社員が会社に求めるもの
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『高柳さん このリストを見てもらえますか?』
私は、ここ数年の急成長で注目されているA社の人事部長から、1枚のメモを手渡された。メモには以下のようなA社の社員の生の声が、書かれていた。
・給与が低すぎて生活していけない
・残業、休日出勤が多く、忙しすぎて自分の時間が取れない
・仕事がつまらない
・上司が自分の業績を評価してくれない
・自分がより成長できる仕事がしたい
・評価に上満がある。もっと年収の高いオファーを他の企業からもらった
・自分の経験を活かしているが、逆に新に学べるものはない
・職場仲間との人間関係がうまくいかない
・給与額はそれなりだが、契約社員ではなく正社員の職に就きたい
・直属の上司との年齢が近く、将来の昇進の可能性が見えない
・社内に尊敬できる人物がいない
・良い仕事をしても心から楽しいと感じることがない
・早く株式公開して上場企業になってほしい
・今の仕事はピンポイントすぎてキャリアが積めない。もう少し幅の広い仕事をしたい
・会社の方向性がよく見えない
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これらは、A社で先日、無記名で行ったパートや契約社員を含むすべての従業員を対象とした従業員満足度調査の中で記入された会社や今の仕事に対する思いだった。
『この1年で急に状況が変わってしまいました。一刻も早く人材を採用して欲しいという現場からの声は、高まる一方なのですが、最近は思ったように中途採用で良い人材を確保するのが難しくなって来ました。さらには、忙しさから既存の社員に対する負荷が高まり、離職者も増えてしまいまして……』
こうした問題は、A社に限った問題ではない。日本経済の回復基調が続く中、各社とも、新卒、中途を問わず、採用意欲が急速に高まったために、労働市場は比較的短期間で大きく『売り手市場』にシフトしてきた。いまや、業績が良く将来の安定が見込まれる会社というだけで良い人材を確保できる時代ではない。こうした環境の中で、会社に必要な人材を確保し続けるために企業の経営者、人事責任者はどのような視点を持つべきなのだろうか?
入社時の給与額を高めるなど採用条件をより魅力的なものにする、あるいは、期待する求人要件に満たない人材であっても採用し社内で育てていく、こうした取組みは、上記の問題を解決するために有効であろう。
しかし、その一方で、多くの企業経営者や人事責任者が真剣に取り組まなければならないことは、いったん入社した社員が退職せず高いモチベーションを持って働き続ける環境を提供し、社員が辞めない会社を作ることである。
近年、日本においても企業の雇用主としての魅力(=エンプロイメンタビリティ)についての議論がされつつある。単に、給与を上げれば良い人材が確保できるほどナイーブな時代ではない。エンプロイメンタビリティのレベルを左右する要素は様々である。仕事内容、給与、地位、フリンジベネフィット、職場環境、雇用の安定性、経営理念・ミッション、経営方針、経営の健全性(業績、法令順守)、業界・業種、会社の規模、株式の公開/非公開、キャリア開発の可能性、社長の人格、人事制度などなど、多岐にわたっている。働く側は、こうした要素の自分なりの価値観でウエイト付けし、新しいキャリアを選択する時代だ。
当然ながら、こうした要素のウエイトは働く者によって様々で一様ではない。つまり、会社として広く最大公約数的にエンプロイメンタビリティを高めてもあまり意味がなく、その企業に所属する人材や、今後必要となる人材にフォーカスを当ててエンプロイメンタビリティ向上を目指すことが求められている。
企業の魅力度を判断する際の物差しを、ここではアブラハム・マズロー(1908 ? 1970 アメリカ合衆国の心理学者)の言う5段階欲求にカテゴライズして個々の従業員の持つニーズを整理してみたい。
■マズローの5段階欲求
[1]生理的欲求
生きていくために必要な、食物、水、空気、性といった基本的な欲求。生理的体系としての自己を維持するための欲求
[2]安全・安定の欲求
危険や未来に対する不安から逃れようとする欲求。安全な環境を求め、リスクを回避しようする欲求
[3]所属・愛情の欲求
人から良く思われたい、嫌われたくないなど、集団に対する帰属感を含んだ欲求。社会的欲求(social needs)とも言われる。友情や愛情を求める欲求も含まれる。
[4]尊重・承認の欲求
他人からの尊敬や責任ある地位を求めたり、社会的ステータスを築きたい、人から認められたいという欲求。自尊心もここに含まれる。
[5]自己実現の欲求
『自分はこうでありたい』という、自らを為すことへの欲求。自己の成長や発展の機会を求め、自分ならではの能力の利用および自己の潜在能力の実現を求める欲求である。
アブラハム・マズローは、欲求段階説の中で、人間の欲求は以上の5段階のピラミッド構造になっており、第1段階の欲求が満たされると第2段階の欲求を求めるようになることを唱えている。それぞれの欲求段階が、企業のエンプロイメンタビリティとどのように関わっているかを見てみよう。
[1]生理的欲求 [2]安全・安定の欲求
