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森 大哉

MORI HIROYA

シニアパートナー

PROFILE

早稲田大学法学部卒業。
三菱重工業株式会社に入社し、労務管理・海外調達関連業務に従事。
同社在職中にニューヨーク大学経営大学院修了。
その後、トーマツコンサルティング株式会社に入社。
戦略・組織コンサルティング業務を経て、同社パートナー就任。
続いて、朝日アーサーアンダーセン株式会社にて、人事組織コンサルティング部門の部門長として数多くの組織変革を支援。同社パートナーを経て、現職。

経営視点から
あるべき人事機能を描く

私は、常に「経営コンサルタント」であろうと心掛けています。

どの会社にも、固有の歴史があり、固有の環境の中で、固有の将来像を描いて前に進んでいる筈。その将来の姿が最も重要で、それを支えるべき人事機能を考えるのが私の仕事です。
ですから、あるときはクライアントの将来への道筋をよく理解するために、人事とは関係の無い言葉で数多くの質問を投げかけます。 あるときはその道筋に疑問を投げかけたり、もっと良い道筋について意見を述べたりすることがあります。 そのうえで、人事の側面から、人事管理上の最適なソリューションを提案するのが私の責務であると考えています。

コンサルタントとして大事にしていることは、自分ならどのように経営するだろうか、という視点です。

執筆コラム

books

辛抱なき若者が未来を照らす | 人事制度

辛抱なき若者が未来を照らす

 配属ガチャという言葉があるそうだ。大学を卒業して首尾よく就職することができても、初任配属は会社の都合、思うようにはいかないものだ、という意味らしい。そして驚くべきことに、初任配属の地域や仕事が思うままにいかなかったとき、4人にひとりが退職を考えるというのだ(※)。せっかく入った会社なのに、あまりに辛抱が欠けてはいまいか。  昭和の時代にサラリーマンとしてのスタートを切った人間にとっては、空いた口が塞がらないタイプの事実だ。ご同輩の読者はどう思われるだろうか。しかしながら、この事実には、「いまどきの若者は・・」で済まされない大きな変化を感じる。    さて、ジョブ型という言葉が流行りだしてから少し時間が経った。積極的にこれを取り入れようとする会社もあれば、話はわかるが当社には合いそうもないから放っておけ、という会社もある。いずれにしても、ジョブ型という言葉の定義にはかなりの幅があるように思える。  ジョブ型の反対の概念をメンバーシップ型と呼ぶことが多い。筆者なりに両者の違いを描写すると次のようになる。まず、メンバーシップ型だ。雇い主は新入社員に、「定年を迎えるまで何があっても君をクビにしないよ、その代わり、会社が命じるままどこへでも行って、何でもやってください。」と言う。新入社員は「はい、どんな場所にも行って、どんな仕事でもやります。その代わり絶対にクビにしないで。」と答える。家族的だが、ちゃんと取引が成り立っている。  ジョブ型はこれと違う。雇い主は新入社員に、「この仕事をこの場所でやってください。他の場所にはいかなくてよい。他の仕事もしなくてよい。その代わり、この仕事が無くなったら君はクビ。成果が出せなかったときも君はクビ。」という。新入社員も、「この場所で、この仕事だけやって成果を上げます。他のことをやらせようとするなら、会社を辞めます。」と言う。とてもビジネスライクに取引が成り立っている。わが国で解雇が難しいことはもちろん承知の上だが・・。  こうした定義が成り立つならば、ジョブ型というのは雇用契約の話をしているのだ。「ジョブディスクリプションを作ってやるべき仕事をはっきりさせましょう」というような、社内の制度やルールの話ではない。先ほどの配属ガチャ問題、会社のほうは「絶対クビにしないよ・・」と例のごとく言うが、新入社員のほうは「・・でも、他の場所で他の仕事をやらせたりしないでね。」と言っているように見える。同床異夢。取引が成り立っていない。    グローバル競争の時代、多くの経営者が、当社の社員には専門性が欠けていると嘆く。一人ひとりの社員がもっともっと高い専門性を持って仕事に臨まないと競争に勝てない、と。専門性を研ぎ澄まそうとするなら、なんでも屋のメンバーシップ型ゼネラリストではなく、ジョブ型の精鋭専門職を採り育てるべきだろう。わが国も、段階的であるにせよジョブ型雇用の道を進んでいかざるを得ないのかも知れない。だとすると、配属ガチャで辞めてしまう新入社員の決断こそ、わが国の雇用が進むべき道を指し示している、ということにならないか。  不本意配属で、若者は会社を辞めるのだ。多くの会社が喉から手が出るほどに欲する理工系、特に情報系の若者も、配属ガチャを理由に辞めてしまうのだ。ならば、先に職種とエリアを約束し、それを長期間守っていかざるを得ないだろう。あとは、いかにして「その代わり・・」のところを描くかだ。取引を成り立たせるためにどうしたらいいのか。    がんばれ、新入社員。きみたちは自分のやりたい仕事を鮮明に思い描き、高度専門家の志を貫徹すべきだ。そして、それを実現するために必要なら、異動の無い働き方を求めてよい。どうしても叶わないなら、そんな就職は蹴飛ばしてしまえ。社会は甘くないから、「その代わり・・」が待っているかも知れない。でも勇気を持って前に進もう。君たちの決断は、わが国の未来を照らしているかも知れないのだから。   ※出所:「入社後の配属先に関する意向(不安・期待度)調査」キャリアチケットProduced by Leverages(2024年4月2日)

