけれども、気分は変えられる。だから、新しい暮らし方やモノの使い方の情報を発信し、つぎつぎと新しい気分の消費=関連するモノやコトの消費を煽っていくということである。

 気分を喚起するマーケティングは、ニーズにあった商品を揃えるのではなく、ニーズを作り出す。欲望の対象になる商品を生産するのではなく、欲望そのものを生産するということである。「おいしい生活」から数年後、この事情を消費者にむけてストレートに言い放ったセンセーショナルなキャッチコピーが、「ほしいものが、ほしいわ」だったのである。

 つぎつぎと「ほしいもの」を作り出す社会は、いまも続いている。情報ネットワークや先端技術は、新しい欲望を生み出す大きな原動力だし、金融工学の進化は、金持ちの欲望を大衆化した。供給者の思惑どおり、いつの間にか日本にもハロウィンが年中行事化しつつあるように、常に虎視眈々と暮らしのなかに新しい消費を喚起するイベントが仕掛けられる。

 働く欲求としてよく聞かれる「自己実現」もまた、その獲得をそそのかされた「ほしいもの」ではないか。社会に出る若者が面接で言う「自己実現ができる仕事がしたい」という一言の違和感くらいなら良いが、働くからには、マズローのいう低次の欲求段階を経ていたる最上位の欲求を目指さねばならないという強迫観念が若年層の転職を後押しているかもしれない。働くうえでは「夢」を持たねば、と喧伝される風潮もそれを煽る。

 しかし、実現すべき自己などというものがどこにあるかよくわからない。まさに、「ほしいもの(=自己実現)が、ほしいわ」。こうした呪縛にとらわれるのは、働くことを手段だと思い込んでいるからである。手段だから、目的が要る。なんのために働くのか、それは、生活のためだけではなく、集団欲求や社会性欲求のため、ひいては自己実現という素晴らしい目的のため。だから、頑張ってはたたらく価値がある、となる。

 もっと気軽に、働きたいから働く、でよいのではないか。働くことが愉しいから働く。万有引力ならぬ情念引力をもって世界を語ろうとした異端の思想家シャルル・フーリエは、快楽労働と言った。つまり、手段としての労働ではなく、目的としての労働である。

 そういえば、消費だって、実はそれ自体が愉しい。メーカーや小売業にそそのかされた気分や欲望のためであろうとなかろうと、モノを買うという行為は、愉しい。それが、交換経済ではない貨幣経済がもたらした快楽だった。「ほしいもの」は、消費であれ、労働であれ、それがなされた時点で、すでに獲得されているのである。だれのものでもない、自分だけのものとして。

 だから、その労働の自分だけの面白さを感得することこそが、「ほしいもの」なのではないか。企業組織がやるべきことは、なにより、その仕事の意義と意味、とりわけその従事者当人にとっての意味づけを喚起することだ。ビジョンや戦略はつねに一人ひとりの意味づけに資するという観点から、表現され、また語られ、参照されるべく仕組まれなければならないのだ。

 あなたがたの「ほしいもの」は、ほら、目の前にあるじゃないか、と。

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