2026.02.26
第1回:VUCA時代の構造変化と、日本企業の「生産性低迷の本質」
日本経済は、この約30年という長い時間を、ほぼ一貫して「予測を下回る成長」の中で過ごしてきた。1990年代初頭、バブル崩壊後に描かれた回復シナリオの多くは実現せず、名目GDP、労働生産性、付加価値成長率といった主要指標はいずれも、主要先進国と比較して低迷を続けている。重要なのは、この状況が一時的な景気循環の問題ではなく、構造的な問題として固定化してきたという点である。 しばしば語られる要因として、少子高齢化、国内市場の縮小、デフレ、過度な規制などが挙げられる。これらはいずれも事実であり、無視できない制約条件である。しかし、それだけでは説明しきれない現象がある。同じ制約条件のもとでも、成長を続ける企業と、停滞から抜け出せない企業が明確に分かれているという事実だ。 特に近年、その差は「企業規模」によっても顕在化している。大企業の一部は、グローバル市場への展開、M&A、事業ポートフォリオの組み替えを通じて、一定の付加価値成長を実現している。一方で、多くの中小企業は、国内需要への依存度が高いまま、価格競争と人手不足に挟まれ、生産性向上の糸口を見いだせずにいる。今後の成長予測においても、この二極化はさらに進むと見られている。 ■日本企業の生産性低迷の「本質」はどこにあるのか。 それは単なる努力不足やIT投資の遅れではない。より根源的には、環境変化の質が変わったにもかかわらず、組織と人のマネジメントの前提が変わっていないことにある。では、なぜ日本企業は、環境変化の「質」がこれほど大きく変わったにもかかわらず、組織と人のマネジメントの前提を変えられなかったのか。それは、日本企業が怠慢だったからでも、変化を恐れたからでもない。むしろ、過去の成功体験に照らせば、変えないことのほうが合理的だったという側面が大きい。 高度成長期から安定成長期にかけて、日本企業は「長期雇用」「年功的処遇」「固定的な組織単位」を前提とした経営によって、高い競争力を発揮してきた。事業環境は比較的予測可能で、製品やサービスの改良は連続的に進み、組織は一度作れば長く機能した。この環境下では、人材を長期に育成し、内部で最適配置を行うマネジメントは、極めて効率的だった。 問題は、1990年代以降、環境が「変化した」だけでなく、「変化の性質そのもの」が変わったことにある。市場の変動は非連続になり、技術革新は加速し、事業の寿命は短くなった。しかし、組織と人のマネジメントは、依然として安定性と継続性を前提とした設計のまま維持された。その背景には、三つの構造的要因がある。 第一に、雇用を守ることが経営の最優先課題となり、組織や人材の大胆な組み替えが選択肢として取りづらかったこと。 第二に、人事制度が「成果創出のための仕組み」ではなく、「内部の公平性を保つための装置」として機能してきたこと。 第三に、環境変化への適応が、組織全体の再設計ではなく、現場の努力や個人の頑張りに委ねられてきたことである。 こうして、日本企業の多くは、環境変化に適応するために「組織と人の前提を変える」のではなく、「同じ前提のまま運用を工夫する」道を選び続けてきた。その結果として、環境変化のスピードと、組織・人材マネジメントの変化速度との間に、決定的なズレが生じていったのである。 現在の経営環境は、いわゆるVUCAと呼ばれる状態にある。変動性が高く、不確実で、複雑で、曖昧な状況が常態化し、技術革新は加速し、顧客価値は細分化され、事業のライフサイクルは短期化している。 この環境下で付加価値を生み続けるためには、単に効率を高めるだけでは不十分であり、「何に資源を配分するかを、いかに速く変えられるか」が決定的に重要になる。 ■「生産性」とは何か ここで改めて、「生産性」とは何かを整理しておきたい。生産性はしばしば、コスト削減や業務効率化の文脈で語られる。それらは重要な要素であるが、それだけでは、今日の経営課題を十分に捉えることはできない。 経営の視点で問われるべき生産性とは、投入している人・組織・資本の量そのものだけでなく、それらをどのような構成で組み合わせ、どれだけの付加価値を生み出せているかという関係性にある。 この視点に立てば、生産性低迷の本質は、単に「人が多すぎる」ことでも、「一人ひとりの能力が低い」ことだけでもない。問題は、事業環境の変化に対して、人・仕事・組織の構成が最適化されていないことにある。また、同時に見落としてはならないのは、この「構成」には、人材の配置や役割の組み合わせだけでなく、そもそもの人員規模の前提も含まれるという点である。 中長期の視点で企業価値を高めていくためには、現在の人員を所与とするのではなく、事業戦略と照らしながら、どの規模・どの構成で事業を運営するのが最適なのかを問い続ける必要がある。 ■動的な組織・人材管理 この問いに答えるために不可欠なのが、「動的である」という視点である。 VUCA環境下では、最適な組織構造や人材構成は固定解として存在しない。市場環境、技術、顧客価値の変化に応じて、事業の重心は移動し続ける。その変化に合わせて、組織と人材の構成もまた、継続的に組み替えられる必要がある。 ここで重要なのは、動的な人材管理とは、単なる配置転換や育成の話ではないという点である。経営の視点に立てば、生産性とは、どの領域にどれだけの人的資源を投下し付加価値を増大させるのか、そしてどの領域からは資源を引き揚げるのかという判断を含んでいる。場合によっては、人員規模そのものを調整するという意思決定も、避けて通ることはできない。 動的な人材ポートフォリオ管理とは、事業の新陳代謝に応じて、人材を再配置するだけでなく、役割が消失した領域では人員を縮小し、新たな価値創出領域には人材を集中させることを意味する。その過程には、採用、育成、外部化、役割転換、そして時に人員削減といった選択肢も含まれる。限られた人的資源を、付加価値創出に最も寄与する形で再構成し続けることにある。人員規模を固定したまま「組み合わせ」だけを工夫しても、環境変化が非連続に進む中では、生産性向上には限界がある。VUCAを前提とした「動的な組織」と「動的な人材ポートフォリオ管理」への転換が不可欠である。それは人事制度の部分的な改修ではなく、組織と人をどう捉えるかというパラダイムそのものの転換を意味する。 次回は、この構造変化を前提に、なぜ従来型の人事管理が機能しなくなっているのか、そして動的な組織・人材管理を支えるために、どのような考え方への転換が求められているのかを、より具体的に掘り下げていきたい。
