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群盲象を評す
執筆者: 南城 三四郎 人材育成
学んだことを実践するために、明日から具体的にどのような行動をするか計画を立てる。
大抵の研修の締めくくりでは、このようなアクションプランを設定させるが、残念なことに、このアクションプランは実行されないことが多々ある。
決して安くはない費用をかけ、参加者の時間を割いて研修を実施しても、これでは効果は乏しく非常にもったいない話である。研修の内容はもちろん重要だが、参加者が研修で学んだことを実際に行動に移せるようデザインすることが重要だろう。
アクションプランを実行できなかった人に聞いてみると、いろいろな理由(言い訳)がでてくる。業務が忙しくて実行に移す時間がない、現場の協力が得られなかった、忘れてしまった、とか、そもそもの計画の立て方がまずいというのよくある話だが、もっと困るのはそもそもの問題の認識が誤っているというケースだ。
こんな話がある。盲人が数人、象の体の一部分だけを触ってその感想について論じ合い、ある者は、耳を触って「これは大きな葉っぱだ」と言い、ある者は足を触って「これは木の幹だ」と言う。尻尾に触った者は「これは太いロープだ」と言い、またある者は牙に触って、「これは槍だ」と言う。
全員、同じものを触っているのに、自分が触っている一部分だけをもって、それが何であるか、を断定しているのである。
これは、「群盲象を評す」というインドの古い寓話だが、物事の1側面だけを見てすべてを理解した気になってしまうことの例えとして使われる。現在では視覚障害者に対する差別的な表現として避けられる表現ではあるが、意味するところは重要である。
事業環境の変化の激しい現在のビジネス環境において、問題の本質を誤ってとらえてしまえば、その対応もまた誤ってしまう。邪魔な象をどかすのと、葉っぱをどかすのとでは、するべきことは全く違う。葉っぱをどかそうとホウキを持ってきても、到底、象をどかすことはできないのである。
アクションプランを検討する際も、前提となる問題の本質を捉えることが重要だ。そのためには、研修の最後で単にアクションプランを宣言するだけでなく、そのアクションプランの妥当性を参加者同士で徹底的に検証する必要があるだろう。そうすることで、お互いが抱えている問題の本質を理解し、アクションプランを実行、サポートし合える環境ができる。
先の寓話ではないが、部分しか見ることのできないものであっても、皆で情報や知識を共有すれば、「これ、もしかして象じゃね?」と物事の本質に迫ることができるのである。
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プロフィール

南城 三四郎 (なんじょう さんしろう)
シニアマネージャー
大学卒業後、建設系専修学校にて、都市計画、情報処理関連学科の教員として、講義、学生指導を行う。その後、IT企業にてサーバー、ネットワークの保守・運用業務のほか、スマートフォンアプリ、Webサービスの企画、開発を担当するとともに、人材育成担当マネージャーとして社員教育に従事した後、現職。