第3回:人事を測るための基準を持つ ~ 比較より先に必要な「基準」~ - 株式会社トランストラクチャ

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第3回:人事を測るための基準を持つ ~ 比較より先に必要な「基準」~

人事の議論の場で、ほぼ必ず出てくる質問がある。

「他社はどうなっていますか?」

「同業他社ではどうしていますか?」

しかし、この問いが投げかけられた瞬間、議論の軸が静かにずれてしまうことがある。外部を知ろうとする姿勢は健全である。しかし、その比較が自社の意思決定にとって本当に意味のあるものかが問われることは、意外なほど少ない。他社ベンチマークを求める背景には、「自分たちの判断が極端に外れていないかを確認したい」という意識が働くことも少なくない。もちろんそれ自体は自然な行動である。

しかし、その比較が判断の参考ではなく判断そのものの根拠になった瞬間、意思決定の基準は自社の戦略ではなく他社の実践へと置き換わってしまう。そのとき、人事の思考は自社の文脈から切り離されてしまう。そして他社比較が目的化した瞬間、人事は再び「部分最適」の世界に戻ってしまう。自分の担当領域を正当化するための材料集め、あるいは短期的な是正に終始する極小的な課題解決に陥りがちになるのである。結果、経営が目指す姿の実現も遠のいてゆく可能性が高まる。

第1回では、人事課題を感覚論から切り離し、人材ポートフォリオとパフォーマンスの関係として可視化する視点を提示した。しかし可視化だけでは意思決定にはつながらない。そこに「基準」という軸が加わって初めて、経営判断に耐える情報となる

定量化はゴールではなく、入口に過ぎない

第2回で述べたように、人件費を「投資」として語るとは、金額の是非を論じることではない。どの水準を目指し、その水準に近づくために何を変えるのかを、経営として判断できる状態をつくることである。その前提となるのが、まさに本稿で扱う「基準」である。本質は、数値の大小を見ることではない。ある基準に対して、満たしているのか、不足しているのか、その適合度やギャップを測ることにある。

人件費を投資として語れない企業では、数値の不足よりも、何をもって望ましい状態とみなすかという基準が曖昧なケースが少なくない。例えば労働生産性が1,000万円だったとする。それが高いのか、低いのか、妥当なのかは、事業構造や目指す付加価値水準、さらにはどのような人材ポートフォリオを前提としているかによって大きく左右される。

投資とは、投入額ではなく「成果との関係」で評価される。したがって人件費を投資として扱うためには、どのような成果状態を目指すのかという基準が不可欠になる。

基準なき数値は、単なる数字の羅列に過ぎない。指標設計やKPI設計の前に、必ず問うべきことがある。それは、「この企業にとって、良い状態とは何か」という問いである。この問いに答えられないまま設計された指標は、どれほど精緻であっても、本質的な意思決定を支える指標にはなりにくい。

健康診断に学ぶ「基準」の考え方

この点を理解するうえで、健康診断の例は示唆に富んでいる。一般的な健康診断には「標準値」が存在する。しかし、その基準は、あくまで一般生活を営む人を前提としたものである。仮に同じ数値であっても、プロスポーツ選手にとっては「問題あり」と判断されるケースも少なくない。

つまり、基準は一つではないということである。人事の可視化においても同様で、少なくとも二つの基準を区別して考える必要がある。一つは、業界平均や一般論としての「標準基準」。もう一つは、その企業が事業活動を遂行し、戦略を実現するために本来必要とされる基準である。後者こそが、その企業にとっての「あるべき姿」を測る物差しとなる。

外部ベンチマークをどう意味づけるかは、人事の成熟度を大きく左右する。ベンチマークを模倣の材料として使うのか、自社の戦略を考えるための参照点として使うのかで、人事の役割は大きく変わる。トランストラクチャが重視しているのは、「正しいベンチマーク」ではない。重視しているのは、「その企業が、自らの戦略と人材を結びつけて語れる基準を持っているかどうか」である。

基準を語れない組織は、健康になれない

健康診断を受けるたびに、結果を見てため息をつく人がいる。毎年ほぼ同じ指摘を受けながら、本質的な改善には至らない。彼らにとって健康診断は、「指摘される場」である。だから結果を見るのが憂鬱になる。結果表は引き出しの奥にしまわれてしまう。

一方で、健康診断をむしろ楽しみにしている人もいる。彼らにとって診断は評価の場ではない。前回から何が変わったのか、自分の取り組みがどの数値に表れているのかを確認する機会である。この違いは性格や体質といったものではない。健康診断を「評価」として受け取っているか、「意思決定の材料」として使っているかの目的の違いにある。

人事の可視化も、まったく同じである。数値を「評価」や「説明」のためだけに使う限り、可視化は重荷になる。毎年同じ指標を眺め、同じ課題を指摘し、同じ反省を繰り返す。しかし数値を「基準との距離を測る道具」として使い始めた瞬間、可視化は意思決定を支える力に変わる。

人事の定量分析が形骸化する最大の要因は、「基準の不在」にある。なぜこの数値を見ているのか。何をもって良し悪しを判断するのか。その数値が経営や事業とどう結びついているのか。これらを言語化できなければ、可視化は単なる報告資料で終わる。

人事に求められているのは、数値を並べることではない。その企業にとっての「良い状態」とは何か。どの水準を目指し、なぜそこを目指すのか。その基準を定義し、現状とのギャップを埋める道筋を描くことである。比較は重要である。しかし、比較の前に必要なのは意味づけである。この問いに答え続けることこそが、人事を感覚論から解放し、経営の意思決定へと引き上げる原動力となる。