第5回:人事を経営の意思決定として機能させる ― フレームワークの先にある「問い」と「責任」 ―
本シリーズでは、第1回から第4回にかけて、人事を感覚や属人的判断から切り離し、経営の意思決定として捉え直すための視点を整理してきた。PPフレームによる構造化(第1回)、人件費の投資的理解(第2回)、基準の定義(第3回)、そして文化という前提条件の読解(第4回)。これらはすべて、人事を「説明可能な判断領域」に引き上げるための思考基盤である。
しかし、ここで改めて問うべきことがある。
「フレームワークを用いて可視化し、分析した結果は、本当に意思決定に接続されているのか。」
多くの企業では、可視化や分析までは進んでいる。しかし、その先の意思決定において、再び感覚や過去の慣習に回帰してしまう。これは、フレームワークが不足しているのではない。フレームワークの位置づけを誤っていることに起因する。
●フレームワークは「答え」ではなく「問いを生む装置」である
PPフレームをはじめとする各種の分析枠組みは、しばしば「正解を導くツール」として扱われる。しかし本来、フレームワークは答えを与えるものではない。むしろ、「どの問いを立てるべきか」を明らかにするための装置である。
例えば、人材ポートフォリオとパフォーマンスの関係が可視化されたとする。その結果、「人件費が過剰である」「生産性が低い」「エンゲージメントが低下している」といった事実が明らかになったとしても、それ自体は意思決定ではない。重要なのは、その事実に対して「なぜこの状態が合理的に維持されているのか」「どの前提がこの結果を生んでいるのか」と問い続けることである。
この点において、トランストラクチャが一貫して重視しているのは、「構造の把握」から「因果の解釈」への接続である。数値やフレームワークは、その接続を可能にするための補助線に過ぎない。
●課題解決よりも「問題設定の精度」が意思決定を分ける
経営や人事の現場では、「課題をどう解決するか」といった解決策や施策に議論が集中しがちである。しかし実務上、多くの失敗は解決策の誤りではなく、問題設定の曖昧さに起因する。
例えば離職率の上昇に対して、報酬改善、評価制度の見直し、キャリア形成の支援、人材育成の強化といった打ち手が検討される。しかし、それが「なぜ起きているのか」という因果構造が十分に解釈されていなければ、施策は表層的な対処に留まる。
これは経営学においても指摘されている論点である。例えば、組織学習論におけるダブル・ループ学習※は、行動の修正(シングル・ループ)にとどまらず、その行動を生み出している前提や価値観そのものを問い直す必要性を示している。人事においても同様に、「何を変えるか」だけでなく、「何を前提としているか」を問い直さなければ、本質的な変化には至らない。
●「見えている課題」と「構造的な問題」は異なる
第1回から第4回で扱ってきた内容は、この違いを捉えるための視点である。
可視化された指標やギャップは、あくまで「症状」に過ぎない。その背後には、ポートフォリオの歪み、人件費配分の偏り、基準の不在、文化として定着した合理性といった「構造的な問題」が存在する。
ここで重要なのは、課題を「解決すべき対象」として捉えるだけでなく、「なぜその課題が生じ続けるのか」という再生産メカニズムに目を向けることである。この視点を欠いたままでは、施策は繰り返され、問題は形を変えて再出現する。
●人事の役割は「構造的因果を言語化すること」である
トランストラクチャが定義する人事の役割は明確である。それは、人に関する事象を施策として扱うことではなく、経営の意思決定を「構造」として説明可能な形にすることである。
すなわち、人事は以下を担う機能である。
・ポートフォリオとパフォーマンスの関係を可視化する
・資源配分(人件費)の意味を構造として整理する
・基準を定義し、ギャップを測る
・行動の合理性(文化)を読み解く
そして最終的に、これらを統合し、「なぜこの状態なのか」「何を変えるべきか」を経営が判断できる言葉に翻訳することである。
これは単なる分析ではない。意思決定に責任を持つための機能である。
●人事が「経営機能」になるための条件
人事が経営の意思決定として機能するためには、二つの転換が必要である。
第一に、「施策志向」から「構造志向」への転換である。
何を導入するかではなく、どの構造を変えるのかを問う。
第二に、「解決志向」から「探究志向」への転換である。
すぐに答えを出すのではなく、本質的な原因にたどり着くまで問い続ける。
この姿勢は、短期的には非効率に見えるかもしれない。しかし、複雑化する人的課題に対しては、表層的な解決を積み重ねるよりも、はるかに高い再現性と持続性をもたらす。
●結び:人事とは「問い続ける機能」である
本シリーズを通じて提示してきたのは、特定の施策や成功事例ではない。人事をどのような思考水準で扱うべきかという「前提」である。フレームワークは重要である。しかし、それは出発点に過ぎない。重要なのは、そのフレームワークを通じて、どこまで深く問い続けられるかである。
人事とは、人を扱う機能ではない。経営の意思決定を、人と組織の構造として成立させる機能であり、そのために「問い続ける責任」を負う存在である。この責任を引き受けたとき、人事は初めて、経営の中核として機能し始めるのである。
※Argyris, C., & Schön, D. A. (1978). Organizational Learning: A Theory of Action Perspective. Addison-Wesley.
