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『菊地寛の短編からみた処遇の在り方』
執筆者:高柳 公一
『彼を昇格させるべきか、正直わからないんです…』
仕事柄、著名な企業で、大変優秀な経営層の方々と人事評価や昇格についての話をする機会が少なからずありますが、人事評価に頭を悩ませたことはないという方に、今まで、お目にかかった事はありません。程度の差こそあれ、評価を行う立場の人間にとって、その判断の結果で、ひとりの社員のキャリア人生に少なからぬ影響を与えることになる人事評価には、大きな責任を感じるとともに、その判断の難しさに頭を悩ませているのが現実なのではないでしょうか。
通常、組織において、業績、能力、勤務態度、経験年数、行動特性など、設定された昇格要件に基づいて、社員の昇格の可否を判断します。あいまいな昇格要件であれば評価者の裁量は大きくなり、“運用”しやすくはなるでしょうが、その分、判断は難しくなり、評価者はその責任と難しさを強く感じることになります。また、逆に、いくら精緻な昇格ルールを作ったとしても、そのルールが、勤続年数や年齢をベースに自動的に昇格させるような仕組みでない限り、悩む事無く、機械的に判断する訳にはいかないはずです。
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昇格要件の設定の論点のひとつに、「卒業要件方式/入学要件方式」があります。現等級の水準を卒業したとみなしたら、上位等級に昇格させるというのが「卒業要件方式」で、上位等級に入学できるレベルの水準を保持しているという確認ができたら、昇格させるという「入学要件方式」です。
「卒業要件方式」を採用すれば、ある程度のリスクを抱えたまま、上位等級に昇格させることになりますので、「入学要件方式」を採用し、確実に上位等級にふさわしい水準を保有していることを確認してから昇格させるよりも、誤った「昇格」のリスクは高まるかも知れません。
一方、「入学要件方式」を採用すると、本来、上位等級で活躍できるはずの社員を昇格させないことで、結果として人材を十分に活用できなかったり、社員のモチベーション低下により、組織全体のパフォーマンスレベルを落としてしまうという可能性が出てきます。
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クライアント企業の方々とこうした議論をしている時、いつも思い出してしまう話があります。『父帰る』『恩讐の彼方に』など、数々の日本文学の名作を残した文豪で、文芸春秋社の創設者でもある菊池寛による『形』という短編作品です。
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『戦国時代、侍大将であった中村新兵衛は、槍遣いの名手としてその名を轟かせていた。「猩々緋(しょうじょうひ≒エンジ色)の羽織」を着て、「唐冠纓金の兜」を被って、数々の戦でその功名を重ねていたので、新兵衛の『羽織』と『兜』は、敵に対する脅威であり、味方にとって信頼のまとだった。ある日、新兵衛は、元服して間もない若者から、明日は初陣なので手柄を立てたい、ついては、新兵衛の羽織と袴を貸して貰えぬかと頼まれ、快く貸した。すると、その若者は、翌日の戦で、新兵衛の羽織と袴を朝日に輝かしながら一番槍として敵方に突き入り、その若者を新兵衛と思い込んで恐れ、浮き足立った数人の端武者を倒して悠々と引き上げてきた・・。』
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人は与えられたその外形的な姿によって、発揮される実力が左右されるものであることを、この話は示唆しています。「立場が人をつくる」という言い方もできるかもしれません。多少背伸びしたら務まるような立場に処遇することで、人はその立場に見合う人材に育っていくものです。もちろん企業の置かれている状況によっては、ポテンシャル含みで昇格させることが、会社全体の賃金生産性の低下を招いてしまう事もあるので、一概にポテンシャルによる昇格が 良いというわけではありません。しかし、多少、人件費総額に余裕がある環境の企業であれば、背伸びをさせてでも、昇格させるほうが、会社にも個人にも良い結果になるのではないかと、個人的には思います。
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菊池寛の話はさらに続きます・・・。
その日、新兵衛は黒皮威(くろかわおどし)の鎧を着て、南蛮鉄の兜を被っていました。新兵衛は二番槍として敵方に突入しましたが、彼のシンボルであった羽織と兜を被った若者に散々な目にあった敵は、その恨みをはらさんばかりに、新兵衛に猛然と突きかかってきます。いつもならば、新兵衛は、うろたえる敵を難なく槍で突き伏せることができるのですが、このときばかりは敵は新兵衛と知らず必死で攻撃を仕掛けてきて、やがて新兵衛は劣勢になり、ふと羽織と兜を貸したことに後悔の念を感じた時、脾腹に敵の槍が深々と突き刺さり、命を落としてしまいます。
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昇格により、目指すべき外形的な姿を与えることで人は成長する一方で、与えられた立場に安住し、長く胡坐をかいていると、かつてどんなに優秀な人材も、立場に見合う実力を維持することはできない事もまた、真実なのかも知れません。
(2010年06月02日 高柳 公一)
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