仲山 和秀 |コンサルタント紹介|㈱トランストラクチャ

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仲山 和秀

NAKAYAMA KAZUHIDE

ディレクター

PROFILE

大学卒業後、外資系自動車ディーラーにて、人事担当者として、新卒・中途採用計画の立案・実行、給与・社会保険の人事労務を行う。
その後、玩具製品専門商社の人事・研修業務に従事した後、当社に入社。
人事制度設計、導入支援および雇用調整などの組織・人事コンサルティング業務に従事。

「人材」の力で
企業を活性化

あらゆる企業が従来のやり方を抜本的に見直す変革を模索されています。
新規事業創出、働き方改革、新しいことにチャレンジする組織風土への変革など、変革を実現するために最も多くの課題はどこにあるかというと、多くの経営者は「人材」と答えられます。

伝統的なメンバーシップ型雇用では人材の成長は明らかに鈍化し、欧米で主流のジョブ型雇用も国の考え方が異なることから完全にマッチすることが難しい状況において、日本独自の人事制度が求められています。

人の成長を可視化し育成する人事制度、多様な人材を活かすキャリアパス、成果主義ではなく実力主義の徹底。
社員の能力を最大限に引き出し、年功序列による長期雇用ではなく、新しい形の長期雇用を実現することで人材を活性化し、企業・人材が共に成長する人事制度を設計致します。

執筆コラム

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「ヤノマミ族に人事制度はあるのか?」            ―文化人類学が教える、“制度より強いもの”の話 | 人事制度

「ヤノマミ族に人事制度はあるのか?」            ―文化人類学が教える、“制度より強いもの”の話

「ヤノマミ族に人事制度はあるのか?」 そう問われると、多くの人は「あるわけないだろう」と思うかもしれない。評価シートも等級もない。給与テーブルなんて、森のどこも探しても見つからない。 だが、文化人類学の目で見れば、彼らにもちゃんと「役割」と「格」がある。狩猟が得意な者は獲物をもたらす者としての敬意を受け、長老の言葉は自然と集落に影響力をもたらす。 明文化はされていないが、誰がどこに座るか、誰が口を開くか、すべて「見えないルール」に支配されている。 組織にもこの「見えない制度」がある。それを、われわれは「組織文化」と呼ぶ。 制度が正しく設計されていても、なぜかうまく機能しない。 評価制度を刷新しても、「結局、声の大きい人が昇格するよね」という空気があれば、どんな制度も張りぼてに終わる。 それは制度の問題ではない。文化に飲み込まれているのだ。 制度とは「骨格」だが、文化は「血流」のようなもの。 どんなに立派な骨格でも、血が通っていなければ動かない。 しかも、やっかいなことにこの文化は「制度より古く」「制度より根強く」「制度より見えない」。 つまり、人事担当者にとって、最も手強い敵であり、最も心強い味方にもなる。 文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースは、部族社会を「構造」の視点で読み解いた。 彼が見抜いたのは、「人間の集団には、制度がなくても“秩序”が生まれる」ということ。 この秩序こそが、“文化”だ。 では、企業における「文化の秩序」とは何か。 ・部下が“正論”より“上司の顔色”を読む職場 ・「制度はあるけど、みんな空気で昇進が決まる」組織 ・「自由な発言を歓迎します」と言いながら、提案すると煙たがられる会議体 これらはすべて、「制度」と「文化」の不一致から生じる「文化的ノイズ」だ。 人事制度は設計できる。だが文化は設計できない。 だから、制度を文化に「なじませる」しかない。 例えば、評価制度を導入するときには、制度説明会よりも先に、「なぜこの制度ができたか」という物語を語る必要がある。 異動ルール(配置転換・ジョブローテーションなど)を変えるなら、まずは身近な成功体験を可視化することが大事だ。 つまり、制度は「論理」でつくるが、文化は「感情」で染み込ませるものなのだ。 企業とは、ある意味「都市化された部族」である。 その組織に制度を導入するとは、近代化のプロセスに他ならない。 だが、それが機能するかどうかは、文化という見えない力をどう扱うかにかかっている。 人事は「設計者」である前に、文化の「翻訳者」でもある。 制度をつくるたび、私たちは「見えない部族の掟」と向き合っているのかもしれない。   ※ヤノマミ族:ブラジルとベネズエラにまたがるアマゾンの熱帯雨林に住む先住民族      

