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聖地赤羽
執筆者:吉岡 宏敏

 赤羽は、“朝から呑みたい連”にとっての聖地である。
 といって、そんな結社や集団があるわけではないが、なんの因果か、時々無性に朝から酒を呑みたくなる人々がこの世には存在する。アルコール中毒ではないので、日々の暮らしにおかしなところはない(と自分では思っている)のだが、朝呑みの虫がうずくとじっとしてはいられない。そんな彼らにとって、赤羽は、そこへ行けば、その願いが叶う約束の地なのである。


 朝9時に開店するある店は、40人ほどの店内が9時5分には満席となる。コの字のカウンターがびっしり埋まり、みな、鰻や鯉こくをつまみに、手元で焼酎を割って呑んでいる。この店を仕切るのは、少し高いトーンで張りのある声色の中年の女性で、必ず2度注文を繰り返して厨房に伝える声が、ざわついている店内に凛として通るのが小気味よい。


 この店にはルールがあって、ひとり3本までしか呑んではならない。そこをなんとかごまかして、もっと呑もうと思っても、その彼女の眼は逃れられないので、朝から呑みたいという連中ばかりとはいえ、へべれけの客が騒いでいるということはまずない。ルールは、もうひとつあって、既に呑んでいる客、つまり酔っている客は、入店できない。酔った客が、戸を空けて、さっと入ってこようとしても、やはり彼女に厳しく糾弾され、入れてくれないのである。


 既に呑んでいる客がいるというのも、別の店で、朝7時から開いている立ち飲み屋があるからだ。さすが赤羽である。この地には、他にも、おでんの種を売る店の横でも、呑めるし、昼前から呑める店には事欠かない。実は東京には、朝から呑める店が探せば結構ある。例えば、山の手線の各駅の周辺には、ほぼ漏れなくあると言えるだろう。ただ、時間帯と店のバリエーション、客筋の適度な不穏さといった総合的な観点でいえば、赤羽を超える地はないというのが、定説(どこの?)となっている。


 朝から酒を呑むことの悦びは、休日を実感するような非日常の快感、それを確認させてくれる小さな頽廃など、酒が好きというだけでない理由によるだろう。なかでも大きな誘因は、朝から酒を呑んでいられるその場が、自分にとっての“なわばり”だからではないか。家族や職場から離れ、言葉は交わさないけれども、おそらくは同好の士であろう人々に交じって、一人呑む。呑みながら、とりとめもなく、想う。そうした時間を過ごすことができる特別な場所、つまりそれは、心情的ななわばりである。


 動物行動学でいうなわばりは、「同種の他個体から防御される場所」と定義される。自分の場所を主張したり、逆になわばりに縛られて動きづらくなったり、人間の行動も動物と変わらないが、人にとってのなわばりは、個人にとっての特別な場所だともいわれる。ある人は、家庭には居場所が実感できないけれども、会社が居心地の良い場であり、そのことが仕事中毒の真因かもしれない。その人にとって、職場こそが自身が安心して生きられるなわばりなのである。ある人にとっては、子供のころ、裏山の洞窟に作り上げた隠れ家の思い出が、今も夢想のなかでのなわばりかもしれない。


 人にとってのなわばりは、心理的に張られた目に見えない結界であり、そこから世界を見る、安全でプライベートな場所である。一人ひとりに、その人だけの、いくつかの、なわばり(=心理的結界)がある。きっとそれが、コミュニケーション問題やメンタルイッシュ―にも関係する。だとすれば、防衛本能ゆえにしろ、個別心理的なものにしろ、なわばりである以上、組織の問題に対しても、動物行動学的アプロ―チがありうるかもしれない。。。


 などと、コの字型のカウンターで想いを巡らしていると、隣の客が、どうも只ならぬ妙にすわった眼つきで、じっとこちらを睨みつけている。どうやらこの店のルールをかいくぐったかもしれない酔い方で、いかにも不穏な気配が立ち昇っている。気付かぬうちに、この客のなわばりを侵食してしまったのかもしれないと、そっと席を立つことにした。



(2011年11月21日 吉岡 宏敏

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