グローバルキャッチャー | 人事制度

グローバルキャッチャー

 わが国の人口動態は極めて悲観的だ。生産年齢人口の比率は2020年の約60%から次第に縮小し、2050年には50%あまりに低下する。国力を維持するためには労働力の確保が喫緊の課題であるが、女性の働き手の増加は概ね天井を打った。あとは、高齢者により長く働いてもらうか、外国人の労働者の力を借りる以外に打ち手がない。  他方、わが国企業のイノベーションは他の先進国に比べて遅れていると言われる。新しい発想を生み出すには人材の多様性が欠かせないが、総合職中心の年功序列・長期雇用の雇用慣習はむしろ、組織の同質性を助長する。この同質性を壊す施策の旗手は女性の社会進出だが、外国人の雇用も人材多様化の強力な一手になる。  いずれの側面を見ても、わが国の健全な発展のためには、外国人雇用を格段に増やすことは避けて通れない課題だ。    この状況に直面し、行政は、特定技能制度を導入したり、高度人材(高度専門職)制度を整えたりして、外国人にとって働きやすい環境を整備しようとしている。これまで、「技能実習制度」という耳に聞こえの良い言葉で安い労働力を確保しようとしてきた歴史があったが、今後は、そうではなく、本質的に外国人の知恵と技能を借りる方向に舵をきったと思える。  長く外国人の受入に消極的だったため、こうした行政措置については運用に慣れておらず、ちょっと腰が引けているのではないかと訝りたくなる面もあるが、法律を変えてでも何とか外国人を誘致しようとする姿勢は評価できる。    さて、企業の側はどうか。医療・介護や建設の現場ではすでに数多くの外国人労働者を受け入れているが、深刻な人手不足は解消されていない。また、ICTにかかわる業界においても外国人を登用しようとする動きが活発になってきている。なにしろ、わが国の大学や大学院が輩出する人材だけでは、ICT技術者の需要を満たさないという事情があるのだ。  ところが、多くの企業において、外国人を雇用する土壌が整っていない。まずは何よりも言葉の問題である。英語で話すことを苦手とする社会的事情は、ここ数十年まったく変わっていないのではないか。世界に目を向けると、第二外国語であれ英語を使って生活する人の数が15億人、全人口の約2割である。母国を離れて仕事をしようとするような人は、ほとんど英語を話す。一部のサービス業を除いて、仕事をするのにまず日本語を覚えなさい、というのはグローバルスタンダードから見れば無体な話だ。  次に、人事管理の問題。わが国に少なからず残っているのが、年功序列の慣習である。この仕組みの下では外国人の安定雇用は無理だ。年功序列には、若年の時代に相対的に低い報酬を甘んじて受け、中高年になってからその分高い報酬を受けて、生涯収入でペイするという性質、つまり、「賃金の後払い」がある。もともと長期雇用を前提としてないであろう外国人の若年層が、これを受け入れるはずがない。  良い例は、ICTの領域でスポットライトが当たっているインド人だ。この国の人々は、仕事に対する姿勢が日本人と少し違うと言われる。報酬をはじめとする労働条件が有利である限りにおいて雇用されるが、相対的に良い条件の雇い主が現れれば、躊躇なくそちらに鞍替えする。日本人が考えるほど雇い主に対するロイヤリティは高くないと考えるべきだろう。だから、長期雇用と年功序列の制度・慣習をそのままに、インドの優秀なICTエンジニアを雇い入れ長く働いてもらおうというのには無理があるのだ。    出張先の関西のホテルで朝食をとったときのこと。欧州人や中国人の客と、英語や中国語を操って朗らかに談笑するサービススタッフがいた。尋ねてみるとベトナム人だ。業務指示は日本語で受けるのだそうだ。サービス品質も語学力もたいしたものだ。これを見て思った。私たちは、ビジネスマンとして内向きに過ぎないか。経済の先進国だと高を括っていると、もはや危険水域に立ち至ってしまうのではないか。  昔、果敢に対外進出を志し、見知らぬ土地に出て行って働くことにあこがれた高度経済成長時代があった。今は、多くの外国人を受け入れるために、やはり、グローバル化を図らなければならない時代だ。私たちは、世界の労働力を受け入れるキャッチャーとして雇用の在り方を根本から考え直し、私たち自身の内なるグローバル化を進めなければならない。