組織は『代謝』で若返る             ―入れ替えを恐れない「役割」設計と敬意ある運用 | 雇用施策・その他

組織は『代謝』で若返る             ―入れ替えを恐れない「役割」設計と敬意ある運用

 そもそも、生物とは「入れ替え」によって生きている。 人間の体も日々新陳代謝を繰り返しており、皮膚は1ヶ月、血液は4ヶ月、骨は数年単位で更新される。 それでも「私」は「私」であり続ける。これは驚くべきことだ。細胞がすべて入れ替わっても、アイデンティティは保たれるのだから。 この現象、会社・組織にも当てはまるのではないか。 人が入れ替わっても、理念や文化が保たれていれば、「その会社」は存在し続けられる。 しかし、『細胞=役割を遂行する人』がまったく入れ替わらなければ、代謝不良を起こし、静かに死に向かうだけだ。 問題は、『どの細胞を残し、どの細胞を更新するかだ。』 ここで言う「残す/更新する」の単位は「人」ではなく「役割」だ。役割要件が古くなれば、役割自体を作り替える。人の入れ替えはその結果にすぎない(人が成長しても、役割は変わらない。この状態が代謝不良を起こす。更に悪化するのは、役割は変わらず、人も成長せず、停滞し続ける細胞である )。 とくに脳細胞のように動かないポジション―重要ポジションが長期固定化し、運用上「変わらないこと」自体が価値として過剰一般化されると、組織の動きは鈍る。 彼らは企業の記憶かもしれないが、記憶ばかりが蓄積され、動きが鈍れば―それはもう老化である。 もちろん、長く残る細胞がすべて悪いわけではない。 神経細胞のように長命であるべき「役割」もある。ただ、それは「変わらないから偉い」ではなく、「変わらず支えているから価値がある」のである。一方で“皮膚”にあたる役割は、更新を前提に設計しておくべきだ。 自然界にも代謝加速の例がある。京都大学の研究によれば、ショウジョウバエの細胞は、成長の遅れを察知すると分裂を加速して追いつくそうだ[1]。 生物は「このままじゃマズい」と気づけば、自ら入れ替えを進める。 あなたの組織はどうだろう? そして話は「退職勧奨」に及ぶ。これは言ってしまえば、『細胞にそろそろお役御免をお願いする』営みだ。ただし、「個人に向ける」ものではなく、まず役割の棚卸と更新から始め、必要に応じて人の配置や出口を整える営みである。 意外に思われるかもしれないが、日本において退職勧奨そのものは違法ではない。 強要や不利益な示唆などがあれば問題になるが、丁寧な対話による任意の働きかけは適切に行えば認められている。「退職してもらえないか」という働きかけ自体は、合法的な手段なのだ。 ただし日本企業には独特のねじれがある。 「終身雇用を守る」と言いながら「柔軟な組織をつくりたい」 「心理的安全性が大切」と言いながら「成果主義を導入する」 この中途半端さが、退職勧奨を「感情的な追放」と受け止めさせてしまう土壌になっている。 だが、生物に学ぶなら、入れ替えとは本質的に痛みを伴うものだ。皮膚が新しくなるとき、古い皮膚は剥がれ落ちる。骨も、まず破壊されてから再構築される。 つまり、「壊してから創る」ことが進化の前提なのだ。 組織も同じ。役割や役割を遂行する人が入れ替わるたびに、多少の痛みはある。だが、痛みを避けて何も変えなければ、取り返しのつかない「死」が訪れる。 退職勧奨とは、そうした組織の硬直を防ぐ「免疫反応」なのだ。体に異常が起きたとき、免疫が働くように、組織の成長を阻む滞留に対して一定の代謝を促す。対象の選定は役割要件の見直しを起点に、配置転換・再教育・合意退職の順で検討し、記録化と複数回対話を原則とする。 目的は『排除』ではなく、『回復と維持』である。 もちろん、やり方には細心の注意と敬意が求められる。だが、プロセスの難しさと制度の必要性は切り分けて語られるべきだ。 すべての社員が生涯在籍する必要はない。入れ替わりを許容できない組織は、やがて硬直し、再生不能になる。 「退職勧奨は冷たい」と言う人に、私はこう返したい。 「あなたは、20年前の皮膚で今日を生きていますか?」   [1] 京都大学. (2021年1月). 体の成長と組織の成長の速度を調節する仕組みをハエで解明 ―進化のメカニズムに関する可能性―. https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2021-01-29

