組織は『代謝』で若返る ―入れ替えを恐れない「役割」設計と敬意ある運用
そもそも、生物とは「入れ替え」によって生きている。
人間の体も日々新陳代謝を繰り返しており、皮膚は1ヶ月、血液は4ヶ月、骨は数年単位で更新される。
それでも「私」は「私」であり続ける。これは驚くべきことだ。細胞がすべて入れ替わっても、アイデンティティは保たれるのだから。
この現象、会社・組織にも当てはまるのではないか。
人が入れ替わっても、理念や文化が保たれていれば、「その会社」は存在し続けられる。
しかし、『細胞=役割を遂行する人』がまったく入れ替わらなければ、代謝不良を起こし、静かに死に向かうだけだ。
問題は、『どの細胞を残し、どの細胞を更新するかだ。』
ここで言う「残す/更新する」の単位は「人」ではなく「役割」だ。役割要件が古くなれば、役割自体を作り替える。人の入れ替えはその結果にすぎない(人が成長しても、役割は変わらない。この状態が代謝不良を起こす。更に悪化するのは、役割は変わらず、人も成長せず、停滞し続ける細胞である )。
とくに脳細胞のように動かないポジション―重要ポジションが長期固定化し、運用上「変わらないこと」自体が価値として過剰一般化されると、組織の動きは鈍る。
彼らは企業の記憶かもしれないが、記憶ばかりが蓄積され、動きが鈍れば―それはもう老化である。
もちろん、長く残る細胞がすべて悪いわけではない。
神経細胞のように長命であるべき「役割」もある。ただ、それは「変わらないから偉い」ではなく、「変わらず支えているから価値がある」のである。一方で“皮膚”にあたる役割は、更新を前提に設計しておくべきだ。
自然界にも代謝加速の例がある。京都大学の研究によれば、ショウジョウバエの細胞は、成長の遅れを察知すると分裂を加速して追いつくそうだ[1]。
生物は「このままじゃマズい」と気づけば、自ら入れ替えを進める。
あなたの組織はどうだろう?
そして話は「退職勧奨」に及ぶ。これは言ってしまえば、『細胞にそろそろお役御免をお願いする』営みだ。ただし、「個人に向ける」ものではなく、まず役割の棚卸と更新から始め、必要に応じて人の配置や出口を整える営みである。
意外に思われるかもしれないが、日本において退職勧奨そのものは違法ではない。
強要や不利益な示唆などがあれば問題になるが、丁寧な対話による任意の働きかけは適切に行えば認められている。「退職してもらえないか」という働きかけ自体は、合法的な手段なのだ。
ただし日本企業には独特のねじれがある。
「終身雇用を守る」と言いながら「柔軟な組織をつくりたい」
「心理的安全性が大切」と言いながら「成果主義を導入する」
この中途半端さが、退職勧奨を「感情的な追放」と受け止めさせてしまう土壌になっている。
だが、生物に学ぶなら、入れ替えとは本質的に痛みを伴うものだ。皮膚が新しくなるとき、古い皮膚は剥がれ落ちる。骨も、まず破壊されてから再構築される。
つまり、「壊してから創る」ことが進化の前提なのだ。
組織も同じ。役割や役割を遂行する人が入れ替わるたびに、多少の痛みはある。だが、痛みを避けて何も変えなければ、取り返しのつかない「死」が訪れる。
退職勧奨とは、そうした組織の硬直を防ぐ「免疫反応」なのだ。体に異常が起きたとき、免疫が働くように、組織の成長を阻む滞留に対して一定の代謝を促す。対象の選定は役割要件の見直しを起点に、配置転換・再教育・合意退職の順で検討し、記録化と複数回対話を原則とする。
目的は『排除』ではなく、『回復と維持』である。
もちろん、やり方には細心の注意と敬意が求められる。だが、プロセスの難しさと制度の必要性は切り分けて語られるべきだ。
すべての社員が生涯在籍する必要はない。入れ替わりを許容できない組織は、やがて硬直し、再生不能になる。
「退職勧奨は冷たい」と言う人に、私はこう返したい。
「あなたは、20年前の皮膚で今日を生きていますか?」
[1] 京都大学. (2021年1月). 体の成長と組織の成長の速度を調節する仕組みをハエで解明 ―進化のメカニズムに関する可能性―. https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2021-01-29
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