まれに重篤な副作用を起こすことがあります | 人材開発

まれに重篤な副作用を起こすことがあります

 DXとは一体何のことだろうか。日々のニュースや記事の中で、政府の広報文書の中で、または職場の会話の中で、あまりにも数多く使われるこの用語、きちんと定義できる人はどれほどいるだろうか。このような流行り言葉で、政治家や学者がもっともらしく使う一群の言葉を「Buzz Words」と呼ぶのだそうだ。時代のトレンドを示す重要な概念をたった一語で伝えることができる、また、それを通じて、産業界や国民を一つの共通の方向に導くことができる魔法の言葉だ。だが、このような言葉を使うときには、その本当の意味を正しく認識しておくことが不可欠だ。 「DX」を引き合いに出して考えてみよう。DXとは、言わずと知れた「Digital Transformation」の略語だ。ICTを戦略的に活用し、圧倒的に高い付加価値を創造すべく、従来のビジネスモデルを画期的・抜本的に変更することを言う。ならば、DX人材とは何か。DX人材の育成とはどのようなことを言うのか。  DX人材を考えるとき、「D」の側面と「X」の側面の両方を意識する必要がある。「D」の側面は、先進のICTに関する知識と技能だ。これは、しかし、必要条件であって十分条件とは言えない。そこで、「X」の側面を考える。これは、ビジネスモデルを抜本的に変えることのできるセンスや志だ。だから、DX人材を育てるには、ICTの教育に加えて、経営全般に関わる知識、並々ならぬ好奇心、進んでリスクを負う気概などを醸成していく必要がある。人事評価を含む会社の環境を整えることも必要だろう。  翻って、巷で実際に行われているDX教育とは何か。ほとんどの場合、特定のソフトウェアの利用教育や、新しい開発言語の教育といったものに留まる。シニア層にパソコンの起動の仕方を教えてDX教育と称する企業すらある。新聞紙上には、DX人材〇千人を育成、といった見出しが躍るが、会社のビジネスモデルを抜本的に変えようとする人材が〇千人も要るのだろうか。PC教育を〇千人に実施してDX推進企業だというのは、株主を欺くことにならないか。 ご存知のとおり、他にも、あまたのBuzz Wordsがある。DXの尻馬に乗ったような、GX、SXは何を表すのか。DXの「X」とCXの「X」は同じことか。リスキリングという言葉の元々の目的を私たちは知っているだろうか。HRBPとは本来、どんな仕事か。1on1と個人面談はどこが違うのか。人的資本経営というが、その本当の意味は何なのか。社員の働きの価値が低下したら減損会計の対象となるのか。ジョブ型とは何を表す言葉だろうか。雇用の在り方を言っているのか、給料の仕組みを言っているのか・・。  経営者や人事部員は、人事管理に関する世の動静に敏感であるべきだ。そして、DXのようなBuzz Wordsは、このような議論を効率的に進めるための重要かつ効果的な道具ではある。これらの用語を駆使しつつ、周囲の人々を巻き込んで、自社の経営が時流に乗り遅れないようしっかりと行動する必要がある。この意味では、Buzz Wordsは、小さくて飲みやすく、効き目の確かな新薬のようなものに思える。 しかし、Buzz Wordsを安易に大量に服用することはあまりにも危ない。その言葉の正しい定義や、それが生まれた時代背景をよく知らず、自分流に解釈してわかった気分になる。つまり、思考停止の状態に陥るのだ。これはかなり強い副作用だ。会社を間違った方向に誘導しかねない。万が一、「うちもDXをひとつ入れといたほうがいいんじゃないか。」といった表現で社長から指示が下りてきたら、その会社はかなり重篤な状態だと思ったほうがよい。すぐに社長向けDX研修を企画しよう。