“生活できるだけの給与が欲しい”といったニーズは、この段階の欲求に類するだろう。しかし、現在の我が国の労働状況において、ぜいたく品を買う余裕はなくとも、基本的な人権を満たすレベルの衣食住をカバーするレベルの給与は、どの企業であっても、提供しているはずである。しかしながら、急成長の裏で、長時間の残業や休日出勤を課している企業などでは、睡眠時間の確保や健康維持に対する上安のために退職する社員も少なくない。また、実は、業績の良い企業で、高給を得て、責任のある重要なポジションについている社員も、あまりの長時間勤務のために、この欲求が満たされず退職に至るケースも少なくない。
『いくら、給料がよくても、これでは、体を壊してしまうと思った』
『いつも終電ぎりぎりまで働いて、かつ土日も出勤して、寝る暇もなかったので退職することにしました』
企業側は、良い給料とポジションを与え、後述の『尊重の欲求』を満たしているからと安心して、この人間の基本的欲求をおろそかにしてしまうと、思わぬしっぺ返しを受けてしまうこともあるようだ。
[3]所属・愛情の欲求
企業の労働環境を改善し、エンプロイメンタビリティを向上させる上で、マズローの第3欲求を考えるとき、どのようなアクションが考えられるだろう? 組織内での人間関係がうまくいかずに退職する、あるいは、同じ部屋で仕事をしていている同僚と一体感を感じられず疎外感を感じて会社を辞めてしまう場合は、この段階の欲求が満たされなかったと言える。
戦後の高度成長を支えた、いわゆる"日本的な"企業では、終身雇用制度の下で朝礼、社員旅行、といった集団への帰属意識を高めるアクションを取ってきた。こうした家族主義的経営は、この第3欲求を満たすものではある一方で、欲求段階が進み、第4、第5の欲求を強く求めるようになった社員には、むしろ逆効果になってしまうことも少なくない。他人との違いや個性を尊重し、自らのライフスタイルにプライドを持つ第4欲求の段階の社員は、能力や業績に関わらず画一的に処遇されることは好まない。むしろ他の社員とは別に、その社員独自の処遇や労働条件を与えられることを望む傾向にあると言える。この第3段階と第4段階にいる社員に対し、どのようなバランスをとっていくのかが、エンプロイメンタビリティ向上のために大きな課題となっている段階の企業は多いのではないだろうか?
[4]尊重・承認の欲求
人に認めてもらうことの欲求なので、単に職場の周りの人と仲良く過ごすだけでは、この欲求は満たされない。自分の行った仕事の成果について、他人から評価されることを求める段階である。日々の業務の中で、仕事の成果について上司・同僚から高い評価を受けたり、逆に否定されることによって、この段階の欲求の充足レベルは上下する。また、高級車を所有したり、高額なスーツや時計を身に付けることもこの欲求を満たすための行為といってよいだろう。このような行為を担保するものとして、企業から受け取る給与額やポジションがこの段階欲求を充足するための大変重要な指標となる。
- A君は、今年トップセールスになった結果、年収1,000万円を超えた
- Bさんは、同期入社の中で、最も早く管理職に昇進した
日常でこうしたコメントをよく耳にするが、この第4欲求の充足レベルを企業から与えられた給与額やポジションで、この欲求を確認していることの表れである。
近年、成果主義的な評価制度の導入の風潮が続いているが、企業の業績向上に貢献している社員に対し、それに見合う処遇をしていくことは、この第4段階の欲求レベルの社員のニーズを満たすことにつながると言えるだろう。また、所属する企業が、株式公開し上場企業となることで、社外から承認を感じる社員もいるだろう。社会的に認められた、『立派な会社』、『優良な会社』に勤めていることを認識することでも、この第4欲求は満たされる。基本的な衣食住を確保する生活をすることができ、仕事仲間との人間関係も良好で、行った仕事に対して相応の評価やそれに見合う給与も得られるようになると、人は次の『自己実現の欲求』に向かう。
[5]自己実現の欲求
社会的に認められ周囲と仲良くできていても、何かが違う。自分の本当にやりたいことは、別にある。給与の多寡の問題ではなく、本当に生きがいを感じることをしたい。給料が下がっても、社会的貢献度が高いと感じる仕事に転職している例などがこれにあたる。
第1段階の生理的欲求から第4段階の尊重・承認の欲求に至る段階を充足した人は、自己実現の欲求を求めて行動し始める。マズロー自身も述べているように、実際にこの自己実現の欲求を完全に満たしている人は極めて少ないが、近年、確実にこの欲求ニーズを求める社員が増えている。彼らの価値観は、モラールの向上、創造性の発揮、自発的行動、問題の解決といったキーワードで表現される。この段階にいる人材に対してできる企業側のアクションとしては、内部統制・コンプライアンス(法令順守)の徹底、自発的な業務改善活動の奨励、希望業務の申告制度などが考えられる。また、個別にその社員のニーズを把握し、可能な限り、それを満たすためのきめの細かい対応が必要となってくるだろう。
以上のように、従業員が企業に求めているものは、いくつかのレベルに分かれている。また、個々の社員ごとにそのニーズは異なり、時とともに変化していくものでもある。企業がその事業戦略の実現に必要な人材を確保するためエンプロイメンタビリティの向上を真剣に考えなければならない時代がやってきている。また、企業がエンプロイメンタビリティの向上を目指す上で、このような従業員の企業に対する様々なニーズを体系的に分類、理解し、きめ細かい施策を行うことが、いまや求められていると言えるのではないか。
(高柳公一)
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