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労働組合組織率
~集団的労働法の時代から個別的労働法の時代へ~

 労働組合と聞いてどのくらい身近に感じるかは世代や関わりのある業種・業界によりかなりの差があるのではないでしょうか。

 日本における労働組合の組織率は低下の一途をたどっています。労働組合組織率は、戦後間もない1948年の55.8%がピークであり、1980年ごろには約30%まで低下し、2019年には16.7%となっています。

図表1:労働組合組織率

出典:厚生労働省「労働組合基礎調査」(「労使関係総合調査労働組合基礎調査」)
 
 ただし、産業別に見ると低下の度合いや組織率の水準には大きな差があります。労働市場における人材の流動性が比較的高い業種、例えば宿泊、飲食サービス業など、では組織率が低くなっています。一方、長期雇用が前提となっている企業が多い金融業やインフラ産業では組織率が高い傾向にあります。

図表2:産業別労働組合組織率

厚生労働省「労働組合基礎調査」(「労使関係総合調査労働組合基礎調査」)

 労働組合員の数の観点では、1994年の1269万人をピークに減少しています。雇用者数が右肩上がりに大きく増加している中で労働組合員数が減少することで、雇用者に占める労働組合員の割合が大きく低下していることが分かります。

図表3:労働組合員数の推移

厚生労働省「労働組合基礎調査」(「労使関係総合調査労働組合基礎調査」

 戦後約70年の間に変化したのは単なる数字だけではありません。産業の在り方、経済発展の速度、企業経営の進化など、労使を取り巻くあらゆる環境が変化を遂げる中で、労働組合組織率も変化をしてきたのです。

 労働組合の歴史は遠く19世紀のイギリスまでさかのぼります。最も早く資本主義が浸透し産業が急速に発展する過程で、他者に雇われて働く者が急増したためです。当時の労働環境はひどいものであり、労働者個人には雇い主と交渉する力などありませんでした。しかし労働者は数が多いことを利用して、集団で助け合いながらストライキ等をするようになったのです。

 日本では、明治維新による資本主義化をきっかけに、イギリスより100年ほど遅れて労使間の交渉が行われるようになりました。最初は製糸工場や炭鉱にて、雇い主に対する抗議やストライキが行われました。その後、1897年ごろから本格的に鉄工組合などの日本最初の労働組合が組織されるようになったのです。爆発的に労働組合が組織されるようになったのは戦後、民主化政策が進められた時期です。1955年には賃上げを要求する春闘が始まり、1974年には過去最高の32%超の賃上げを獲得するなどし、高度経済成長を下支えしました。

 一方で、1980年代以降は集団的労働法ではなく、個別的労働法の分野が重視されるようになり、関連した法改正や立法もなされています。具体的には1985年に労働者派遣法の改正があり、その後は労働時間に関して度重なる労働法の改正や、男女の雇用機会均等や育児・介護に伴う働き方に関する立法がなされました。労働紛争の解決についても従来は団体争議が中心でしたが、2001年には個別労働紛争解決法という、個人対企業の争議を前提とした立法がなされるなど大きな変化を見せています。

 これらの背景には労働力を集約した画一的な産業・労働の時代から、産業の種類や働き方の多様化の時代への変化があります。個人の事情や価値観を考慮した働き方の実現に労働組合が協力することもありますが、労働者が一丸となって会社と闘うという対立構造自体が薄れてきているのです。

 また、企業経営の進化も労働組合組織率の低下に影響しています。昔は経営者VS労働者という単純な構図でしたが、現在は様々なステークホルダーのうちの1つであり、単純な対立構図ではなくなってきているのです。

 働き方が多様化し、個としての労働者を守るためのルール作りがなされ、労働環境・条件に関する個人のリテラシーも高まりつつあります。労働者は労働組合に頼るだけでなく、多様な交渉方法を持ちつつあると言えます。

 企業側の観点で捉えると、組合との画一的な対立構造における交渉や調整だけでは十分でなくなっているということです。