登山型キャリア制度からGoogleマップ型キャリア制度へ ~社員の“自由”と、組織の“管理”の交差点~ | 人事制度

登山型キャリア制度からGoogleマップ型キャリア制度へ ~社員の“自由”と、組織の“管理”の交差点~

 企業におけるキャリアパス制度は、しばしば「登山」にたとえられる。 標高(役職や等級)が高いほど評価され、道は一本道、頂上を目指して歩を進めることが善とされる。この構造は、制度設計の側からすれば整然としており、管理しやすい。しかし一方で、「頂上を目指したくない」社員には不自由で、「登るルートを変えたい」「そもそも別の山に行きたい」社員にとっては、制度そのものがキャリアの足かせになる。  人のキャリアは、山ではない。どちらかといえば都市だ。 複数の目的地があり、好みによって行きたい場所も、歩き方も違う。ある人は繁華街に向かい、ある人は静かな図書館を目指す。途中でルートを変える人もいれば、しばらく足を止めて考える人もいるだろう。  そんなキャリアの現実を捉えなおすとき、ヒントになるのが「Googlマップ型」のキャリア設計だ。登山型のように一本道ではなく、現在地からあらゆる方向に向かう選択肢が開かれており、途中で経路変更も可能。もちろん、全ルートに高低差はあるが、「高い方がエラい」とは限らない。それぞれの目的地に、それぞれの価値がある。  このようなキャリア設計では、社員の自己認知と行動選択が重要になる。 いま自分がどこにいるのか、何を目指したいのか、それにはどんなルートがあるのか。 こうした情報を見える化し、選べる環境を提供することが、企業側の制度設計として求められる。  「自律的キャリア」と言いながら、選べる道が2本しかない――管理職か専門職か――という企業も多い。しかし、Googleマップに例えれば、それは“国道か有料道路か”しかルートが出てこない地図のようなものだ。現実の人間のキャリアはもっと多様で、寄り道、遠回り、ワープ、引き返しといった柔らかな動きがあって当然だ。とはいえ、「自由にどうぞ」と言うだけでは、組織は動かない。企業にとってキャリア制度は、“社員の自己実現の支援”であると同時に、“組織のリソースマネジメントの仕組み”でもある。管理可能性と自律性の両立は、矛盾をはらむ構造だ。  この矛盾を乗り越える鍵は、「可視化」と「ナビゲーション」にある。 まず、社員が自分のスキル・志向・現在地を把握できるようにすること。加えて、そこからどんなルートが引けるのかを、制度として示すこと。 たとえば、社内にどんなキャリアパターンがあるのかをライブラリ化したり、過去に同様の経路を通ったロールモデルを紹介したりといった工夫である。 加えて、マネージャーや人事は“経路案内人”として、ルートを強制するのではなく、「こういう道もありますよ」と提案する存在に変わっていく必要がある。Googleマップは「こっちへ行け」とは言わない。ただ、距離や渋滞状況を伝え、意思決定を支援する。このスタンスは、これからの人事にも求められる姿勢ではないだろうか。  もちろん、自由にはコストがかかる。全員が勝手に動いてしまえば、組織は機能不全に陥る。だからこそ、「可視化」と「選択肢の提示」は、秩序のある自由を生むツールになる。社員は“地図”を持ち、企業は“設計”を持つ。両者が同じ画面を見ながら進むとき、キャリアの可能性は一気に広がる。  かつての制度は、「登山口に並ばされる」仕組みだった。だが今は、社員それぞれの端末に、GPSがある。「そっちへ行きたい」という声を受け止め、組織としてどうナビゲートするか。キャリア制度の再設計とは、その問いへの応答なのだ。